米国のインフレ懸念や利上げによる景気減速の予想から、新興株式市場は大きな調整局面を迎えています。しかし、SaaS企業のファンダメンタルズに目を向けると、ここ数年の成長モメンタムは維持されています。
それは日本でも同様です。SaaS企業の成長指標であるARR(Annual Recurring Revenue、年間定額収益)を見ても、国内上場企業による直近の決算状況では、6社がARR100億円を超えています。かつては「大台」と言われていたARR100億円、その活況ぶりがうかがえます。
本記事では、定量的なデータから国内SaaS企業の「ココが凄い!」というポイントに着目し、これからARR100億円を目指すスタートアップへ向けた「成長戦略のヒント」を示していきます。
国内トップSaaS企業は米国の成長維持率を上回る水準
米国の有力ベンチャーキャピタル「Scale Venture Partners」のキャピタリストであるRory O'Driscoll氏は、2019年のイベント「SaaStr」にて、『THE MENDOZA LINE FOR SAAS GROWTH』と題したプレゼンテーションをしました。
出典:The Mendoza Line for SaaS Growth -- How to Remain on Track for VC Dollars And a Successful Exit
Rory O'Driscoll氏は、米国SaaS企業のARR成長率は年を追うごとに逓減し、前年の成長率に比べ82%に減速していく傾向があったことを明らかにしています。この一定の逓減を「Growth Persistence(成長維持率)」と呼んでいます。
いかに成長力があるSaaSプロダクトであっても、事業規模が大きくなれば新規顧客の獲得はより難しくなり、成長率の鈍化は避けがたいことを示しています。
このような傾向は国内SaaS企業でも同様に見られています。一方で、足元の決算推移によれば、やや異なった状況も生まれています。
ARRが100億円を超えるSansanやfreeeなど、トップSaaS企業5社の3年間のARR変化を集計すると、成長率の減少は93%程度。米国SaaS企業を上回って成長を維持していたことがわかりました。
出典:各社直近3年間の決算説明資料より独自作成
特に直近3年の成長率においては、各社前年とほぼ横ばいとなっており、規模が拡大しても力強いモメンタムをを見せています。
国内トップSaaS企業が成長率を維持できる秘訣は何か?
ここからは、国内トップSaaS企業が成長を維持し続けられる要因をデータから探ってみましょう。まずは企業の決算資料から実例を見ていき、そこから紐解ける「3つのポイント」を解説していきます。
以下の表は、国内トップSaaS企業5社による直近期の決算説明資料をもとに、ARRやその成長率、ARRを分解したID数/顧客数成長率、ARPU成長率、それらを形成する要因となったと思われる施策をまとめています
各社決算説明資料より編集部作成
■ ラクス、サイボウズは既存プロダクトの成長が力強い
バックオフィスなどに向けたクラウドシステム「楽楽シリーズ」を展開するラクスは、直近5期にわたり30%以上のARR成長率を維持。直近の決算発表でも前年同期比+34.5%の売上増加率となるなど国内でも屈指の成長維持率です。
その要因は複数のプロダクトを連続的に立ち上げてきただけでなく、各プロダクト全てが上場企業になれるほどの規模にあることです。
主力プロダクトである経費管理システム「楽楽精算」は、年間売上高が76億円という規模にありながら、前年同期比+37.7%の売上増加となり、近年のラクスの急成長を担ってきました。
「楽楽精算」という成長の柱に加え、電子請求書発行システムである「楽楽明細」は、電子帳簿保存法の改正といった外部環境の追い風も相まって、直近では売上成長率92%と驚異的な伸びを見せています。
「楽楽明細」はARPU(Average Revenue Per User、1ユーザーあたりの平均売上)の成長はほぼ横ばいであるものの、圧倒的な社数を獲得しています。
サイボウズ 2021年12月期決算・事業説明会資料(※)より
グループウェアや業務改善サービスで知られるサイボウズは、SaaSのKPIに関する実数を開示していないため詳細は把握しづらいものの、業務改善プラットフォーム「kintone」の成長が、全体の成長率にも寄与していると想定されます。
もともとは2012年頃から推し進めていた主力グループウェア「サイボウズOffice」のクラウド化が成長を牽引していましたが、直近では「kintone」がクラウド関連売上の成長に向けた重点投資先となっています。
直近期ではテレビCMなどによる認知向上・顧客獲得を図るべく、過去最大規模となる広告宣伝費49億円を計上。売上高広告宣伝費率としては26.5%(2021年12月期)の投資となっています。
「kinone」の成長率は社数ベースのみでは2021年12月期通期で27%(前年同期比)の増加が見られ、引き続き同社の成長を牽引していくと見られます。
■ Sansan - 新プロダクト「Bill One」の急成長が全体の成長率を底上げ
Sansanの提供する名刺管理システム「Sansan」と請求書受け取りシステム「Bill One」のARRは合計188億円(2022年5月期 第3四半期)となり、SaaS専業の国内上場企業として、初のARR200億円を目前としています。
これまでの成長ドライバーは名刺管理システム「Sansan」でしたが、足元の決算発表によると、「Sansan」単体のストック売上高成長は前年同期比+16.8%。一般的なSaaSプロダクトと同様に逓減していました。
一方で、次なる事業の牽引役となりつつあるのが、クラウド請求書受領サービスの「Bill One」です。
「Bill One」はプロダクトローンチからわずか1年半でARR11.9億円(2022年2月期)と躍進。全体のARR成長率を+23%まで押し上げています。
既存のSaaS事業が成熟期に入るタイミングで、新たな自社開発プロダクトをローンチし、上場企業規模まで立ち上げられる点に国内SaaSトップランナーの凄みが感じられます。
また決算には本格的には反映されていないものの、昨年5月、グループ会社化も視野に入れて資本業務提携を行ったUniposも、直近決算では概算ARRが5.8億円(前年比+40%)となりました。自社以外のプロダクトの成長も取り込みながら、Sansanは次なる大台にチャレンジを続けています。
■ freee、マネーフォワードはM&Aを活用し、マルチプロダクト化
会計・ERP、バックオフィス領域のシステムを主力とするfreee、そしてマネーフォワードは自社開発によるプロダクトに加え、積極的なM&Aで顧客数の拡大、単価の向上に取り組んでいます。
freeeの直近決算(2022年6月期 第3四半期)では、有料顧客数が前年同期比+36.6%と成長が加速しています。これは、スモールビジネス向け記帳アプリ「Taxnote」や電子契約システム「freeeサイン(旧 NINJA SIGN)」といったプロダクトを持つ企業へのM&Aで顧客層を広げた結果によるものです。
各社公表資料より独自作成
マネーフォワードも入金消込サービス「V-ONEクラウド」や社内向けチャットボット「HiTTO」といったプロダクトを提供する企業のM&Aで、製品群を広げています。
公表資料によると、過去にグループ入りした企業の売上増加率もシナジー効果で加速するなど、PMFも順調に進んできた様子がうかがえます。
マネーフォワード 2021年11月期 通期決算説明資料(※)より
現時点において、freee、マネーフォワードともにSMBや個人事業主などの顧客数増加が+30%を超え、ID数の増加が成長のドライバーとなっています。
今後は、自社開発の新製品やM&Aなどで拡張したプロダクトのクロスセル、既存プロダクトに融資や決済といった新たな機能を加えることによって、ARPUがどのような成長を見せるかが注目のポイントです。
非連続成長をする国内トップSaaS企業から学べる、3つのこと
国内トップのSaaS企業は、代表的なプロダクトの力強い成長にとどまらず、非連続なプロダクトの拡張により、高い水準で成長維持率を維持していました。
そこで、これらARR100億円を超える日本のトップSaaS企業から見えてきた、「SaaS成長戦略の3つの学び」をまとめてみます。
1. 低チャーンは急成長の土台。カスタマーサクセスへ継続的に投資する
ここまで記載していなかった事実ではあるのですが、国内トップSaaS企業に共通することとしては、高い成長維持率の裏にチャーンレートの圧倒的な低さがあります。
freeeはグロス月間チャーンレートは1.3%、ラクスの「楽楽精算」は月間カスタマーチャーンレートが0.41%など、SMB主体のSaaSにも関わらず、極めて低い水準で推移し、堅い基盤となっています。
この数値は米国のエンタープライズ向けSaaSと比肩するレベルです。通常、海外のSMB向けSaaSは企業の倒産・統廃合などの頻度も高いことから、月間カスタマーチャーンレートは3〜7%が目安と言われています。
この数値の低さは、日本のSMBにおける特性でもあると考えられます。海外と比べて企業の倒産・統廃合が少なく、SaaSプロダクトの導入後も使い続ける傾向にあるようです。
2.マルチプロダクト戦略は早期から取り組む
単一プロダクトでARR100億円規模、さらに+30%以上の高い成長率を維持することは難しいものです。そこでマルチプロダクト戦略が重要になります。
しかし、一朝一夕には実現しません。Sansanの「Bill One」も「Sansan」の減速が見える2〜3年以上前から仕込んでいたことが功を奏しています。
従って、主力のSaaSプロダクトが成長カーブに乗ったタイミングで、第2、第3のプロダクトの構想と仮説検証を進めることが、ARR100億円以上でも高い成長率を維持する要諦となります。
また第2、第3のプロダクトを考える上では、「会社全体のビジョン」と「第1のプロダクトで培った自社の強み」を踏まえた展開がカギになります。Sansanのケースでは、名刺や請求書のような「ビジネスインフラとなっているアナログな情報」をテクノロジーでデジタル化し、オペレーショナルに精度を高めるというSansanならではのビジョンや強みが共通しているように思います。
3.M&Aでの非連続成長には、市場を読んだ資金調達とビジョン・カルチャーの強みがカギになる
非連続成長に向けた、M&Aによるマルチプロダクト戦略を取るfreeeとマネーフォワードには、ある共通点があります。どちらもマーケット環境が良かった2021年に大型増資をしている点です。
freeeは最大424億円、マネーフォワードは307億円を増資。現在の厳しいマーケット環境を踏まえると、このタイミングで資金を調達したことは、素晴らしい経営判断だったと言えるでしょう。現在のようにキャッシュの価値が上がり、マルチプルが下がる中では、より優位にM&Aを進められます。
また、この2社は、ビジョンと組織カルチャーの強さも特筆すべきポイントだと思います。いかにキャッシュリッチでも、ビジョンとカルチャーが弱い企業では共感が呼べず、買収はうまく進まないものです。ましてやM&A後のPMI(Post Merger Integration、合併・買収後の統合プロセス)も難しくなるでしょう。
SaaS企業が中長期的を見据えた強力なビジョンやカルチャーを作ることは、M&Aによる成長戦略の成功確率を上げるためにもカギになります。
ALL STAR SAAS FUNDでは引き続き、国内SaaS企業の「ココが凄い!」といったところを分析してレポートします。次なるARR100億円を担うSaaSスタートアップに役立つ情報を発信していきます。
※決算期の関係上Sansan、freeeの2021年数値は2021年度第3四半期数値。マネーフォワードは2021年11月期通期数値。