2022年5月、CFO・経営企画向けの経営管理SaaSを提供するログラス社は、ある制度をセールスの評価制度に組み込みました。
「OTE(On-Target Earnings)」
お客さまの成約金額に対してインセンティブが支給される制度で、外資系企業では比較的、一般化された制度です。一方で日本国内のスタートアップにおいては、まだまだ導入実績が少なく、事例らしいものも存在しませんでした。
なぜ、ログラスはOTEを導入する決定を下したのか。そして外資系企業と比べて、資金が決して潤沢とは言えないスタートアップにおいて、果たして機能するのか。
今回は、組織の初期段階から評価制度やカルチャーづくりに積極的に取り組んできた創業者でCEOの布川友也さんに、OTE制度の導入に至った背景やプロセスについてもお話を伺いました。
単なる導入ストーリーではなく、ログラスの「カルチャーファースト」の取り組みと「熱狂的な採用への取り組み」と併せてご覧ください。
求職者に、ログラスの魅力を“悔いのないように”伝え続ける
──ALL STAR SAAS FUNDのシード投資以来、布川さんの組織づくりを拝見してきましたが、評価制度やカルチャーを意識した経営に取り組まれてきたと感じています。創業して間もないころの、こだわりなどお聞かせいただけますか?
布川:創業当初は評価制度よりも、カルチャーの重要性を強く意識していました。スタートアップはキャッシュが常に火の車で、いつ潰れるのかもわかりません。そんな状況で評価制度や人事制度を創業期から固めても、事業も会社も伸びなければ本末転倒です。制度を固めることに時間を割くならば、お客さまと会う方が良いと思っていました。
一方で、創業期に作り上げるカルチャーや組織の方向性は、創業メンバーや社員番号が小さい人間たちが醸し出す空気感によって決定すると思っています。ベン・ホロウィッツが書いた『WHO YOU ARE』でも、「最初の7人がカルチャーの全てになる」といった言葉にも触れていましたからね。人事制度は後からでも導入できますが、カルチャーは揺り戻しの効かない最たる例だと考えていたので、はじめからこだわりました。最初の数人はカルチャースクリーニングで採用していきましたね。
──初期メンバーはカルチャースクリーニングで採用し、組織の基盤を構築。そこから約3年で組織の規模は16倍(2020年1Q-2023年1Q比)にまで拡大してきました。質と量、それぞれを担保するための礎となったエピソードなどありますか?
布川:創業から約1年が経った頃、今も活躍してくれている非常に優秀なエンジニアを採用できたときのことです。彼は新卒で入社したメガベンチャーで活躍していたのですが、ログラスもキャリアの選択肢に加えてくださり、アトラクトの結果、結果的にログラスへの転身を決めてくれました。
その際、所属企業からの引き留めもありましたが、僕らはとにかく目の前の候補者に対して、覚悟と未来を伝え続けました。ログラスを選んでくれたことを後悔させない、絶対に明るい未来であるということを。ログラスの価値を社員はもちろん、これから出会う新しい仲間たちに悔いのないように伝え続けることが重要だと学んだんです。
これが、現在のバリューである「But we go」の原型ともいえるかもしれません。僕らは5年や10年といったスパンで、いかなる形であっても必ず勝つという確信を持つこと。そして、目の前で起きている課題に対しては厳しく向き合い、妥協せずに対処すること。これらを両軸とするカルチャーこそがログラスであるのだと、気づけたエピソードでもありますね。
内定承諾率70%を支える、「採用狂気」な取り組み
──採用への圧倒的なこだわり、そして強い自信を感じさせてくれるエピソードですね。では、ログラスとしての採用への想いの強さを、どのような形で採用施策に落とし込んでいったのでしょうか?
布川:明確に変化させたポイントはいくつかありますが、まずはオファーレターを作るようになりました。単なる労働条件が記載されたものではありません。候補者に対する評価、入社後の活躍への期待、チャレンジやアンラーニングを促すポイント、そして労働条件を明記しています。代表取締役から贈る手紙のようなもので、高級な紙に印刷していますね。
もう一つは、オファーを出した当日の夜には、オフィスで一緒に働くことになるであろうメンバーと一緒に、ログラスの未来について語り合う「アトラクト会食」を開くようになりました。これら3つはワンセットで実施することを徹底して、徐々に定着していきました。
──オファーレターの導入は、内定承諾率にどの程度寄与していますか?
布川:オファー面談時に「レターがもらえて嬉しい」といった声をいただくので、明確に何かしらの効果があるとは感じます。数値としては算出してはいませんが、ログラスの内定承諾率は全体で約70%ですから、高い水準にあるとは思います。
──たしかに素晴らしい数値です。施策の実施においては現場の協力が必要だと感じますが、メンバーに主体的かつモチベーション高く関わってもらうための工夫はありますか。
布川:各部署に「ハイアリングマネージャー」を置いています。これはHRとは別に、その部署の採用を全力で推進する役割を持つ人を指定しているのです。取材時点でのログラスの社員数は約70人ですが、そのうち7人がハイアリングマネージャーとなっているため、全体の約10人に1人が役割を担っています。
また、ログラスのOKRには、常に採用に関するKey Resultsを含めています。部署ごとに採用する目標人数を設定し、その達成度が評価に反映されるのは大きなポイントです。
さらに心がけとして、「採用狂気」という言葉を社内に浸透させています。元々はUbieが発信されている言葉で、ログラスでも取り入れています。採用は普通にやっていてもダメ、どの会社よりも採用に対して熱狂的に取り組まないと、ログラスには来てくれないというものだと。
具体的な取り組みとしては、表彰制度で「採用狂気賞」を設け、リファラル採用などを頑張った人を讃えています。あとは、オフィスにはガラス張りのスカウトルームみたいなものを設けて、通りかかる人を巻き込んで、その部屋で共に30分間スカウトメールを送り続けることもあります。
私自身もCTOの坂本龍太とともに毎日のように採用活動を行なっています。私たちは毎朝9時から10時までスカウトメールを送る時間として設けていて、出勤中や移動中であっても、スカウトメールを送ることに専念しています。
スターではなく、「会社を好きになってくれる」人材を集める、採用とオペレーション
──ログラスの採用においては、現場の主体性や協力が欠かせないことがわかりましたが、究極のところ「ログラスが好きだ」という想いに支えられているのだと感じます。その上で、どのようにカルチャーづくりに取り組んでいるのか、聞かせていただけますか?
布川:会社のことを好きになるには、結構な才能が要ると捉えています。仕事を仕事として割り切るタイプや、スキルが活かせるという観点で職場を選ぶタイプだと、「好きになる」まではいかないのだろうと。そこで、エントリーマネジメントとして、採用時にどんなタイプの人を選考するのかを明確に決めています。
具体的には、かつてGoogle for Startupsに参加していた際に紹介された、「シリコンバレーのハイテクスタートアップを5つの類型に分類する」という研究をベースにしています。その中には、Netflixのように仕事が大好きで、成果が出ていれば何でも良いというスター型、仕事ドリブンでスキルフィットを見て、自由な雰囲気があるエンジニア型などがあります。
ログラスでは、コミットメント型の組織を志向しています。採用基準に「カルチャーフィットあるいはカルチャーエキスパンドができる才能があるか」を据えて、ログラスの組織文化の中で働きたいという志向を持っている人を選考します。
面接では「過去の組織では、どういう形で貢献したかったのですか」と尋ねて、自分自身が出発点となってスキルや成果といったエピソードを話す人は、比較的スター型やエンジニア型に類することが多いようです。そうではなく、会社のミッションからの逆算思考や、組織や社会に貢献したいという夢を持っている人は、比較的コミットメント型の素養が高いと判断して、積極的に採用します。
また、文化を維持するための仕組みとしてのピアボーナスも大きいです。創業期から行なっていて、Slackのチャンネルで「タコス」という名前のボーナスを送るシステムです。1タコス10円ほどの価値があって、Amazonのギフト券に交換できます。そして、誰が、どのようにタコスをもらったのかが全社員に公開されています。ピアボーナスが良い行動を可視化し、その行動を賞賛し、文化を維持する助けになっています。
他人に対してギブをする、良いフィードバックができる、という観点をログラスでは「Feed forward」というバリューに込めています。未来を見据えて、組織の未来のために他者を称賛したり、他者に対する指摘をしたりして、それを素直に受け入れてアンラーニングしよう、という意味合いです。このバリューを、ピアボーナスによって体現しているんです。
心理的安全性にもつながり、自分の業務をいかに改善して全体に貢献するのかも見えやすくなります。こういった文化が創業期から培われているのは、ログラスの大きな特徴と言っていいでしょう。
あとは、定期的に全く仕事のことをせずに、ひたすら楽しむ合宿を開いています。参考にしているのはビズリーチの文化です。特にSaaS企業のオペレーションは淡々としている日々が多いものです。とにかく楽しんで思い出をつくることによって、メンバーにログラスで過ごしていることに対しての良い記憶を残していくことを徹底しています。
直近1年でフィールドセールス10人を採用──OTE制度のメリットを実感
──Ubieやビズリーチのような成功事例をうまく取り入れて、それを自分たちの特徴に合わせているわけですね。そのログラスが、OTEを導入する理由は何だったのでしょうか。
布川:ログラスの製品は高単価で販売が比較的難しい上に、ディストリビューションが非常に重要だというのは創業期から強く感じていました。
ディストリビューションが強いSaaSと言えば、私の中ではSansanやビズリーチが思い浮かびます。とにかく営業組織が強い企業が圧倒的に優位に立つというイメージが明確にあった中で、徐々にSaaSプロダクトはエンタープライズ化し、価格も高くなり、多くのSaaS企業が乱立しはじめ、各種の選択肢が豊富にある状況が出てきました。
その中で、良いカルチャーと良い製品を持ち、成長しているSaaSスタートアップというだけでは採用が難しくなると感じたのが、創業2年目の頃です。そこで、突出して目立つ制度を作ろうという意識が生まれました。
特にOTEは外資系企業では非常に合理的な制度であり、僕らもSalesforceを参考にしましたが、売れる人が圧倒的に評価され、自分がどうすれば達成できるかを日々考えるようになるという、自立的に進化するプロセスが制度によって生まれるだろう、という期待がありました。結論としては、ログラスがSaaSスタートアップの金字塔になるために、他社と差別化を図るための制度導入だったといっていいでしょう。
──ここ2〜3年間でエンタープライズのセールス人材を求める企業は確かに増えていますからね。実際にOTEを導入して、メリットやデメリットはどのように感じましたか?
布川:メリットは明確にありました。まずは、採用力が格段に上がったことです。ログラスでは、直近1年でエンタープライズを担当するフィールドセールス人材を10名ほど採用できました。取材時点の社員数は70名ですし、他の企業から非常に優秀なセールスの人たちが加わってきたこともあり、かなり採用がうまくいっている状態です。
2つ目のメリットとして、実績を挙げている人がセールスチームにおける「社内スター」になれることです。他の職種とは異なり、大きなアップサイドを持っている存在が、他のメンバーにとって自身の目指すべきイメージとなり、チーム全体が前進し続ける動機となっています。
一方、デメリットについては、ダウンサイドリスクが大きいため、それを受け入れられない人にとっては厳しい制度でしょう。プレッシャーもありますし、スタートアップ的なカルチャーとのバランスを保つのが難しい面もあるかと思います。
──なるほど、OTE制度があると、そこから学び、実践する意識が芽生える。それにより、達成した人の活動は社外の人からも学びたくなると。
布川:そうですね。OTE制度が導入できるかどうかは、その企業でトップセールスが爆誕できるかどうかに懸かっているのだと感じます。全員がミドルレンジで売れているような状況ではなく、トップセールスが1人でもいて、その人の存在にみんなが刺激を受け、自分たちも早く追いつきたいと思う。それが喜びや悔しさを生むような会社であるほど、OTE制度はうまく機能するのだと考えます。
また、他人へ価値を返したいと思える「ギバーな性格」のメンバーがいるからこそ、OTE制度が邪悪にならないのでしょう。
──OTE制度が向いていないと思われる企業の特徴は何だと思いますか?
布川:個人的な見解では、SMB向けの低単価SaaSの企業はあまり向いていないかもしれません。その理由は、低単価SaaSは常に売り続けることが求められる中で、比較的チーム戦になりやすく、個人のスキルよりもTHE MODEL的なインサイドセールスの供給量が重要になってきます。そういった仕組みに依存する以上は、OTE制度とはあまり相性が良くない。
あとは、社内に明確なトップセールスがいない企業です。プロダクトの性質によるものかもしれませんが、時期によって販売量に差が出やすい場合も、導入は見送った方がいいと思いますね。
OTE導入には、カルチャーと経営者の覚悟が欠かせない
───OTE制度を導入するにあたって、プロダクトがPMFを一定で達成しているかどうかが非常に重要だと考えます。ログラスでは「ここまでPMFを達成したら、OTE制度を導入しても大丈夫だろう」と思えるような基準はありましたか?
布川:PMFは絶対に必要ですね。基準としては、Fondの福山太郎さんがおっしゃっていたことと同じですが、「2人の営業を採用して、2人とも売上を達成したら、それがPMFだ」と思っています。つまり、1人だけが成功している状態では、その成果が再現可能かどうかはわからないですよね。少なくとも2人、できれば3人以上が、一定期間にわたって安定して売り上げられるプロダクトであれば、PMFと言っても差し支えないでしょう。
──OTE制度が日本のスタートアップ界隈に浸透してこなかった理由は何だと思いますか?
布川:主には、カルチャーと経営者の覚悟によると思います。
まず、カルチャーの面では、OTE制度と、いわゆるスタートアップカルチャーとの間には難しい面があります。私の考えでは、給与は基本的には他の企業と足並みをそろえやすいもので、どこかの企業が突出したとしても、それがプラスになるかマイナスになるかは市場環境によると思うのです。アメリカの企業では、周囲がOTE制度を採用しているから、それが当たり前として捉えられています。もし、OTE制度がなくても営業人材を確保でき、売り上げが伸びているなら、それで構わないという考え方になるでしょうから。
もう一つの要素は、市場環境を破壊するほどの覚悟がなければOTE制度を導入するのは無理だということです。そこに、デメリットを必要以上に恐れてしまう経営者の不安も入り混じってくる。これら2つの要素が組み合わさって、OTE制度が浸透していないのかもしれません。
──布川さん自身はそのような不安は感じなかったのですか?
布川:いえ、もちろん大きな不安がありました。しかし、それよりも、何もしないこと、挑戦しないことによるデメリットの方が大きいと思ったんです。
ログラスは創業期からセールスの採用に苦労していて、ARR1億円にいくまでの2年間は、私1人で営業活動をしてきました。早く権限委譲しなければいけない、と危機感を常に覚えていました。その時の恐怖感や絶望感と比べれば、OTE制度を試して失敗することの方がはるかに楽だと感じたので、その時点で制度を導入する意思決定をしたんです。
──もし、導入当時に戻れるなら、何か改善したい点はありますか?
布川:アップセルについて、でしょうか。セールスがランド・アンド・エクスパンド戦略を用いて、まずは小さくエンタープライズの企業に入り、その後に次第に事業を拡大していくと、それは一定の意味でセールスの成果であるとともに、カスタマーサクセスチームの成果でもあると言えます。
私たちのお客さまの中にも、最初は小さな規模だったのに一気に大きくなった企業があります。その企業では、セールスチームのメンバーが一生懸命に新規開拓を行ないました。でも、その成果はOTEには含まれません。これは、CSチームの成果とセールスチームの成果を公平に評価する必要があるという問題です。これについては、初めから考慮に入れておけば良かったと振り返っています。
「3つの土壌」がOTEのポテンシャルを開花させる
──OTE制度の導入は、ログラス全体の成長にどのように影響を与えていると感じますか?
布川:まだ具体的な変化をはっきりと語るのは難しいのですが、影響を感じるポイントはいくつかあります。同じような競合のSaaSスタートアップに対しては明確に差別化ができましたし、「人生を変えたい」とか「圧倒的なチャレンジをしたい」とか思う野心的な人が入社してくれるようになったのは、成長に大きく貢献してるなと思っています。
一つの変化としては、ログラスのストックオプション制度にあります。ログラスではストックオプションを社員へ多く配っています。OTE非対象の社員は、自分の俸給や職種、評価に基づいて獲得できるストックオプションを100%受け取ることができます。OTE非対象の社員は、最大限のストックオプションを享受できる制度ではありますが、これが最善の方法であるかどうかは今後に評価していきたいところです。
一方、OTE対象の社員には、ストックオプションは半分となります。それは、OTE対象の社員は他の社員よりも平均的に給与が高く、さらに大きなアップサイドがあるためです。つまり、これは「将来もらえるリターンを今に前倒しで受け取る」という制度になっています。対象の社員と非対象の社員、それぞれにとってしっかりとメリットを用意し、ハレーションが生まれないようにも気をつけましたね。
また、期末にしっかりと受注タイミングを入れ込むという文化が強化されました。ログラスでは、期末に成果を達成することが絶対であり、これが個々のOTEにも影響するため、社員の意識レベルが大幅に向上しているのではないでしょうか。
──OTEを導入すべきか迷っている企業に向けて、何かメッセージがありますか?
布川:まず、自分の会社が本当にOTEを導入できる状況にあるかどうかを確認することが重要です。私の見解としては、以下の3つの土壌が揃っている場合、OTE導入は成功する可能性が高いと言えるでしょう。
1つ目は、トップセールスが生まれる環境があるかどうかです。つまり、その人のスキルや努力によって、明確に売れる売れないの差分が出ることが見えているかどうかが大事です。
2つ目は、自社のSaaS製品が高単価SaaSであることです。具体的には、ACVで1,000万以上の案件が生まれ得るSaaSプロダクトなのか。数百万円未満のSaaS製品では、OTE導入との相性が悪いかもしれません。
3つ目は、会社のカルチャーが徹底的に浸透しているかどうか。これを確かめるのは難しいのですが、eNPS(Employee Net Promoter Score)という指標が参考になります。例えば、私たちの会社では「+75」という非常に高いeNPSが出ています。もし自社のeNPSが20を切っているような会社であれば、OTE導入が邪悪な制度になるリスクがあると考えられます。ですから、自社のeNPSのようなエンゲージメントスコアを測り、その水準がどの程度であるかを見極めてから導入を検討することをお勧めします。
また、OTEの導入に際しては、批判者やデトラクターズ(反対者)の比率が高い会社であれば、セールスの特別扱いに対する不満や責任の押し付け合いが起きやすくなるため、注意が必要です。