急成長するSaaSスタートアップにとって、優れた組織づくりは競争力の源泉となります。しかし、多くのスタートアップ経営者はマネジメント経験が乏しく、採用ミスマッチや組織不全など、人に関する問題で苦心することも少なくありません。
そこで今回は、不動産管理会社向けの駐車場管理SaaS「Park Direct」を手掛け、現在はシリーズBで累計102億円の調達を達成、2021年末から2年間でARR+1,110%の成長率を誇るニーリーのCHROである髙橋俊樹さんを招きました。「個人の成長や能力開発と会社の成長を両立」させる人事ポリシーと制度構築の秘訣をお聞きします。
髙橋さんは、リクルートで新卒採用やピープルアナリティクスのPMとして、データドリブンなHRの実践を推進する取り組みを実践。さらに「ホットペッパービューティー」の事業企画を経験し、2021年にニーリーの19番目の社員としてジョイン。現在は、CHROとして急成長するSaaSスタートアップの人事戦略を牽引しています。
髙橋さんが提唱する「変化を実現するための組織づくり」とは何か。急成長期に陥りがちな組織の罠を避け、いかにして持続可能な成長を実現するのか。SaaS起業家やHR責任者の参考になる、具体的かつ実践的なTipsを交えてお届けします。
スタートアップの組織崩壊を防ぐ「遠心力」と「求心力」
神前:スタートアップでは組織の拡大が重要視されますが、どのように制度設計やポリシーを持って進めていくのか。人事制度や等級制度にどういった意図を込めていくのか。今日は、髙橋さんから具体的な実践やその裏側から学んでいきたいと思います。よろしくお願いします!
髙橋:スタートアップにおける「組織」に関する重大テーマは、一言で表せば「組織崩壊をいかに起こさないか」と言えるでしょう。
では、なぜ組織崩壊が起きてしまうのか。主な要因は「大きな変化があること」です。私の前職であるリクルートのような大企業では、会社全体で見ると大きな変化があまりないため組織崩壊は起こりにくいですし、一定の成長率で成長している中小企業でも同様でしょう。
一方、スタートアップは急激な変化が求められるのが前提です。これは変化を起こせないと事業が存続できないからです。
スタートアップにおける大きなテーマの一つは「戦略が仕掛ける変化を、いかに実現できる組織にするか」だと考えています。ニーリーの場合、私が関わりはじめてから約3年で従業員数が約10倍の組織規模になり、組織自体も大きく変化していくプロセスを経験しました。
ここでキーワードとして、組織における「遠心力」と「求心力」を挙げたいと思います。組織の「遠心力」とは、事業成長に伴い組織が拡大し、様々な価値観や判断軸を持った個人が増えていくことで、組織の外へ向かう力が強くなることです。そのため、意図的に組織を同じ方向へ進めませるための「求心力」が重要になってくるのです。
神前:なるほど、遠心力と求心力のバランスもポイントになりそうですね。スタートアップならではの特徴として、高い組織目標が掲げられることが多いと思います。そのような状況下での組織づくりについては、どのようにお考えですか?
髙橋:まさに、スタートアップでは高い組織目標が掲げられることが特徴的で、そうすると当然、組織に対して変化の外圧が強くかかります。そして、高い目標に向かう際に求心力が低い状態で変化しようとすると、組織は壊れてしまいます。
概念的な話になりますが、求心力を意図的に作ることによって高い組織目標に向かえる組織体制を作ることが、スタートアップの組織づくりにおいて大切だと考えています。
これらを踏まえると、スタートアップにおけるHRのミッションは「求心力を生み出し、変化を実現できる組織にすること」だと自分の中で整理しています。
HRのテーマの全体像を整理すると、事業戦略をベースにした人事ポリシーがあり、それに基づいて採用、人事制度、人材開発、組織開発をどのように連動性を持って進めていくか、そしてそれによってどう求心力を生み出していくかが、今日お話しするポイントになります。
これはあくまでスタートアップにおける考え方だと整理していまして、大企業の場合は逆に、意図的に遠心力を生み出すような組織への仕掛けが必要だったり、より積極的に戦略側から不確実性を高めていくようなアクションが求められるという点で、スタートアップとは大きく異なると理解しています。
実際にニーリーという会社において、どのような変化を人事ポリシーや制度の観点で仕掛けていったのかは、以前に私のnoteでもまとめているので、今回はポイントを絞ってお伝えしていきたいと思います。
「自己効力感から組織効力感へ」ニーリー独自の人事ポリシー
髙橋:まずは、人事制度をいつからはじめるべきか、という疑問も多くの企業が抱えていると思います。ニーリーの場合、2022年3月、社員数が約50名の時点で制度の策定に着手し、80名を超えた頃から実際に運用を開始しました。
正直、10名規模のタイミングでは制度設計は早すぎると思います。このタイミングでは他の部分にリソースを割くべきでしょう。ただし、不可逆性が高いことは避けるべきです。後々に制度を導入する際に影響を与える可能性が高いので気をつけたいところです。
例えば、 報酬体系を人によって極端にアレンジしたり、役職者のラベルを最初から付けたりすることは、避けるべきですね。就業規則を作る際にも、社労士さんに相談すると大企業向けのフォーマットを提供されることもあるのですが、そのまま使うとスタートアップの組織運営とはフィットしないことも多いので気をつけたいですね。
神前:制度の策定には、どれくらいの人数をかけていましたか。
髙橋:制度の原案は基本的に私一人でほぼ考え、合意形成のプロセスにおいて経営メンバーとディスカッションして決めていくような形をとりました。
キーポイントは、戦略を踏まえた上で人事ポリシーをどう設定するかという点です。採用や組織開発など様々な施策がありますが、それらを決定する際の基盤となるポリシーがなければ、意思決定がぶれてしまう可能性があります。
私たちがポリシー策定のうえでとったアプローチは、ミッションやバリューからのブレークダウンというよりも、むしろシンプルな問いからはじめました。「なぜ、従業員はニーリーで働き、働き続けるのか」。これに対する解として「ニーリーならば成長でき、自らの市場価値や給与も上がる」と言える会社でありたいと思ったんです。
やや学術的な言葉を借りて整理すると、従業員の自己効力感を高めることで組織の求心力を強化する、というのが、当初の制度構築におけるコンセプトでした。興味深いのは、当初の意図とは異なる副次的効果も生まれたことです。個々人の自己効力感の集合体として、主語が「I」から「We」に変化していったことで、組織としての効力感が醸成されてきたのです。これがニーリーにおける求心力の本質だと最近になって言語化できました。(「組織効力感」というワードは株式会社Momentorの坂井風太さんの言葉を引用させていただいてます)
自己効力感の醸成に全力で投資することが組織の効力感につながり、それが求心力となって高い目標や変化に対応できる。ニーリーの組織を後付け的に整理すると、これこそ組織が進化してきた背景だったと言えます。
ニーリーの人事ポリシーはシンプルで「従業員に成長機会を提供する」です。このポリシーの「なぜ」と「どのように」を整理したのが、以下のWHYとHOWの図です。
髙橋:WHYの組織コンセプトは、ミッションと結びつけて「なぜこれを行なうのか」を言語化したものです。ミッションからブレークダウンして設定したポリシーではないと説明しましたが、結果的に「社会の解像度を上げる」というミッションとも密接に関係するポリシーになっています。HOWの部分では、「期待をかける」というのが重要なキーワードで、これを実現するための具体的なステップを、能力開発のコアサイクルという形で表現しています。成長機会の提供という人事ポリシーを、期待をかけることで実現しよう、というアプローチが、ニーリーのユニークな特徴の一つだと考えています。
期待を制度に落とし込むには?ニーリーの等級制度設計
神前:では、このポリシーから、どのように制度構築へ移っていったのでしょうか。
髙橋:先ほどの「期待をかける」という点に戻りますが、これは単純に「期待してるよ」と伝えれば済むものではありません。期待をかけるのは、実際にはかなり難しい作業です。そのため、まずは期待をかけるということの解像度を上げることをファーストステップとして行ない、それを制度に落とし込んでいきました。
期待をかけるというプロセスには、「経験学習理論」をベースにした4つの重要なステップがあります。その人にかけるべき期待を明らかにし、本人に認識のズレなく伝え、期待通りのミッションを与え、それがどうだったかを振り返る。このサイクルが、人が成長していく上で重要です。
これを等級、評価、報酬制度にどのように落とし込んでいったかが、これからお話しするポイントです。人事制度には等級、評価、報酬制度があり、中でも最初に肝心なのは等級制度です。
ニーリーが採用している等級制度は、役割等級という考え方に基づいています。つまり、その人に、どのグレードの役割を任せられるか、という期待値をベースに置きます。これから人事制度を策定される方なら、金田宏之さんのご著書『スタートアップのための人事制度の作り方 キャリア開発を促し、自社のバリューを浸透させる』はお勧めなので、ぜひ参考にしてみてください。
具体的には、等級決定会議でメンバーにかけられる期待値、すなわち「グレード」を決定します。例えば、「Aさんはグレード4の期待をかけられる方ですね」と会社全体で決めます。それに応じて、グレード4相当のミッションを半期の「キャリア開発シート(具体的な期待役割を記載したもの)」に反映させ、期待される成果や、何ができたらグレード期待に対してGOODなのかという評価のラダーもマネージャーが定義します。
業務を半年間行なった後、かけた期待に対して実際がどうだったのかを評価します。期待を上回れば加点評価、足りなければ減点評価となります。この評価を賞与に反映させるというサイクルで回しています。
具体的なスケジュールとしては、1月に目標設定をし、4月の中間面談で残り3ヶ月の動き方のチューニングをし、6月に振り返り面談を行ないます。その結果を踏まえ、半期賞与の支給・翌半期の等級決定を行います。
等級制度の設計において重視したのは、どんな役割を高く評価するかを決めることです。ニーリーでは、経営へのインパクト、すなわち「成果創出における不確実性が高い仕事に価値がある」という考え方をベースにしています。これをさらに分解すると、取り組むイシューの抽象度と関わるステークホルダーの数が、等級を決定する要素として重要になります。
等級制度の設計について、私が採用候補者にもよく説明する例があります。以前、私は大手カフェチェーンでアルバイトをしていました。その経験から、カフェでより高給を得られる仕事について考えてみたんです。アルバイトは通常、会社内で最も低い給料です。その時の仕事は、注文されたコーヒーをマニュアルに従って提供すること。何をすれば良いのかがわかりやすいという観点で、お客さまへの価値提供における不確実性は低いものでした。
一方、店長やエリアマネージャーの仕事を考えると、彼らは顧客満足度を高めることに注力していました。なぜなら、リピーターが重要で、顧客一人あたりのLTVを上げることが大切だったからです。彼らは満足度向上のために接客品質を上げるよう号令をかけていました。これは抽象度が高く不確実性の高いテーマに取り組んでいると言えます。
顧客満足度という抽象的な概念を扱い、店舗全体に浸透させ、オペレーションを定着させるためには、必然的に多くのステークホルダーが関わってきます。つまり、給与の設定は、「取り組むイシューの抽象度」と「ステークホルダーの数」によって一定程度は決まるのではないかと考えたんです。この解釈をもとに、ニーリーの等級制度に反映させています。
ニーリーの場合、「G1」をエントリーグレードとして、9段階の等級を設けています。そして、各グレードで求められる役割を等級要件として定義しています。
また、等級制度を設計する上で重要なのは、マネージャーがメンバーからの「次のグレードに上がるには何ができれば良いのか」という質問に答えられることです。これに回答すること=従業員の能力開発支援をするための、サポートツールとしてのガイドラインを作成しています。具体例を交えて説明します。
ニーリーでは、各グレードに求められる役割を必要な「スキル」と「スタンス」合わせて7項目に分解し、細かく言語化しています。実行推進の例で言えば、グレード3では協働するステークホルダーの意見を理解し巻き込みながら目的達成することが求められます。グレード4では、より多くのステークホルダーを巻き込むことが期待されます。
これにより、マネージャー・メンバー間で現在のグレードで求められることと、次のグレードで期待されることについてのすり合わせがしやすくなります。例えば、CSのメンバーがG3からG4に上がるには、フィールドセールスのメンバーに対して働きかけ、「受注時にこのトークを必ず入れておいてほしい」というオンボーディングを効率化するための動きを、自部署以外の人たちを巻き込んでできるかがポイントになるようなイメージです。
まとめると、等級設計におけるポイントとしては、アーリーフェーズでは職種ごとの等級を作成せず、ジェネラリティの高い構成にすることです。また、等級の違いや能力開発のポイントをマネージャーが適切に説明できるようなサポートツールを用意することも大切です。これらが、効果的な等級制度を構築する上で重要なポイントだと考えています。
神前:このマトリックスの部分で、バリューや行動基準を入れる会社も多いと思いますが、髙橋さんはこの行動指針についてどのようにお考えですか?
髙橋:我々の「スタンス」という部分が、おそらく他社でいうバリューに相当するかもしれません。例えば、最後まで自分が持ったボールをやり抜くこと、落ちているボールも自分のこととして進めること……つまりはオーナーシップを大切にすることなどです。
また、自分一人が良ければいいわけではなく、他者や組織に対して貢献できることを重視するという考え方も含まれています。このスタンスの部分に、いわゆるバリューと呼ばれる一部が含まれていると整理しています。
神前:等級制度について、どれくらいの等級数でアレンジするのが良いでしょうか?組織拡大に伴い等級を細分化する必要がある一方で、等級間の期待や役割のグラデーションが薄くなる問題もあります。このバランスをどう考えていますか?
髙橋:等級数を決める上での一つの基準としては、等級における報酬レンジをどれくらいに設定するかがあると考えています。
ポイントは、グレードが上がった時に「給料が上がった」と実感できるレンジを設定すること。例えば、グレード間で年収換算で150万円程度の差があると、明確に「年収が上がった!」という実感を得やすいはずです。あくまで一つの設計思想ですが、最上位グレードの年収をどれくらいのレンジに設定するのかを決めて、そこから逆算して等級数を決めていくのが良いと思います。
スペシャリスト評価と採用時の等級判定
神前:職種ごとの等級制度を作らないアプローチは理解しやすいですね。抽象度の高いイシューとステークホルダーの観点から考えると、50〜100人規模になってくるとスペシャリスト人材の評価も課題になってくると思います。ニーリーではどのように考えていますか?
髙橋:スペシャリストといえば、開発エンジニアがよく挙げられると思いますが、弊社のエンジニア組織のカルチャーとしては、「イシュードリブンであるか=事業に資することに繋がっているか」を大事にしているので、現段階ではエンジニアも同じ評価基準です。
ただ、今はちょうど過渡期だと感じています。エンジニアの数が増えてきている中で、例えば人材開発の場でも「スペシャリティの高いテックリードをどのように評価するか」という話がちらほらあがるようになってきています。スペシャリストとしての職能を等級に反映する必要性が出てきているのは確かです。しかし、現在の180人程度の規模では、個別でコミュニケーションすることができるフェーズなので、スペシャリスト評価において緊急度高く取り組むタイミングではないと考えています。
神前:つまり、複線化を避け、現時点ではジェネラルな形で設定しているのですね。
髙橋:はい、その通りです。
神前:採用段階でも等級判定は不可欠だと思います。このプロセスはどのように行ない、誰が決定しているのでしょうか?
髙橋:まず、面接だけで相手の方の等級をフラットに判断することは、ほぼ不可能だと考えています。
そこで私たちが基準としているのは、候補者が希望する給与です。必ず現在の年収と希望年収を選考の前段階で確認しています。希望年収を弊社のグレードテーブルと照らし合わせ、「この年収帯ならG4の期待をお渡しできるのか」といった判断基準を設けているイメージです。
特に中途採用において、給与水準は候補者の意思決定に大きな影響を与えます。選考を進めた後で、希望年収と実際の提示額に乖離があれば、お互いに不幸な結果になりかねません。そのため、給与の条件を前提として進めることが重要だと考えています。
神前:そこでミスマッチが起こる場合もあると思います。仮に「希望年収的には5等級だが、能力的には4等級」という評価になった場合は、どのように対応されていますか?
髙橋:大きく2つのアプローチがあります。1つ目は、面接の段階で率直に伝えることです。「これまでのお話や経験、ご経験されてきたドメインの違いを考慮すると、希望されている5等級ではなく4等級程度の水準になり、給与が希望よりも100万円ほど下回ってしまいます」といったような形で、それでも入社のご意向があるかどうかを事前に確認します。
2つ目は、サインアップボーナスの活用です。給与テーブル自体を上げて採用してしまうと入社後の期待に応えられない可能性があり、本人も活躍に苦しむ可能性があります。そこで、短期的なサインアップボーナスとして対応し、「1年間その期待値に追いつくようなパフォーマンスが見られなければ、来年からは実質的な年収が100万円ダウンします」といった話を明確にします。
能力開発と短期ミッションは分離させる。能力開発評価は「状態目標」で
神前:スキルやスタンスをマトリックスでブレークダウンされていますが、それを言語化することは難易度が高いのではないでしょうか。メンバーにとっては、言語化された内容の解釈が多義的になる可能性もあります。例えば、巻き込んでいるステークホルダーの数などは、どのように定量化されているのでしょうか。それとも、等級ではなく期初に立てた目標の部分で定量化して判断しますか?このプロセスについて教えてください。
髙橋:成果を出すための「コンピテンシー」の話と、行動の結果としての「アウトカム」の話は分けた方がいいと考えています。先ほどの例で言えば「巻き込むステークホルダーの数を増やす」といった要素は能力開発の観点では重要ですが、これを短期のミッションには含めていません。
この「コンピテンシー」の話と「アウトカム」を結びつけようと思うと、『成果が出ていない=能力開発』ができていないと判断すると思うのですが、成果というものは外部環境にも左右されるものなので、これはあくまで短期ミッションである『成果=査定』として打ち取る方が良いでしょう。一方で、成果を出すために必要なコンピテンシーについては能力開発=等級で打ち取る、という考え方です。
能力開発が達成されたのかの具体的な判定方法としては「状態目標」という考え方を採用しています。「多くのステークホルダーを巻き込めているか」を直接測るのは難しいですが、「マネージャー全員が参加する会議で起案し、自分の提案が決議されている状態」といった具体的な状態を目標として設定できます。
つまり、能力開発ができた状態を「その会議体できちんと合意形成ができている」と定義し、そこでの提案と決議を次のグレードに上げられる一つの判断基準とするように会話をしています。
神前:状態目標の設定を、マネージャーができるようにサポートしていると。
髙橋:そうです。さらに重要なのは、「能力開発や育成は直属のマネージャーだけで行なうべきものではなく、組織全体をあげて行なおう」という考え方です。
これが、「キャリア開発会議」の目的でもあります。全マネージャーが出席し、各メンバーに対して具体的にどのようなアジェンダを与えて能力開発を進めるか。それらを複数の視点で検討します。あるマネージャーが自分のメンバーに対してうまく設定できなくても、別のマネージャーがサポートできるような組織の集合知が活きる体制を整えています。
定量評価が難しい職種の成果測定とフィードバックについても、「状態目標の定義」が活きてきます。特に私が管掌している広報や人事など、定量化が難しい領域では、この方法が有効です。
具体的には、あるミッションに対して「何月までに、この状態になっているものを作ってください」というように、アウトプット(≠アウトカム)ベースでの定義をします。企画系の業務なら「10月の経営会議で合意を得られて、そこからマイルストーンの設計をして、12月に実際に現場で実行されている状態にしよう」といった具合です。そこに至るまでのマイルストーンを期初の段階でマネージャーが言語化しておき、それに沿っていなければ減点になるわけですね。
一方で、状態定義ができているのに成果に結びつかなかった場合は、テーマを設定した側の責任だと割り切っています。このようにすれば、定量化しにくい業務でも評価が可能になります。
「二軸の評価システム」で組織への貢献度合いを示す
神前:等級によって、どのような人材を高く評価するのか、そしてどのように評価するのか。この点についてはいかがでしょうか?
髙橋:大きく分けて、評価には「グレードの評価」と「査定の評価」の2種類があります。グレードの評価は翌半期のグレードを決定するもの。査定の評価は賞与に反映されるものです。また、査定は同じグレード内での給与のバンドを決定する際にも使用します。つまり、2つの評価に対して、3つの処遇反映先があるということです。
概念的に分けると、グレード評価は未来に対する期待の評価、査定は過去の実績の評価と言えます。この2軸を明確に分けているのが、我々の評価システムの特徴です。
ニーリーでは、ミッションの設定方法として、全社の売上目標を20%、個人目標を80%としています。全社目標を含めているのは、個人が頑張っても全社の業績が芳しくない場合、査定が1段階下がる可能性があることを反映するためです。
個人目標の80%は、マネージャーが設定し、通常は4つ程度のミッションに約20%ずつ分けられます。そして、それぞれのミッションに対して「期待される成果」が詳細に記述されます。これらを加重平均して最終的な素点を算出し、それをアルファベット評価に変換します。この評価を係数として賞与原資にかけて、最終的な賞与額を決定します。例えば、「素点が3.3」であれば「A+評価」であるといった対応表を用意しておくわけです。
特徴的なのは、「組織としての役割行動」という項目を設けていることです。スタートアップでは、自分の担当外のボールを自発的に拾ってくれる人が大切です。しかし、これを通常の評価項目に含めるのは難しいため、短期的に賞与で評価する項目として設定しています。
例えば、「A+評価」だった場合でも、組織への貢献が顕著であれば、最終的に「S評価」へ引き上げるといった運用をしています。
まとめると、評価におけるポイントは以下の3つだといえます。
- 「グレードの評価」と「査定の評価」を明確に分ける
- 特に制度導入初期や新任マネージャーの場合、ミッション設定にばらつきが出やすいため、全体でレビューして目線を合わせる
- 「落ちているボールを拾う」といった組織貢献を評価できるようにする
これらの要素を組み込むことで、いまのニーリーのフェーズにあった積極的な任用や権限委譲を実現できるような評価システムを構築しています。
賞与重視の報酬制度では、短期的成果と長期的柔軟性のバランスを取る
神前:次に、報酬制度の部分についてもお話しいただけますでしょうか。
髙橋:ニーリーの報酬体系は月例給与と賞与から成り立っています。この賞与制度はスタートアップとしては特徴的かもしれません。同じ年収でも年俸制の会社と比べると、月収ベースでは見劣りすることがあり、採用において不利に働く場面もあります。それでも、あえて賞与を設定している理由が2つあります。
1つ目は、短期的な頑張りに報いることができる点です。スタートアップではとにかく落ちているボールを拾ってくれる人や、物量対応をしてくれる人材は大事な存在ですが、年俸制だと、短期的な頑張りの処遇先が給与になってしまい、アクション自体を正しく評価するのが難しくなると考えています。
これを回避するための表彰などのインセンティブを設けたりピアボーナスで打ち取っている会社もあると思いますが、給与の下方硬直性と言われる現象で、いまの日本の法律的にも一度あげた給与は下げにくい構造にあるため、給与が上昇し続け、総合的なスキルとのバランスが取りにくくなるんです。
2つ目は、「期待をかける」マネジメントがしやすくなる点です。例えば、現在は年収700万円の人に800万円の期待をかけたい場合、最初に800万円としての「座席」を与え、その期待に応じたミッションを設定します。期待に応えられなかった場合は、査定評価が下がることになり、結果的に賞与によって全体の年収が調整されるという仕組みです。これにより、いわゆる抜擢人事というものがしやすくなります。
また、グレードと報酬を1対1の対応にせず、グレード内で一定のバンドを持たせています。これにより、非連続に強い期待をかけてジャンプアップさせるか、同じグレード内で連続的に期待値を上げていくかを柔軟に運用できます。
神前:基本給ではなく賞与もしっかりと出していくというのは、スタートアップではあまり一般的ではないように思います。中長期的なインセンティブとしてストックオプション(SO)もあると思いますが、そのあたりはどのようにお考えですか?
髙橋:SOについては、会社によって考え方が異なりますよね。ニーリーの場合、代表の「事業が成長したらみんなが金銭的な面でもメリットを享受できるようにしたい」という思想を反映できるようにしています。
ただ、SOの運用を通じて感じたのは、その価値を正しく理解してもらうのが難しいということです。多くの人は、上場時の大きなキャピタルゲインよりも、短期のキャッシュとして受け取るほうがわかりやすいインセンティブになると感じており、非金銭報酬の価値の啓蒙はしつつも、金銭的な報酬の設計が非常に重要だと思っています。
神前:賞与を設定することによる他のメリットはありますか?
髙橋:長期的な視点で見ると、人件費を適切にコントロールできる点が大きいですね。10年、20年と企業を運営していく上で、全てが年俸制だと人件費が固定費化してしまいます。賞与があれば、業績に応じて一定の幅の中ではありますが柔軟に調整できます。
また、従業員規模が大きくなってきてから賞与制度を導入するのは非常に難しいので、最初から設けておくことが重要です。
神前:なるほど。中長期的な企業価値への貢献はSOで評価する一方で、賞与は短期的な成果に対する評価として機能し、メンバーにとっても価値貢献が正しく評価されている実感があるという点で、とても合理的な報酬制度だと感じました。逆にデメリットとしては、年俸制のほうが月給が高く見えるという点がありますね。
髙橋:そうですね。800万円の年収を例にすると、我々は賞与と基本給に分けて支払いますが、年俸制の会社では単純に12で割った月収になります。そのため、短期的には報酬が低く見えてしまい、採用時に競合他社との比較で不利になることはあります。
神前:トップラインだけでなく、ボトムラインもコントロールしていくことが求められる中で、人件費に柔軟性を持たせてコントロールする設計は、とてもわかりやすいですね。賞与に関して、期待に対して結果が出なかった場合には賞与を減らす設計があるとのことですが、実際の運用事例や社員からの反応はいかがでしょうか?ネガティブな反応にはならないのでしょうか。
髙橋:すべてはコミュニケーションに尽きるのですが、特に期初のミッション設定時のコミュニケーションや、中間面談でのコミュニケーションを大事にしています。中間面談では「このままだとミッションが未達になるが、どう対応すべきか」という会話をしっかり行ないます。
このように、評価に対する納得感を高めるためのコミュニケーションを大切にしているため、「なぜこの評価なのか、納得できない」という声はこれまで出たことはありません。
また、査定会議では複数の目で見て、「期初にどのように合意していたか」を必ず確認します。スタートアップでは状況が変わりやすいので、期初の設定が間違っていた場合もあります。そういった場合、変に誤魔化すようなことはせず、期初から状況が変わったよね、ということをきちんと会話し、お互いがきちんと納得いくコミュニケーションができるようにすることが重要だと考えています
変化に適応できる人材の採用は「トラックレコードよりも思考と行動」
神前:ニーリーの採用についても教えてください。重視している観点はありますか。
髙橋:採用において大切にしているキーワードも「変化」だと考えています。ニーリーの採用において大事にしている観点は大きく2つあります。
1つ目は採用基準です。トラックレコードや職務経歴書の内容よりも、その人がどのように考え、どう行動したかを重視しています。そのため、人材紹介エージェントさんから「どういう企業出身者なら受かりやすいですか」とか「どういった経験を持つ人が活躍していますか」と聞かれた時に、シャープに回答ができず申し訳ない気持ちになっています笑
著名なSaaS企業で働いていらっしゃった方や、華々しい経歴の方を採用するわけでもない。自分の頭で考え、プロアクティブに行動しない方は、高い成長率で成長する・変化の激しい当社の環境には合わないと判断しています。
また、報酬のギャップについても慎重に対応しています。高給与の方を単純に受け入れるのではなく、サインアップボーナスで補填するか、給与を下げてでも当社で事業成長を実現したいと思っていただけるかを、十分なコミュニケーションを取って確認します。
2つ目は選考プロセスです。私たちは、入社までの意思決定プロセス自体をオンボーディングの一部だと考えています。当社の急成長に伴う変化や要求の高さを明確に伝え、それでも覚悟を持って来ていただけるかを確認します。そのため、内定承諾率はそれほど高くないですが、入社後の活躍を見据え、安易に「良い言葉」だけを伝えて内定承諾を得ることは絶対にしません。その結果、入社いただいた後に大きなギャップがあったということはなく、高い事業成長を実現する中でも退職率は低い水準になっています。
また、身の丈以上の採用広報は行なわないことも重要視しています。事業の面白さや成長機会を求める方には来ていただきたいですが、実態はかなり地味なことや泥臭いこと、なんで自分がこんなことをやるのか、と思うようなことも多くやらなければいけないので、採用広報によって実態以上によく見えることがないように心がけています。
神前:トラックレコードではなく、どう考え、行動したかを見極めるのは難しそうですね。面接プロセスで特に意識されている部分はありますか?
髙橋:特に意識しているのは、採用候補者の所属している会社のビジネスモデルや事業のドライバーとなる観点を早期にキャッチアップすることです。候補者の過去の経験の難易度を正確に理解するには、その会社のビジネスモデルを理解することが重要だと考えています。
例えば、「このようなビジネスモデルなら、こういう営業プロセスになる」という仮説を持ち、「その時にあなたはどのようなアクションを取りましたか?」といった質問をします。そのため、私自身も事業に対する感度を絶対に落とさないよう心がけています。候補者の会社にディープダイブし、想像力を働かせることが、適切な評価では重要だと考えています。
神前:面接の回数の決め事、あるいは特別なテストなどはありますか?
髙橋:面接の回数などは決めていますが、特別なテストなどはありませんね。しかし、その方がどのように考え、行動してきたか。そして、そのような考え方を形成するに至った過去の経験などを総合的に聞くことに力を入れています。そのため、候補者の方から「考え方やその背景まで深く聞かれる面接は初めての体験でした」といった感想をいただくこともあります。
定期的な対話と日報で、組織のゆらぎを察知する
神前:面接のトレーニングも髙橋さんが主導でされているのでしょうか?採用プロセスは全社一丸となって取り組む必要がありますが、そのあたりのイネーブルメントについて、どのように取り組まれていますか。
髙橋:大きなところでは、事前に候補者さんに許可をとったうえで面接を録画させていただいています。これには複数の利点があるんです。
まず、より正しいアセスメントができるように活用しています。どうしても面接はその場で考えながら色々な質問をするため、印象に引っ張られたり、最後の質疑応答の印象が先行してしまうこともあると思います。なので、録画を観ることで、改めて客観的に面接での発言内容を振り返り、評価を行なうようにしているんです。
また、面接官のスキル向上にも役立ちます。人事チームが現場の方の面接動画を見て、「この質問はこう変えたほうがいいのでは」とか「ここはもう一歩踏み込んだほうが良かった」などのフィードバックを行なっています。このような形で、面接官のトレーニングを徹底的に行なっています。
神前:面接のスキルが大幅に向上しそうですね。
髙橋:これまで制度やポリシー、採用について話してきましたが、もう一つ重要なキーワードとして「仕組み」があります。これは組織開発の分野にあたるでしょう。
スタートアップの組織開発におけるキーワードは「組織のゆらぎ」の察知です。例えば、ニーリーでは2022年に大きく戦略を転換し、人員も大幅に増やしました。ただ、このまま進めば組織が崩壊する危機を感じ、意図的に組織拡大を抑える調整を行ないました。
このような「ゆらぎ」を察知するために、主に2つの方法を用いています。
1つ目はリズムを作ることです。営業マネージャーや各部の部長などの現場キーマンと定期的に接点を持ち、「組織よもやま」という会話の機会を設けています。組織に関して気がかりなことを伺ったり、日報に書かれたことの背景を聞いたりすることだけの時間です。いまこの組織はこういう状態だからこういう支援ができるかもな、このメンバーには次のタイミングでこういう期待をかけていこう、など色々な組織開発のタネになる情報のキャッチアップができる場になっています。
また、ニーリーはフルリモートで運営している組織ということもあり、お互いのコミュニケーションを活性化する観点で全員が日報を毎日書くようにしています。私は毎日全員分の日報をチェックするようにしているのですが、日報の内容や書き方の変化から、個人や組織の状態変化の兆しを察知できることも多くあります。日報の場を通じてメンバー同士がお互いの仕事を知るきっかけやナレッジマネジメントの場にもなり、コミュニケーションが促されている点でもすごくいい取り組みになっていると思っています。
2つ目はバックオフィスへの投資です。早い段階から事業企画やFP&A(財務計画・分析)などのコーポレート組織に投資してきました。定期的なKPIモニタリングなど、変化の中でも「変わらないリズム」を作ることで、異変を察知しやすくなります。同じリズムで、同じ人に報告をしてもらうことで先週との違いを感じたり、歯切れの悪さを覚えたり、あるいは参加率に変化が出たりなど、そういった「ゆらぎ」を見つけやすくなるんですね。
また、バックオフィスが「意図的なカオス」を生み出すこともあります。例えば、業務に飽きが見えたタイミングでKPIを大幅に変更したり、ニーリーでは大きな組織変更を1年に1回ほど実施しますが、それも意図的なカオスの創出につながっています。
神前:変化を生み出すために仕組みを作る、というのは逆説的ですね。事業企画やFP&Aは、スタートアップではまだ必要ないと思われがちですが、何人くらいの規模から導入されたのでしょうか?
髙橋:コーポレート組織の強化を本格的にはじめたのは2022年の期初、約50人規模の頃からです。まずは事業企画を設置してモニタリング体制を整え、FP&Aは昨年末頃から設置しました。
神前:ありがとうございます。最後に経営者や、同じくHRや組織開発に携わる方々へメッセージをお願いします。
髙橋:ニーリーでやっていることが絶対的な正解だとは、私自身も全く思っていません。いろいろな会社の事例に興味がありますし、今回の話を踏まえて、「自分たちの会社ではどうすればいいか」など、気になることがあればぜひXのDMなどでご連絡ください。
一緒にディスカッションして、様々な事例に触れることができるのは私にとっても嬉しいことです。気軽にXアカウントにメッセージやご相談をいただければ嬉しいです!