スタートアップ企業にとって、採用活動は最重要テーマの一つです。しかし、多くの企業がそれを理解しつつも、なかなか思うように進まず、苦戦している印象があります。特に、初期ステージのスタートアップでは、優秀な人材の目に留まり、惹きつけ、獲得するという「アトラクト」に大きな課題感を抱えているようです。
そこで今回は、営業支援SaaSを提供するナレッジワークのCEO、麻野耕司さんをお招きしました。麻野さんは前職のリンクアンドモチベーションで、DeNAやZOZO、メルカリ、ラクスルなど、約100社のスタートアップやベンチャー企業の組織人事をサポート。「モチベーションクラウド」という組織改善SaaS事業も立ち上げました。
2020年4月にナレッジワークを起業し、自身も採用の最前線に立ち続けています。同社では全従業員の70%以上がリファラル採用という驚異的な実績を誇ります。スタートアップ企業の採用支援の経験と、当事者として事業成長に向き合う中で感じる採用の重要性について、アトラクトにつながる貴重な知見を伺うことができました。
自社の魅力を言語化する「エンゲージメントの4P」、強みを生かした伝え方の工夫、トップ自らコミットメントする必要性……ALL STAR SAAS FUNDのSenior Talent Partnerを務める楠田司が、スタートアップ企業がトップタレントを惹きつけるための戦略について、具体的なポイントやマインドセットを交えてお聞きしました。
本記事の内容は、Podcastでも配信しています。音声でもお聴きになりたい方はこちらからどうぞ。
ナレッジワークがリリース2年でT2D3を超える推進力、その源は?
楠田:今回は採用をテーマに、ナレッジワークでの実践的なお話も交えながら伺っていきたいと思います。まずは創業からの年数と、現在の従業員数を教えていただけますか。
麻野:2020年の創業から4年が経ち、現在の従業員数は約100人となっています。
楠田:麻野さんはナレッジワークの他にも、スタートアップの経営幹部や人事向けにHRを学ぶプログラムの「HR Boot Camp」も主催されていますよね。先日、僕も参加させていただき、そのノウハウの素晴らしさに感銘を受けました。なぜ、「HR Boot Camp」を始めようと思われたのですか?
麻野:前職時代の17年間、HRや組織人事をテーマにビジネスへ取り組んできました。その中で学んだことや経験したことを、ナレッジシェアしていこうと考えたんです。現在は月1回の土曜日、8時間のプログラムを組んで実施しています。HRの他にも、採用にまつわる「Recruiting Boot Camp」やマネジメントがテーマの「Management Boot Camp」も3ヶ月スパンで開催していますね。
楠田:まさにHR Boot Campでも触れられたテーマかと思うのですが、プログラムの内容を踏まえて、採用活動を始めたばかりの経営者や、現場主導で採用を進めなければならない責任者の方々に向けて、麻野さんのお考えを伺えたら幸いです。例えば、採用への熱量は高いものの、応募者に振り向いてもらえないといったアトラクトに苦戦されるケースが多いようです。ぜひ、アプローチの仕方などのヒントをいただきたいです。
まずは根本的なところから伺いたいのですが、スタートアップの経営者や事業責任者が、なぜ採用に向き合うべきなのでしょうか。
麻野:企業経営において、HRの重要性が高まっています。これまでの企業は「顧客市場、資本市場、労働市場」という3つの市場に向き合う必要がありました。
「顧客市場」では顧客から選ばれるための事業活動を、「資本市場」は株主や投資家から選ばれるための財務活動を、「労働市場」は応募者や従業員から選ばれるための組織活動をしなければなりません。
かつての日本は製造業を中心とした社会でした。商品を作るために工場が必要で、工場を建てるには資金が必要。つまり、商品市場で顧客から選ばれるためには、資本市場で株主や投資家、金融機関から選ばれることが肝心だったのです。
しかし現在は、ITや金融、サービス業が社会の中心となり、製造業もITを活用する時代になりました。そうなると、商品を作るために必要なのは、工場や資金ではなく人材です。商品市場で成功するためには、労働市場で成功しなければならない時代に突入したわけですね。
多くのスタートアップが資金を必要としていますが、その理由も良い人材を惹きつけ、獲得するためです。
楠田:とても納得感のあるお話です。採用へのコミットが遅れることで、どのような問題や失敗が起こり得るのでしょうか。
麻野:スタートアップの差は「組織力」で決まると、僕は考えています。例えば、ナレッジワークは営業支援SaaSを提供していますが、僕らが参入する2〜3年前から同様のサービスを手がける会社が2〜3社ありました。しかし、他社の事業規模は、僕たちの10分の1以下ほどにとどまっているケースがほとんどです。
業態は営業支援SaaSであっても、ナレッジワークだけが、SaaSの理想的な成長角度ともいわれるT2D3を超えるほどの成長率を見せています。事業やプロダクトは似ていても、結果に大きな差が出るのはなぜか。それこそが「組織力」なのだと言えます。
起業家が優れたアイデアやビジネスプランを持っていても、チームやメンバー次第で結果は全く異なります。「アイデアやプランさえあればうまくいく」と思い込んでいるケースも多いものですが、圧倒的な組織力を持った会社が登場すれば、一瞬でビジネスは置き去りにされてしまうんです。
楠田:圧倒的な組織力の差が、自社の優位性につながっている、と感じた成功事例はありますか?
麻野:ナレッジワークは日本のSaaS企業の中でも、エンタープライズセールスに成功した一社だと自負しています。創業から4年、プロダクトリリースから2年ですが、大企業が数千人から数万人単位で導入してくださっています。
これまでにも、リコージャパン様が1万2千人、みずほ銀行様が5千人、NTTコミュニケーションズ様が5千人といった規模感でご利用いただいています。これを可能にしたのは、プロダクトを磨いたことはもちろんですが、やはりエンタープライズセールスの力です。
推進力の一つになってくれているのが、日本のエンタープライズセールスでもトップクラスの人材であると僕が思っている、桐原理有(@lewk1126)の存在です。彼はワークスアプリケーションズやスタートアップの執行役員としてセールス職を磨いたエキスパート人材で、採用できたことが本当に大きかった。
桐原が切り拓いた案件をセールスイネーブルメントに落とし込み、他のメンバーができるようにしたことが成功の要因です。一人の採用が、これほどまでに結果を左右することを身をもって感じています。ただ、あまり褒めすぎて桐原が天狗になっても困るので(笑)、このあたりで彼の功績は控えておきましょうか。
楠田:それにしても、桐原さんは業界でも注目されるほどの方ですからね。きっと、たくさんのお誘いがあった中で、ナレッジワークへどのように惹きつけ、コミュニケーションを取ってこられたのか。そのポイントも、ぜひ後で伺わせてください。
「エンゲージメントの4P」で自社の魅力を整理する
楠田:以前に伺ったお話ですが、ナレッジワークはリファラル採用が多いことにも感銘を受けました。
麻野:従業員数100人のうち70人以上がリファラル採用なので、7割以上でしょうか。
楠田:素晴らしい実績ですね。先ほどの桐原さんのご入社やリファラル採用にも関係することとして、自社の魅力を伝える際のポイントについて、アドバイスをいただけますか。
麻野:まずは「伝えるべき自社の魅力」を抽出する必要があります。僕がよく使うフレームワークが「エンゲージメントの4P」です。
「Philosophy(理念・方針)」「Profession(活動・成長)」「People(風土・人材)」「Privilege(待遇・報酬)」。これらの観点から自社の魅力を整理しましょう。実は採用活動だけでなく、多くの場面で当てはめることができる考え方なんです。
例えば、大学生がサークルを選ぶとき。「バレーボール好き」だから「バレーボールサークル」に入ろうと思うなら、選ぶ決め手は活動内容ですからProfessionですね。「日本一を目指す」か「和気あいあいとやる」かで選ぶのは方針の違いだからPhilosophy。「先輩との相性」で選ぶのはPeople、「就職に有利かどうか」で選ぶのはPrivilegeといった具合です。
4つの魅力を整理した上で、自社がどの要素で人材を惹きつけていくのかを定めることが重要です。そして、リソースに限りがある中、4つへ均等に投資するよりも、特定の要素に集中的に投資することで、それを求める人材のエンゲージメントを最大化できます。
魅力のある組織ほど要素が明確です。例えば、ディズニーはPhilosophy、マッキンゼーはProfession、サイバーエージェントはPeople、キーエンスはPrivilegeで人を惹きつけています。そう聞くと、一定の納得感がありませんか?
逆に、社員のエンゲージメントが上がりにくい会社は、外から見ても魅力が見えにくいのです。
以前に、マッキンゼーの伝説的コンサルタントといわれる波頭亮さんと対談する機会に恵まれました。波頭さんから「成功する組織は“体臭の強い会社”である」と教わりました。会社の色が外に染み出すほどはっきりしていると、人を惹きつけ、勝利を収めるのだそうです。
楠田:なるほど。自社としてどのような強みを持った人材を集めたいのかを考え、それを打ち出していくことが大切なのですね。
麻野:そうですね。従業員や応募者のエンゲージメントを高めるためにも、期待と満足を一致させることが重要です。
人を惹きつける会社のプレゼンには「ストーリー、ポジショニング、メッセージング」がある
楠田:自社の魅力をどこに置くべきかがクリアになったとき、それをどのように伝えていくのか。工夫できる部分はありますか?
麻野:伝え方には3つの方法があると考えています。それは「ストーリー」「ポジショニング」「メッセージ」です。
「ストーリー」は、過去、現在、未来で会社の魅力を伝えていく方法です。僕の前職であるリンクアンドモチベーションの創業者、小笹芳央さんのプレゼンテーションが好例でした。当時は新卒採用でも高い人気を誇った企業で、特に2000年代は外資系コンサル、広告代理店、総合商社といった競合にも勝って優秀な人材を獲得していたんです。
小笹さんの立てたストーリーは、リンクアンドモチベーションが「世界で初めて」モチベーションをテーマにしたコンサルティング会社であることを、コンサルティング業界の歴史を1980年代からの時系列で語ることで、自社の必要性と魅力を高めていました。
どうでしょう、単に「モチベーションをテーマにしたコンサルティング会社です」と伝えるよりも、とても興味をそそられませんか?
僕もナレッジワークで同様のアプローチを取っています。「1990年代以降のERPの普及、2000年代以降のCRMの普及を経て、今こそ必要なのは管理部門や管理職が導入するソフトウェアではありません。現場で働く一人ひとりを支援するソフトウェア、つまりはワークエクスペリエンスの領域で、それを実現するのがナレッジワークです」とストーリーを語っています。
楠田:今の流れで聞くと当事者意識が持てるというか、わくわくしますね。なるほど。
麻野:2つ目は「ポジショニング」です。博報堂が「電博」という言葉を作ったことが良い例です。売上高でいえば、電通という圧倒的なナンバーワンがいる中で、ある程度の差があってから、博報堂の以下にADKといった企業が続いているのが現実です。
しかし、「電博」という言葉の発明によって「電通と博報堂が拮抗したライバルである」というイメージを植え付けることに成功し、企業コンペや就職活動生の志望先として、電通と並んで博報堂も選ばれるようになりました。
ナレッジワークもこの観点は活かしています。「世界で言えば、現場で働く一人ひとりを支援するソフトウェアとしては、ZoomやSlackによって距離や空間を超えて、みんながつながれるようになった。その環境下において“知識でつながるためのソフトウェア”がナレッジワークです」と、ポジショニングを築くようなプレゼンテーションをしていますね。
3つ目は「メッセージ」で、抽象度を上げることで意義や意味を伝えます。僕が聞いた例としては、リクルートのマネージャーは業務への意味づけが上手いそうです。意味づけのためには「行動ではなく目的、目的ではなく意義」とレイヤー分けをして、すべてに回答ができ、なおかつ意義のほうを意識させることが望ましい。
例えば、「求人広告の提供」という行動レイヤーではなく、「リクルートの仕事は求人広告の提供ではなく、企業にとっての重要な活動である採用支援なのだ」と目的レイヤーを伝える。さらに、「その先に考えるべきは、採用支援という目的ではなく、求人情報をきっかけに世の中で働く人の選択肢を増やすという尊い仕事なのだ」と意義レイヤーを語る。
ナレッジワークでも、営業支援ソフトウェアの提供にとどまらず、「企業の労働生産性を高め、働く一人ひとりが成長実感、貢献実感、達成実感を得られるようになる。さらにその先で、“労働は苦役なり”を打ち破り、働くことは楽しく、面白いものだという世界をつくるために必要なんだ」と伝えています。
人を惹きつける会社のプレゼンテーションは、ストーリー、ポジショニング、メッセージング。それらを言えることが大事だと、僕も学んできました。
楠田:ストーリー、ポジショニング、メッセージングの大切さはわかりながらも、いきなり使いこなすのは難しそうですね。初心者でも取り組みやすい方法や、習得しやすいステップはありますか?
麻野:大前提から言うと、起業家はHRにおいて何をすべきかを考えましょう。たくさんの人に会ったり、伝えたりすることも大事かもしれませんが、「自分たちが何者なのか」をしっかりとプレゼンテーションできることが大事だと思います。しかし、多くの起業家は会社の魅力を伝えることに十分な時間を使えていないのかもしれません。僕自身も、こうして話しながら「もっと時間を割くべきではないか」と感じたくらいです。
簡単にできる方法を考える前に、これは簡単なことではない、と認識することが大切です。だからこそ、時間をかけて本気で取り組むべきなのです。いきなりパッと完成形が出せるわけではありません。僕自身も迷いながら、応募者に語り、刺さらなかったところをブラッシュアップしながら今の形にたどり着きました。継続して磨くスタンスが重要でしょう。
3つすべてを同時に、完璧に語るのは難しいので、ストーリー、ポジショニング、メッセージングから最も考えやすいものを選び、それを作って、何度も語ることをおすすめします。
楠田:なるほど。一定の量を繰り返し、ブラッシュアップしなくてはならないと。
麻野:そうだと思います。僕も採用したかった人をつかまえられず、悔しい思いをして、磨き続けてきましたから。
採用レベルを上げるには「採用意向度の高い人」を狙い続けること
楠田:麻野さんは一日のうち、どのくらいの時間を採用に割いていますか?
麻野:毎日1〜2人の面接が入っているので、2時間くらいですね。一日の就業時間でいえば10〜20%くらいを採用に使っている、という感じでしょうか。
楠田:その中でPDCAを回しながら磨いていくわけですね。
麻野:ただ自分で話しておいて、10〜20%では少ないかもしれないと思いました。創業して3ヶ月の頃、メルカリの創業者である山田進太郎さんに聞いたところ、同じ時期のメルカリでは就業時間の50%を採用に割いていたそうです。プロダクト立ち上げの段階でも50%使っていたと。「やっぱり人が大事だから」とおっしゃっていましたが、驚きましたね。
楠田:素晴らしいですね。とはいえ、すべての候補者に均等にアプローチするのには限界がありそうです。採用に強い会社は、どのような人材にフォーカスしてアトラクトしているのでしょうか。
麻野:労働市場は、縦軸を採用意向度(採りたいかどうか)、横軸を入社意向度(入りたいかどうか)としたマトリックスで分類できます。採用の弱い会社は、採用意向度の低いところから入社候補者を見極めようとするので、採用レベルが下がっていきます。
一方、採用で成功している会社は、採用意向度のバーを下げずに、入社意向度の低い人たち、つまり自社に興味がない、入社したいと思っていない人たちを口説いていきます。
求職者のデータベースにスカウトを打ったり、求人広告を出したり、人材紹介に頼ったりするのも意味のあることですが、そこに来る人たちは基本的に転職を考えている人たちです。採用で成功している会社は、転職を考えていない、今の会社に満足している人たちを口説いていけるかが重要になってくるのです。
だからこそ、リファラル採用が大事だと考えています。リファラル採用は時間がかかります。例えば、先ほども名前を挙げた桐原の場合は、接点を持ってから入社してもらうまでに1年半かかりました。ずっと口説き続ける必要があります。でも、そういう人たちを採用できれば、採用レベルは確実に上がります。
転職する気のない人に時間をかけて魅力を伝え、入社してもらえば、採用意向度の高い人たちだけで会社を固めていけると思います。
リファラル採用はコアメンバーのコミットがあってこそ
楠田:リファラル採用の重要性は理解されていても、実践するのは大変ですよね。その中でもナレッジワークさんがリファラル採用を実現できているのは本当に素晴らしい。会社のカルチャーとして、実現するためのポイントはありますか?
麻野:リファラル採用をみんなでやって、カルチャーを作っていくことは欠かせません。そのために大事なことがいくつかあります。
一番大事なのは、トップがコミットすることです。トップ自身がリファラル採用に一生懸命取り組まないのに、メンバーがやることはありません。トップが最も会社をアトラクトできるのに、その人がやっていないのにメンバーがやるわけがないでしょう。
2番目に大事なのは、トップだけでなく経営陣がコミットすること。3番目に大事なのは、HRがコミットすることです。HRが自分でリファラル採用をやっていないのに、みんなに「リファラル採用をやって」と言うのは間違っています。
その上で、リファラルを盛り上げるための様々な方法があります。例えば、ナレッジワークでは評価に組み込んだり、昇格に組み込んだりするような人事制度的なアプローチをしています。また、採用のための時間を確保し、その時間の中で攻略するような考え方もあります。とにかく、経営トップ、経営チーム、HRといったコアメンバーが、リファラルにコミットすることは大前提だと思います。
楠田:ちなみに、麻野さんがこれまで出会った中で、採用に対する想いや、力の入れ方が特に印象的だった経営者はいますか?
麻野:メルカリ創業者でCEOの山田進太郎さんと、ビジョナル創業者でCEOの南壮一郎さんですね。この2人は採用にかける熱意が半端じゃない。
僕がリンクアンドモチベーションに勤めていた頃、辞める気なんてまったくなかったんです。他社から誘われることもほとんどありませんでした。今だから言える話ですが、この2人だけは「リンクアンドモチベーションも素晴らしい会社だけれど、一緒にやらないか」と、メルカリやビズリーチの魅力を語りながら、声をかけてくれたんです。僕のように辞めなさそうな人間を誘ってくるのは凄いことですし、しかも非常にしつこかった(笑)。
僕は、お二人の姿に大きな影響と刺激を受けました。今、採用のことを偉そうに語っていますが、お二人に比べるとまだまだ本気で採用をやりきれていないと感じています。
「ウォー・フォー・タレント」に乗るだけではうまくいかない
楠田:広く採用市場を見ていらっしゃる麻野さんの観点から、「今後の採用市場で起こりそうだ」と感じている変化、あるいは傾向について教えてください。
麻野:約20年前、マッキンゼーが『ウォー・フォー・タレント』という本を出版しました。当時の僕は採用コンサルタントをしていましたが、内容にピンときませんでした。しかし20年経った今、日本の労働市場、特にスタートアップを取り巻く労働市場は、まさに『ウォー・フォー・タレント』の状況になっていると感じます。労働市場における人材獲得競争の激化が予測されていたと言ってもいいでしょう。
この本で印象に残っていることが2つあります。一つは「エンプロイー・バリュー・プロポジション」です。プロダクトの顧客価値を考えるように、従業員価値や応募者価値を考えなければいけません。それが4Pで魅力を抽出し、伝わるようにアトラクトしていくことだと思います。
もう一つは「タレントプール」です。顕在的な転職層から採用するのではなく、自社で採りたい人をタレントプールとしてリストアップし、時間をかけてコンタクトを取ることで、採用のレベルを上げていくという考え方です。
楠田:なるほど。自社でいかに人材を集め、長期的な視点を持って、バーを下げずに採用にコミットしていくことが、ますます大事になってくるということですね。
麻野:特に、ビジネスの環境では一人あたりのパフォーマンスのボラティリティーが大きく変わったと思います。製造業時代の経営は、一人あたりが生み出すパフォーマンスは1で、人員が2人になればパフォーマンスは2になる、と考えていくんですよね。まさに人材を何かを作り上げるための材料として換算してきた。生産量を50確保したければ、人員を50投下する。そうしないと、製造業の現場では組み立てが行えませんから。
一方で、ソフトウェアの世界では、一人当たりのパフォーマンスのボラティリティが非常に高くなっています。例えば、エンタープライズセールスでは、トップセールスがARR5億円を売り上げる一方で、ほとんどの営業がARR年間500万円しか売り上げられない、といった100倍の差が出ることもある。
あるいは、プロスポーツの世界に例えてみてもいいでしょう。野球でイチローが年間200本ヒットを打つ中で、中には10本くらいの選手もいる。ヒット数だけ見れば、簡単に成果の差が200倍出てしまう。金融でも、ソフトウェアエンジニアでも、同様の差が出やすいですね。だからこそ、スタートアップでもトップタレントの獲得は重要なんです。
楠田:トップタレントを獲得するために、起業家や経営者に大切な心得はありますか?
麻野:繰り返しになりますが、採用に本気になることが大事です。あるカンファレンスで、ビジョナルの南さんと登壇した際、参加者から「CTOを探しているがなかなか見つからない」という質問がありました。
南さんは「今週、あなたは何人のCTO候補と会いましたか?何通のスカウトを送りましたか?」と切り返しました。採用は努力が反映されやすい分野です。改めて、まずはやってみること、時間を使うこと、トップがコミットすることが基盤なのだと感じました。
ただ、トップタレントを採用すると、彼らは自我が強く、入社後に組織としてまとまっていくのが難しいこともあります。スキルフィットだけでなく、会社のカルチャーにフィットするかどうか、すり合わせていけるかを確認することも重要です。
正直なところ、ナレッジワークでそういったトップタレントをマネジメントしていくことの難しさに、僕自身も苦労しているんです。前職では2013年に執行役員になってからの7年あまりは、幹部の部下が辞めることはほとんどありませんでした。「自分はマネジメントが上手いのでは?」なんて思ったのですが、そうではなくて。彼ら幹部たちは新卒入社組で、同じ会社で10年ほど働き、同じ価値観を共有していたから、まとめやすかったんです。
一方で、ナレッジワークは様々な会社で成功体験を持った人が集まっている。Google、マッキンゼー、DeNA、メルカリなど、それぞれの会社で異なる価値観に基づく成功体験があります。そういった人たちを束ねていくのは、とても難しいことだと感じています。
スキルの高い人を集めるだけでなく、同じスタイルでまとめていくことを同時にやらなければなりません。『ウォー・フォー・タレント』に乗っかるだけでは、会社も組織もうまくいかない。自社の価値観や行動指針を明確にし、入社時に擦り合わせ、入社後にも浸透させていくことが大切だと思います。
麻野 耕司(note | X)
株式会社ナレッジワーク CEO
2003年 慶應義塾大学法学部卒業。同年、株式会社リンクアンドモチベーション入社。2016年に国内初の組織改善クラウド「モチベーションクラウド」を立ち上げ、2018年に同社取締役に着任。2020年に株式会社ナレッジワーク創業し、2022年にセールスイネーブルメントクラウド「ナレッジワーク」をリリース。著書:『NEW SALES』 (ダイヤモンド社)、『THE TEAM』 (幻冬舎)、『すべての組織は変えられる』(PHP研究所)
楠田 司(note | X)
ALL STAR SAAS FUND シニアタレントパートナー
2015年より、JAC RecruitmentにてIPO前後のWEBスタートアップ特化の人材紹介チーム立ち上げに従事。主にVCキャピタリスト、エンジェル投資家との連携をおこないコンフィデンシャル求人を対応。2019年9月、ALL STAR SAAS FUNDへ参画。投資先企業のハイクラス人材採用支援やSaaSスタートアップ企業でCxO、VPを目指したい求職者向けのキャリア構築コミュニティ「SAAS TALENT NETWORK」を運営。
ポッドキャストはこちらから↓