AI革命により市場が激変する今、多くのスタートアップ経営者が抱える共通の悩みがあります。「先行きが読めないなかで、いかに勝ちパターンを作るか」「優秀な人材をどうしたら採用できるのか」「事業が好調でも次の道が見極められない」……。
こうした課題に対しても、HR SaaSのハブとなるHR共創プラットフォームを展開するパトスロゴス代表取締役CEO・牧野正幸さんは道筋を示します。
牧野さんは1996年にワークスアプリケーションズを創業し、国内ERPシェアNo.1まで成長させ、上場・MBOを経験。退任後の2020年にパトスロゴスを創業、現在までに総額52億円の資金調達を実施し、HR領域の変革に挑むシリアルアントレプレナーです。
「統合型プロダクトは恐竜。確かに最強だが、哺乳類には勝てない」「エンジニア出身でない社長は、優秀なエンジニアを定着させられない」「小さい規模ほど、社員との距離を取るべき」──28年間の経験から生まれた経営哲学は、まさに「ブレない経営」の実践でもあります。
ALL STAR SAAS FUNDマネージングパートナーの前田ヒロが、変化の時代を勝ち抜くための「経営の本質」に迫ります。
\本コンテンツは、YouTubeでも配信中!/
統合 vs 細分化、時代の振り子は「細分化」へ
前田:牧野さんが1996年にワークスアプリケーションズを創業してから、ソフトウェア業界はオンプレ時代の統合化、クラウド移行での細分化、そして再び統合化と、振り子のように動いています。今度はAIが来ていますが、どの方向へ動いていると考えますか?
牧野:それはもう「細分化」でしょう。統合というのは、本当に古い時代の考え方だと思います。
統合していった理由を考えてみると、もちろん顧客の声もあります。「一つのプロダクトで操作する方がリスクもなく簡単だ」という概念もある。しかし、一番の理由はベンダー側の理屈なんです。特化型で深掘りしていくより、最も簡単に売上を高めようと考えれば、隣接領域へどんどん出ていくことですから。
一定のシェアを取った会社は、絶対に隣接領域へ行きたくなります。これは上場・非上場を問わず、業績を伸ばし続けなければならない経営者への圧力から来るものです。たとえば、シェア3割を取っていれば、これを5割に広げるよりも、「隣接領域の製品でつなげるだけ」で売るほうが格段に簡単になる。隣接領域製品を出したくなってしまうんです。
ただし、統合型にしていくと何が起こるかというと、複雑性が比例級数的に増していきます。最初のシンプルな構造では100人月でできた機能が、統合型で構造が複雑になっていくと、追加するだけで1,000人月もかかってしまう。そうすると時代から取り残されていく。
これはまさに私が以前から言っていることですが、統合型プロダクトは「恐竜」なんです。確かにティラノサウルスのように最強の恐竜だけれど、やはりどこまでいっても哺乳類に勝てない。結局、進化の過程から取り残されてしまうのが統合型の歴史です。
今後もプロダクトのベンダー側の都合でしばらくは統合型に進むとは思いますが、進めば進むほど、もともとのプロダクトが持っていた軽さや、特化されているからこそのスピード感がどんどん失われていくでしょう。
AIエージェントが特化型プロダクトの武器になる理由
前田:AIのコンテクストを当てはめると、牧野さんは「隣接領域ではなくAIエージェントに進むべきだ」とXで投稿されていました。なぜでしょうか?
牧野:みなさんが使っているアプリケーションは、便利でないと普及しないというのが現実ですよね。良し悪しではなく、便利でなかったらそもそも誰も使わない。
しかし、エンタープライズ向けのアプリケーションとして企業で利用されるものは、利便性よりも機能性が重視され、機能がないといくら便利でも話にならなかった。ところが、特化型製品の場合は両立できたんです。比較的小さな開発集団で優れた人たちが、少数精鋭で、利便性と機能性を併せ持つものが作り上げられたからですね。
では、この次にどんな波が来るかといえば、今のAIエージェントは「特化したものを、さらに便利にすることができる」。ある特化領域においてはノウハウも蓄積されていますし、AIエージェントを作っていく動きは正しいと考えます。
もっとも、統合型ベンダーがAIエージェントを作って一人占めできるかといったら、私はできないと思います。LLMにしても「図表を作るのに特化している」といった特化型が出てきている。実際にそれらでも足りない場合は、自らのLLMを作っている会社もまだ日本にもたくさんありますし、グローバルで見ても多くの会社がそうしている。やはり、特化された領域での強さというのは、極めて重要になるのだと思います。
マルチプロダクトの致命的な問題は「エンジニア不足」
前田:「マルチプロダクト」という言葉が業界で流行っていますが、特化型のプロダクトをたくさん持っている状態や、そうした会社を牧野さんはどう見ていますか?
牧野:致命的に大きな問題は、エンジニアなんです。
かつての流れでいくと、プロダクトを作るためには、巨大な資金が必要でしたし、開発費用も相当かかるわけです。ソースコードも一つひとつ書き、今みたいにAIで雛形が作れるわけでもない。データベースも構築し、なおかつサーバーも自前で用意すれば、格段にコストがかかる。
現在は、クラウドネイティブの技術はもちろん、開発ツールもどんどん進化しています。もうここ数年はソースコードの半分近くは、少なくともAIで書けるようになってきている。そうなるとますます開発コストを下げられますよね。
開発コストが下がると、巨大な会社でなくても参入できるようになる。たとえば、10個のプロダクトを持っている会社に、非常に優れたエンジニアがいたとします。その人の開発部門での序列は、7番目くらいだとしましょう。そのプロダクトを大成功させた素晴らしいエンジニアであっても、社内の序列でいえば20番目かもしれない。20番目だったら好き放題できないですよね。でも、「自分の好きにやりたい」という気持ちは誰でもあるわけです。
では、現在ならどうか。以前までならコストも人手も山ほど必要でしたが、今は違う。優秀なエンジニアなら「自分でやってしまいたい」という気持ちになるのが当たり前だと思います。そうなると、規模が大きな会社のなかで、絶えず優秀な人材が全員生き残るかというと、違います。辞めていく、あるいはスピンアウトして自分でやろうとする。
社員数が100人の会社でも、1,000人の会社でも、優秀な人間の数は一緒ということになってしまいます。そうなると、一つの会社で10個のプロダクトを作っていても、優秀な人をすべてに当てられなくなる。しかも、プロダクトの複雑性が増すため、それを担保するための人数も必要になってくる。能力の高い人が少なくなると、プロダクト一つひとつの強みも高めにくい。……と、これが今まさに起こっている現象だと思います。
勝ち残る戦略は「エンジニア出身者」が最有力な理由
前田:では、大きくなっていこうとしているSaaS企業やAI企業は、どのように優位性を築けばよいのでしょうか?
牧野:優位性を築くためには、エンジニアの畑から出てきた人が、優れた営業力を持つ人と組むこと。これが成功への確実な早道だと私は思います。
営業出身者の社長は、実はエンジニアを定着させられず、後々、結構な苦労をするんです。たとえるなら、レストランと似ていて、シェフはお雇いで、フロアなどで顧客をつかむ能力の高い人、もしくはお金を持っている人がオーナーになるという図式だと、長期的には「オーナーシェフになりたい」と思うシェフが辞めてしまうので、結局はそれでも成り立つような組織を作らなければならない。将来的には複雑性が増してしまうでしょう。
でも、エンジニア出身の社長であれば、自分が在籍している限りは他のエンジニアから「この環境は面白い、社長がエンジニアとして優れている」と思われれば、付いてきてもらいやすい。比較的、優秀なエンジニアをキープしやすいわけです。
ただ、エンジニア出身者は営業面を嫌がることが多いので、そこをクリアしない限り、成功できないという感じもあります。
組織作りよりも個人の力を生かすべき理由
前田:この時代だからこそ、経営者や社長に求められるマインドセットやスキルセットの変化を感じますか?
牧野:たとえば、「社員が100人になったので、組織を作らないといけないのではないか」とか、「外部から役員を招聘したいと考えている」とか聞くのですが、100人程度なら正直言って組織はいりません。社長がスーパーエースならそれで引っ張ればよいし、優秀な人が出てくれば一定託していくこともあると思いますが、まだ組織を作るのは早い。
100人程度では、ピラミッド構造でも2階層くらいで十分です。ただ、そうするとマネジメントをする人が育たないんです。みんなスーパープレイヤーになってしまう。その結果、社員数が300、400、500人と増えて、そろそろ一定の組織を作らなければならないという時に、一斉にマネジメントがはじまることになる。慣れていないマネージャーが集団になってしまうから、確かに組織として効率が上がるのも非常に時間がかかってしまいます。
早期に組織作りに取り組む考えの人は、ここへの懸念があるのでしょう。ただ、ベンチャーは立ち上がりこそが大事。組織よりも個人の力を生かした形でどんどんやらせていくべきでしょう。確かに後々にツケを払うことになるのですが、その頃には収益力もそれなりに高まっているので、十分に払うこともできるだろうという考えですね。
私も立ち上げの頃にはよく「早めに組織を作ってください」なんて言われましたが、早期に組織作りに勤しんでも効率が悪すぎると感じました。私個人としても、立ち上がり時期に組織を作ってうまくいっている会社をあまり見たことがないですね。
前田:マネジメントに苦手意識を覚える経営者もいるようですが、彼らはどうすればいいでしょうか。
牧野:そうは言っても、結局は人を動かさないとなりませんからね……私はエンジニア出身ですが、エンジニアだって自分が思うプロダクトにしていかなければならないなら、人は最低限動かさなければならないし、共感してもらわなければならない。
それも「やりません」と言うのは、そもそも「プロダクトを作る能力がない」と同義でしょう。メンバー5人にできるなら、10人だって、50人だってできるはずです。
エナジャイズの2つの方法は「コミュニケーション型」と「ビジョン型」
前田:「育成」や「モチベーションマネジメント」についてはいかがですか?
牧野:メンバーをエナジャイズするのは極めて重要ですよね。エナジャイズの方法には大きく2つあると思うんです。
一つ目は「コミュニケーション型」です。たとえば、営業出身者でコミュ力が高い人なら1on1がベストです。ただエンジニア出身者は、1on1が得意ではないことが多いですよね。
ちなみに、私がよく勘違いされるのが……私は、コミュ力がないんです。ただ、プレゼン力はあるっていうことなんですよ。でも、コミュニケーション力というのは「聞く力」ですから。プレゼンがうまかったり、自分で何かを考えて伝えるのが得意だったりする人は、コミュ力自体は低いことが多い。
では、コミュ力が低いときにどうするか。2つ目の方法である「ビジョン型」です。正しいビジョンをみんなに伝え続けるという「発信」でもエナジャイズできます。ただ、コミュニケーション型と同じく、きれいごとだけ言っても話になりません。社内から上がってくるあらゆる問題に対して、正しい方向性を、ビジョンも含めて発信し続ける。それが大切なのですが、これならコミュ力が低かろうと、もはや「慣れ」の問題で取り組めるんですよ。
前田:なるほど、いずれにしてもかなりのエネルギーが必要ですね。
牧野:それは必要だと思います。ただ少なくとも、初期の社員5〜10人のときは、製品の方向性のビジョンをずっと出し続けることが大事ですし、それは100人でも変わらない。だんだん規模が大きくなって、事業が順調に伸びていっても、やはり社員をエナジャイズするという課題に向き合わざるを得ません。
働くなかで「部門間に摩擦があります」と聞けば、いかに解決するのか。自分のなかで必死に考えながら、それをみんなに伝えて、社内全体へ広めていく。エンジニア出身者なら得意であろう、論理的な問題解決の方法です。
エンジニア出身者で、創業後5年目くらいまで「プロダクトを作るのに一所懸命でした。だから社内には目を向けていません」という状況もあるかもしれません。ただ、どの道、軌道に乗るまでは社員の数も増えませんから。軌道に乗らなければ、どれほど良いオペレーションであっても社員は離反します。何を言っても結局は信用されませんからね。
<yellow-highlight-half-bold>社員についてきてもらうために絶対的に重要なのは、そのプロダクトを普及させること<yellow-highlight-half-bold>。この一点に尽きます。普及し続けていれば「トップが言うことは事実だな」と捉え、自分たちは正しい方向へ進んでいると思える。そうなれば、いろいろなことに対しても耳を傾けてくれるようになるでしょうから。
プロダクト強化の絶対原則は「売れたものが良くなる」
前田:「売上が伸びていればすべてが満たされる」という言葉がありますが、牧野さんのお考えにも近いですか?
牧野:その通りだと思います。とはいえ、ひたすら売上が伸びまくってハッピー、と思っている経営者もいますが……それではだめです(笑)。
会社内で起こる矛盾点を解決していくために、売上高や利益を使っていく。これなら、社員はみんなモチベーション高くついてくるはずです。
前田:急成長と組織の不和は、もはやセットで語られると言ってもいいですね。その時に、牧野さんの言う「正しい売上高や利益の使い方」とは?
牧野:正しい、というのは業種にもよりますが……「一番正しいことは何か」と言ったら、「プロダクトをさらに強化していくこと」です。当たり前ですが、極めて重要なのです。
すべてに言えるのは、<yellow-highlight-half-bold>「良い製品が売れるのではなく、売れた製品が良くなる」が完全な事実<yellow-highlight-half-bold>です。なぜ良くなるのかといえば、お金も人も集まってきて、みんなが進むべきビジョンを信用できる。そして、ビジョンで人が集まる状況があると、それを維持するためにも、さらにお金や人をプロダクトに投入していかなければならない。
要は人です、全部。人にお金を投じると、プロダクトはますます良くなっていく。研究開発に使うお金も潤沢になるし、立ち上げ時期では難しかった効率化を図るための投資も可能です。つまり、プロダクトも組織も、より強くなっていくわけです。
もう一つ大事なことは、お客さんのクレームをとにかく受けまくること。クレームを受けない製品は育ちません。
前田:お客さまからのクレームなどがたくさん寄せられるなかで、より良い受け止め方はありますか。
牧野:最後まで絶対に重要なのは、「誠実に受け止める」ということです。途中で投げ出したり、追加費用を求めたりすると、成り立たなくなります。ここでは「売れること」が大事なのであって、利益が出ることが重要ではありません。
とにかく売れないと本当に話になりません。クレームもたくさん出るでしょう。新しいプロダクトなんて基本的にクレームしかないのだから。
私がこの業界でプロダクトを作り始めた30数年前、それこそ今ではビッグテックの一角であっても、それはそれは品質の低いデータベースでしたよ。「こんなの使えない」とみんなが思っていた。クレームだって言いまくったけど、どうしようもない状況でした。
けれど、確かに少しずつ進化していた。だから「仕方がない」と思えたし、結果的にその企業は真摯に売上や利益を研究開発へ回していったので、今となってはOracleは極めて優れたデータベースを構築できているわけです。
前田:あぁ、Oracleのことでしたか(笑)。
牧野:リレーショナルデータベースでいったら、ホストコンピューターと変わらないぐらいの素晴らしい精度になりましたしね。そこから学ぶとしたら、やはり何があっても諦めないことが大事なんです。
前田:特化型プロダクトとして勝ち抜くために、メンターから「四六時中、お客さまの業務のことを考えろ」と言われたものの、施策などが「芯を食ってない」と評価されてしまう、という悩みを聞いたことがあります。これは彼らの「やり方」に課題があるのでしょうか。
牧野:仮説を立てて何かを作っているのだと思います。だから「芯を食ってない」と言われる。要は、仮説は外れることもあるのです。だからこそ言ったように、まずは売ってしまうことですよ。まぁ、これは極端な意見だから、真似して失敗しても文句は言わないでくださいね(笑)。
極端に続けて言ってしまうと、一番の方法は「全部やります」と言って、売ればよいのです。プロダクトの全機能を「何でもかんでも作ります」と。そしたらお客さんは、さまざまな要望を挙げてくる。あとは、いろいろな会社に売れば、またいろいろな意見が出てくる。そのなかで、「これだ!」と思えるものを最大公約数的に作っていけば、絶対に芯を食います。
必要なのは仮説じゃないんです。お客さんの本音が出るのは「使ってから」。あるいは「クレームを入れるとき」ですよ。それが企業のプロダクトを成長させる最大のポイントです。
創業経営者はプロダクトを手放してはいけない
前田:社長は、どこまでプロダクトに関わるべきでしょうか?あるいは、いつまでプロダクトに関わるべきだと思いますか?
牧野:その人の性質によるのではないでしょうか。ちなみに私は、かなり長いこと関わっていました。何千人になってもプロダクトの方向性は、自分で決めました。もちろん、細かなところは執行役員が決められるようになっていきますが、大きな方向性は絶対変えさせずに、自分で考えていました。
前田:いろいろな起業家を見ていても、プロダクトはなかなか手放せないな、とすごく感じます。特に変化が激しい時代のなかで、やはりプロダクトを手放してしまうと、時代遅れのプロダクトにすぐになってしまうのではないかと。
牧野:<yellow-highlight-half-bold>創業した者が、やはりプロダクトに永遠に関わるべきで、それがなくなった瞬間にもう終わり<yellow-highlight-half-bold>でしょう。次世代が育っているかどうかなんて関係ないとさえ思う。だって次世代のその次の層の人って、どんなに頑張ってもすべての意思決定を自らできるわけではない。周りに関わっている人もいるし、残念ながら人間関係もある。
「自分ですべてを決められる」というのが、プロダクトの方向性を決める上で重要です。だから私は、創業経営者がずっと続けて関われるようになるべきだと考えています。
AI時代に求められる「異次元の労働力」
前田:シリコンバレーの著名なVCの発言で「AIスタートアップとそれ以外のスタートアップの労働文化に明確な違いが生まれている」と。AIスタートアップは1日13時間・週6働くのが当たり前で、従来型スタートアップは週5で17時に帰るという文化になっています。技術革命や変化によって、創業者や組織に対しても「次元の違う労働力」や「やりきる力」が求められているのでしょうか?
牧野:優秀な人の数が、やはり限られているのが一つ。あとは、最初の立ち上がり、特に技術革新が激しい時は、プロダクトだけでなくテクノロジーも立ち上がり時期になります。
前職のワークスアプリケーションズで振り返れば、クライアントサーバーとしてUNIXやPCサーバーで出てきたばかりでした。クライアントサーバーというテクノロジーは存在するが、これをどう使うのかは誰にも分からない状況。そうなると、優秀な人が少数でやらなければならないので、分担もできません。必然的にハードに働いてもらうことになる。現在のAIのスタートアップも同様になっているのではないでしょうか。
ただ、それほど急激な変化ではない印象も受けます。10年前のIT系スタートアップで、寝袋がない会社なんて見たことがありませんでしたから(笑)。
前田:牧野さんが見てきたなかで、競争環境が緩くなった瞬間なんてあったりしましたか?
牧野:有名な話ですが、外から見ると、Googleはとても緩い制度みたいに思えますよね。「働く時間は短くて良い」とか、「仕事と関係ない新たなチャレンジに時間を割きなさい」とか、会社のなかにあらゆる福利厚生があったりとか。
「それだからGoogleは良い」という論理の人もいますが、それは間違いだと私は思う。実際は、Googleは資金が余っているから、とにかく優秀な人材を獲得しまくらなければならない。報酬も含めて、あらゆることを最高水準に持っていき、とにかく人を吸着するやり方です。本当のスタートアップ企業は、そんなに緩くやっているところはないでしょう。そうでなければ、勝てませんから。絶対に。
優秀な人には「まだ誰もやっていないこと」を丸投げする
前田:牧野さんの「上位2%の優秀な人材マネジメント」についてのXの投稿を見ました。「給料は先行して上げて、難しい仕事を与えて暇にさせない」という。このマネジメントの考え方について詳しく伺いたいのと、「暇にさせない」コツはありますか?
牧野:暇にさせないコツなんかいりませんよ。スタートアップやベンチャー企業なら、上場しているか否かにかかわらず、問題なんてありえないぐらい山積みです。そこに当てられる人数も限られています。
私たちがよくやっていたのは、新入社員には誰かの下で分かりやすくて簡単な仕事を与えるのではなく、まだ誰もやっていないことをとりあえずやらせて、失敗するのを見届けること。なかには突破する人もいますが、そういう人にはさらに難しい仕事を振るんです。
結局、社員にも「スタートアップに来ている意味は何か」を、私は極めて重視しています。それは、自分の能力を伸ばすということ以外、大企業に対してのメリットはありません。結局、大企業で働いていた方がよいに決まっているんですよ。安定した組織があって、バックアップしてくれる人がいて、なおかつまずは成功体験を積ませてくれながら、最終的には出世したらチャレンジングなことが一応できます……人材の正しい成長のさせ方でしょう。
ただ、優秀な人はそれだと退屈してしまいます。ほかの人ではできそうにもないことをやったり、失敗する可能性があったりする状況を求めているわけです。
前田:難しいお題を上位2%に渡すというところで、難しいお題を渡すとき、牧野さんはどれぐらいその人がそれを突破する、解決できる自信を持っているんですか?50%ぐらいの自信で渡すのか、70%くらいまで無いと渡さない方がいいのか。
牧野:80点を取ることなんか期待していません。80点が成功だと……まぁ、60点が成功でもいいけれど、成功することは期待していない。ほっといたらゼロなんだから。「誰もやっていない仕事をやらせる」ので、30点でも取れたら及第点では、と思いつつ渡しています。
本当はやらなければならないのに、誰も今は着手できない状況なところをどんどん渡していく、という感じです。もちろん難易度で言ったら相当高いと思います。どういう問題も簡単に解決できるなら、とっくに解決している。放置されているということは、優秀な人材を当てれば何とかなるかもしれないが、かけるだけの余力がないからです。そういうところに新入社員を当てていくのです。
前田:それだけの難しい仕事を渡すとき、その仕事の粒度を教えていただきたいです。
牧野:いや、もう丸投げです、丸投げ。余裕があるのなら、一応はお膳立てしたり、一定の方向性を決めてあげたりということになりますが、そんな準備ができるのは「やったことがある」から言えるわけです。やったことがないのに問題が起こって放置されていること、いっぱいあるではないですか。丸投げすれば良いのです。
仕事の粒度も含めて、「ここまでいったら成功だよ」とも設定できません。もちろん、一緒に悩んであげてもいいですが、私はそんなことは気にしないで丸投げですね。
給与水準はメガバンクを基準にせよ
前田:先程のXの投稿にあった「給与は先行して」の部分はいかがでしょうか?
牧野:私が最近しつこく言っているのは「夢を求めてみんなで頑張ろう」という考え方は、詐欺でないか、ということです。「今は給与が安いけれど、会社がうまくいったらちゃんと引き上げるから、今は我慢してくれ」なんて。
経営者は株を持っていますし、うまくいった時はしっかり儲けが出ます。社員全部に株を撒き散らしているわけでもないし、社員一人ひとりに対しては経営者の持ち分に比べたら、ずっと少ないオプションしか渡せない状況で、5〜10年と頑張って働いた分を本当に取り返せるのかといえば、「うまくいって」どうかくらいではないですか。
だから私は、優秀な人を本当に集めたいのなら、「給与は後払いではなく、先払い」だと考えています。そのためには難易度の高い仕事をさせると同時に、優秀な人を集めるのなら、給与はきっちり払うべきです。
「頑張って活躍したら給与を上げてあげる」というやり方は、実はあまり人間のモチベーションになりません。期待値の方が、はるかにモチベーションが上がります。「現状から見ても、あなたは本来ならもっとやれる。だからこそ、これだけの給与を払います」という方が効果的です。
前田:給与水準は、何かをベースにして高低を考えていますか。
牧野:日本の銀行、特にメガバンクの水準は超えていたい。20〜30代のメンバーを集めたいなら、絶対に超えていたいですね。
優秀な人たちが商社や金融機関を選ぶ最も大きな理由は、安定性や仕事の面白さを挙げるかもしれないけれども、やはり生涯年収が高いことの保証です。
ただ今の時代は、優秀な人ほど定年まで働くようなイメージはみんな持っていません。そうすると、少なくとも20〜30代の間は確実に比較対象を超えているとなれば、選択肢としては互角以上になる。だからこそ、ポイントだと考えます。
優秀な人だって、リスクに賭けるわけです。一流大学まで出てしまっていると、親も含めて世の中の常識から考えたら、やはりメジャーで生涯賃金も高い企業に入るのが本来の成功ではないですか。そんな相手に「給料は低いけれど……」なんて口説いても、ハードルは相当上がってしまいますよ。
頭の柔らかさは1ヶ月のインターンでしか見極められない
前田:牧野さんのXの投稿で「頭の回転の速さはクリティカルシンキングで測れても、頭の柔らかさは1ヶ月のインターンでしか見極められない」とありました。一定で試してみないとわからないものが、いかなる優秀な人材でも存在するということでしょうか?
牧野:実は、頭の回転が速い人は演じることができるんです。面接などで「私、頭が柔らかいです」という雰囲気を出せるのですよ。言い換えると、自分を作り上げる能力がある。
一方で、エンジニアなどには頭が極めて柔らかくても口下手な人もいるし、緊張する人もいる。そうすると、通りいっぺんなことしか言えなくなって、面接では頭が固い印象を抱いてしまうこともある。やはり、時間をかけないとわからないんです。
最もわかりやすいのは、実務を模したインターンに就いてもらうことです。実務まで担わせるのは無責任ですが、実務を模したような内容のものに挑んでもらって、それを優秀なエンジニア、優秀なコンサルタント、優秀な営業が横でずっと見ているのです。「どうやって解決する気なんだろう」と見て、「なるほどな」と思う。そうして頭の柔らかさをすべてチェックしていくイメージです。
もう一つの観点として、頭の回転の速い人は、割と頭が固くなりやすいのです。元々頭が固いわけではなくても、頭の回転の速い人で、学校で勉強にずっと励んでいたタイプに顕著ですが、その勝ちパターンを自分のなかで成功体験として持っている人が多い。
つまり、同じパターンで取り組めばあっという間に物事が解決されていく、ということを知っているのです。ただそのやり方は、社会に出ると急に苦しくなります。そこから突破できた人でも、また「仕事の成功パターン」を見つけてしまう人もいるので、同じく5〜10年経つと厳しくなってくる。
自分の成功体験を否定できる人でないとだめなんです。よく言われる、ゼロベース思考。それこそが成長し続けられるタイプなのだと考えます。
小さな規模ほど「社員との距離を取るべき」理由
前田:5〜10人の会社なら社員との距離を取るべき、とXに投稿されていました。適正な距離感とは何でしょうか。そして会社の規模に応じて、距離感は変わってくるものですか?
牧野:小さな規模ほど社員とは仲良くしてはいけないのです。自分についてきてもらうためにコミュニケーションは続けますが、友達には絶対になってはいけない。
経営者は孤独なので、規模が小さい時ほどメンバーと友達のように相談したくなります。もちろん例外的な経営者もいて、「この人は放っておけない」と思われて支えられるタイプもいますが、それは特殊な才能であり、誰もが真似できることではありません。
語弊を恐れず言うと、経営者は絶えず神格化しておく必要があります。距離が縮むと、メンバーは言うことを聞かなくなります。ベンチャー企業では全員が納得できる方向性を出すのは不可能です。必ず問題は山積しており、清濁併せ呑む領域がいっぱいある。そのとき「こちらの方向だ」と決断しても、全員を説得していては経営が成り立ちません。
理想は「この人はすごいから間違いない」と思ってもらうことですが、そうでなくても「この人の判断なら間違いない」と信じてもらうことが大事です。「ついていけません」という人が続出するとすれば、それは業績が悪いか、人間的に問題があるかのどちらかでしょう。
逆に、規模が大きくなって成功すると、放っておいても距離感が出てしまうので、今度は近寄っていけばよいのです。
私が若手経営者によく言うNGワードがあります。「俺は正直すごくないかもしれないけど、自分の役割があるからさ」──こういう発言は絶対にしてはいけません。「すごくない」と言うと、メンバーは本当にそう思ってしまいます。自分にマイナスイメージをつけるような発言は厳禁です。
前田:そのやり方のトレードオフとして、現場の声が聞こえづらくなる、現場から意見が上がりづらくなる、という構図になる可能性がありそうです。そこは割り切って、現場の意見をそこまで拾わなくていい、ということですか?
牧野:現場の声と言ったって……10〜20人くらい規模では、経営者自身だってスーパープレイヤーとして現場にいるはずです。現場にいるのに「現場が理解できない」なんて、そもそも経営者としてもプレイヤーとしても何をしているのか、と問われたって仕方ないですよ。むしろ、社内のスーパーエースとして、すべての声が経営者自身に集まってきていないと。
100人、200人になると現場から離れていきますが、そのときは距離感を保ちつつ、現場の声を拾う仕組みが必要になります。私は月報に「何でも書いてよい」として、どんどん集めていました。これらは経営の方向性を決めるのに役立つんです。
ただし、メンバーには「何を書いてもよいが反応はしない」と必ず伝えていました。そうしないと「あれほど意見したのに聞いてくれない」となってしまうのでね。
重要なのは、一人ひとりの意見に振り回されないことです。みんなが「ある方向」を進んでいるのを感じたら、それが間違った方向なら正す。「個別の意見で右往左往していたら船が沈没する。みんなの声から『このままでは氷山にぶつかる』という兆候を読み取り、正しい方向に舵を切るために意見を聞かせてください」と。つまり、羅針盤としての活用ですね。
AI革命時代の起業家へ…それでも「先に売れ」
前田:これからAI革命の時代を進むスタートアップ起業家たちへ、「これは覚悟しておけ」という、ちょっと残酷だけども重要な真実を一つ教えてください。
牧野:やはり、今日はこれだけ話しましたが、「先に売れ」ということです。一生懸命に良いものを作ることは大事ですが、スタートはまず売ること。それを、エンジニア出身だと営業が面倒だから、ついつい「ウェブマーケティングしよう」とかいろいろと考える人が多いのでしょう。私もエンジニアだから分かりますが……でも、それでは一生普及しません。
革命的なものを作れたら、確かにあり得ると考えます。ただ、その「革命的」というレベルは、稀代に一人というくらいでしょう。ちなみに私も「革命的」な製品を作れたことはありません。ただ、「革命的」なものばかりが売れるとは限りません。
とにかく世の中に確実に受け入れられる、実際に明確なニーズがあるところに打って出る方が、私は良いと考えますね。そこに対して、真摯にやっていくことが大事だと考えます。
だからこれだけは忘れないでください。とにかく、営業から逃げてはだめです。
前田:「とにかく売れ」というシンプルで強いメッセージはもちろん、給料は「先払い」である理由、社長と組織の距離感のポイントなど、本当に名言が多く、学びもたくさんの時間でした。本当に、ありがとうございました!

  

