SaaSスタートアップがエンタープライズ市場に参入する機会が増えている一方で、エンタープライズ特有のお作法や理解不足から、思うような成果を上げられない企業も少なくありません。
そこで、エンタープライズ向けクラウドソリューションのリーディングカンパニーであるVeeva Systemsにおいて、日本法人のVeeva Japan株式会社で10年以上代表を務めた岡村崇さんに、エンタープライズへのSaaS提供におけるイロハや、陥りやすい罠について解説していただきました。
今回はエンタープライズSaaSを提供する上での課題として、以下3つの観点から考えます。
1:デマンドジェネレーション
2:プロダクト開発におけるセキュリティ要件への対応と機能提案
3:ポストセールスでのプロフェッショナルサービスの重要性
特に岡村さんは、カスタマーサクセスとは異なる「顧客の成功」の実現こそがプロフェッショナルサービスの存在意義であり、SaaSビジネスの差別化につながると強調します。また、プロフェッショナルサービスを「プロフィットセンター」として位置づけ、製品に紐づく形で提供していくことが肝要とのこと。
投資先のSaaS企業に対し、エンタープライズ向けのプロダクト開発やプロフェッショナルサービスの立ち上げ支援なども行なうALL STAR SAAS FUNDでも、プロフェッショナルサービスは顧客のLTVを高めつつ、自社のARRも引き上げる重要な鍵になると考えています。
ALL STAR SAAS FUNDのPartnerである神前達哉は「エンタープライズへシステムを導入するという知見では、岡村さん以上に語れる人はいないはず」と言います。現在はALL STAR SAAS FUNDのメンターでもある岡村さんに、神前がさまざまお聞きしました。
本記事の内容は、Podcastでも配信しています。音声でもお聴きになりたい方はこちらからどうぞ。
SaaS導入の最大のメリットは「業界のベストプラクティス」を最速で取り込めること
神前:エンタープライズへSaaSを提供していくにあたって、私は3つの課題があるのではないか、と考えています。
一つ目は、トップオブファネルにおけるデマンドジェネレーションをどのように行なうか。二つ目は、マルチテナントでカスタマイズに制限があるエンタープライズ向けのプロダクト開発において、セキュリティなどの課題をどう乗り越え、機能要件を提案するか。三つ目は、ポストセールスのフェーズでのプロフェッショナルサービスで、いかに粘着性を高めて価値提供するか。
こうした課題を今日は一つずつ深掘りしながらお話を伺えればと思います。まずは、大前提として、エンタープライズへSaaSを導入することの「矛盾」についてお聞かせください。
岡村:どういった事を「矛盾」と感じていますか?
神前:エンタープライズの企業は、システムを自社で構築したり、SIerに独自のシステムを作ってもらって運用したりできる財務体力もあります。そんな中で、SaaSベンダーとしては、マルチテナントの標準化されたシステムを導入いただかなければならない。乗り越えるべきハードルが高いのではないでしょうか?
岡村:おっしゃる通り、Veevaを2011年に設立した当初、まったく同じ問題に直面しました。特にVeevaがターゲットにしていた製薬業界は、金融業界以上に規制が厳しい業界なんです。彼らが製造する薬や治療によって人の生死に関わるケースも多々あるためです。
実際、製薬会社が使うシステムはかなりカスタムメイド化され、規制にも対応した形になっています。そんな中で、わざわざマルチテナントで年3回もバージョンアップするような「厄介な」ソフトウェアを使わなければならないのか。大きな問題提起でしたね。
神前:マルチテナントのSaaSの強みをどのように訴求されていったのでしょうか。
岡村:ショートカットや近道はありません。一つひとつ事例を挙げながら、「オンプレミス型のソフトウェア」と「マルチテナント型のSaaS」の良いところを比較し、丁寧に説明していきました。
ただ、現場の方々は日常的にiPhoneやAndroidで、FacebookやLinkedIn、X(旧Twitter)やGoogleといったマルチテナント型のSaaSアプリを使い慣れているんです。でも、業務で使うPCではそうしたSaaSを使った経験がない。そこでVeevaでは、デモンストレーションやコンファレンス・ルーム・パイロットなどを通して、SaaSの良さを肌で感じてもらうことから始めましたね。
神前:SaaSの良さを伝える、という立場だった岡村さんから見て、SaaSの良さやメリットはどういった点にあると思われますか?
岡村:まさしく今日の朝、あるSaaSスタートアップと話していたのですが、特にインダストリーバーティカルのSaaSアプリケーションは、その業界のベストプラクティス、つまりは最良のプロセスや仕組み、考え方が集積されているんです。それをサブスクリプション契約することで、自社に取り込めてしまう。しかもマルチテナントであるがゆえに、進化のスピードが非常に速い。
例えば、Veevaの場合、年に3回のペースでバージョンアップしますが、そのたびに革新的な機能やプロセスが追加されていきました。しかも、ソフトウェアの再インストールやアップグレードなしに、その進化を享受できる。これがSaaSを導入する最大のメリットだと思います。
黎明期から現在まで、SaaSエンタープライズ企業の意識は変わったか?
神前:(岡村さんが率いていた)2011年のVeeva Japanは、SaaSの黎明期にあたると考えます。当時と比べて、エンタープライズのSaaSに対する感度は、現在では変化したと感じますか?もしそうなら、どういった変化が起こっているのでしょうか。
岡村:全体としては大きく変化したと思います。2011年を仮に氷河期だとしたら、それはもう終わって、温暖期に入ってきているのではないですか。
おそらく、新型コロナウイルス感染症の影響が非常に大きいはずです。リモートワークが発達し、オンプレミス型のソフトウェアから、自宅の環境でもログインできる社内システムが求められました。あるいは、リモートミーティングも発達しました。そこから、SaaS型のアプリケーションが一般化されていったように感じます。
ただ、リモートミーティングやメールなどマルチテナント型のSaaSを使うのは何の抵抗もなくなったとは思うのですが、企業の根幹に関わるようなシステムには、まだ抵抗感が残っている。例えば、航空券の予約管理、会計、ERP、人事といった、これらの業務が止まるとお金やモノの流れが滞り、ビジネスが停止してしまう恐れがあるからです。
神前:その抵抗感を和らげるために効果的な取り組みはありますか?また、現状でハードルになっていることは何なのでしょうか。
岡村:もしかしたら日本の企業特有かもしれませんが、サブスクリプションモデルに対して財務面から苦手意識を持たれる会社が多いと思います。
オンプレミスだったら資産化し、設備投資としての導入コストを一時費用で乗り切ってから、毎月、毎年のメンテナンス料を支払う、という流れがわかりやすい。初めに大きな投資の波が来て、その後はロングテールで薄くなっていく。一方で、SaaSの場合は導入のDay1から使い終わるまで、一定の金額を毎年払い続けますよね。だから、完全に固定費扱いになってしまう。
日本企業は、特に人件費を削減しにくいので、有事の際には他を削れるようにしておく必要がある。そこで、サブスクリプションに年間数億円単位で払い続けることに抵抗感があったのではないかと思います。
Veevaの顧客は製薬企業が中心ですが、外資系製薬企業と日系製薬企業でグループ分けして見てみると、外資系製薬企業は導入も非常に早かった。その裏側には、全体の財務やファイナンシャル戦略の中で、ITは資産化するよりもランニングコスト化したい意向が強かったのです。おそらく、CFOからの「命題」として与えられていたのでしょう。オンプレミスではなく、むしろ「SaaSを入れなさい」と。
しかし、日系製薬企業の場合は、どちらかというとランニングコストを下げたい、あるいは増やしたくない。ただ、一時費用であればキャッシュ次第で、「業績が良かったために導入を考えたい」と話が進むことはよくありましたが、結局は固定費化することが障害になり頓挫する事も多かったです。
SaaSの「CAPEX/OPEX」問題を乗り越える鍵は、現場の理解とTCOの明示化
神前:財務的な課題は、SaaSベンダーにとって乗り越えるのが難しそうに思えますが、その辺りはどのようにして上回る提案をされたのでしょうか?
岡村:根本的な解決ではないのですが、一つの方法としては期間を決めて利用できる「Termライセンス」のような形で、5年分の費用を契約当初に一括で支払っていただくやり方です。これは顧客側とSaaS企業側で、どのように売上計上や経費処理するかという、財務上の専門的な領域をクリアするための方法といえます。
また、よくあるのが、現時点では機能が不足しているけれども、要望のある機能を追加したら「最終的にはここまで払ってもいい」と定めるケースです。例えば、今の機能では年間1億円程度しか払えないが、必要な機能を追加してくれるのであれば、年間5億円の支払いも可能だと。ただ、いきなり1億円から5億円にジャンプするわけにはいかないので、5年かけて段階的に金額を上げていく、といったやり方もあります。
いずれにしても根本的な解決にはなりませんので、結局は「SaaSの良さ」を現場の人に理解してもらうしかありませんでした。経営者の理解を得るのが特に難しいので、例えばCRMアプリケーションなら営業やマーケティング部隊の方々に、人事財務システムなら人事部や事業部の責任者たちに理解していただく。「良さ」を実感してもらうことが、遠回りのようで一番の近道だったのではないかと思います。
神前:なるほど。ソフトウェアをCAPEX(資本支出)で扱うのか、OPEX(運営支出)で扱うのかということですね。
かいつまんで言うと、CAPEXは建物や設備の購入など、将来の収益向上や事業拡大を目指した長期的な投資のことを指します。一時的な費用ではなく、減価償却として数年かけて回収を図る形です。一方でOPEXは、人件費や賃借料など、事業運営のために継続的に必要となる費用のことです。いわゆるランニングコストもこれに当たります。
岡村:おっしゃる通り、CAPEXとOPEXの問題です。SaaSスタートアップの経営者にとっては、営業の際に必ず理解しておくべき課題でしょう。顧客企業にとってCAPEXとOPEXの考え方が問題になることを踏まえた上で、アプローチする必要があります。
神前:アセットライトな企業、例えばIT企業やゲーム会社などにソフトウェアを売る場合、OPEXで計上することに抵抗はないケースが多いと思います。一方で、バーティカルSaaSの場合、顧客となる運送業者などは重たいB/S(貸借対照表)を持っていて、ソフトウェアを資産計上することに慣れている会社が多い。そういった会社にSaaSが浸透していく中で、OPEXでの扱いを嫌がられ、SaaSが選択肢から外されるケースもあるでしょう。特にバーティカルSaaSの経営者はこの点を理解しておかなくてはならないはずです。
岡村:そうですね。そこで、必ずやらなければならないのが、TCO(総保有コスト)の計算です。オンプレミス型のソフトウェアを導入した場合、5年や10年でどれだけのコストになるのか。アップグレードやメンテナンス切れの問題もありますし、何より導入に2〜3年かかった頃には、もう時代遅れのソフトウェアになってしまうことが本当にありがち。
だからCAPEX・OPEXにこだわった結果として、オンプレミス型を選んで3年かけて導入したけれど、使い物にならなくなってしまったとき、また同じことを繰り返すのか。それを顧客企業内でしっかり議論してもらえるような土壌を作っていくことも必要だと思います。
神前:これは経営者だけでなく、営業担当やカスタマーサクセスにとっても不可欠な知識ですね。
岡村:営業は最低限そのことを理解した上で、そうした議論を顧客内部で醸成できるようにするのが仕事の一つだと言えます。結局のところ、お客さまの中でパートナーシップを築けるような役割を担えれば、それが正解だと思います。
エンタープライズ向けデマンドジェネレーション戦略の鍵
神前:ありがとうございます。では、前提を踏まえたところで、改めて本題に入っていきましょう。
一つ目は、トップオブファネルにおけるデマンドジェネレーションをどのように行なうか。岡村さんもSaaS企業をメンタリングされる中で、この観点から「陥りやすい落とし穴」や散見される課題はありますか?
岡村:エンタープライズ企業に対するセールスは、先ほど挙げたCAPEXとOPEXへの理解が必要なように、オブジェクションハンドリングしながら徐々に話を進めていくことも欠かせません。
例えば、大企業であるがゆえに、インサイドセールスが電話やメールをしても、基本的にレスポンスはないはずなんです。ですので、アカウントマネージャーやアカウントエグゼクティブと呼ばれる営業担当者に、自分の担当業界や企業、地域を「テリトリー」として、きちんと割り当てる必要があります。そのテリトリー内で、営業担当者が自主的に、どの企業を、どのようなアプローチで攻めていくか、というプランニングが重要になります。
テリトリープランをしっかりと作成し、マネジメント層とも議論した上で承認を得る。それから「テリトリーマネジメント」の次のステップとして、個別の顧客アカウントプランに入っていく。セールスに入る前の段階から、こうした準備を行なっておくことが大切だと思います。
ただ、その前提として、SaaS企業としての全体戦略、つまりはバーティカルにいくのかホリゾンタルにいくのか、日本市場のみなのかグローバルなのか、といった根本的な戦略をまず決めておかなければなりません。根本戦略を曖昧にしたまま、営業へ丸投げして「お前ら、売ってこい」というのはよくあるパターンですが、それではうまくいきません。CEOやCOOレベルで、ある程度は具体的なToDoレベルまで落とし込んだ戦略を立てるべきでしょう。
その後のエグゼキューションエンジンとして営業やマーケティングが機能するという考え方が必要です。戦略策定まで営業のリーダに任せるのは、ちょっと無理があるかなと思います。それこそ “boiling the ocean”、海を沸かそうとするようなもの。そうではなく、どこかのテリトリーやセグメントに集中したいところです。
そのためのエグゼキューションプランを営業側で作ってもらう。逆に言えば、そこまでは営業やいろんな人のインプットをもらいながら、マネジメント側できちんと集中する箇所を決めるのが良いのではないでしょうか。
神前:SaaS企業にとっては顧客の規模もスモールからミッド、エンタープライズもいますが、テリトリーを決める上で「ミッドとエンタープライズの境目」の設定に悩まれている会社が多い印象です。例えば、製薬業界の場合は、エンタープライズになりますよね。
ある意味では区分けがないともいえますが、多くの投資先や支援先を見られている岡村さんの目から、この区切りをどのように捉えていますか?
岡村:製品の特徴にもよりますが、人事系のソフトウェア会社であれば、社員数で1万人以上を大企業、5,000人以下を中堅・中小企業とするなど。あとは売上高といった基準もあります。独自で主観的に決めてしまってもいいのではないかなと思います。
ただ間違いなく言えるのが、クイックウィンができるのがSMB(中小企業)だということです。どちらかというと、インバウンドで入ってきた問い合わせに対して、インサイドセールスを絡めてレスポンスし、セールスプロセスを作っていく感じですね。
一方、エンタープライズの場合はそれがほぼないというか、供給側からきちんと仕掛けていかないと案件・商談として成立しない、動き出さないという特徴があります。やはり時間はかかりますが、その代わりARR(年間経常収益)もSMBに比べると非常に大きくなる。そのバランスを取るのも良いですし、Veevaのようにエンタープライズだけにフォーカスしきってしまうのも一案です。
神前:スタートアップで多いのが、いきなりエンタープライズに売り込めるほどプロダクトが仕上がっていないケースです。まずは実績を作って、そこから準エンタープライズのセグメントに上げていき、最終的にエンタープライズに入り込むというパターンがすごく多いようですが、良いアプローチに感じます。
岡村:良いと思います。実際、Veevaも昔はそうでした。2007年にアメリカで創業したときに、いきなり米国ファイザーのプライマリーケアで1万人の営業がいるような会社にCRMを使ってもらえたかというと、Day1ではそんなことは絶対ありえないんです。
やはり2〜3年かけて、そこそこの規模の顧客に使ってもらい、その良さを体感してもらう。ある意味、口コミで「この企業のソフトウェアは良い」と大企業にも聞こえてくるタイミングがあるんです。その上で、顧客が自社製品を使った成功体験を作ること、つまりカスタマーサクセスが非常に重要になります。マルチテナント型のSaaSではそれが必須だと思います。そういった流れで営業活動やプロジェクト活動をやっていくのがすごく大切なんじゃないでしょうか。
神前:エンタープライズのセールスサイクルは、デマンドジェネレーションも絡んでくるはずですが、1年や2年単位でそれを攻略していく感じといいますか。
岡村:いえ、1〜2年なら短い方です。下手すると5年、10年ですよ。だから、TAM(Total Addressable Market、本当のマーケットサイズ)を理解した上で、営業戦略を立てる必要があります。5年〜10年という長いスパンで企業やマーケットに対して営業活動を続けていくのは非常に難しいので、やると決めたらずっと営業し続けるというコミットメントが求められます。
神前:そうなったときに、デマンドジェネレーションの方法論は、単にウェブマーケティングや広告を打ってリードを取っていくような、ミッドやSMBセグメント向けのリードジェネレーションやデマンドジェネレーションとは異なりますよね。エンタープライズに向けて需要喚起していくための施策として、VeevaやSAPではどういったことをされていたんでしょう?
岡村:エンタープライズ企業の特徴として、数が少ないんです。大体業界の流れとして、エンタープライズの中でもピラミッド構造になっていて、必ずトップティアの顧客がいます。例えば銀行だったら、本当のトップはメガバンク、昔で言う都市銀行ですよね。そこが本当のトップティアで、その次が地銀、その次に第二地銀というふうになっていきます。
やはり業界内の成功事例は、誰もが知りたがるんです。トップティアになると、自分がスタンダードだと思っている部分があるので、中堅・中小企業の成功事例はあまり響かないケースもあります。ただ、そのトップティアになりたいと望んでいる会社、ハングリーな会社は、中堅・中小の成功事例にも関心を持ってもらえることが結構ありました。
神前:つまり、導入事例を含めて、ファーストペンギンになってくださっている会社の成功事例や導入事例をどんどん共有していく、と。
岡村:そうです。一般用語かどうかわかりませんが、Veevaでは新しく製品を使ってくれる人たちのことを「アーリーアダプター」と呼んでいました。そういうお客さまを成功に導くのが重要なんです。
営業から「PoCを実施したい」と言われたら、SaaS経営者はどう判断するべきか
神前:それを成功に導くために、どのようなKPIを握って、プロジェクトをハンドリングしていく必要があるんでしょう?
岡村:やはり必要なのは、プロジェクトの期間について、いつまでにゴーライブするのか、きちんと定義すること。「工数=お金」ですから、明確に契約として定義します。
そこで大体起こってくるのが、プロダクトでやるのかプロジェクトでやるのかという議論です。その明確化が必要なんです。私の受けた印象では、日本のSaaSスタートアップ企業は、プロジェクトとプロダクトの区別があまりついていないケースが多いんですよね。
製品を「作るため」のプロジェクトなのか。すでにある製品を「導入するため」のプロジェクトなのか。そこが曖昧になりがちです。
そして、製品を「作るため」のプロジェクトというのは、いいとこ取りをしているわけで、それ自体はすごく良いアプローチだとは感じます。ただ、難易度としては非常に高いですよ。だからこそ、プロジェクトとプロダクトをしっかりと分けて、導入や製品開発のマイルストーンを区切って作っていくのが一つのステップになるのではないでしょうか。
究極的には、プロダクト企業になるべきなのは間違いないです。プロジェクト中心だと人足ビジネスになってしまいますから、いくらレバレッジしようとしても社員数以上のビジネスはできません。一方、プロダクト化すれば導入するだけの作業になるので、プロフェッショナルサービスの人員は最小限で済むんです。そのため、成長スピードが速くなります。
ただし、プロダクトの作り方についても議論の余地があります。シリコンバレーなどのグローバル企業の製品開発の仕方は、自分である程度のビジョンを持ち、まず自分たちで作ってみて、それをPoCやトライアルマーケティングで検証し、フィードバックを得ながら製品を高めていくやり方だと思います。 一方、日本の場合は顧客に入り込んで、顧客からリクワイアメントをもらい、それを基に製品を作っていくというSIer的な流れになりがちです。
結局、顧客がお金を払うのは、その製品が生み出すバリューとイノベーションに対してなんですよね。要件をもらって製品化するだけなら、オンプレミス型や手組みのアプリケーションと差はありません。
なぜ、マルチテナント型のSaaSが必要なのかという原点に立ち返ると、やはりプロダクトチームのイノベーションやクリエイティビティが非常に重要だということがわかります。
神前:デマンドジェネレーションに関して論点になっているのが「PoCをどう進めるか」です。進め方の一般的なルールや定石を踏み外しているケースが多いように感じていまして。無償でやりすぎる、コミットメントを引き出せていない、といった例があります。PoCをうまく進める上で、気をつけなければいけないポイントは何でしょうか。
岡村:私の経験から言うと、PoCはやらないほうがいいです。PoCをやっても、そのあと全社導入に結びついたケースがあまりないからです。もしPoCをやるなら、全社導入が決まった上で、いきなり全社展開するのではなく、特定の地域や部門で使ってみるという位置づけにするのはアリだと思います。ただ、「よくわからないから、とりあえずお試しでPoCをやらせてほしい」というのは、お断りしたほうがいいでしょう。
営業はPoCに逃げがちなんです。顧客にとってもリスクがないし、会社的にも何となく進んでいるように見えますから。でも、そこは経営者がしっかりと判断して、「PoCはやらない」と決めるべきです。もしやるなら有料でやったほうがいい。ソフトウェアにしてもプロフェッショナルサービスの人件費にしても、支払った上でのPoCなら構わないと思いますが、無償ではお断りしたほうがいいです。
神前:有料PoCの価格設計は、Veevaの中ではレギュレーションとして決まっていましたか?例えば、原価割れはしない価格にする、正価の値段で受けるなどです。
岡村:実質、もう正価です。製品側は多少の価格調整があるかもしれませんが、人件費に関しては基本的に正価以外では受けませんでした。むしろ、やるべきではないと思います。製品についても、ユーザー数や使う部分をある程度限定することで、単価そのものはそれほど値下げしなくてもいい、という状況が一番ではないでしょうか。
結構難しい判断ではありますが、営業から「PoCをやらせてほしい」と話が来たら、SaaS経営者としては一旦は静止するのが最も優れた判断でしょう。これは本当に経験談ですね。
後編では、「プロダクト開発におけるセキュリティ要件への対応と機能提案」、そして「ポストセールスでのプロフェッショナルサービスの重要性」について掘り下げていきます。
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