中国のAI産業は急速な発展を遂げているものの、その実態は多くの日本企業にとって見えにくい状況が続いています。アメリカのAI情報はインターネットを通じても豊富に入手できる一方で、同じく「AI大国」として知られる中国の状況は正直なところ、日本からまったく見えていないのが現状でしょう。
そこで今回は、中国ベンチャー投資の黎明期から20年間にわたって最前線で活動し、現在は中国大手VCとして名高い「Legend Capital」のパートナーとして、中国AI企業への投資を手がける朴焌成(Joon Sung Park、パク・ジュンソン)さんに、中国AI産業の現在地と成長要因について詳しく伺いました。
幅広い分野で躍進する中国AI企業の実態、そして日本のスタートアップが学ぶべきポイントとは?聞き手は、ALL STAR SAAS FUNDのシニアパートナー・湊雅之&マネージングパートナー・前田ヒロです。
中国AI産業を牽引する代表的な企業とは?
湊:中国のAI産業、そしてスタートアップのエコシステムは、今どういう状況にあるのでしょうか?
朴(以下、パク):まず、中国を代表するAI企業について、最も話題になっているのはユニコーン企業になったUnitreeです。ヒューマノイドや犬型ロボットを製造しており、日本でも犬型ロボットが30〜40万円ほどで販売されています。
彼らは、コア技術となるハードウェアのモータードライバーや、コントローラー、モーションの制御など、機械部品をすべて開発しています。その技術においては100件以上の特許も保有している。さらには、ソフトウェアも自社開発しているんです。
Unitreeのように、中国のAI業界で活況を呈している分野の一つがロボットです。深センというハードウェアに強みを持つ都市で、特にサプライチェーンが整っているのが大きいですね。アメリカと中国をあえて比較するのであれば、アメリカはまだ「ブレイン」に当たるようなソフトウェアが得意な一方、ハードウェアでは中国に分があるというのが、一般的な中国投資家の見方です。
LLM開発に強みを持つDeepSeekが拠点を置く杭州という地域には、中国で急成長を遂げている有力スタートアップ6社が集まっています。それらを称して「杭州六小龍(Six Little Dragons)がいる」と言われていますね。ちなみに、Unitreeもその一頭です。
DeepSeekだけでなく、LLM分野は中国でも投資が集まっています。アメリカには、OpenAI、Anthropic、XAIなどがありますが、中国ではLLMを手掛ける企業は200社近くもあるんです。Legend Capitalが投資しているベンチャー企業だけでなく、Alibaba、Tencent、Baidu、ByteDanceのようなビッグテックも自らLLMを展開しています。そういった環境も、韓国や日本がこの領域ではなかなか勝てない理由の一つでしょう。
LLM企業のなかで一社紹介したいのは、弊社が投資をしているZhipuです。2019年に清華大学の教授が創業したのですが、興味深い動きとして、現在の中国で最も注目される起業家のバックグラウンドは「エンジニアリングスクールの教授」なんですよ。
湊:エンジニアリングスクールの教授が注目されるのは、なぜですか?
パク:大学でエンジニア畑を歩む教授たちは、研究プロジェクトを持っていることがほとんどです。そのプロジェクトをコマーシャライゼーションできるようなところにお金が集まっているんです。だからこそ、工学やコンピューターサイエンスに強い「清華大学の教授」が最も注目される、となるわけですね。
Zhipuは2019年に創業して、弊社が2021年、2022年、2023年の3回に分けて投資を実施しましたが、現在は30億米ドルぐらいのバリュエーションがついてる会社になりました。彼らは、中国のLLM開発の領域でユニコーン企業となった「大模型六小虎(Six Little Tigers)」の一社ですが、そのなかでもオープンソースを使わず、本当にゼロから技術を開発した会社は、実はZhipuだけなんです。純粋な「中国の技術」という観点で、Zhipuは中国政府が認めたAI企業と言えるでしょう。近い将来、上場することを期待している一社です。
他に特筆すべき企業を挙げるとすればByteDanceです。ByteDanceの売上と純利益は、昨年にTencentを超えました。彼らは今、AIにオールインしているんです。ByteDanceが作ったLLMを活用したAIチャットボットのDoubaoは、現在5,100万MAUを持っていると発表されています。中国で最も使われているチャットサービスですね。
製造業、保険、医療…etc. 中国におけるAI活用の最前線
前田:Doubaoのように、AIの活用例をぜひもっと聞きたいです。中国では具体的に、AIがどのような業界や分野で活発に使われていますか?
パク:まず製造業では、携帯電話でお馴染みのXiaomiの事例が印象的です。2021年に自動車事業をスタートすると発表し、たった3年で生産・販売まで実現しました。昨年10月にEV工場を見学したのですが、工員の数がとても少なかったことに驚きました。オートメーションが91%に達しており、特に品質管理プロセスはすべてAIが担当。中国は労働集約型のイメージが強いですが、実際には「lights-out factory」と呼ばれる最先端の無人工場が集積している状況です。YouTubeにEV工場の動画が上がっているのでぜひ見てみてください。
保険業界では、Ping An Insurance Groupが先進的な取り組みを行なっています。2024年第3四半期時点で、サービスの8割がAI音声で処理されており、顧客の感情的なニュアンスまで理解して対応できるシステムを構築しています。さまざまな消費者に対応でき、支払い督促のような厳しい状況でも、AIが適切に通話を行えるレベルに達しています。
自動運転分野では、弊社投資先のPony.aiが約300台のロボタクシーを中国国内で運営しています。現時点では都市部から離れた地域が中心ですが、実用化が進んでいます。
医療分野で注目すべきはUnited Imaging Healthcareです。約3,000ヶ所の病院に診断支援AIソフトウェアを提供し、売上は2,000億円以上、利益率も10%という優良企業に成長しています。中国では病院を3つのカテゴリーに分類していますが、最上位の大型病院でAI導入が積極的に進んでいます。
eコマースでは、TikTokや快手といったプラットフォームで、人間ではなくAIアバターが24時間商品販売を行うサービスが登場しています。本物の人間を再現したようなアバターが、日本で言うテレビショッピングのような販売を継続的に行なっているんです。
行政分野では、Alibabaの「CityBrain」プロジェクトのような都市管理システムが地方政府に普及しています。Alibabaは独自のオープンソースLLM「Qwen」を提供しており、MAU1億人未満なら無料で利用できる仕組みを構築しています。これは、最終的にAlibaba Cloudの有料ユーザー獲得につなげる戦略的なビジネスモデルですね。
Alibabaの会長であるJoseph Tsai氏は「AmazonはLLMを持たず、MicrosoftもOpenAIにアウトソースしている。クラウドとLLMの両方を持っているのは我々だけだ」と主張しています。実際、中国のAIユニコーン企業すべてに投資を行なっており、ビッグテック企業のなかで最も積極的かつ戦略的なAIポートフォリオを構築していると評価されています。
教育分野でも、オンライン教育でのアバター活用や、黒板の内容を音声認識・OCR技術で処理するハードウェアが普及しています。弊社投資先のiFLYTEKも、教育向けスマートデバイスを多数開発しています。
エンターテインメント分野では、1〜2分程度の「Mini Drama」と呼ばれるショートドラマが人気を集めています。ByteDanceが約500億円を投資してプラットフォームを構築し、AIを使って、俳優の顔や言語を変更するサービスも提供されています。
LLM市場の競争激化とバーティカル化への流れ
前田:LLMを200社以上が手掛けているとのことでしたが、同じようなバリュープロポジションで開発しているのか、それとも特定用途に特化した「バーティカルLLM」が多いのでしょうか?
パク:最初は似たようなLLMを作る企業が多く、競争が厳しくなってきました。そのため最近は、おっしゃる通りにバーティカルに特化するAI企業が増えています。
弊社投資先のMoonshotが開発した「KimiChat」は、中国で人気の高い「ChatGPT類似サービス」の一つで、有料版も提供しています。一方、Baichuan.AIは医療分野に特化したLLMの開発を進めており、「汎用医療アシスタント」として、単なる文書処理を超えて医療文脈を理解し、意思決定に実質的な貢献ができる信頼性の高いAIシステムを目指しています。
ただし、競争の激化により苦戦している企業もあります。Google Chinaの元Presidentで、MicrosoftのシニアエグゼクティブだったKai-Fu Lee氏が立ち上げた01.AIも、最近は業績不振の噂が聞こえました。200社以上のLLM企業が存在し、さらにAlibabaやDeepSeekなどのオープンソース型が、既存のクローズド型有料モデルに大きなプレッシャーを与えているためです。明確な戦略を打ち出せなければ、資金調達が困難になる可能性も出てきています。
中国AI産業、急成長の「3つの要因」
湊:そもそも、なぜ中国でこれほどAIが盛り上がっているのでしょうか?社会的な背景も含めて教えてください。
パク:中国はAIだけでなく、EVや太陽エネルギーなど多くの分野で強さを発揮していますが、これは政府の政策とも関係があります。そこで、今回は「市場の特徴」という観点から、いくつかのキーワードを挙げてみたいと思います。
1つ目は、豊富なエンジニア人材数。中国では年間約1,060万人の大学生が卒業し、そのうち4年制大学卒業生が510万人います。このなかでエンジニア専攻の学生が4割近くを占めますから、毎年200万人のエンジニアが誕生していると言えます。
他国と比較すると、韓国が23万人、アメリカが66万人、そして日本は15万人となっています。文部科学省の統計を何度も確認しましたが、この数字は間違いありません。日本は高専制度があるため大学進学率が相対的に低く、特にエンジニアの割合が目立って少ないのが現状ですね。
湊:なるほど、圧倒的な差ですね。
パク:そうなんです。この人材数の差は実際の企業活動にも現れています。XiaomiがEV事業を発表してからわずか3年でR&D研究員を3,000人集められたのは、ほとんどの国では真似できないでしょう。
電気自動車バッテリー企業を例に取ると、韓国のLG Energyと弊社投資先のCATLを比較すると、LGのR&D投資が年間約1,000億円なのに対し、CATLは約3,700億円です。研究員の数、研究投資額、エンジニア人材数のすべてで圧倒的な差があるわけです。
ちなみに、先ほど挙げたZhipuは、清華大学の教授が創業しただけあって、メンバーのほとんどがコンピュータサイエンスを学ぶ清華大学生たちです。R&Dに携わるメンバーだけでも800人もいるんです。私は、韓国ではほぼすべてのAI企業と面会しましたが、「エンジニアが800人いる会社」は、まずありません。40〜50人ほどでも最大でしょう。ちなみにOpenAIも、中国系のエンジニアが18.8%を占めており、割合としては高いと言えます。
2つ目のポイントは、膨大なデータ量です。中国のインターネットユーザーは11億人で、IoT機器の配備数は世界最多の64億台に達しています。一人当たり5台程度のスマートデバイスを持つ計算になり、2024年には約48.5ゼタバイトのデータが生産される見込みです。特に医療分野では、中国政府が大型病院にEHR導入を義務付けたことで、質の高いデータが集積されつつあります。
3つ目は、戦略的かつ積極的な政府によるAI投資。米中貿易摩擦を背景に、中国は国産技術育成のため「半導体ファンド」410億ドル、「AI産業ファンド」130億ドルを設立しました。VCだけでも昨年110億ドルをAI分野に投資しており、民間と政府が一体となってAI産業を推進しています。
湊:VCで言えば、海外資本、特に中東からの投資も活発ですね。
パク:そうですね。私が入社した2005年当時、弊社の米ドルファンドはほぼアメリカの機関投資家で構成されていました。しかし米中関係の悪化により、他の地域のLP開拓が必要になった。そのとき最も積極的だったのがサウジアラビアやUAEでした。
中東諸国は「石油には永続的に依存できない」という危機感から、「VISION 2030」や「AI2031」といった国家戦略を策定し、製造業とテック企業の誘致を進めています。中国が技術と製造能力の両方を持っていることから、お互いの利害が一致する形で投資関係が強化されています。「アメリカが投資しないなら、俺らが投資してあげるよ」というわけです。
実際、昨年に中国で最も投資した外資ファンドは、UAEのMubadalaで23億ドルを投じました。弊社投資先のPony.aiもサウジアラビア国富ファンドから1億ドル、中国EVメーカーのNIOもアブダビ投資局から22億ドルのエクイティ投資を受けています。NIOの共同創業者から聞いた話によると、アセンブリー工場をアブダビに建設し、販売ディーラーのチャンネルも作っている最中らしいです。
今後もあらゆるEV車に中東の資本が入ってる状況になると思います。サウジアラビアも状況はまったく同じで、関係はますます強くなるでしょう。特に、アメリカとの関係が悪ければ悪いほど、中東とのニーズが高まるはずです。一方で「中東地域に本当に大きな市場があるのか」という本質的な問題は残っていますが。
中東地域はエジプトなどを含めると人口が1億人以上で大きな市場になりますが、「MENA(Middle East North Africa、ミーナ)」という地域では北アフリカを除くと、大体6千万人の人口規模になります。そうなると、中国からすればあまり大きな市場とも言えない。
ただ驚くのが、ドバイやサウジアラビアに行くと、中国製の車ばかりなのです。圧倒的なマーケットシェアを握っているのは、おそらく中東地域をターゲットにして、最終的にアフリカまで進出したいと目論んでいるからでしょう。そういった中国企業の進出も、今後は増えるのではないかと見ています。
BtoBは「データ確保」が競争優位性に直結する成功事例
前田:BtoBのAIアプリケーション領域で、よく見られる成功パターンはありますか?
パク:中国ではなく、韓国のAIヘルスケア企業であるLunitの事例が参考になるでしょう。
当初は6人の創業メンバーで売上ゼロの状態でしたが、同社は診断支援ソフトウェアを開発し、富士フイルム、GE、Philipsといった大手X線装置メーカーとの連携に注力してきました。韓国では人口の3分の1がソウルに集中しているため、大型病院が患者データを集約しています。しかし、ベンチャー企業がそのデータを直接入手するのは困難です。
そこで彼らは「データを提供いただければ、整備して海外論文発表に活用できる形にします」というアプローチを取りました。この戦略により、韓国の6つの主要病院から肺がんと乳がんのデータを獲得することに成功したのです。
弊社がシリーズBでリード投資家として参加したあと、富士フイルムが次ラウンドに参画し、同社機器へのソフトウェア搭載により売上を実現しました。その後、病院向けSaaSモデルを展開し、昨年の売上は約70億円に到達。現在は1,500億円規模の上場企業となりました。
<yellow-highlight-half-bold>この事例から学べるのは、BtoBにおいてはデータ確保が競争優位性に直結する<yellow-highlight-half-bold>ということです。診断領域では既存デバイスメーカーが病院との関係を持っているため、ベンチャー企業が独自に関係を構築するのは非常に困難です。既存プレイヤーと協業し、彼らが自社開発できないようなソフトウェアを提供することで成長した好例と言えます。
SaaSとAIサービス、類似点と相違点
前田:中国ではSaaSがまったく普及しなかった背景として、Alibabaなどビッグテック企業の安価・無料サービス提供や、豊富なエンジニアによる内製化などが挙げられると考えています。AIの文脈でも同様の力学は働いているのでしょうか?
パク:確かに類似した構造は存在します。たとえば、現在、中国のトークン価格は信じられないほど低く、AlibabaやTencentでは100万トークンが28セントです。OpenAIやAnthropicの10〜15ドルと比較すると、ベンチャー企業には厳しい環境といえますね。
ただし、SaaSとの重要な違いもあります。中国で普及しなかったSaaSの多くはCRM関連でした。中国企業は「売上に直結しないなら投資は無駄」という意識が強く、新規顧客獲得が容易だった時期には、既存顧客の満足度向上のためのCRMは重視されませんでした。
しかし、経済状況が変化した現在ならばCRMが重要になる可能性も生まれています。私の20年の経験では、CRMで成功した中国企業は皆無ですが、状況は変わりつつあります。
前田:つまり、AIでも売上向上への貢献が重要ということですか?
パク:その通りです。大幅なコスト削減や「人材雇用よりAIエージェントが有効」という明確なバリューが示せれば、売上向上またはコスト削減のいずれかでAIの価値が証明できます。
明確なバリューを提示できれば、AI企業が中国国内で売上を創出する可能性は十分あります。ただし、CRMのような顧客満足度向上にフォーカスしても、なかなか購入してもらえないのが現実です。
興味深いことに、中国AI企業の多くが日本市場に注目しています。AI音声認識エンジンのNottaの創業者も中国系ですが、中国ユーザーはこの領域にほとんどお金を払わない一方、日本では有料ユーザーが多数存在します。「日本は良い顧客が多い市場」というイメージがあるため、今後は中国企業による日本市場への参入が加速するかもしれません。
日本よ、AI時代の人材育成と国家戦略を打ち出せ
前田:最後に、ぜひ日本の読者に向けてメッセージをお願いします。
パク:AI分野において重要なことは、長期的な人材育成だと考えています。中国では多くの大学がAI専門学部を設立しており、2024年時点では全大学の4割にあたる536校がAI専門学部を持っています。これは非常に危機感を覚える数字です。
韓国や日本でも同様の取り組みは少ないと思われますが、UAEなどは国家指導者の名前を冠した大学を設立し、人材育成に注力しています。日本も国家レベルでAI分野への投資を行うべきではないでしょうか。
また、韓国・日本ともに最近は「平等」を重視しすぎて、特別な人材育成が困難な環境になっているように感じます。一方で、中国の清華大学では「人工知能学院」が2025年より定員を150人へ拡大予定で、「計算機科学のノーベル賞」ことチューリング賞の受賞者が指導しています。さらに、上位1%の30人に対してはエリート教育も実施しています。
韓国・日本も絶対的な学生数は少ないかもしれませんが、上位1%で比較すれば中国にも対抗できる競争力があるはず。AI分野でのエリート教育強化は急務だと考えます。
もう一つは、政府への提言ですが、データを学習用として活用できるような環境整備が必要ではないでしょうか。日本の製造業は優れたノウハウを持っているため、既存データをベンチャー企業が活用できるようになれば、より良いソリューション開発が可能になります。
何も対策を講じないまま数年が経過すれば、AI領域で中国・アメリカの技術に依存せざるを得ない状況に陥るでしょう。これは個別企業だけでは対処できない課題であり、政府として取り組む必要があります。
中国では、ベンチャーキャピタルだけで年間110億ドル、ビッグテック企業がその約2倍の200億ドル、さらに国は半導体ファンドだけで約410億ドルを投じています。これは決して小さな数字ではありません。政府は、何もしなくて良いのでしょうか?
前田:力強いコメントをありがとうございます!今日は大変勉強になりました。
※本記事中の数字や情報は、取材に基づくものです。
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