日本のスタートアップが持続的な成長を実現するには、プロダクトの強化やマーケティング戦略の確立に加えて、「取締役会(ボード)の質」という要素が決定的な意味を持ちます。しかし、経験者が少ないといった事情から、多くの企業で重要性が見過ごされがちです。
そこで今回、東京大学・宇宙科学研究所(現JAXA)での衛星・深宇宙探査機開発、ゴールドマン・サックスでの14年に及ぶ投資銀行経験を経て、現在はシニフィアンの共同代表として数多くの成長企業で取締役を務める村上誠典さんに、効果的なボード運営の秘訣を伺いました。
スタートアップから大企業まで、さまざまな規模・フェーズの取締役会に携わってきた村上さん。その経験から導き出された「ボードの質」を高めるための具体的な方法論とは?社外役員の選び方から、評価の仕方、さらには難しい局面を「成長の機会」に変えるための実践的なアプローチまで、詳しく語っていただきました。
そもそも「ボード」の役割とは何なのか?
前田:SmartHRやSHIFT、hacomonoといった企業の社外役員をされている村上さんに、ボード(取締役会)に対する考えや「効果的なボードの運営」の仕方について深掘りできればと考えています。
村上:このテーマには個人的にも強いこだわりがあって、日々新しい学びや発見があります。こういう機会をいただけるのは嬉しいですね。
前田:まずは、効果的なボードとは何か、どういう要素が含まれており、どういう状態であるべきかについてお聞かせください。
村上:ボードやガバナンスには、ケース・バイ・ケースの要素が大きく関わってきます。人材教育と同じように、一定のフレームワークは存在するものの、それを画一的に適用しても、すべての場合に効果が出るわけではありません。会社は生き物のようなものですから、各社の状況に応じなくてはならないわけです。
企業のフェーズやシチュエーションによって、重視すべきポイントも変わってきます。100点満点なボードの実現が難しい中で、どの部分に力点を置くかは、個別に判断していく必要がある。これは前提として、置いておければと思います。
経営陣は執行をデリゲートされた存在です。しかし、いかに優秀な執行役であっても、日々の業務執行に従事することで特有の「偏り」が生じてきます。例えば、「木を見て森を見ず」という状況です。あるいは、既定路線の維持やマクロ視点の不在もそうでしょう。完全に客観的な視点を保ち続けることは、人間である以上、とても難しいものです。
ボードの重要な役割は、執行に伴う偏りや見落としをオフセットし、異なる視点を提供することです。さらに、企業と社会をつなぐ接点としての機能も担っています。
企業が持続的に成長するためには、社会との接点を持ち続けることが欠かせません。内部のステークホルダー(従業員やプロダクト)と、外部のステークホルダー(顧客、株主、社会)をつなぐ存在が必要です。ただし、内部の視点だけでは、外部との接続は難しくなります。
ボードは「内部と外部の接点」として機能し、多様な期待や利害関係を調整するクッションの役割を果たすのです。この前提のもとで、あらゆるフェーズやシチュエーション、業態にかかわらず、「どういったボードであるべきか」を一様に考えるべきだと思います。
「時間軸」から考えるボードの役割
前田:効果的なボードとは、木を見ている経営陣に対して森を見る機会を作ったり、さまざまなステークホルダーとの関係性を適切にカバーできたりすることがポイント、ということですね。
村上:そのとおりです。そして、両方に関わる要素として、時間軸というテーマがあります。これは投資の世界でも非常に悩ましいテーマの一つではないですか?
前田:ええ、おっしゃるとおりです。
村上:時間軸によって、物事の見え方や判断は大きく変わってきます。仮に、1年という短期間で最適化しようとすると、その期間の苦しさは受け入れがたいものになりますが、長期的な視点で見れば、それは必要だった「1年間の我慢」かもしれません。
時間軸のずれは、どの会社にとっても一つの大きなテーマとなっています。特に、社内の人々は短期的な思考になりがちですが、外部の視点からはより長期的な取り組みが望ましいこともあります。逆に、会社が長期的な方針で進もうとしているときに、ユーザーが短期的な価値を求めているケースもあります。
時間軸は重要である一方で、多くの経営判断において、所与のものとして議論されているケースが多いように見受けられます。常にトレードオフの関係にある中で、このバランス感をいかに経営で意識していただくかが、意思決定全体に大きく影響します。
つまり、効果的なボードにおいて、いかに時間軸を意識した議論ができているかが、その機能を評価する一つの重要な指標となるでしょう。
VCが社外取締役で参画するケースも「時間軸」が基調に
前田:そういった時間軸の考え方について、特によくVCが社外取締役として参画するケースでは、どのように捉えるべきでしょうか。
村上:シードやアーリーステージから投資をする場合、投資時点である程度の時間軸についての前提があります。例えば、日本でよく議論される「IPOのタイミング」の問題。これは契約に明記するかどうかは別として、少なくとも経営者側と投資家側で、時間軸に対する一定の期待値の合意があるはずです。だから、あまり大きなズレは起きにくい。
ただし、スタートアップの難しさは、当初の想定通り進まない場合や、ギアチェンジやピボットが必要になった場合など、さまざまな変化が生じることです。そんなとき、既定路線の時間軸で考えるのか、それとも新しい判断に応じて時間軸の考え方を修正する必要があるのか。この判断において、VCの方々の対応は二つに分かれます。
一つは、当初設定した時間軸を重視し、その範囲での判断を求めるアプローチ。もう一つは、状況の変化に応じて時間軸の考え方を柔軟に修正していくアプローチです。このとき重要なのは、社内の経営陣と外部の投資家だけでバランスを取るのか、それともより客観的なバランスを求めるのか、という点です。必ずしも独立社外取締役だけがその解になるわけではありません。
スタートアップの特徴として、シリーズA、B、C、Dと段階的に投資家が入っていきます。各ステージの投資家の考え方は、必ずしも一枚岩ではありません。むしろ、時間軸に対する考え方が異なることで、単純な一対一構造ではなく、トライアングル以上の構造ができ、そこから最適なバランスを見出せる可能性が生まれてくるのです。
この時間軸の問題は、これまでの日本のエコシステムの特徴とも深く関わっています。日本ではこれまで、比較的早期で、かつスモールなIPOが一般的でした。しかし、上場までの期間が長くなり、会社の規模も大きくなるほど、時間軸に関する議論は複雑化します。
5年から10年前のエコシステムでは、この論点は存在しつつも比較的軽微なものでした。しかし、今のエコシステムが向かう先では、この問題がより顕在化しやすくなっています。課題の一つは、早期IPOの経験が強すぎることで、時間軸の変化を求めるような投資家の参入がうまくいっていない点です。既存の投資家や創業者に寄り添った時間軸に合わせないと投資できない状況が生まれており、シード・アーリー投資家寄りのパワーバランスになっているのではないか、と感じています。
もっとグロース期やポストIPOの投資家の時間軸も含めた議論が必要でしょう。どちらの時間軸が良いか、という議論ではなく、混ざって話すべきであるということです。非常にコンフリクトが生じやすい議論ではあり、確かに短期的にはスピード感が低下する可能性もあります。しかし、最も重要な議論を行なえる場が生まれるというポジティブな側面もあります。
ここで重要になってくるのが「リテラシー」です。ボードや経営者のリテラシーが十分に整備されていないと、難しい議論が単なる弊害になってしまいます。一方で、これらが整理されていれば、そうした議論こそが次の成長のきっかけとなります。
そしてもう一つ大事なのは、ボード外のステークホルダーのリテラシーでしょう。
経営力とは、負のエネルギーをポジティブ変換できること
前田:なぜ、ボード外のリテラシーも必要なのでしょうか?
村上:優れたボードのジャッジメントとは、難しい問題を「負のエネルギー」として感じて、その負を最小化することではありません。それは単に落としどころを探るということになってしまいます。日本には、この難しい負のエネルギーを最小化して、何となく全員が納得した形で次に進むという文化があります。しかし、これは実質的には減速を意味します。
理想的なジャッジメントとは、難しい局面に直面したときに、その議論が次の5年間の加速の原点となるようなものです。このような判断ができるとき、会社は飛躍的な成長を遂げることができます。
前田:確かにそのとおりですね。ボードには難しい場面は多々ありますが、本当に良い取締役会だと感じるのは、そういった難しい場面をポジティブなエネルギーに変えて、前向きに進んでいけるときです。
村上:そうなんですよ。どんな大企業でも、常に難しい判断や負のエネルギーを受け入れざるを得ない状況に直面します。むしろ、そういった局面を経験しない会社の成長はあり得ません。
『ドラゴンボール』のスーパーサイヤ人じゃないですけど(笑)、苦しい局面をいかに力に変えられるか。これこそが経営力であり、ガバナンス力です。一般的に経営力というと、オペレーションの磨き込みや経営管理のレベルをイメージされがちです。でも、それは執行力の側面が強いものです。
本質的な経営力とは、さまざまな負のエネルギーをいかにポジティブに変換できるかという点にあります。成長すればするほど逆風は強くなりますが、このエネルギーを負のままにするのか、ポジティブに変えるのか。それこそが経営力、そしてボードの判断力の真価を問われる部分なのです。
社外役員に求められる「3つの要素」
前田:ここでよく聞かれる質問として、ボードの作り方や人選について伺いたいと思います。特に、社外役員を選ぶ際に重要視すべきポイント、例えばスキル、性格、経験など、どういった要素を重視すべきでしょうか。
村上:それらの要素はあるに越したことはないのですが、執行側に対してプラスアルファをもたらすという観点で考える必要があります。特定のスキル、例えばリーガルスキルやファイナンススキル、マーケティングスキルといったものは、もちろんあったほうが良いのですが、それだけではありません。私が重視しているのは、3つのポイントです。
まず、経営側が見落とす部分に対して反対意見を述べるなどして、うまく推進力に変えていくことが求められますから、ポイントの1つ目はギャップをしっかりと見抜ける感度と経験があること。次に、利害関係が複雑で難易度の高い案件に向き合えるメンタルを持っていること。そして、エレファント・イン・ザ・ルームを指摘できることです。
前田:みんなが見て見ぬふりをしている状況を指摘せよ、と。
村上:エレファント・イン・ザ・ルームを見つけるには、まずギャップに気づく必要があります。そのうえで、それを指摘し、さらにポジティブなエネルギーに変えていくためには、社内外のステークホルダーとの信頼関係とコミュニケーションスキルが不可欠です。
これら3つの要素のバランスが重要になってきます。スキルは1つ目の要素に寄与しますが、2つ目の部分は必ずしもスキルだけでは対応できません。経験や自信、そして個人の特性も関係してきます。
最も注意すべきは、信頼関係とコミュニケーションスキルが欠如している場合です。これが不足していると、いくら良い指摘をしても「老害」のように受け取られかねません。特に、社内役員側のガバナンスリテラシーが高くない場合、外部からの意見を適切に受け止められないことがあります。本質的には意味のある指摘であっても、それが真に理解されないケースが少なくないのです。
前田:全くそのとおりですね。
村上:このような状況は意外と多く見られます。お互いに伝えたつもり、分かったつもりでも、実際の経営判断には至っていないということがよくあります。十分な理解に至るかどうかは、難しい経営判断において非常に大きな影響を及ぼします。
そのため、信頼関係とコミュニケーションスキルが不足していると、同じ内容のインプット、アウトプットをしていても、望ましい結果につながらないことがあります。だから、この要素は極めて大事なんですね。
先ほど述べた3つの要素は掛け算の関係で、一つでも欠如している場合は、他の要素が優れていても十分に機能しない可能性もあります。例えば、1つ目と2つ目の要素は高くても、3つ目の要素が伴わないと期待通りの効果は得られません。逆に、コミュニケーション能力は高くてもギャップを見抜く力が弱いと、単なるコミュニケーターになってしまいます。
もっと言うと、エレファント・イン・ザ・ルームを指摘した経験のない人にこの役目を求めるのはすごく難易度の高いことなので、私はわざわざ2つ目と3つ目を分けてお話ししました。一方で、経営者や投資家が社外役員に向いているとされるのは、どちらの職種においてもこの3つがファクターだからでしょう。
経営者こそ、自分自身がエレファント・イン・ザ・ルームを作らない、もしくは生まれそうであれば指摘できるタイプの方でなければなりません。社員も含めて、高いコミュニケーションやリーダーシップスキルが求められるので、ボードの素養が磨かれているんですね。
もっとも経営や投資をされている方のすべてに、一様にそのスキルがあるかといえば、そこは必ずしもイエスではありません。大事にしていらっしゃる価値観などを伺い、確認しながら適性を判断していきましょう。
適切なボード人材を見つけられないケースで起こりがちなこと
前田:確かに見極めが難しい要素ですが、具体的な方法はありますか。やってみないと分からない部分や、レピュテーションを確認するしかない部分もあるのでしょうか。
村上:経歴から推測できる部分はあります。同時に、その経歴から想定されるネガティブなリスクについても仮説を立てます。しかし、経歴だけでは仮説の検証は難しいため、パブリックな情報から、その方が過去にどのような取り組みをされてきたのかを確認します。
例えば、コミュニケーションスキルについて懸念がある場合、その点に関する評判を重点的に集めることで、ある程度の輪郭が見えてきます。最終的には対面での会話の機会がありますから、そこでこれらの視点について確認していくことで、より解像度の高い情報が得られます。
あと、有効なのはリファレンスチェックですね。単に「良い方ですか?」といった漠然とした質問では有効な情報は得られません。仮説に基づく具体的な懸念事項や、期待するポジティブな側面について、的を絞って質問することで、情報の質が大きく変わってきます。
多くのうまくいかないケースは、社外取締役を探す際の要件があいまいすぎる傾向にあります。例えば、野球チームを作る場合を考えてみましょう。「ワールドシリーズ優勝に向けていい人を紹介してください」と言われても、それが投手なのか、監督なのか、コーチなのかが明確でなければ、適切な人材は見つかりません。
大谷翔平やイチローのような有名選手は「いい人材」として賛同を得やすいものですが、それが本当に求める人材とイコールとは限りません。具体的に何を求めているのかが明確になったとき、初めて適切な評価軸で人材を見極めることができるのです。
求める側が、何を本当に必要としており、どういう要素がボードのパフォーマンスに影響するのかについて、十分な経験と理解がないために、適切な人材を見つけられないケースが多々あると思います。
私がこれらの要素を言語化しながら確認できているのは、こうしたギャップを埋めてきた経験があるからです。「良い社外取締役が見つからない」「見つけたつもりだが変化が感じられない」というケースの多くは、そもそも社外取締役としてどのような人材が有効なのかが理解できていないことに起因します。
例えるなら、野球選手を探し続けていたものの、実は求めていた人材はサッカー選手だった、というようなミスマッチが起きているのです。このような認識のズレを解消することが、適切な人材の見極めには不可欠です。
良い種が育たない理由の多くは、土壌に問題があるから
前田:これからボードを作っていくスタートアップにとって、現状のボードの状態を理解し、どういった要素を定義していくべきかについて、アドバイスをいただけますか。
村上:私は数多くのボードに参加し、また投資やアドバイザリーの経験を通じて、一度ボードを拝見するだけでも、その現在地がかなり見えてくると実感しています。
ボードの状況を正確に自己認識することはとても大事です。単に「良い」「悪い」という評価だけでなく、何が良くて何が悪いのか、その理由は何かというところまで分解して考える必要があります。
例えば、よくある事例として、創業者社長の影響力が強すぎるケースがあります。これには良い面もありますが、ボードの機能強化という観点では改善点となることもあります。イーロン・マスクのような強烈な個性を持つ経営者の場合、その良さを活かしながらも、適切なバランスを取る必要があります。
もっとも、多くの企業が「ボードを良くしたい」と考える際に、社外取締役の人選のみに焦点を当てる傾向があるようです。しかし、これはボード全体を良くするという目的に対して、たった一つの変数しか動かそうとしていないことになります。
より重要なのは、ボード全体をどうするか、そして社内取締役が誰で、どのようなバランスを取り、どういった役割を期待するのかという定義です。ところが、多くのスタートアップがこの部分への改善を避ける傾向にあります。
これは政策立案と同じような難しさを持っています。ある要素を固定変数としてしまうと、取り得る選択肢が大きく制限されてしまうのです。ボードも同様で、社外取締役の人選だけに議論を限定してしまうと、本来可能な改善の選択肢を大きく制限してしまいます。
特にアーリーステージのスタートアップの場合、ボード自体が未成熟な状態にあります。この未成熟な状態で、ただ一つの要素だけを変えて成熟した状態を目指すのは、期待値とのギャップが大きすぎます。実は、社内的な部分を変えていくことのほうが肝心と言っていいくらいです。
私はこれを農業に例えて説明することがあります。多くの場合、「良い種を紹介してほしい」という相談を受けますが、良い種が育たない理由の多くは、土壌に問題があるからです。ボードにおいても、内部の雰囲気、仕組み、運営方法、アジェンダの設定、社内取締役の役割といった、土台となる部分の整備が極めて重要です。
そのため、社内の土壌の状態を見極めながら、社外取締役の導入タイミングやその人選について、慎重にバランスを取っていく必要があります。「社外取締役を入れたけれど、うまくいっていない」というケースの多くは、実は自社の土台作りに課題があるのです。
アーリーステージにおける取締役会の課題と進化
前田:社内取締役に期待する役割や就任の基準は、社外取締役とは異なる視点が必要になりそうですね。
村上:アーリーステージのスタートアップでは、すごく難しい課題です。経営人材が限られている中で、執行とボードをつなぐ役割を担う必要があり、必然的に優秀なCxOが社内取締役の候補者となります。
このとき、往々にしてスキルのミスマッチが発生します。取締役として最適かどうかは不明確でも、その立場にふさわしい人材が一人しかいないという理由で、取締役に選任されるケースが多いからです。これ自体は否定すべきことではありませんが、その環境下でもできることがあります。
CEOを含めたボード候補へ、ボードとしての役割を明確に伝え、取締役としてのパフォーマンスを別途レビューしていくことです。そうしなければ、評価やフィードバックが執行面に偏重し、執行面での成果だけを理由に取締役であり続ける状況が生まれかねません。
ある程度成長した会社のCEOから、「CxOや執行役員層の質は向上したものの、経営の議論をするには物足りない」という声を聞くことがあります。多くの会社は、この課題を認識しながらもボードの構成変更には踏み切れません。
しかし、一部の会社では執行と取締役の役割を見直し、改めて選任をし直すというステップを踏んでいます。この違いが、その後の成長に大きな影響を与えることになります。
初期に構築したボードの体制をそのままIPOまで維持するのか、それとも途中で役割の再定義とレビューを行ない、取締役としての適性を見直すのか。これは、特に順調に成長している会社ほど重要なテーマとなります。
ただし、この変革は困難を伴います。なぜなら、取締役就任は一種のリワードとみなされている部分があり、信頼関係の証しでもあるため、その見直しは人間関係に及ぶコミュニケーションの課題でもあるわけです。ビジネスが順調な場合、特にこの変革は避けられがちです。ただ、私からすると、それは創業者が「優しすぎる」というイメージを持ちますね。
しかし、企業が10年、20年、30年と存続していく中で、ボードが変化しないということはあり得ません。この新陳代謝をどのように行なうかは、経営の持続的なアップデート能力を示すリトマス試験紙のようなものとなります。
プレIPOの段階でこうした議論と実践ができている会社は、経営力の向上やボードの改善に関する知見が蓄積されており、より「20年後も良い形で存続できる」という期待が持てます。一方、特定の個人に依存した体制のまま、変化の経験がないままでは、その個人がパフォーマンスを発揮している間は良くても、会社として持続的に成長できるかという点で不安が残ります。
これらの課題に対して、私たちのような外部のステークホルダーが継続的に問題提起を行ない、変革の機会を探ることが大事です。ただし、最終的には創業社長が心の底から納得して実行する必要があります。外部からの強制ではなく、経営者自身が「これをやらなければ次の段階に進めない」と確信したときに、真の変革がはじまるのです。
多面的な取締役教育が必要。そこで果たす社外役員の役目
前田:社内取締役について伺いたいのですが、今まで執行にフォーカスしてきた経営陣が取締役になったとき、どのように意識を変えていく必要があるのでしょうか。
村上:少し段階に分けて考えてみましょう。
最も基本的なことは「そもそも取締役とは何か」という理解です。有名な経営者でも、5年前には取締役の本質的な役割を十分に理解していなかったケースは数多くあります。当然、社長以外の取締役候補者が「取締役の役割」を理解しているかというと、そうではないケースも大半です。このような状況を前提に、多面的な取締役教育が必要になります。まずは取締役のいろはを最低限学ぶことが重要です。
取締役としての学びは、OJTで得られる部分も大きいものです。完璧な取締役はいませんし、スタートアップの場合は経験のない人が取締役になるケースが多いのも実情です。取締役としての経験値が十分な状態でスタートできることはほとんどありません。そのため、事前教育は重要ですが、実際にボードへ参加してからの印象が、その人の取締役や役割に対する認識を大きく形作ることになります。
例えば、厳しい練習をする高校の野球部に入部すれば、甲子園へ行くためには「こういう厳しさが必要なんだ」と理解します。一方で、ゆるい野球部では「部活動とはこの程度のものだ」と認識してしまう。ボードも同じで、最初に経験する取締役会の質が、その人の取締役としての基準となってしまうのです。
前田:スタートアップだと、経験がない人もいれば、複数のボードを見たことがないという人も多そうです。
村上:そうですね、スタートアップの取締役からは「自社の取締役会しか知らないため、どうすれば良いか分からない」という悩みをよく聞きます。この問題に対しては、社外取締役が重要な役割を果たすことができます。
私たちのような社外取締役は、さまざまなボードを経験していることで、質の向上に貢献できます。つまり、社外取締役の役割は、具体的な判断や影響力の行使だけでなく、ボードのレベルを高めていくというサブアジェンダも担っているのです。
特に新しい取締役が加わるタイミングは重要です。先ほどのたとえと同じく、受け皿の土壌のレベルを上げなければボードも育ちにくい。その時点でのボードの質が、新任取締役の基準となります。そのため、実際の取締役会運営のレベルを高めておくことで、執行側から取締役に就任する方も、取締役としてより良いパフォーマンスを発揮しやすくなります。
「ボードのレベル感」はいかに評価できるのか?
前田:ボードのレベルをどのように評価するべきか、また個々の取締役をどのように評価すべきかについて、評価軸に対するお考えをお聞かせください。
村上:多くの取締役会を見てきた経験から言えば、ある社外取締役が参画することで取締役会が良くなっているという感覚は、多くの人が共有できるものです。
前田:確かにそうですね。
村上:しかし、その感覚が実際の評価プロセスに十分反映されているかというと、現状はそうではありません。今のボードの評価は、そこまで細分化されていないのが実情です。
社外取締役は指名の可否のみで実質的に固定され、社内取締役も「取締役としての機能」というよりは、その人のジョブグレードやパフォーマンスで評価が決まってしまう傾向にあります。不祥事による減給やノミネーションからの除外といった極端なケース以外、きめ細かなフィードバックはほとんど行なわれていません。
日本のトップ企業でも、こうした詳細な評価を実施しているのはごくわずかです。スタートアップではなおさらという状況ですが、本来はこうした評価の視点が非常に重要でしょう。
私自身が取締役として参画する際に意識しているのは「参画(前)」と「参画(後)」で、ボードにどのような変化をもたらせるかという点です。単に「この分野の議論が深まった」という個別の変化だけでなく、ボード全体のレベルが向上したと感じられなくてはなりません。ただ、その「レベルアップ感」は可視化されづらいこともあって、一般的にボード評価の範疇に入っていないんですね。
例えば、資金調達やリーガルのインプットをする、もしくは何か反対意見を述べるということは、個別の議論の精度を上げたという意味で評価されるかもしれません。ただ、私はもっとステップバックして見たときに、「この人が入ったことによって、ボードのレベルが上がったのか」が大切だと考えています。
この上げ方には大きく2つのパターンがあります。一つは、個々のアジェンダによる議論を通じて上げていくこと。要は、「今までこんなこと聞かれなかったし、ここまでの粒度を求められなかった。それが、具体的なガイダンスを持って、こういった粒度で議論してみると、確かに良い議論が進んで判断できた」という経験値を提供することですね。
もう一つは、具体的にボードのやり方を変えること。具体的なガイダンスを提案しながら、運営の仕方やボードメンバーの再配置、究極にはノミネーションにも関わりますが、それらを通じてボード全体のレベルを上げていくように影響力を行使するんです。
そういったことを通じて、「2年前のボードの雰囲気とは全然違うな」となれたことが、まさにレベルアップ感に対するボードの評価といえるはずです。スタートアップ企業の評価において時価総額の上昇が一つの指標となるように、取締役の評価においても「この人が入ることで経営やボードのレベルが変わった」という変化が重要な指標となるわけです。
最終的に企業価値との相関は避けられませんが、それだけでは測れない部分も多々あります。個別の議論の質の向上や、取締役会全体の成熟度の変化など、より細かな視点での評価が必要となるのではないか、と思います。
前田:主に社内経営者が、ボードを効果的に活用するために、何か進めておくべき取り組みや、作っておくべき体制はありますか?
村上:まず、ボードを社長一人で作ろうとしないことがファーストステップです。社長一人が悩んで、良い取締役会をどうしようかと考えていると、なかなか良くなりません。
重要なのは、現在のボードに関わっている人々と一緒に、自社の取締役会の課題を認識し、どのように改善できるのかを考えることです。これには社内の役員やボードオブザーブしている社内外の人々も含まれます。
特に社外取締役がすでに独立性を持って参加している場合は、その方が最も良い相談相手となるでしょう。このプロセスを経ずに、社長だけで考えても限界があり、考えたとおりにはならないものです。
チームビルディングと同様に、取締役会に関わる方々を巻き込みながら作っていくことが大切です。取締役会を変えたいのであれば、取締役会のステークホルダーと、変革を主導する社長が、しっかりと相談しながら進めていく。これがファーストステップとなります。
そのうえで、具体的な仕組みづくりに入っていきます。外部の視点で取締役会を改善できるような気づきを得て、それを変えていく。このプロセスを繰り返していく必要があります。
例えば、ボードセクレタリーのような仕組みを作ることで、ボードの運営に長けたチームが社内にでき、他のボードのレベルも理解しながら、足りない機能を提案していくことが可能になります。
重要なのは、社長一人で悩むのではなく、客観的に現在のボードの状態を観察し、意見を言える仕組みを作ること。実は、ボードをオブザーブしている人がいない会社も多くあります。また、オブザーブしていても、ボードの仕組みに対して有効な議論ができる状態になっていないケースも少なくありません。
ボードのミッションを明確にし、それを共有化して、全員が貢献する仕組みやリーダーシップを作っていくことが大事です。私が新たに参画した際、そういった意識が浸透していない場合は、それを徐々に広めていくことからはじめます。
これは経営における大事なアジェンダであり、ミッションとして確立していく必要があります。シード期の経営と同様、ミッションが決まり、メンバーが集まり、資金調達ができてステークホルダーが少しずつ動き出すと、自然と成長がはじまっていくのです。
納得感の醸成には、ロジックだけではない要素が欠かせない
前田:ここまで抽象的や概観的な立場をとりながら、ボードの重要性、それから果たすべき役割についてのアドバイスを数多くいただけたと思っています。そのうえで、もう一歩踏み込んだ具体論として、村上さんから「初めてボードに参加する人々へ」という前提で、守るべきルールや心構えのようなものがあれば、ぜひご教示いただけますか。
村上:ボードでの影響力の行使について、特に「押すとき・引くとき」の判断が大切です。単に意見を述べ続ければ良い結果が得られるわけではありません。相手に心の底から「納得」してもらう必要があるため、発言のタイミングとシチュエーションには慎重になる必要があると思います。
特に社外取締役、そして社長以外の社内取締役にとっても顕著ですが、すべてを自分で決められるわけではないからこそ、ボードは難しいのです。最終的には全員の「納得」が必要となります。経営者と取締役では、組織への関わり方が根本的に異なります。経営者は最終的に自分の意思で執行組織を動かすことができますが、取締役の場合はそうはいきません。
さまざまなステークホルダーが参加する場において、どのように伝え、気づきを促し、アジェンダとして認識させ、アクションに変えていくか。自分一人ではすべてを動かせないという認識を持ちながら、コミュニケーションを取っていく姿勢やマインドが大切です。
私自身、本来は饒舌な性格ですから、意図的に発言を控える場面もあります。例えば、エレファント・イン・ザ・ルームのときに、自分の発言で大きなインパクトを与えるという観点でいえば、静かにしてから一言伝えるほうが効果的なこともある。これも「押すとき・引くとき」の一つといえますね。
取締役会での判断は、単なる自己納得や自己ロジックでは不十分です。また、純粋な説得でもありません。確かに、合理的な意見を述べれば説得できるケースも多いのですが、そういった案件は比較的イージーな判断であることが多いのです。真に難しい経営の意思決定は、合理性だけでは不十分なのです。
取締役会のコミュニケーションにおいて、特に難しい判断が必要な場面では、合理的な説得だけでは不十分です。頭の良い人であれば、合理的な意見を聞けば「そうですね、分かりました」となりますが、本当に難しい判断の大半は、相容れない要素を含んでいるものです。
そのため、合理的な説得だけでは乗り越えられないケースにおいて、いかに合理的に判断してもらうかが重要になります。ここで重要なキーワードとなるのが「納得感」です。合理性を感じたかどうか以上に、全体としての納得感をどのように醸成できるかが問われます。この納得感の醸成には、ロジックだけではない要素が欠かせないのですね。
前田:そこで村上さんはどういった観点から切り込みますか?
村上:私が重視しているのは、プロセスです。どういうプロセスで意思決定がなされたのか。それが最終的な「納得感」に大きな影響を与えます。
例えば、ある人だけが話し続ける取締役会があったとすれば、それが創業社長であれ、特定の社外取締役であれ、「納得感」は生まれにくいものです。そのため、私が意図的に発言を控えめにする場合があるのは、できる限り多くの方の意見を引き出す機会を作るためです。私以外の取締役の方に意見を求めることもしますが、同様の狙いがあります。
自分の意見を述べることよりも、さまざまな意見、特に反対意見や異なる視点を持つ人の意見がしっかりと出てくるかどうかをオーケストレートしていく必要があります。オーケストラの指揮者のように、適切なタイミングで適切な音が鳴るように配慮するのです。
取締役会には重要なステークホルダーしか集まっていません。そのため、個々人の不満や不安を解消できるようなコミュニケーションの場を作ることが重要です。効果的な取締役会とは、単に合理的な判断ができることだけではありません。最終的には人と人との関係性の中で進められる以上、「納得感」が極めて重要だと理解しておくのが大切だと思います。
このようなプロセスの設計は、会社に大きな経験値をもたらします。会社規模が大きくなるほど仕組みやプロセスの重要性が増しますが、難しい意思決定は最もその経験値が大きくなると思います。適切なプロセスがないとワンマン化したり、ガバナンスが弱くなったりする可能性があります。また、機械的な合理性は高まっても、経営力が弱まるというジレンマに陥ることもあります。
そのため、ガバナンスの観点と合理性に加えて、納得度を意識したプロセス設計が重要になります。このプロセスを無視した経営をやりすぎると、「合理的だけれども納得感がない」とか「合理的だけれども成長しない」とかいった状況に陥ります。だから、私はガバナンスや合理性に加えて、「納得感」を意識したプロセスを大切に考えています。
前田:今のお話を伺えて良かったです。村上さんがどういうスタンスでボードに参加されているのかも理解できましたし、村上さんが参画されているボードの経営者も、まさに「納得感」があったのではないでしょうか。
村上:意外といろいろ考えているよ、と示したいわけではないんですけどね(笑)。もちろん、今日話したことは知ったからすぐにできるわけではない部分もありますが、一切ないままにボードと向き合ってもうまくいかないでしょうから。
全員が「意思決定者であり、経営者である」スタンスを持とう
前田:最後に、これからボードへ挑戦する企業家へのメッセージをお願いできますか。
村上:取締役会に参加する経験は、とてもスペシャルなものです。これは個人で行なう活動とは全く異なる、特別な機会だと捉えるべきです。
普段は経営やプロフェッショナルな活動をされている方が、取締役として参画するとき、このスペシャルな場での役割を最大限に理解し、楽しみながら、一個人としてのパフォーマンスを追求していただきたいと考えています。
ここで重要な視点として、私は「自分は社長ではないので意思決定はできません」「社外取締役なので経営しているわけではありません」といった、決定に対して謙虚すぎる姿勢は適切ではないと考えています。
むしろ、ボードに参画するからには、自分が意思決定者であるというスタンスをしっかりと持つべきです。そのうえで、社外取締役としてのバランスを取れば良いのです。まずは自分が経営している、自分が意思決定していく、という心構えで臨むことが大切です。
ボードは最高意思決定機関です。そこに参加するメンバーは、自分が意思決定者であり、経営者であるというスタンスを持つことが多くのステークホルダーから期待されています。このような意識を各個人が強く自覚することで、社外取締役という役割自体の価値も向上し、結果として日本の経営レベルも上がっていくはずです。
一人ひとりが、自分が意思決定している、経営しているという意識を強く持つこと。それがボードの質を高め、企業の持続的な成長につながっていくと私は考えています。