スタートアップ経営における「成功の方程式」は存在するのでしょうか。
多くの起業家が事業の立ち上げから成長、そして次のステージへの進化という道のりで試行錯誤するなかで、一つの企業を10年以上にわたって成長させ続けている経営者がいます。では、彼らはどういった日々を過ごし、何を考え、実践してきたのでしょうか。
今回お話を伺った堀江裕介さんは、22歳でdelyを創業し、ヤフー(現・LINEヤフー)による子会社化、そして上場を経て、現在も事業を拡大させ続けている経営者の一人です。レシピ動画サービスで成功を収めた後も、リワード事業やマーケティング事業など、常に挑戦を続けています。
ALL STAR SAAS FUNDのマネージングパートナー・前田ヒロが、堀江さんが10年間で培った経営哲学と、「恐怖に向かって走る」ことの重要性について掘り下げました。
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22歳の自分へのメッセージは「思ったより大変だぞ」
前田:創業から10年以上が経過し、当時の堀江さんと今の堀江さんを比較すると、とても力強いリーダーになられたと感じています。もし、現在の堀江さんが22歳で起業したばかりの自分に会えるとしたら、どのようなメッセージやアドバイスを伝えたいでしょうか?
堀江:難しい質問ですね。もっと簡単に進められる方法があったのではないかと考えますし、この10年間でめちゃくちゃ失敗もしました。ただ、それが今では自分の経験となり、アセットにもなっているとは感じるのですが……10年前の自分には「思ったより大変だぞ」と伝えたいですね。
それと、事業ドメインの選定で最初は苦戦したので、そこが何よりも重要だと感じています。時代の中で風上に立てるような事業ドメインを選ぶ余地は、10年前に戻れるなら、もっとあったのではないでしょうか。
前田:「思ったより大変だぞ」というアドバイスですが、備えられる方法があると考えますか。あるいは、そもそも備えられないものかもしれないですが……。
堀江:いや、逃れられないんですよ。抵抗しても逃れられないし、それを知っていたら起業なんてできないでしょう。だから、「知らなくてよかった」とも言えますね。
前田:NVIDIAの社長も同じことを言ってましたね。「知ってたらやってなかった」って。
堀江:山に登っている最中は、とてつもなく苦しいことが続くんです。計り知れないぐらい大変なことが未だに毎日起こります。それをはじめてみなければわからないし、みんなの前では出さないようにもしていますけど......。
生き方としてそれを楽しめて、許容でき、美学として受け入れられるのであれば、起業は勧められます。ただ、理由がお金儲けだけなら、おすすめしない生き方だな、と思いますね。
「どうせ辛いなら、デカいことをやろう」という哲学
前田:堀江さんがとあるインタビューで、「起業してから一度も心からホっとした瞬間がない」と言われていたかと記憶しています。常に事業のこと、会社のことを考えていく人生は「幸せを感じられるもの」ですか?
堀江:確かにストレスフルではあります。かといって一般的なビジネスパーソンと比べる……となると、みなさんなりの「大変さ」がものすごくあるはず。
ただ、どちらにしろ大変ならば、より「デカい方を選ぶ」というのが、自分としては納得できていますかね。もう一度生まれ変わっても、当然のようにやるでしょう。逃げ出したいと思ったことは100回では効きませんが、本気で思ったことはないですね。
前田:どうせ辛いならデカいこと。ある意味、それは堀江さんの精神安定剤ともいえる?
堀江:おそらくは、嫉妬の矛先が「より大きいもの」なんですよね。今でいうとメジャーリーガーの大谷翔平選手であるとか、世界的に有名なアーティストとか。彼らを見ても、未だに嫉妬します。絶大な影響力を持っていて、どこか少年のような夢を持ち続けている。
僕が持つ才能という切り札のなかで、唯一といっていいくらい実現できたのが「起業」という道でした。だから、それをチョイスしているだけだと捉えています。
「風上に立つ」事業ドメインの見極め方
前田:「時代の中で風上に立てるような事業ドメインを選ぶ」とおっしゃったことについて。そのドメインは、どうすれば確かめられますか?
堀江:「頑張っている割に伸びない」という体感があるときは、必ず向かい風にぶつかっているという感覚があります。一方で、「自分が想定しているよりも勝手に伸びている」という感覚、言い換えると「努力値の割には伸びている」という感覚もある。それらは多くの事業をやってきたなかで養われた肌感覚のようなもので、僕としては大事にしています。
また、「競合も含めて全員が伸びているかどうか」も重要です。経営者の能力や執行能力の有無ではなく、誰が手掛けても成果が出やすい「伸びているジャンル」もある。それを見極めるのも大切ですが、レッドオーシャンにもなりがち。そこのバランス感覚ですよね。
前田:明らかに伸びているところに行くと競合が多いし、逆に誰も行かないところだとニーズがないかもしれない。程よいバランスを持ちつつ、自分自身の立ち位置から「強み」を発揮しないといけないわけですね。
堀江:そうですね。もっとも、20代や30代の起業家からすると「強みがない」と言う人も大勢いるかもしれません。でも、3年くらいあるジャンルへディープダイブして、本気でやりきったら、僕は「ジャンルのエキスパートになれる」と考えるので、現時点の「強み」は、あまり考慮しなくてもいいように思うんです。
たとえば、今からOpenAIと戦うのは筋が悪いし、ソフトバンクと同じ戦い方が全員できるわけでもない。だからこそ今、自分が持っているカードを把握し、それらを活かせるジャンルを見つけ、時間やお金を投じれば価値が発揮されるのかを考える。その辺の取捨選択こそ重要でしょう。
ヤフー子会社化、決断の裏側。それは「オセロの四隅」のようだった
前田:ヤフーがクラシルを子会社化した当時の業績を振り返ると、売上3億円に対して赤字30億という状況でした。あのときの堀江さんの心境を伺いたいのですが、将来的なスイングバイIPOに対して「これは絶対に成功する」という確信を持っていたのか、それとも「何があっても必ずやり切る」という覚悟の方が強かったのでしょうか?
堀江:「ベストな選択肢を取る」ことをチームのために常に考えていました。「チームの勝率を上げるために、やらなければいけない」という方が大きかったですね。
競合環境を含めて今後どうなっていくか。競合が通信会社などの資本を入れはじめていたなかで、日本で当時100億単位の金額を出せる事業会社およびVCはほぼ居ませんでした。誰がそのチャンネルを押さえ、誰がその投資金額を確保し、誰を味方につけるのか——選択肢があまりなかったんです。
自前でいけば、資金調達はできても通信会社との連携で、キャリアの中にアプリをインストールしてもらったり、キャリアのチャンネルを使ったディストリビューションだったりといったシナリオは当然ありました。それを競合もやってくるだろうと。だとしたら、もっと強くユーザー獲得コストを下げ、認知コストを落とすようなチャンネルを押さえなければいけない。
その観点から、当時はヤフーおよびソフトバンクの携帯に入れてもらう、検索と連携するといった話で、資本プラス事業連携の総合力でヤフーを取らないと、「オセロの四隅を取られる」という感覚でした。やらざるを得なかった、という気がします。
前田:競争環境を考えたとき、「この一手を打たないと負けてしまう」という危機感を覚えながら進めていった、ということですね。
堀江:そうです。常にワーストケースと競合が打ってくる一手を何手か先まで読んで動かないと、調達競争を含めて、今後のマーケティングや事業連携で「先に取られたら嫌なピース」が絶対にあります。PMFするまで、シェアを圧倒的に奪うまでは、プロダクトだけでなく、マーケティングのチャンネルで「ここを押さえられたら厳しい」「ここの資本を押さえられたら厳しい」ということが結構あるものです。
<yellow-highlight-half-bold>創業者の仕事は、オセロの四つ角がどこなのか、いわゆる「センターピン」がどこなのかを考えて、そこを取りに行くこと<yellow-highlight-half-bold>。そうしなければ、どれだけメンバーが頑張ってくれても勝てない戦いに持ち込まれてしまいます。そのシナリオを圧倒的に優位に進められるように人間関係を構築し、営業をかけることが、初期の最も大きい仕事でした。
前田:当時、堀江さんのなかで確信を持っていた部分と、「まだ未知数だな」と感じていた部分はどこでしたか?
堀江:「やらなければ死ぬ」というのは確信していました。ただ、「やっても勝てるか」で言うと、20〜30%しか確信はありませんでした。実際に入ってみて、そんな簡単に進むかといえば、やはり巨大な組織ですし、動かすのは非常に苦戦します。
ただ、それをいろんな人に話して味方についてもらい、一緒にシナジーを出していく作業が必要です。入った「だけ」で待っている会社はうまくいかずに、事業連携なんてできません。その後の自分の努力として、営業努力が内部で必要だったり、味方を作る努力が必要だったり。時には敵っぽい人が出てきたりもしますが、それは社内外問わず同じことです。
その過程で、徐々に確信度が高まっていったというのが、僕の答えですね。
外部から得られるエネルギーと「ツッパリ」
前田:「勝ち」を感じられた瞬間、あるいは30%しかなかった確信度が60%に上がった瞬間はありましたか?
堀江:未だにありません。新しい敵が出続けますし。国内にはあまり競合はいませんが、今はTikTokやYouTube、Instagramでも料理のコンテンツが配信されていますからね。そんななかで戦わなければいけない。
だから、油断できるシーンなんて一瞬たりともない。いまだに悪夢を見ます。今週も何回か「会社がヤバくなる悪夢」を見ています。2014年の4月に登記してから、こんな人生になるとは考えていませんでした。
前田:堀江さんにとって、原動力となるものを得たり、「エネルギーを投入された」と思えたりするのはどんな時ですか。
堀江:いくつかありますが、一番大きいのは、自分よりも視座が高かったり、すでに大きな世界を見ている人を知ったりすると、自分の「小ささ」を恥じるタイミングが年に何回かあります。それを感じ続けるために、人から情報を浴びに行ったり、そういう環境に身を置いたりするのが重要だと考えています。恥じることで、原動力が湧くんです。
あとは、ものすごく良いプロダクト……自分が嫉妬するプロダクトを見た時に、「もっといいものを作りたい」「もっとみんなが震えるようなビジネスを作りたい」と感じますね。
前田:自分の近くに一回りや二回りも大きい視座を持つ方々を置いて、ある意味では「引っ張られていく環境」を作られているということでしょうか。
堀江:そうです。今、上場後70%くらい株価が上がっているのですが、それでも9割方は「恥ずかしい」「悔しい」という気持ちでいっぱいです。嘘偽りなくそう感じています。
それは自分よりすごい人や海外を見ているからです。海外のスタートアップの情報に触れてみても、たとえば「Scale AI」で僕より何歳か下の方がいたり。規模で比べても幸せになれないとはわかっていても……。
ただ、そこで<yellow-highlight-half-bold>「ツッパリ」をどこまで持てるかが、起業家が大きくなれるかどうかのポテンシャルでもある<yellow-highlight-half-bold>と感じています。自分の作っているものに誇りを持ちつつも、まだ「こんなものじゃない」というツッパリや、Scale AIを前に「こんなの僕でもできるはずだ」と心で思えるようなツッパリ。それが年を重ねると諦めてしまう人が多い気がしています。そうなりたくないと考えつつ、自分のメンタルとの戦いですね。
上場がもたらした変化。「爆発力の維持」は課題
前田:経営10年をやってきて、自身の変化は感じますか?ここが変わった、逆にここはあまり変わらない、といったところは?
堀江:経営管理がすごく強くなりました。一方で、業績予測を出すので、ものすごく大きな変化や、突然に何十億円を掘るようなクレイジーなプレイは制限されます。だから賢くはなっている気がします。
賢く筋肉質にはなっていますが、突然変異的な爆発力のある「今から10兆円のビジネスを作ります」といった可能性を閉ざしてしまうかもしれない。ある意味では「リアルな経営者」になっている。それは悪さでもあるので、別の部分では爆発力をどうやって保っていくかを考えないといけない。ここ半年くらい、そう考えています。
前田:堅実さが増していくなかで、爆発力を見落とす可能性もあるので、常に機会を逃していないかを考え続けないといけないということですね。
堀江:それが上場したり、会社が大きくなることによる弱さかなと。今の「数字」を当てなければいけない。それを守り続け、死守し続けることが株主への責任です。
一方で、100倍、1,000倍になるチャンスを逃していないか、とも問い続けなければいけない。この2つのバランスの中に常にいて、それがストレスにもなりますし、どこに突破口があるのかを探し続ける旅でもあります。
新規事業のはじめ方は「とりあえず3ヶ月やってみたら?」
前田:クラシルという大きな成功を収めながらも、リワード事業やエンタメ事業など、常に新たな挑戦を続けていますね。いろんな市場や機会が存在するなかで、「ここで挑戦するぞ」という領域の決め方はどうされているのですか?
堀江:割と考えても仕方ないと感じています。マーケットが大きい、かつ変化が起きるタイミングかどうか。たとえば、料理であれば「動画が来た」みたいな変化が起きるタイミングなのか。あとは自分たちが勝てる余地があるのか。
この辺りを見てはいますが、基本的には自分の中で一定伸びる確信が持てたときです。マーケットが伸びていたり、巨大であったりして、そこに自分らがひっくり返す武器や他との差別性を持っているのであれば、「とりあえずやってみる」くらいで考えています。
結構、みんな深く考えすぎかなと、他社を見ていても感じます。「とりあえず3ヶ月やってみるか」という感覚で進めています。
前田:打席に立って、バットを振る数をとにかく多くやっていこうというスタンスですね。
堀江:実際はそうです。Amazonの新規事業やM&Aの失敗を見ると、とてつもない数が存在します。Googleもしかりです。そういうのを見ていると、シンプルに百発百中なんて世界最高レベルの会社でもありえない。つまり、未来だって誰も読めません。
マーク・ザッカーバーグですら、ARが一気に拡大するという確信を経てMetaという名前に変えたのに、気づいたらAIにシフトしている。どれだけ賢くても未来は読めないのであれば、機会損失を防ぐために、とにかく新規事業を連発した方が良いと考えています。
ただ、それなりの難しさはあります。経営者によっては失敗したくないという気持ちがすごくあるし、腰が重い方もかなりいます。確かに撤退した後、組織のコンディションを維持するのはものすごく大変ですが、それを100回や200回と繰り返していくうちに組織の文化ができると感じています。痛みは当然ありますが、バットをとにかく振りまくろうと。
前田:クラシルの新規事業やM&Aは、どういった進め方をすることが多いですか。
堀江:テーマや事業ドメインは僕が決めます。
たとえば、リワード事業をはじめた経緯をお話しすると、上場準備中に売上が急落したタイミングがありました。成長を続けるべき時期に数字が下がりはじめた原因は、コロナ禍の反動で広告費用が大きく変動したことでした。「このままでは上場できない」という状況になり、一度上場を見送っていた経緯もあったため、危機感を覚えました。
クラシル単体での上場シナリオでは限界があると判断し、新たな収益源が必要でした。ちょうど海外出張中にこの報告を受け、急遽、新規事業の検討を開始することにしたんです。
その際に着目したのは、当時成長していたタイミーやメルカリといった企業の共通点でした。インフレによるコスト意識の高まりを背景に、人々が「即現金化」を求めるニーズが強まっていた。これをクラシルの強みであるメーカーや小売との関係性に活かし、ユーザーに還元できるリワード事業なら成功する可能性がある、と考えたんです。
帰国後、実はデング熱にかかって41度の熱を出しつつも、チームと議論を重ね、2週間でローンチまで持ち込みました。
前田:驚異的なスピードですね!
堀江:危機的状況では迅速な判断と実行が不可欠です。ローンチ後の体制としては、CPOの坪田(@tsubotax)がプロダクト全般の詳細設計を担当し、創業時からのパートナーである柴田(@delyshibata)がCOOとしてビジネス構築や組織運営、KPI管理を担います。私の初期仮説にズレが生じた場合は、継続的な対話を通じてプロダクトを調整していく体制を取っています。
前田:この役割分担は一つのパターンとして確立されているのですか?
堀江:そうです。ただし重要なのは、新規事業を成功させるには社内のエース級人材、通常は5名程度いるトップクラスの人材のうち、半数以上が本気でコミットすること。これまでの経験から、ドメインが良くても意思決定者の過半数が全力投球しなければ成功しないことがわかっています。初期は2〜3名でスタートしても、段階的にキーパーソンをその事業に集約していく戦略を取っています。
撤退基準は「人のモチベーション」で決める
前田:ネットスーパー事業は、ローンチして数ヶ月というスピードで撤退の意思決定をされました。堀江さんが新規事業で何度も成功を達成できている理由の一つが、この撤退の意思決定のスピードの速さにあると感じています。撤退の基準や、当時重要視していたKPIはどこでしたか?
堀江:配達の密度など、いくつかの主要KPIは持っていました。delyでデリバリー事業をやっていた時の経験が生きていたので。
ただ、組織内で私が決めるときは、あまりそこをものすごく重視していません。結局その仮説ですら正しいかどうかわからない。撤退ラインの仮説自体がそうです。10年粘ったからうまくいく事業も存在します。
どちらかというと、<yellow-highlight-half-bold>その組織のモチベーションのモメンタムがなくなってきたり、メンバーがそこに対する熱量を失っていったり、諦めはじめたりするタイミングがある<yellow-highlight-half-bold>。ちょっと数字を言いたくないKPIが出てきて、週次の定例でちょっとごまかしはじめる……そういうタイミングを見た瞬間に、すぐに撤退します。
前田:意外に「人」が要因になっているのですね。
堀江:結局、数字がうまくいっていることの証明が彼らの自信であり、それが何よりも重要です。それの現れが表情だったり言動だったりします。そして、そこにパッションがなければ絶対に成功しない。だから、やめるのはそれらを感じられなくなった瞬間なんですね。
前田:最初の数ヶ月でもわかるものですか?
堀江:結構わかりますよ。施策を打つなかで、枝葉を改善しはじめると「いよいよ事業の終わりだな」と感じるときがあります。そうではなく、木の幹になるような変数の大きな部分がぐるぐると回転して、たくさん改善していくシーンは。人がワクワクしています。
初期の段階でいじる変数がなくなり、枝葉を調整しはじめたら、その事業はグロースしないだろうなと。そういうときの表情が、重要な「撤退の意思決定」につながっています。
堀江:あと、やはり時間との戦いで、ダラダラ続けるのは良くありません。
投資家は、IRR(内部収益率)で見ていると考えますが、私たちで見ても、そのリソースを当てれば既存事業で伸びているものがあるなら、既存の事業に100%集中させた方が良い。一人当たりの売上効率と利益効率が上がってきます。
クラシルにはいろんな武器があって、どこかのパーツにアロケーションを戻せばものすごく伸びるという余白があるので、だからこそ撤退の意思決定もしやすいんです。ただ、一つしか武器がない、グロースしている事業がない会社においては、撤退は非常に重い意思決定になってしまうので、やりにくいのかもしれません。
「トップがGO」で攻撃力を最大化する組織論
前田:クラシルがここまで成功を収めたのは、堀江さんのリーダーシップが大きかったと感思うんです。堀江さんがいつも「勝つために最も効果的な手段は、トップがGOといったら全員がその方向へ動く組織」と言われていたと記憶しています。
スタートアップ業界では権限移譲やボトムアップといった組織論も有効な手段として語られるなかで、なぜ「トップがGO」のアプローチを信じているのでしょうか?
堀江:早いからです。早い。それがすべてです。
2週間でプロダクトをローンチして組織すべてを一気に移動させるなんて、合議制でやっていたらできません。環境変化がとにかく多い業界です。AIが突然出てきたり、その次の週にはDeepseekが出てきたり。こういった変化のなかで、たかだか数百人、数千人程度の組織で合議制で決めていたら、ByteDanceやGoogleみたいな会社に太刀打ちできません。
この意思決定を1秒でも早く誰よりもする。そこを重視するとトップダウンしかない。あとは、協議してもほぼ同じ答えになるのはわかっているし、尖った答えにもなりません。だとしたら「責任は取るから、僕に意思決定を一度預けてくれ」と。仮説を間違えたらすぐチューニングしますが、それこそ最速で答えにたどり着く方法だと考えています。
社内に「ビジョンブック」という「勝つための方法」をまとめたバイブルがありますが、そこにも全員の共通認識として入社前からインストールしています。
前田:みんなが同じ方向へ動く組織は、ビジョンブックのようなカルチャー作りや、採用の段階の基準で作っていくものですか?
堀江:作っています。「ビジョンブック」には何十ページにも及ぶ、僕なりの「勝ち方」がまとめてあります。その実践度合いによってピアレビューをされたり、昇格の条件が決まったりします。つまり、ここを満たしていないとクラシルではリーダーになれません。
当然、採用の要件もそれにリンクしていますし、すべての意思決定もそうです。会社は日々、情報が増えていきますが、後から入ってきた人にとっては「正しさ」がどこにあるかのかがわかりにくい。だからこそ、ビジョン・ミッション・バリューだけだと定義できない細かなこと、新規事業の参入の仕方や撤退の仕方も含めて、まとめてあります。
このビジョンブックに基づくからこそ、意思決定に再現性が出る。私からリーダー層まで同じ意思決定ができることを理想として求めています。
前田:そのバイブルで、他に肝となっている要素は?
堀江:打席に立つ回数を圧倒的に誰よりも増やせ、とは当然に書いています。
GEの創業に関わったとされるエジソンもとてつもない失敗数をこなしています。任天堂もとてつもない数の失敗をしている。おそらく事業ドメインを定義せず、「たまたまうまくいったもの」が残って、それを突き詰めた結果が、今の任天堂になっている。
事業が当たるかどうかは運の要素も大きいから、起業は「最もポテンシャルの大きなものを探し続ける旅である」と定義をして、そこに対する試行回数を増やし続けられるかどうかが組織力であると。
任天堂への憧れ——日本企業の新たな勝ち方
前田:ちなみに、以前のインタビューで、「任天堂のような会社になりたい」と話されていましたね。任天堂のどの部分に魅力を感じていて、どこまで実現できれば「任天堂に近づいた」と言えるでしょうか?
堀江:まず魅力的なのは、業態を変更し続けてきた歴史です。ゲーム事業に参入できたのは創業から60〜70年目頃で、10年目から60年目までは花札以降、これといった大きな発明がない期間が続きました。それでも70年目で大きな成功を掴んだ。このストーリーに強く惹かれています。
もう一つは、日本企業が海外でなかなか勝てない現状があるなかで、任天堂は別格だということです。つい最近も痺れるニュースがありました。任天堂がAmazonとの「Switch 2」の販売ライセンス契約を拒否したという報道です。通常、日本企業は「Amazonで売れなくなる」と圧力をかけられると委縮してしまうものですが、それを拒否できるほどのコンテンツ力を持っている。
世界中の人を熱狂させ、Nintendo Switch 2のローンチを皆が待ち望み、転売が社会問題になるほどの熱狂を生み出している……そんな日本企業は他にありません。そこに強い嫉妬を感じます。
日本の新しい勝ち方として、コンテンツやエンタメの分野で、サンリオや任天堂が戦っている姿を見ると、本当にかっこいいなと感じます。
前田:クラシルが世界に羽ばたく姿を見るのが楽しみです。
堀江:そこまで心が折れないよう、頑張らないといけませんね。
長期思考を維持するトップダウンとボトムアップの使い分け
前田:「トップがGO」の経営スタイルは、場合によってはワンマン経営と言われることもあるかもしれませんが、堀江さんの中で「ここは自分で決める領域」と「ここはボトムアップで任せている領域」の境界線は、どこにあるのでしょうか?
堀江:事業の開始と撤退については、私が最終決定を行います。ただし、日々のデータを見ながら現場で調整していく部分については、現場の判断を重視しています。僕は複数のドメインを見る立場なので、現場の細かい部分に過度に介入するのは適切ではないでしょう。それは現場で一番本気で、一番詳しい人に意思決定してほしい。
一方で、明確にトップダウンで指摘し続けているのは短期的な思考でKPIをハックしようとする行為です。これは文化的な崩壊につながります。
コンシューマー向けアプリでは、今期の業績を達成するために「ちょっとしたハック」をすれば数字を上げることは可能です。しかし、それが本当に中長期的に積み重なるものなのか、お客さんにとって良いものなのか……この視点は10年間欠かさず指摘し続けています。
人間は楽な方に流れがちで、「今すぐKPIを上げて評価されたい」という誘惑に駆られます。そういったビジョンやバリューに反する行為については、トップダウンできっちりと正していく必要があります。
前田:現場にいるとどうしても短期思考になりがちな中で、堀江さんが長期的な視点をフィードバックして、チーム全体の時間軸を伸ばしていく役割を担っているということですね。
堀江:その通りです。KPIの達成にも「質」があると考えています。持続性のある達成方法と、一時的で再現性のない方法は明確に異なります。
創業者は10年、20年、30年という長いスパンでその会社を見続ける存在です。一方で現場の方々は、一般的に5年程度、海外なら2年程度で転職することが多く、どうしても短期的なパフォーマンスに意識が向きがちです。
この違いを理解したうえで、創業者にしかできない仕事は中長期的な視点を維持し、そこに向かう引力をキープし続けることだと感じています。それをしないと、会社やプロダクトのバランスが崩れてしまいます。
コンシューマー向けサービスを提供する会社として、この部分は絶対に手を抜けません。今でも毎日Xをエゴサーチして、自社プロダクトに関するポストはすべてチェックするなど、ユーザーの声を大切にしています。
「失敗している企業から採用する」戦略
前田:バイブルをうまく体現するために、採用基準で重視していることや、クラシルで成功しやすい人材の傾向はありますか?
堀江:失敗を経験した企業出身者を積極的に採用する——これが非常に効果的な戦略として機能していますね。
その理由は明確です。高い能力を持ちながらも、事業ドメインの選択や市場タイミングの問題で結果を出せなかった人材は、成功に対して強いハングリー精神を持っているはずです。ベンチャー企業の成功確率が決して高くない中で、優秀でありながら「勝ち」を経験できていない人材を獲得できれば、その人たちの「成功への渇望」が大きな推進力となります。
一方で、大企業出身者の採用には慎重になる必要があります。大企業では一つの専門領域に特化して、完璧に整備されたシステムの中で成果を出してきた人材が、突然に「総合格闘技」的な環境に置かれると適応に苦労するケースが多く見られます。ボクシングの専門家がMMAで戦うようなものですね。意外にもGAFAMのような超一流企業出身者でも、本当のスタートアップ環境ではうまくいかない例があるものです。
重要なのは、頭が柔軟で、失敗に対する許容度が高く、継続的な変化を受け入れられる人材かどうか。特に20代、30代の若手に対しては、最高の成長環境と報酬を提供することを重視しています。既に成功を収めた人材を迎え入れるよりも、これから成功を掴もうとするチャレンジャーに手厚く報酬を出し続ける。「チャレンジャーにとって最も魅力的な会社」であり続けたいですね。
「長期は楽観、短期は超悲観」で臨む経営スタイル
前田:ナレッジワークの麻野さんが、堀江さんを「細部を突き詰める実行力が異常だ」と評されていましたが、ご自身ではその理由をどう捉えていますか?
堀江:ビジョンブックにも記載していることなのですが、「長期は楽観、短期は超悲観シナリオで見る」という考え方が完全に染み付いているからですかね。京セラ創業者の稲盛和夫さんが近しい言葉を残されていますが、まさにこの思考法が行動の根幹にあります。
短期的なシナリオに対しては、正直、かなり神経質になります。「競合がこう動いたら僕らは厳しくなるのではないか」「大企業のこの動きは中長期的なリスクになるのではないか」といった何百パターンものシナリオを常に頭の中で描き、そのすべてが不安材料なんです。
その不安を一つずつ潰していく作業が、周囲から見ると異常なほど神経質に映るのかもしれません。
前田:その不安を解消するために、詳細な情報収集や実態調査が行われている、ということですね。
堀江:そうです。ネット上の情報はもちろん、App Storeのランキングが競合より一つでも下がっていたら「今日のダウンロード数で負けているじゃないか、なぜだ」といった具合に、ありとあらゆる情報に触れ続けています。
情報を収集すればするほど、新たなリスクシナリオが浮かんできます。「ということは、このシナリオはもっと危険だ」「あの大企業がこの企業を買収した瞬間に、これが起きる」。そうなってからでは遅いんです。オセロの四隅を取られてから「しまった」と言っても手遅れです。「取られる前から不安になっておけ」が、僕の中に完全に定着しています。
これは過去に会社がうまくいかなかった経験から来ているもので、今でもそうした恐怖のシナリオが悪夢に出てきます。朝目覚めた瞬間から不安になって、それを一気に解消しに行く……そんな毎日です。
前田:インテルの元CEOだったアンドリュー・グローブが「パラノイアだけが生き残る(Only the paranoid survive)」という言葉を残していますが、まさにそれを体現されているように感じます。
堀江:意識してやっているわけではなく、完全に習慣として染み付いてしまっていますね。
前田:これは創業当初からのある種のトラウマが影響しているのでしょうか?
堀江:そうだと思います。会社が勝たなければ、株主もユーザーも社員も、私に関わってくれたすべての人がハッピーになれない。この事実を何度も痛感してきました。
経験者にしかわからないキャッシュが減っていく絶望感や、給与が支払えなくなるかもしれない恐怖を何度も味わい、それが夢にまで出てくるようになりました。
だからこそ、その恐ろしいシナリオを避けるために、今からすべての可能性を想定して一つずつ対策を講じる。これが私にとって最も精神的にヘルシーな状態なんです。おそらく他の人より弱気なんだと感じています。
「弱いから楽な方を取っているだけ」という逆説的哲学
前田:堀江さんがXで「自分の目標が今の延長線上で達成できないとわかっているなら、大きな変化を加えなければいけない。それがわかっているのに変われない人間は弱い」といった内容を投稿されていたのが印象的でした。現実逃避せず、不都合な真実と向き合うためのコツがあれば教えてください。
堀江:腹の底から「そこに向き合うことが自分にとってメリットがある」と信じ込むことですね。危機察知能力も含めて、心の底から納得していないと、人間は楽な方向に流れてしまいます。実は僕自身、楽な方を選んでいるという感覚があります。
でも、中途半端な成功って、実はコストパフォーマンスが悪いと考えているんです。イーロン・マスクを見てください。今の彼は「超イージーゲーム」の状態だと言えるでしょう。彼が動けばビットコインすら動く、アメリカ政治すら動く。同じ能力の人がいても、イーロンの方がNASAから圧倒的に予算を引っ張れる——そんなパワーを持っています。
この業界は、突き切った人ほど勝率がどんどん上がっていくゲームなんです。中途半端なポジションにいると、むしろ不利なゲームに巻き込まれてしまう。
だから不都合な真実に目を向けて、今それを解決することが将来的に楽になる道だと確信しています。「今、これを潰しておかないと、将来もっときついゲームになってしまう」。そういう体験と肌感覚があるからこそ、目の前の困難に正面から立ち向かう方が、結果的に楽だと感じるんです。つまり、僕は弱いから、楽な方を取っているだけなんですよ。
周りから見れば「あの人は苦労しに行っている」と映るかもしれませんが、僕にとってはこちらの方がずっと楽で、自然とそちらに向かっているだけです。
前田:短期的にはつらいけれど、長期的には楽になる選択を重ね続けていると。
堀江:そうだと思います。結局、楽をしたいんですよね。今、最も目を背けたい課題を解決することが、実は最も楽にゲームに勝つための手段である。この考えが自分のなかで完全に腹落ちしているかどうかだと感じます。
経営者への宿題「目を背けている課題に今日向き合え」
前田:最後になりますが、この記事はスタートアップ経営者やリーダーの読者も多いので……ぜひ、彼らに宿題を一つ出すとしたら何ですか?
堀江:自分が目を背けている課題に、今日向き合いなさい——これに尽きると感じます。
最も目を背けたいことを一つ書き出して、毎日それに向き合う。これを実践できれば、1年間続けるだけで会社のパフォーマンスは劇的に変わるはずです。
前田:ありがとうございます。堀江さんとお話しすると、いつも堀江さんの進化と変化を10年前から感じていて、自分ももっと成長しなければと刺激をいただきます。今日のインタビューを通じて、「恐怖に向かって走ろう」と強く感じました。自分も少し逃げている部分があるなと反省しています。
堀江:僕も逃げたい気持ちは常にありますよ。
前田:お互い恐怖に向かって走り続けましょう。