Sales Enablement(セールス・イネーブルメント)という言葉を聞いたことはあるでしょうか?
英単語のEnablementは「機能などを有効化すること/〜ができる状態にすること」を表しています。その言葉を冠したSales Enablementは、「営業組織やセールスパーソンを対象に、期待する働きができる状態にし続けるための取り組み」といわれます。
海外で先行し、日本でもマーケットやニーズが広がりつつあります。どのような効果が望め、なぜ取り組むべきなのかについて、今回は2人の知見をお借りします。
SmartHR 工藤慧亮さん
証券会社での営業職、会計系SaaSのfreeeでインサイドセールスを経験し、2017年11月にSmartHRにジョイン。SmartHRでは、前職の経験を活かし、インサイドセールスチームや営業企画チームの立ち上げに従事してきました。現在は、Sales Enablement、施策の企画、業務フローの改善(Ops)といった業務に携わっています。
R-Square & Company 共同創業者 兼 代表取締役 山下貴宏さん
今回のテーマであるSales Enablementに特化した支援企業、R-Square & Companyの共同創業者であり、代表取締役を務める山下貴宏さん。日本ヒューレットパッカードやマーサージャパン、セールスフォースといった企業で、法人営業、人事、Sales Enablementに携わってきた経験をもとに創業されました。
「SmartHRでも、もっと早くから取り組んでいればよかった」
と話す工藤さん。そう振り返る言葉から、営業組織の成長角度を高めるSales Enablementの効力が垣間見えました。
「セールスメンバー20人」がタイミングのひとつ
──まずは山下さん、Sales Enablementをどう捉えているか、教えていただけますか?
山下:「成果を基点に営業を育成し、ちゃんと成果が出せるようにする」ことだと考えています。従来の育成はトレーニングだけで終わっていたところ、こちらは成果を最終的なミッションに置いているのです。
海外では、“Chief Revenue Officer”と対になるポジションとして、“Revenue Enablement”も出てきています。SaaSのRevenueを生み出す部門にSales Enablementを実践していく役割ですね。
──ありがとうございます。工藤さんがSales Enablementに取り組まれたきっかけは何だったのでしょうか。
工藤:主なきっかけは2つあります。売上の成長の角度とスピードをもっと上げていきたいこと、社員が増えてオンボーディングを型化したかったことです。タイミングとしては、インサイドセールスとフィールドセールスを合わせて約40人を超えた時でしたね。
──振り返ってみて、タイミングは適切だったと思いますか?
もう少し早くやっておけばよかったくらいです。
理想でいえば20人ほどのタイミングではないでしょうか。
工藤:もう少し早くやっておけばよかったくらいです。理想でいえば20人ほどのタイミングではないでしょうか。40人くらいの規模になると、次々に入社する人に対して研修などのインプットを準備する一方で、既存メンバーにもインプットをしなくてはならない状態になりがちです。
すると、既存メンバーからインプットの方法や内容について疑問が出たりすることもあります。メンバー間での足並みを揃えてスピード感をもって施策を進めていくためには早期から着手をするに越したことはないと思います。
──その点でも、成果にフォーカスをするSales Enablementは向いていそうです。
工藤:各社の課題感によるかとは思いますが、セールスが合計100人になってから取り組むのは大変そうですよね。やはりメンバーから納得感を得られることが一番なので、成果を最大化していくためには施策を始めるタイミングが重要です。
ファーストステップにインタビューは欠かせない
──山下さんの会社に依頼されるスタートアップだと、どういった危機感を抱いていることが多いでしょうか?
山下:売上のトップラインを上げなくてはならず、そのために中途採用者を増やす過程で、育成プログラムの基盤を構築したいというのがほとんどです。規模感は50人程度で、100人超えも見えている段階。採用計画に連動していることもよくあります。
工藤:SmartHRでは競合が出てきたり、プロダクト自体が複雑化してきたりといった背景がありました。2021年の状況を想像した「あるべき姿」から逆算して課題を設定したんです。例えば、マネージャーを8人ぐらい置いて、各チームにメンバーを配属すると想定すると、マネジメントの課題も浮かんでくる。メンバーが増えたら立ち上がりも素早くしたい、といったふうにです。
山下:むしろ、それほど人数が増えない見込みであれば、Sales Enablementへ投資するよりも、現状のセールス人員に注力・個別最適化をするほうが、成果が高まる可能性はあります。
工藤:曖昧かつ属人化は進むけれども、売上は達成できるという感じですね。それなら、私もそれでいいのかなと思います。ただ、SmartHRの場合は、将来的な人員の増加と組織のスケールを実行していくためには個別最適化だけではなく、全体を底上げしていくためにも取り組みました。
──実際のファーストステップとしては、どこから入るのでしょうか。
山下:前提は、育成課題をどこに置くのか、育成テーマをいかに決めるのかです。それがないと、進む方針が見えませんからね。
それから、営業活動をある程度データとして見えるように整備するのがいい、と思います。Sales Enablementは成果でもって検証するわけですから、その実績データが必要です。基点はデータで、検証から終点もデータにする、というように行き着きます。
──SmartHRの立ち上げ時、データの基点はどのように置かれましたか?
工藤:私たちはSalesforceを用いながら、商談におけるお客さまの意思決定のプロセスを管理する営業フェーズをはじめとしたオペレーションを浸透していたので、幸いなことにデータが貯まる状態は構築できていたんです。それが功を奏してスタートダッシュが切れました。
当時、山下さんともディスカッションをして、営業フェーズの中盤フェーズである「企業の意思決定者にアプローチを行うフェーズの突破率を上げていく」と良いのではないかという仮説を持ち、メンバーにインタビューを実施しました。データの観点に鑑みてもフェーズごとの突破率をそれぞれ比較した際にも定量的にインパクトのある仮説でした。定性・定量の両面から仮説を立てて立ち上げを実施したことで良いファーストステップになったと思います。
机上の空論ではなく現場起点のナレッジを
──インタビューをする際のポイントは?
山下:「フェーズを上げるためのキーアクションが何か」を抽出することです。最終的に現場の納得感を得られるのって、データと実践者なんです。つまり、「できている人は何が違うのか」を伺っていきます。たとえば、お客さんの業務や意思決定の流れまでリアルに描けている人はいいですね。
──なるほど。企業の意思決定者にアプローチを行うフェーズの突破率が高いトップセールスの方をピックアップして、デイリーで何をしているのかを聞いていく、といったような。
山下:そうですね。結構細かく聞きます。
──課題がわかった後は、どういうアクション取られるんですか?
山下:業務理解のためのコンテンツやトレーニングを整理します。まさにSales Enablementの役割です。旧来のように「誰かに聞いて」だと属人化してしまうので、ある程度は「何を聞くべきか」や「どういった観点でお客さんの業務は流れているのか」といったポイントを押さえてあげるのが大事です。
工藤:SmartHRでは、山下さんたちにコンテンツの制作も手伝っていただきました。営業フェーズの理解、課題ヒアリングの仕方、オブジェクションハンドリング、インサイドセールスのオペレーションといった項目を、SmartHR流の解釈による捉え方でパッケージングしていきます。それを、人によって見る項目数を変えたりしながら提供しています。
社員からも、最初こそ「研修が増えた」と難色を示す人もいたのですが、満足度を取ってみると全体平均でも5点満点で4.5点をほぼ超えていました。ロールプレイングを多く盛り込み、その中でいろんな人のトークスキルを盗めるようなポイントを毎回設けたことで「他のメンバーのトークや事例を聞く機会が増えた」ことが高い満足度を得られた理由だと感じます。
やはり、「明日から使えるテクニック」が机上の空論ではなく、自分が所属している会社で成果を上げている人の話がもとになっているのが大きいのではないかと思います。ピープルマネジメントなどのノウハウを提供する人事的な研修と、現場ですぐに使える営業テクニックを学ぶSales Enablement的な研修と、両面が合わさって効果が最大化するのだと感じます。
運用半年でも目に見える実感
──山下さんが支援されてきた企業には、データがそろっていない、何もナレッジが作られていないといったところもあったのではないかと思います。そういった企業がSales Enablementに取り組む際には、概ねどの程度のタイムラインを見ておけばよいですか。
トレーニングの体系を揃えるのであれば、スタートアップなら半年ほどがひとつの目安になるでしょう。
山下:ゴール設定にもよりますが、トレーニングの体系を揃えるのであれば、スタートアップなら半年ほどがひとつの目安になるでしょう。エンタープライズは複数の意思決定が絡みますから通常でも1年はかかります。いずれにせよ、手を動せる理解者が内部にいれば、スピードは加速すると思います。
──実際に、SmartHRでも半年ほど運用され、変化や成果は見えてきましたか?
工藤:弊社もスタートアップなので、前年対比が全く当てにならない世界です。評価が定性的になるのは致し方ないところもあります。マネジメントがしやすくなったり、自分でスキルアップしていくゴールを描けるようになったりと、属人化せずに共通したナレッジが巡っている状態になってきたのは、すばらしい成果だと思います。
Sales Enablementの良い影響としては、仕組み化されたオペレーションが回ると、精度の高いデータが取れるようになり、営業活動の分析が捗るようになります。「来年はどこの業界を攻めようか」と考えたいときにも、営業はデータを持っていなかったというケースがこれまではありましたが、大きく減ったなと思います。
──たった半年でも実感できることがあるのは、投下するリソースに対しての効果の大きさを期待させますね。
工藤:私だけでなく、メンバーの皆さんとの共通認識である「現場感」を持ち続けることは勿論ですが、いわゆるVP(Vice President)や営業責任者などセカンドラインのマネージャーと一緒に悩んで考え、納得感を持ち続けることも本当に大事です。研修は、あくまできっかけを与えることにあって、そのきっかけに対してマネージャーがフォローをしてくれる。マネージャー同士も認識のすり合わせが出来てきていますし、そういう面もSales Enablementの付随的、相乗的な効果であると感じます。
山下:そういう意味だと、最初から共有をベースにトレーニングしているので、今後は「共有することが当たり前」みたいに人材も育ちますね。
工藤:「誰々の、こういうところがすごく良いから見てください」とマネージャーからの発信があったりします。
山下:理想的です!
Sales Enablementは営業「組織」を強くできる
──グッドニュースは聞けたところで、立ち上げにあたっての落とし穴みたいなものはあったりしますか?
工藤:正直に言うと、あまりありませんでした。一般的に大変だろうと思われる要因は、営業フェーズやオペレーションが整っていないことです。あとは、マネージャーや経営陣が先だってOKを出さないことかもしれません。
直接的に売上を出す部署ではない、コストセンターではあるので、「半年でだめだったらやめる」とマネージャー、経営陣から言われると難しい。半年では結果が出にくいので1年、2年とかかることへの合意が得られないと、施策を進めるのはなかなか難しいです。意外と落とし穴になりがちな点かと思います。
山下:本当にそうですね。我々もご支援するときに、トップ層や役員層が必要性を感じて走る企業では速く、長く続きますし、取り組みがちゃんと動きます。でも、ボトムアップで、現場は重要性を認識しているんだけど、上からのご理解が得られない、コンセプトが伝わっていない状況だと頓挫しがちな印象を受けます。
──トップ層を説得する決まり文句はありますか?
山下:「成果につながります」かな(笑)。
成果に直結する取り組みですし、「育成が重要でない」と思っている会社もほとんどない。ただ、それが今までの育成とは異なることをご理解いただけるかどうか、だと思います。
──ありがとうございます。今後、どのようにSales Enablementを強化していきたいですか。ヴィジョンをお聞かせください。
工藤:現時点の課題は、同じナレッジがインサイドセールスでも、カスタマーサクセスでも使えるので、ビジネスサイド全体でSales Enablementをより横断的なプロジェクトにしたいと考えています。セールスだけを強化しても全社的な売上は最大化しません。共有ナレッジと専門ナレッジに分けて、カスタマーサクセスでよく使われている資料が営業としても分かる、といった状態にしていきたいです。
また、セールスマネージャーのコーチングについても山下さんにも今まさにお手伝いいただいています。ピープルマネジメントとは別に、チームメンバーの商談を前に進めるスキル、チームメンバーの活動プロセスを管理する、売上を正確に把握するといった、さまざまなスキルがマネージャーに求められてきているなかで、後者の課題について人事的なアプローチではサポートしにくいのが現状です。こうした「セールスマネージャーとしてどうあるべきか」についてを今後は社内で体系的に学べるようにしようと思っています。
弊社は、これまでマネジメントを経験してこなかったマネージャーも多く、今後もそういった層は増えていくと思いますので、教育期間を設けることで将来像も描きやすくなるはずです。
──山下さん、Sales Enablementによる中間管理職のコーチングは、どういった内容になるのでしょうか。
山下:大きく2点あります。ひとつが「メンバーの何をコーチングすればいいか」という観点。旧来はマネジャーの経験値に依ってきたところを、コーチングすべきポイントにまで落とし込み、ガイドにしてもらうやり方ができると思います。
もうひとつが「コーチングはいかにすべきか」という“How”の標準化。「商談レビュー」と「コーチング」の違いが理解されていないケースなんて、よくあります(笑)。「何を、どのように」という観点を整理するだけでも、指導や支援の仕方は変わるものです。
ARR100億円を目指すフェーズでは必須
──これからSales Enablementを始めようとする人へのアドバイスはありますか?
工藤:スタートアップであれば、営業マネージャーが先導しつつ、思いを汲み取って体系化してくれる人がもう一人いる体制がいいですね。体系化や言語化がうまい人なら、なお望ましいです。
山下:あとは、インタビューするのがトップパフォーマーなのは良いのですが、いわゆる「俺流」なトレーニングをしがちな方だと、ナレッジも属人的になりがちなので注意です。
工藤:山下さんたちも複数人にインタビューして、「できる人が共通でやっていること」を抽出してくれたので取り入れやすかったのだと感じますね。
ARR10億円から100億円を目指しているフェーズだと、Sales Enablementは必須
もし、ARR10億円から100億円を目指しているフェーズだと、Sales Enablementは必須だと思うので、そのフェーズを考えているのであれば、早くから取り組んで全く問題ないと思います。自分が関わることなので早くから始めたほうがPDCAは回しやすいでしょう。SaaSだったら尚更ある程度の型があると思うので、ぜひおすすめしたいです。
山下:これは、宣伝文句でもなんでもなく、売上を組織立ってあげていくためには必須の機能だと思うんですよね。時間がどうしてもかかる取り組みなので、ぜひ早く検討をしていただきたい。経営層がちゃんと理解して、現場と取り組むコミュニケーションをとっていただくと、すごくドライブがかかるはずです。