カスタマーサポート(CS)領域向けのプロダクト「QANT」シリーズで、AIと人の協働で次世代のサポート体験を創ることを目指すRightTouch。現在は「エンタープライズ企業向けのカスタマーサポートプラットフォーム」を志向し、VoC・ウェブ・AIオペレーターをつなぎ、業務効率化だけでなく、顧客体験そのものの革新を図っています。
しかし、現在の姿に至るまでには大きく、そして迅速な決断がありました。ChatGPTの登場からわずか1ヶ月で会社の方向性を転換し、「ビジョンからのバックキャスト」でデータ戦略を再設計。RightTouchはCS領域でAIの波をいち早く捉え、大手企業との競争にも負けないエンタープライズAIプラットフォームへ進化させることができました。
CSのAI化において、企業固有のナレッジデータ、オペレーターの暗黙知、そしてデジタル化されていない業務フローといった「まだ取れていないデータ」を誰が先に取りにいけるかが勝負の鍵になるとRightTouch代表取締役の長崎大都さんは話します。
いかにしてRightTouchの「転換と進化」は実現されたのか。ALL STAR SAAS FUNDのマネージングパートナー・前田ヒロが、AI時代のデータ戦略とエンタープライズ攻略の実践論をテーマにお聞きします。
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「Q・A・マッチングプロセス」がピボットの起点になった
前田ヒロ(以下、前田):AIによってCS領域が非常に面白くなってきていますね。グローバルで見ても、大型調達しているAIアプリケーション領域のスタートアップのトップ3カテゴリが、コーディング、リーガル、そしてCS。日本でもSierraが買収を通じて参入を発表するなど活発に動いています。
RightTouchはCS領域のど真ん中にいるプレイヤーとして、SaaSからはじまり、今はエンタープライズAIプラットフォームとして進化してきました。その進化のなかで、根本的に考え直さなければならないポイントが多かったのではないでしょうか?「Before AI / After AI」でRightTouchのプロダクト戦略はどう変わりましたか。
長崎大都(以下、長崎):創業時からウェブのサポート領域で事業を展開していましたが、創業から1年、初期プロダクトがPMFしたところで、ちょうどChatGPTが登場したんです。そこで会社のロードマップにまず変化がありました。
CSを少しメタに捉えると、「お客さまの問題に対して企業固有の回答があり、それをマッチングするプロセスがある」という形で抽象化できます。つまり、「Q(問題)」と「A(回答)」と「マッチングプロセス」の3つに分解できます。
私たちがウェブサポートで取り組んでいたのは、電話で人が担っていたことをウェブに寄せていくことでした。ただ、このマッチングプロセスは、将来的にはAIが問い合わせするような未来も含めて、あらゆる形で変わっていくはず。
一方で、「お客さまが困っているQのデータと、企業固有が持つAのデータ」という構造は変わらない。ただ、AI時代のマッチングプロセスがLLMによって実行されるならば、QとAについての取るべきデータやプロダクトのロードマップの順番は大きく見直すべきだと考えたんです。
前田:ChatGPT 3.0のときは、まだリアルでの実用性がそこまで高くなかったはずです。そのタイミングから、ガラッと変えなければならないと感じていたのですか?
長崎:そうですね。生成AIが大きく進化したとき、CSはユースケースとして非常にわかりやすい領域です。「人とオペレーターのやりとりというアナロジー」で直感的に理解できるでしょう。Transformerの論文「Attention Is All You Need」も読んで技術面を理解し、強い危機感を持ちました。だからこそ、ChatGPTが2022年12月に日本でも登場した翌年の1月には「会社の方向性をピボットしよう」と話していました。
5年後からバックキャストし、「価値の残るデータ」を定義
前田:戦略を変えるうえで押さえた要素はどんなものでした?
長崎:「AIが最速で5年進んだとき」の有り様からバックキャストして、プロダクトビジョンを作り直そうという話が中心でした。
ChatGPTやGemini経由でAIが企業に問い合わせするような世界観になるのではないか、という仮説を立てて、「そのときに絶対に必要なデータとは何か」を考えたのです。
データとして戦略的に取得すべきは、企業固有のコンテクストデータ、ナレッジデータ、お客さまのペインのデータと定義しました。プロダクトビジョンからバックキャストして、データを軸に話を進めていったのです。
前田:AI時代はデータを押さえなければならないという話はよく出ますが、ここで聞きたいのが「価値のあるデータ」と「あまり価値のないデータ」をどう定義しているかです。
長崎:大前提として、データそのものの「絶対的な価値」の有る無しを定義するのは難しく、結局は文脈次第で変わります。
そのうえで、価値が残るデータを考えるためには、まず「5年後の大きく進んだ未来で使われているデータ」から考えていくべきだと思います。
データには3種類あると考えています。1つ目は「今すでに活用できているデータ」。二つ目は「デジタル上にあるけれど活用できていないデータ」、すなわち非構造化データです。三つ目は「まだデジタル上に落とし込めていないデータ」です。
この3レイヤーのなかで、まず2つ目の「あるけれど使えていないデータ」を変えていくのが、AIプロダクトの一つの進め方だと思います。一方で今後、OpenAIやAnthropicなどのビッグテックがコンタクトセンター領域に参入してきたときに、3つ目のまだデジタル上にないデータをいかに取りにいくかが、差別化ポイントになってくる。
カスタマーサポート領域で言えば、AIが人の代わりに仕事をするとなったとき、企業固有のナレッジデータや、デジタル上に落ちていない有人オペレーターの暗黙知が、まさにこの三つ目のレイヤーです。
前田:「あるけれど使えていないデータ」の具体例ってどんなものなのでしょう?
長崎:わかりやすい例が、お問い合わせの音声データです。お客さまとオペレーターの対話には、お客さまがどのように困っているかという情報と、それに対してオペレーターがどのような暗黙知で回答したかが詰まっています。
テキスト化すると典型的な非構造化データになるのですが、CSの企業はみな「使いたいけれど使えていない」状態でした。うまく活用できれば、コスト効率化はもちろん、お客さまの声をプロダクトや事業に反映させることもできる。まず取り組むべき「あるけれど使えていないデータ」の代表例です。
このVoC(※Voice of Customer、顧客の声)を取得できる意義は、今後AIが応対するようになったときに、オペレーターの暗黙知やお客さまのコンテクストデータをAIに組み込んでいくうえで絶対に欠かせない情報だからです。
ただ当然「いろいろ活用できるのでVoCデータをください」と言っても、お客さまは提供してくれません。だから、データを取得するための最初の一歩となるアプリケーションを別途構築する。将来的なビジョンへの道筋として、まずVoCデータを取得し、それを活かしたAIオペレーターへの発展、という順序で設計してきました。
取り組みはじめた1年半ほど前は、CS領域はAIへの応対が保守的でした。しかし、時流を読んで、ミッションクリティカル性が低い間接業務で活用先行すると踏み、先んじて投資をしたのです。
前田:つまり、いきなり有効活用できる形で情報を扱うのではなく、将来的に使えるようにするために、まずデータの流れを取りにいく、という戦略ですね。
長崎:おっしゃる通りです。当時からエンタープライズでも「既存業務を効率化したい」という需要は強くありました。たとえばVoCでは、月10万件ある音声データから事業に活かせそうなものをオペレーターがピックしてエクセルで管理し、それを事業部に渡すという作業が行われていました。そこで、「まずはそのプロセスをシステム化しましょう」とわかりやすく訴求したところ、導入事例は大きく伸びました。
前田:VoCデータを取得するためにはお客さまの協力が不可欠です。どのようにして協力を得たのですか?
長崎:「VoCの分析・可視化は人力では到底できていない。CSがコストセンターになってしまっている」という、足元のわかりやすい価値を訴求することに徹しましたね。
5年後の中期ビジョンである「AI同士がやりとりする未来」を見せても、イノベーター志向のお客さまには響きますが、それ以外の多くのお客さまにはわかりやすさが重要です。私たちとしての将来的なビジョンはさておき、まずはお客さまが直接的に得られる価値を訴えかけていく、ということです。
現場を客観視して「デジタル化されていないデータ」を見出す
前田:もう一つデータについて聞きたいのが、暗黙知のデータ、つまり「まだデジタル化されていない部分」について。特に面白みがある領域と、そこでどのような工夫によってデータを取得していったのかを教えてください。
長崎:AIオペレーター化を進めると、オペレーターはさまざまなシステムを操作しながら応対しているという実態が見えてきます。
たとえば保険会社の場合、本人認証をしてから保険料の見積りを出す流れのなかで、オンプレミスの基幹システムを操作しながら金額をその場で入力して回答する。さらに極端な例だと、ナレッジ自体がデジタル化されていないケースもあり、各オペレーターが手元のノートを引きながら応対していることも珍しくありません。
こうした現場を客観視してみると、デジタルなナレッジデータやVoCだけでは全部答えきれないことがわかります。基幹システムとの連携、オペレーターと管理者の応対ルールなど、一つひとつ業務をアセスメントして、AIオペレーターのプロセスに組み込んでいく。マニュアルを整備してデジタル化するところから提案するケースも多いです。
前田:かなり手厚いですね。
長崎:SMBのマーケットだとここまでは必要ないかもしれませんが、大規模なコンタクトセンターではオペレーターが1,000人規模になることもあります。デジタルのデータの流れやベストプラクティスが整備されておらず、各センター内で属人化しているため、深く見ていかないとわからないことが多いんです。
ポストセールスは「永遠に終わらない旅」と定義する
前田:以前、AIエージェント企業のDecagonのCEOをインタビューしたとき、「プリセールスよりポストセールスの方が重要だ」と話されていました。RightTouchのポストセールスにはどのような要素が含まれており、どれくらいの期間を想定していますか?
長崎:私たちはエンタープライズ中心で複数プロダクトを保有しているので、ポストセールス=既存セールスという観点で言えば「永遠に終わらない旅」だと思っています。
体制としては、エンタープライズ企業に対して、必ず1社につき一人のアカウントマネージャーを配置し、カスタマーサクセスよりもさらに既存へのアップセル・クロスセルを推進する責任を持った人材を置いています。
各プロダクトにおいては、「エージェント・ソフトウェア・エンジニア(ASE)」という役割でAIオペレーターのチューニングやデータ整備を担当するメンバーがいます。また、大型案件向けにはコンサルタント出身者を入れたプロフェッショナルサービスの機能(RightTouch InX)も持っています。
前田:なぜ、AIオペレーターではポストセールスがそれほど重要なのですか?
長崎:エンタープライズの場合、いきなり全部をAI化するということは絶対に起きません。まずPoCからはじまります。たとえば月50万件の問い合わせがある場合は「回答が比較的容易な2万件から試してみましょう」となる。このとき最初のMRR(Monthly Recurring Revenue、月次経常収益)は100〜200万円程度になることが多い。
PoCがうまくいって初めて「どの順番でAI化していくか」「どのデータを整備するか」「基幹システムとの連携をどう進めるか」「投資したROIがあうか」という設計に入れる。その2万件を50万件全部に拡げていくプロセスが欠かせません。
通常のペースでやれば5〜10年かかる本格展開を、ポストセールスを通じて2年に縮めていく。言わば、ここにポストセールスの醍醐味があるわけですね。
前田:ソフトウェア導入だけでなく、チェンジマネジメントや人材配置なども関わってくると思いますが、そこまで含めてコンサルティングしていく感じですか?
長崎:そうですね。最近ではアフラックがコールセンター事業でOpenAIとの連携を発表したり、ソフトバンクのグループ会社がAIオペレーター市場での認知を取りにいったりなど、各社でも「AI化したい」マインドは高まっています。トップの考え方も徐々に傾いてきている感覚があります。
ただ、AIオペレーター化を本気で進めようとなると、ハルシネーションのリスク、基幹システムとの連携への投資、ROIの回収見込みなど、二の足を踏む要因が多い。また、「本当に人のような応対ができるのか」という品質への懸念もあります。
それらを解決するために、業務データを整理して「AIオペレーター化の投資対効果のポテンシャルはどれくらいあり、仮に数億円投資しても確実に回収できる」というアセスメントを実行する。そして、最も難しい部類におけるAI応対デモで実際に作成し手応えを感じてもらう。「Wow!」と感動させられる実応対に使えるデモが、お客さまのリスク許容度を変えるきっかけになっています。
「エンタープライズAIプラットフォーム」を掲げる理由
前田:RightTouchは「エンタープライズAIプラットフォーム」というコンセプトキーワードを用いていますが、どういった立ち位置を狙っているのでしょうか。また、AI時代のプラットフォームとして特に重視される要素はどこですか?
長崎:2つあります。一つは「End-to-End」、もう一つは「Not a Product」、すなわち総合サービスとしての提案です。
AIコンタクトセンター化しようとなったとき、エンタープライズでは「音声AIのソリューション」だけではお客さまの要求を満たせないケースが多い。「裏側のナレッジはどうするか」「オペレーター向けと外部FAQ向けのナレッジの統合マネジメントはどうするか」「ウェブ側のチャットはどう連動させるか」……こうした論点が次々と出てきます。
コンタクトセンター特化でEnd-to-Endのワークフローを捉え、ソリューションのカバー率を高めていくこと。これが私たちのポジショニングの核です。
LayerXの福島良典さんなどが提唱されていた「コンパウンド」という考え方が、創業当初から自分たちの方向性とも合致していると感じていました。お客さまの視点で見れば全部のデータとワークフローがつながっている方が絶対に良い。それを設計してきたことが、今のポジショニングにも生きています。
また、「Not a Product」でありプラットフォームであることについては、純粋なプロダクトカンパニーとして捉えられると損をする側面があると思います。エンタープライズからは「もっと総合的に取り組んでほしい」と求められたり、部分改善を担うスタートアップのように見えやすかったりしてしまう。大企業も含めてより自分たちが選ばれるためにも、最大のケイパビリティを含めた見せ方をしていくべきだと考えています。
前田:AI時代だからこそ、コンパウンドはますます重要になってきますね。どういった点に価値を感じますか。
長崎:コンパウンドの価値は大きく2つあると思っています。一つは、データを単一のプラットフォームに集約することで各ワークフローが動かしやすくなるという価値。もう一つは、業務コンテクストをEnd-to-Endで把握しているという価値です。
あらゆるシステムをエージェントでタッチできるようになった今、データ統合によるコンパウンドの価値は低下したと感じます。ただ、AIエージェントで仕事を全部こなすようになるとき、End-to-Endで定義できる強みは依然として有効である、という感覚がありますね。
前田:End-to-Endで進めようとすると、CS、マーケティング、コンプライアンス、SIerなど、さまざまな関係者が登場してきます。SIerが絡む場合はチャレンジングですか?
長崎:おっしゃるように、戦い方が変わったと実感していて、私たちもまだ修練中です。
以前はCSの現場や役員と向き合えば多くのことが決まっていましたが、AIオペレーターのテーマだとなると、全社の横串機能として期待される「AI戦略室」が登場したり、CEOやCIOからトップダウンで降りてきたりするケースが増えました。まさに「事件は現場ではなく会議室で起きている」という感じです(笑)。
ただ、日本の会社、特にコンタクトセンター領域において、トップダウンだけでは100%は決まりません。実際にAIオペレーター化を進めるには、コンタクトセンター側の協力やCSの役員の協力が必要になる。だから私たちは、CSの役員と毎月必ず対話することを最優先で押さえて、IT部門やAI部門はそこを経由して巻き込んでいくという形を取っています。
SIerについても、会議室で動くトップダウンの流れにアラインしていけば、そこまで大きな障壁にはなりません。CSだけの起点で考えるのではなく、まさに自分ごとならぬ「会社ごと」にしていく。重要なのは「波を作ること」よりも「来ている波に乗り遅れないよう価値を伝え続けること」だと感じています。
前田:「会社ごと」にならないと進まないという点は、大切なインサイトですね。
長崎:ARR 1億〜3億を狙っていくような大型案件では、必ず「会社ごと」になっていないと難しい。各業界のトップティア企業はAI化のトップダウンの動きがはじまっています。逆にそうでない会社は、波がいつ来るかまだわからない。
その場合は、AIオペレーターの前段階として「ボイスボット」という小さな取り組みをまず入れておく。トップダウンで降りてきたときに「すでにここまで進んでいます」と示せる状態を作っておくためです。波に乗り遅れないことと、小さく着実に進めることを分けながら取り組んでいます。そうやって、着実にAIコンタクトセンター化を実現していく方針を取っています。
プロダクトの意思決定より難しい「組織の1階・2階・3階設計」
前田:プラットフォーム化を目指すなかで、プロダクトやビジネスについて難しい意思決定はありましたか?
長崎:プロダクトの意思決定については、ChatGPT登場を受けてプロダクトビジョンを明確に定義し、Q・A・プロセスの構造を経営陣でアラインして進めてきたので、比較的スムーズでした。開発リソースをしっかりそちらに振り向ける判断も自然にできました。
むしろ厳しかったのは、ビジネスのデリバリーも含めた組織構築の部分です。複数プロダクトが増えていくなかで、市場がめまぐるしく変わる。以前は比較的プロダクトアウト寄りで、一社一社お客さまを「起こしていく」ような戦い方でしたが、半年ほど前から日本でも急に「AIオペレーターだ!」という状況になり、GTM側の整備とプロダクトのキャッチアップを組織のなかでどう構築するかが非常に難しかったですね。
前田:そういう意味では、求める人材のレベルも上がってきているのでは?
長崎:上がっています。AI時代は事業・プロダクトのスピードに組織が追いつかないということを強く感じています。複合的な提案が増えると、各プロダクトのコンテクストを持った人材でないと商談が進まない。会社の代表は組織規模が大きくなるにつれてお客さまと直接対話する機会は減るはずなのに、実際には私の商談数が増えています。それだけ難易度が上がっているということです。
そこで、組織を1階・2階・3階という構造で設計しています。1階は従来の強みであるウェブやVoCのプロダクトで、エンタープライズを着実に開拓し、アップセル・クロスセルを積み上げる組織。新しいメンバーはまずここで各種コンテクストを習得します。2階はAIオペレーターの大規模提案で、豊富なコンテクストと市場探索力を持つメンバーが担う組織です。そして、3階は完全に非連続な新規事業で私を含む経営チームが担当する。こういった分け方を設計しながら進めています。

前田:この1階・2階・3階の組織設計を機能させるうえで、意識していることはありますか?
長崎:1階は規律をもった実行力を高める設計、2階は変化に対応する力が必要という形で異なるカルチャーを持つ設計にしています。以前、ALL STAR SAAS FUNDのイベントで「全体のカルチャーは共通でも、職種や領域によって異なるサブカルチャーをうまく組み合わせていく必要がある」という話を聞きましたが、まさにそれを実践している感じです。
私はミッションの達成や事業成長が主目的で、カルチャーはそのための「最適な手段」だと捉えています。事業の形や方向性、環境が変わるなら、カルチャーもある程度可変にしておくことが大切です。
以前はどちらかというとボトムアップのカルチャーでしたが、不確実性が高まるなかではトップダウンで決める部分を明確にして、スピードが出るような形に変えています。
前田:カルチャーを変えていくなかで、最もキツかったことを挙げるなら?
長崎:昨秋のときですね。AIオペレーターの時流が来たときにハンドルを急に切る意思決定を行なったところ、一定以上サイズが大きくなった組織では、それが変化に追いつく構造に必ずしもなりませんでした。
「AIオペレーターの市場が来た!」と組織やGTM戦略を転換したところ、思ったよりも商談が増えなかった時期があり、「あれ?振り切りすぎたか?」と軌道修正しようと思ったときには急に引き合いが増えるという展開もありました。時流を正確に捉えて動かさないと、数ヶ月ズレただけで大きなインパクトが出る。
また、変化に対応させる範囲を社内の一部に絞って、変化に耐性のあるメンバーと組織に対してトップダウンで動かしていくことも有効ですね。意思決定一つとっても、会社の中でも切り分けながら進めないといけないということを学びました。
「日本流のFDEとは何か」をどう考える?
前田:最近、「日本流のFDEとは何か」を考えていて。長崎さんのなかで、FDEのスコープをどこまで期待すべきか、組織として補完すべき部分はどこか、それらの考えはありますか?
長崎:FDEも事業の性質によって求められるレイヤーが変わってくると思っています。
FDEの発祥であるPalantirは、汎用プラットフォームを如何様にでも活用できる特性を持っているので、コンサルも、業務要件の把握も、最適なシステムへの落とし込みも、すべてをこなせる超ハイレベル人材が必要になる。そもそもそういった人材は少なく、日本にはそのようなプロダクト自体もほとんどありませんよね。
SaaSにおけるFDEは従来、ワークフローが決まっていて人をソフトウェアに合わせていく側面がありました。AIエージェントが汎用性を持つようになったことで、今度はソフトウェアを人の動き方に合わせる方向へと変わった。そのギャップを埋めるのがFDEの本質です。その意味で、FDEは広大なスコープを担うモデルと、もっと狭いスコープを担うモデルに分かれていると考えています。
私たちの場合は、AIオペレーターに特化して、AIとデータのチューニングをすることが主軸ですから、SIer出身者やAIの知識を習得した人材であれば採用でき、オンボーディングのイメージも持てています。
前田:RightTouchのアカウントマネージャーとFDEは同じ役割ですか?
長崎:役割は分かれています。私たちはFDEとは呼ばず、「エージェント・ソフトウェア・エンジニア(ASE)」という名称を使っています。どの順番で進めるか、どうアップセル・クロスセルするかはアカウントマネージャーが担う。AIプロダクトをお客さまに浸透させていくこと、データの整備、AIのチューニングを支援するのがASEです。やや技術的素養がありながら顧客接触もできる人材を抜擢している形です。
さらに大型案件では、お客さまの組織に常駐するコンサルやPMという機能も別途置いています。FDEのエコノミクスという観点で言えば、1社からARR 1億〜3億を狙えるポテンシャルがあるからこそ、人材への投資が成立する。そのエコノミクスがあわないと、対象市場が絞られていくという観点もありますね。
「ラストワンマイル」に宿る、Biggerが入り込めない要素
前田:CS領域は海外事例も多いですが、自分たちにも応用している部分はありますか?
長崎:CS系は一通り調べていますが、最も考え方の参考になったのはDecagonです。データフライホイールの思想や、AIプロダクトの作り方の哲学、直近トレンドになっているエージェントハーネスの設計が参考になり、以前からベンチマークにしています。
それと個人的には、汎用AIによって各業務領域がどう侵食されるかを把握しておかないといけないので、Ilya SutskeverさんやAndrej Karpathyさんといったオピニオンリーダーの発信を追い続けています。未来予想を外さないようにすることを心がけていますね。
前田:経営者にはAIの状況も理解することが求められる時代になっていると思います。そのうえで、長崎さんにも一つの未来予想として伺いたいのが、AIエージェント同士がCS領域でやりとりして問い合わせが完結する世界は、いつ来ると思いますか?
長崎:最近は、思ったより到来は遅いかもしれないと感じています。理由は2つあります。一つは、AIオペレーター化を実際に進めてみると、コンテクストデータやセキュリティ周りなど、難しい論点が非常に多いと実感しているからです。
もう一つは、ChatGPTが登場したころにBooking.comとの連携でAIエージェント経由の旅行予約が実現するという構想がありましたが、toC側のAI競争でその強度が若干弱まり、予想していたほど尖ったプロダクトが出てこなかったことがあります。もっとも5年後くらいには、一部実証や実行はされているかもしれませんが。
また別の観点として、電話でのお問い合わせはご高齢の方も多く、全員がビッグテックのパーソナルアシスタントを使う未来が来るとは限らない。人が届けるプロセスやAIが自然な応対をする形が、最終的に必要とされ続ける。完全にエージェント同士の世界になるというよりは、現実的にはハイブリッドになるでしょう。
前田:AIによる「Winner Takes All」的な構造になっていくのか、それともスタートアップにもチャンスが残るのか、どう見ていますか?
長崎:「Bigger than Bigger」の側面はあると思います。プロダクトの優位性が作りにくくなり、開発スピードが上がるなかで、ディストリビューションのチャネルを押さえることが重要になる。大きいところが有利という流れはあります。
ただ、エンタープライズで実際に事業をやってみると、ラストワンマイルのプロダクト勝負は依然として重要だと感じています。80点のプロダクトを作ることはビッグテックにもできますが、実業務で使われるものを高精度で作ろうとなると、深い解像度が欠かせない。そこにアルファが生まれる。
今後さらにビッグテックが良いものを作れるようになれば状況は変わりますが、ここ1〜2年でビッグテックが優位性を確立できていない今の段階で、しっかりとアセットを積み上げておけば、SierraやDecagonのように大きくなる可能性もあります。私たちもそうなりたいと思っています。
前田:ラストワンマイルは今、過小評価されている時代かもしれませんね。それがソフトウェア企業の株価下落にも表れている。でも人も、ソフトウェアの改良も、連携も、純粋なAIだけでは満たせない要素が非常に多くて、そこにアルファがある。
SoRとSoEの綱引き:Salesforceを侵食するAIエージェントの戦略論
前田:最近、社内用AIエージェントを開発するなかでHubSpotをより活用するようになったんです。理由は、HubSpotのデータベースが時系列での会社情報・インタラクション、ユーザー情報・インタラクションをセールスとマーケティングの両面でしっかりトラッキングしていて、この構造を自分でゼロから作りたいとは思えない複雑さを持っているからです。
データベース側を押さえている会社は、この管理の複雑さを増やしていくことで、システム・オブ・レコードとして定着していくという戦略があると考えていました。
長崎:そうですね。CSだけのコンテクストでは弱いけれど、マーケティングやセールスなど横断的なコンテクストをつないでいけるという価値は、HubSpotやSalesforceでもなかなかできないことなので、その価値は確実に残ります。
私が思うAIプロダクト・ソフトウェアの戦略は2つあります。一つは、仕事そのものを実行する面をオントップで取りにいき、業務フローを押さえたうえでAI時代のSoR(システム・オブ・レコード)を構築していく戦略。もう一つは、仕事のコンテクストを正しく保持するAI時代のデータベースを構築し、AIに使われるプラットフォームになっていく戦略です。
Sierraのようにオントップで業務フローを取りにいくプレイヤーは、そこからコンテクストデータをどんどん蓄積していく引力が働く。一方で、freeeやマネーフォワードのMCPのような、後者の業務基盤を押さえているプレイヤーは防波堤になれる。
Salesforceが持つCSのCRM領域を取りにいくというのは、私たちが昔からずっと言ってきたことです。私たちはオントップ側から入って、後者のポジションまで取りにいけるようにしたいと考えています。
アウトカムプライシングは「エコノミクスがあう構造」があってこそ
前田:AIと言えばプライシングの話も出てきます。「アウトカムベースプライシングでないと生き残れない」という意見もありますが、エンタープライズは本当に受け入れてくれるのでしょうか?
長崎:私たちは今はアウトカムプライシングを採用していませんが、今後は選択できる形を構築していこうと思っています。
アウトカムプライシングの考え方自体は受け入れられやすいです。成果にアラインしていてインセンティブの方向性が一致しており、お客さまもはじめやすく、ポストセールスの価値も高まります。ただ、エンタープライズでは予算を取りやすい構造になっているかどうかが重要です。
AIオペレーターで人の仕事が削減された分、人件費が直接的にコスト削減につながっているという構造であれば成り立ちやすい。ただ、応答率を70%から100%に改善しようとするようなケースでは、コスト面でAIオペレーターの方が上がってしまうケースもある。上限がないと予算を取りにくいというのもエンタープライズの現実です。
また、成果の定義が複雑な業務になるほど難しくなる。すべての成果をエンタープライズで一律に設計するのはかなり困難です。2〜3億規模になると、BPOが個別見積もりするように私たちも個別で設計していく、ハイブリッドな形になっていくでしょう。
前田:ROIをしっかり示して、予測可能性を高めたうえで、利害が一致するプライシングを探り続ける必要がありますね。
長崎:おっしゃる通りです。日本では雇用の問題もあり、AIで浮いた分が直接コスト削減につながらないケースが多い。そこが相性の難しさでもあります。AIの普及が進めば、アウトカムの定義も世の中的に理解されやすくなっていくと思います。
常に顧客へ向かってディープダイブすべき
前田:最後に、SaaSからAIへ転身しようとしているスタートアップの経営者に向けて、今のうちにやっておくべきアドバイスをいただけますか。
長崎:個人的には「ガワの議論」が多いな、と感じています。とりあえずAIをSaaSの上に乗せる、プライシングをアウトカムにする、FDEを設置する……そういった議論が多い。
それよりも本質的なのは、顧客課題に真摯に向き合うことです。AIによって解ける課題の範囲は確実に広がっています。まだ解けていない課題は何か、AIが進む未来における領域の変化をどう予想するか。「顧客課題と未来予想」を組み合わせて、どこにソフトウェアで貢献できるかを考え続けることが重要だと思います。
競合もノイズになりがちです。「Anthropicがこの領域に参入するから、ここも死ぬのではないか」といった話に一喜一憂すると引っ張られてしまう。常に顧客へ向かってディープダイブしていくと、ソフトウェア・スタートアップだからこそできることが見えてきます。
前田:しっかりと顧客と向き合い、一次情報を取りにいき、根本から解決するAIソリューションを作りにいくことは本当に重要ですね。
長崎:そうです。私自身も、一日中あるいは2日間くらいコンタクトセンターを見学して、全部の業務を実際に見せてもらっていました。そのように実際に自らも業務をやってみる、横で業務を観察するというのが、最も重要なインサイトを得る方法だと感じています。
最後に、私からも一つ質問してもいいでしょうか。投資家として様々な企業を見ているヒロさんの観点から「RightTouchの勝ち筋」への見解を聞かせてください。
前田:End-to-Endで解消していくという考え方は非常に重要で、CS領域を解決しようとしたとき、お客さまは一番効率よく、良いパートナーとして寄り添ってくれるところに依頼します。そのなかで、経験・ソリューション・チーム・体制が揃っているところを選ぶ。だからこそ、RightTouchが今進めている方向性は正しいと感じます。
SierraやDecagonも同じ方向を目指していますが、海外のやり方をそのまま日本に応用するにはタイムラグと限界がある。日本特有のニーズも必ず出てきます。そこに向き合い続けることで、海外プレイヤーに対して一定の勝率を維持できると見ています。
長崎:まさに私も同じように考えています。私たちもSierraやDecagonが日本に来るシミュレーションと、そのためのプロダクトやディストリビューションの準備について、ずいぶん議論してきました。完全な準備はできていないけれど、「黒船が来る前に仕込んでおく」ということはある程度できたかなと。ここからが本当の勝負です。
前田:最終的には「誰が最もいいチームを作って、最もよく実行できるか」という勝負ですから、そこをしっかり押さえていれば大丈夫のはずです。RightTouchも採用強化中かと思いますが、どういった人を求めていますか?
長崎:セールスからコンサル、エンジニアまで全職種を募集しています。変化の激しいAIカンパニーへの転職を考えている方は、ぜひ私たちのことを思い出していただければ嬉しいです。
エンタープライズにおいて、カスタマーサポートは最も早くAIによって変わる領域だと考えています。そのなかでもRightTouchは、バックオフィスの効率化だけでなく、エンドユーザーの体験そのものをAIで変えていくという取り組みを、大手金融・インフラ・通信企業の最前線で実施している会社だと捉えてください。
前田:ご連絡はどちらへ?
長崎:共同代表の野村修平にXからDMいただいても構いませんし、RightTouchのサイトからもお待ちしています。
前田:長崎さん、今日は本当にありがとうございました。僕自身も頭のなかでモヤモヤしていたポイントも整理されて、大変勉強になりました!
(この収録は、2026年4月11日に実施しました)



