世の中には、勝っても手放しで喜べない戦いがあります。その一つが「紛争裁判」です。
裁判にかかる膨大な費用や時間をはじめ、昨日までの友人や同僚が敵となったり、取引先と戦ったりする精神的な負担から、裁判に勝っても、どこかやるせない気持ちを抱く人が少なくありません。東京・赤坂の法律事務所で弁護士として働いていた笹原健太さんは、数多の裁判に立ち会うなかで、そうした人たちを目にしてきたと話します。
特に民事の紛争裁判においては、「契約」関連のトラブルが目立ちます。そのなかには、些細なことに注意するだけで、未然に防げたはずのものも多いのだとか。
「適切に契約が締結、履行、管理される仕組みが整えば、紛争裁判をなくせるのでは?」
そう考えた笹原さんは、弁護士と兼業で、煩雑になりがちな契約の準備・手続きをサポートするSaaSプロダクトの開発をスタート。1年後には株式会社Holmesを創業し、出資を受けたタイミングで弁護士を辞め、国内初の契約マネジメントシステム「ホームズクラウド」の成長に注力するようになりました。
ホームズクラウドでは、契約書の作成から承認フローや締結はもちろんのこと、契約プロセスの構築から、契約にまつわる書類やナレッジの管理まで、契約業務全般の課題を一貫してサポートしています。現在、上場企業からIPO準備中の急成長スタートアップまで、規模や業種を問わずに導入中。さらなる成長を目指し、採用を強化中です。
弁護士の肩書きを手放し、笹原さんがHolmesで成し遂げようとしていることは何なのか。同社がアプローチする「契約」の本質的な課題、それを解決するために必要な人材とは。SaaSベンチャーに特化して投資と支援をする「ALL STAR SAAS FUND」の前田ヒロが対談しました。
弁護士として「予防法務」に注力、個人の限界を感じて起業へ
前田:弁護士からSaaSスタートアップの経営者になるのは、僕自身、あまり聞かない話だなと思いました。なぜ、Holmesを立ち上げようと?
笹原:もともとは、紛争裁判をなくすために個人で法律事務所を設立し、「予防法務」を推進していました。契約書や就業規則の整備など、企業が法的な紛争を避けるために、あるいは法的な紛争が発生してもすみやかに解決できるように、予防するための取り組みですね。
ところが、独立から1年ほど経った頃、個人の限界を感じ始めました。人力では担当できる案件の数も限られ、紛争裁判を“減らし”はできても、“なくせ”はしない。
前田:個人の限界を超えるため、行き着いた先が「テクノロジー」だったと。
笹原:そうです。人力に限りがあるのなら、テクノロジーの力を借りればいい。そして、紛争裁判の元凶になりやすい「契約」が適切に行われる仕組みを開発すれば、予防法務を推し進める以上に、紛争裁判をゼロにする未来に近づけるのではと予感しました。
そこからエンジニアを探し、自費でSaaSプロダクトの開発をスタート。弁護士との業務バランスを見つつ、1年以上かけてホームズクラウドをローンチしたのが始まりです。
5000年の歴史を持つ「契約」の再設計に挑む
前田:近年ではハンコ不要論やペーパーレスのクラウド契約も増え、進化の兆しを感じます。笹原さんは、この流れをどう見ていますか?
笹原:ハンコや紙が不要になれば、たしかに便利ですよね。だからと言って、契約の煩わしさやいざこざが解消され、紛争裁判がなくなるわけではないと思っています。それらは課題の“入口”であり、紛争裁判をなくすためには、契約の“本質的”な課題にアプローチする必要があるなと。
前田:本質的な課題とは何でしょうか?
笹原:契約のアップデートが、時代の流れに追いついていないことです。ここから少しだけ歴史の話をさせてください。もともと契約は、世界最古の文明である「メソポタミア文明」の時代から存在したと言われています。実際、石版の契約書も発見されている。
ハンコや紙もない時代、文明の初期から存在した「契約」は、本来シンプルなものです。「これを行うなかで、お互いにこれは合意しましょう」と確認するだけのことで、現代とも変わりません。ところが、1602年に世界初の株式会社が誕生して以来、部署や役職の成立、分社化など、会社や組織が複雑化する一方、アップデートが遅れてしまった。
とはいえ契約をなくすわけにはいかず、無理矢理、複雑化する会社や組織に順応した結果、契約量が増え、フローや管理方法も煩雑になってしまったのだと思います。
前田:なるほど。人々が契約に対して「面倒」「難しい」といったネガティブな印象を持つようになったのも、進化が遅れているからかもしれませんね。
笹原:私はそう考えています。現代でも、会社や組織の複雑化は進んでいる。その流れに契約が取り残され、これ以上煩雑にならないよう、今こそ再設計が必要だと思います。
前田:Holmesが取り組もうとしているいるのは、まさにその部分だと。どのようにアプローチしていくのですか?
笹原:契約に期待される「3つの目的」が、適切に行われる仕組みをつくることです。3つの目的とは、締結、履行、管理です。契約を結ぶ者同士、どちらにどのような権利や義務が発生するのかを確定させる「締結」はもちろん、締結時に発生した権利義務の「履行」も重要です。権利義務の内容や契約の有効性、契約書の「管理」も疎かになれば無効になる可能性もあり、トラブルのもとになりかねません。
前田:規模の小さい組織ならまだしも、規模が大きくなればなるほど、把握・管理すべき事項は多そうですよね……。
笹原:契約書の作成、契約の承認、締結、管理、履行……一連のプロセスは、数多の部署や役職の方々、縦と横のさまざまな関係が絡むなかで行われます。その複雑性を考慮しつつ、適切かつ効率良く契約が行われる仕組みを整えていく必要があるのです。
弁護士を辞め、未知の業界で組織マネジメントに苦戦
前田:笹原さんは弁護士の肩書きを残す選択肢もあったなか、なぜその決断を?
肩書きや固定観念に捉われていては、スタートアップの経営者として最適な判断や行動ができないと思った
笹原:肩書きや固定観念に捉われていては、スタートアップの経営者として最適な判断や行動ができないと思ったからです。
弁護士とスタートアップでは、ビジネスモデルやマネジメントスタイルが大きく異なります。弁護士は単価も高く、営業利益を一つずつ積み重ねていく一方、スタートアップは赤字を掘ってでもシェアを取りに行き、大きな収益へ繋げていくスタイルが一般的です。
また、弁護士は多くの場合で「上位下達」の世界であり、仕事の役割分担が明確ですが、スタートアップは違う。Holmesに本腰を入れ、あらゆる仕事をせねばならないうえで、肩書きが邪魔になる予感がしました。
前田:笹原さんの本気度がひしひしと伝わってきます。実際、弁護士とはほぼ真逆の業界とも取れるスタートアップに挑戦し、苦労したことはありますか?
笹原:組織マネジメントには苦戦しましたね。弁護士時代の感覚が抜け切らず、自分の性格も相まって「経営者は営業、開発、人事組織……全方位にフルコミットすべき」と何事にも深く関わりすぎていたなと。経営者が陥りやすい罠なのかもしれません。
経営者は会社を立ち上げた張本人なので、自分の考えは何でも理に適っていると錯覚しがちです。だから、あちこちで「こうすべきだよね?」と口出しをしてしまう。
それで経営者は満足かもしれませんが、周りのメンバーの自発性はなくなってしまいます。「経営者から『やれ』と言われたからやる」という、他責な組織になる危険性があったなと反省しました。
前田:自分のやっていることに対する“納得感”は重要ですよね。上から言われたことをこなしているだけなのか否かで、発揮される能力や成果が大きく変わると思います。
笹原:おっしゃる通りです。Holmesでも、メンバーの事業に対する“納得感”を重視するため、組織コミュニケーションの改善に取り組み始めました。
会社の根を太くする「WHY」のコミュニケーションを重視
前田:メンバーの“納得感”を大切にするコミュニケーション、気になります。
笹原:具体的には、会社の“根”を太くする「WHY」のコミュニケーションに時間をかけるように意識しています。「なぜ、この事業なのか?」「なぜ、この方向性なのか?」といった会社の根にあたる思想は、経営者である自分が誰よりも考えるべきことであり、それを定期的にメンバーと同期していく必要がある。その重要性は「木」に例えると分かりやすくて。
前田:「木」、ですか。
KPIなどを「枝葉」とするならば、「花」はその結果、「幹」や「根」にあたるのはビジョンやミッションだと思います。
笹原:日々の実務や施策、KPIなどを「枝葉」とするならば、「花」はその結果、「幹」や「根」にあたるのはビジョンやミッションだと思います。
人が木を育てるとき、注目しがちなのは、目に見えやすい「枝葉」や「花」です。ただ、それらを真に支えているのは「幹」や「根」であることを忘れてはいけません。枝葉や花が枯れても大問題にはなりませんが、根が腐り幹が折られてしまえば、木は死んでしまう。
それだけ重要なのに、見落としがちな部分でもあるため、定期的に根や幹の状態を確認する必要があります。
前田:分かりやすい例えですね。会社の根に値する「WHY」のコミュニケーションを尊重するため、具体的に取り組んでいることはありますか?
笹原:「この日、私はオフィスに一日いるので、ディスカッションしたい人がいたら自由に入ってください」とオープンな場を設けています。現場でプロダクトを運営するメンバーが「なぜ、このプロダクトなのか?」「なぜ、この施策なのか?」「今自分たちがやっていることは、会社が目指す未来にどう接続されるのか?」といった質問を気軽にできる機会は、これ以外にも積極的につくっていきたいですね。
経営者の“未来志向”を咀嚼し、マイルストーンを置ける人材が必要
前田:組織コミュニケーションの改善に励みつつ、今後、Holmesが事業面で注力していきたいことは何でしょうか?
笹原:先ほどもお話した契約に期待される「3つの目的」……締結、履行、管理が適切に行われる仕組みを整えることです。
契約の「締結」には、さまざまな部署や役職の人たちが関わるので、煩雑にならぬよう、締結フローのプロセス化を後押ししていきたいですね。「履行」に関しては、これまで人力で行われてきたのですが、いわゆるスマート・コントラクトと呼ばれるような「契約の自動化」を推し進めていきたいです。自動化できれば、発生した権利義務も自動的に実現されていくので、履行にかかる人的負担の軽減やコスト削減にもつながると思います。
そして、履行が問題なく行われるように、「管理」においては権利義務の可視化に注力したいです。実際、アメリカで急成長しているコントラクト・ライフサイクル・マネジメント(Contract Lifecycle Management, CLM)市場のプレイヤーが次々と“権利義務の可視化”に取り組んでいて、契約の履行率を確認する仕組みが大きく進んでいるんですよね。権利義務の把握はうやむやになりがちなので、Holmesも、アメリカの例を参考にしながら、国内初のCLMベンダーとして“権利義務の可視化”を国内で推し進めていきたいです。
前田:Holmesが目指す方向性、進むべき道をはっきり描かれている印象を受けました。
笹原:私自身、未来志向が強く、「将来的に社会はこうなっていくはずだから、Holmesはここを目指すべきだよね」と会社の指針を示すのは得意だと感じています。一方、その実現に向けて日々の戦略や施策に落とし込むのが苦手で……。
ありがたいことに、社内では「笹原さんは未来を見ていてください!目先のことは僕らがやりますから」と社員が後押ししてくれる勢いがあります。自分が未来を見て、事業の方向性を決める。それを日々の戦略や施策に落とし込み、できることから一つずつ進めていく人が、Holmesにとってはもっと必要だと感じています。
前田:笹原さんの弱みをカバーしながら、理想の社会を実現するために、日々の実務レベルでマイルストーンを置ける人を求めていると。
笹原:はい。私や経営陣の考えを理解、納得した上で、その考えを咀嚼し、現場を動かすメンバーに分かりやすく伝えてくれる。そんな“未来”と“実務”を繋いでくれるマネジメント人材に出会えたらとても心強いです。
Holmesが描く未来を信じ、納得感と誠実さを尊重する組織へ
前田:現在は採用を強化中ですよね。Holmesで働くメンバーの共通点はありますか?
笹原:おかげさまで、仲間も順調に集まっています。メガベンチャー出身や、外資系のSaaSプロダクトの立ち上げ経験者など、経歴もスキルも多様なメンバーが揃うなか、全員がHolmesの描く未来を信じて入社してくれているなと感じます。
前田:どんなときに感じるか、詳しく聞きたいです。
笹原:採用部門のメンバーが、「Holmesの採用のコアって何なんだろう」「なんでみんなHolmesを選んでくれたんだろう」といったことを、社内で議論しながら言語化を進めてくれていて。Holmesの組織としての強みは「圧倒的に未来感があり、契約の本質的な課題にアプローチしてるところ」だと思うんですよね。
描く未来のスケールが大きい気もするが、その可能性を強く感じられる。目先の数字に捉われず、自分たちがやっていることと、会社が目指す未来との接続を考え、常に“納得感”を大切に働いているメンバーが多いなと。
前田:なるほど。最後に、今後も“納得感”を尊重するメンバーとともに、組織や事業を成長させていくなかで、Holmesが大事にしたい考えはありますか?
目先の成果やKPIを捨てても「誠実」を優先する会社でありたいです。
笹原:ビジネスの世界では、目先の数字や成果を優先して、不誠実になってしまう危険性が潜んでいます。そんな中でも、Holmesは、目先の成果やKPIを捨てても「誠実」を優先する会社でありたいです。目先の数字にインパクトがあることと、社会やお客様に対して誠実であること。どちらかを選ぶ場面があれば、迷わず後者を選び取りたい。そして、その判断を心から賞賛できる組織でありたいです。
前田:素晴らしい組織像ですね。普段の笹原さんとの会話では、聞けないような話もたくさん聞けて、充実した時間となりました。ありがとうございました。
笹原 健太
代表取締役 CEO(元弁護士)
司法試験合格後、弁護士として法律事務所に勤務。
2013年に弁護士法人 PRESIDENTを設立。
「世の中から紛争裁判をなくす」という志を実現すべく、17年に株式会社リグシー(現・株式会社Holmes)を設立。現在は弁護士登録を抹消し、CEOとして同社の提供する契約マネジメントシステム「ホームズクラウド」の成長に向けて力を注いでいる。
※対談は新型コロナウイルス感染症の拡大を考慮し、ビデオ会議ツール「Zoom」を利用し実施しました。