こんにちは、Sansanの山田ひさのりです。
私はSansanのカスタマーサクセス部で、全体戦略の立案と仕組み化を担当しています。日々、SaaS事業者からもカスタマーサクセスのご相談を受けていますが、最近はある質問が増えてきています。
それが「国内のSaaSベンダーにおいて、カスタマーサクセスで事業のトップラインを上げるには?」というもの。
これまで、収益を最大させる手法は「新規顧客の獲得(Go-To-Market)」が有効とされてきました。その潮流は変わっていませんが、事業歴5年以上のSaaSベンダーの中には、Expansion(アップセル/クロスセル)で事業拡大を目指す動きが顕著になっています。
理由は、
- 顧客のサクセスによって、提供しているプロダクトへの信頼が向上し、追加受注に繋がるようになった
- 販売できるプロダクトを増やすことで、既存顧客にもご案内できる機会が増えた
など、事業が一定で成熟したり、製品ラインを増加できたりしたSaaSベンダーが取り得る課題解決策となるからです。
一方で、新規顧客の獲得に一辺倒であったSaaSベンダーは、未だ明確なExpansion(以後、Exp.)の戦略を持てていないケースも多いようです。
本記事ではSaaSにおけるExp.戦略、中でも主にカスタマーサクセスドリブンで実現する方法について、私の経験を踏まえて考察したいと思います。
Expansion戦略でよくある「2つの疑問」
まずは、Exp.を考える上で多くの人が持つ疑問を挙げてみます。私が聞く限り、主に以下2つに集約されるようです。
(1)そもそも、Exp.を最大化する有効なプラクティスはあるのか?
(2)組織をどう設計し、それぞれにどのような数値責任を持たせるべきか?
私はカスタマーサクセスに従事する人間なので、この問いに対してカスタマーサクセスをもって対峙する手法をとってきました。
そこで、まずは上記の問いを踏まえつつ、具体的な実現手法を説明します。
ExpansionにもThe Modelの考え方が有効
※出典:鈴木淳一『営業効率を最大化する「The Model」(ザ・モデル)の概念と実践』Salesforce Hubより引用
SaaSに従事する方であればThe Modelの考え方は馴染み深いと思います。The Model自体は、主に新規顧客の獲得を念頭に置いており、その上でマーケティング~インサイドセールス~フィールドセールスのミッションとアクティビティを整理したモデルですが、この考え方は既存顧客に対しても有効です。
* The Modelの詳細は福田康隆さんの著書『THE MODEL』をご参照ください
モデルに踏み込みすぎるとセールス戦略の話になってしまうので詳しくは語りませんが、The Modelはパイプライン管理をモデル化したものです。そして、新規顧客と既存顧客はパイプラインの発生元(=リードソース)こそ異なりますが、管理する手法としては共通の仕組みが使えます。
つまり、前節の(1)の問いである「Exp.を最大化する有効なプラクティスはあるか」への回答は「Yes」となります。
The Modelにおいて、パイプラインの生成(いわゆる「PipeGen」、パイプラインに商談リードを積む行為)はマーケティング~インサイドセールスのミッションと整理されていますが、既存顧客の場合はこの部分をカスタマーサクセスが担うことがあります。これにまつわる組織とミッションを、どのように整理するかによって、(2)の回答が異なってきます。
以下は組織とミッションの整理例です。
<パイプライン生成の流れ>
リードの創出 → リードの有効化(Qualified)→ 商談化
<担当する組織>
新規顧客の場合(例):マーケティング → インサイドセールス → フィールドセールス
既存顧客の場合(例):カスタマーマーケティング → カスタマーサクセス → フィールドセールス
* ただし、「リードの有効化」はインサイドセールスが担うこともあり、複数の経路が存在します
既存顧客のリードソース
新規顧客の場合は主にマーケティング活動によってパイプラインは生成されますが、既存顧客でもさまざまなシーンで計れます。例を挙げれば、以下のように。
- 既存顧客向けウェビナーの参加・アンケート回答
- ユーザーイベントなど、自社主催イベントの参加・アンケート回答
- カスタマーサクセスの支援活動中の提案
- 契約更新のための商談中での提案
- プロダクト上での上位プランや関連製品の提案
新規顧客に対する営業プロセスは概ね一本道であることが多いのですが、既存顧客の場合はサービス提供側、サービス受領側ともにステークホルダーも多く、実に多くの経路からパイプラインの生成を狙えます。
ここで重要な考え方は、上述の機会をコンバージョンポイントとみなすことです。例えば、既存顧客向けのトレーニングウェビナーを実施しているSaaSベンダーは多いですが、終了後のアンケートでは満足度を計測するだけに留まっていないでしょうか。。
トレーニングウェビナーを含め、上述したシーンを引けば、
- 新プロダクトの紹介を混ぜる
- 新プランの紹介を混ぜる
- 営業からの接触に対するオプトインを取る
などを行うだけでパイプラインの生成に繋げられます。つまり、そのような意識を持つことが重要というわけです。
*「プロダクト上での上位プランや関連プロダクトの提案」はProduct-Led Growthという考え方に基づいたパイプラインの生成戦略です。詳細は割愛しますが、より知りたい方はこちらの記事を参照してください。
カスタマーサクセス的なExpansion貢献のポイント
これまで見てきたとおり、既存顧客であってもパイプラインは生成でき、むしろその機会は新規顧客より多いこともあります。本記事はカスタマーサクセス視点でExp.の可能性を検証することが目的ですから、以降ではその可能性を探っていきましょう。
Customer Success Qualified Lead(CSQL)戦略
私は以前から「CSQLによってパイプラインを生成することこそがカスタマーサクセスとしてのExp.貢献だ」と主張してきました。以前にnoteで「【続】CSQL考察 ~カスタマーサクセスによる商談創出は現実的なのか?~」も書いています。
カスタマーサクセスは顧客と長く伴走します。そのため、顧客の事業課題がわかりやすく、信頼を得た上で商談のシードを見つけ、解決策を提案しやすい立場にあります。だからこそ、カスタマーサクセスにおけるパイプラインの生成にはCSQL戦略がマッチしやすいわけです。
CSQL戦略を実行する上での基本型は、以下の順です。
(1)カスタマーサクセスがパイプラインの生成を行う
(2)パイプラインのフェーズアップと商談のクロージングは、フィースドセールスが行う
このように説明すると、多くの人からは「カスタマーサクセスがExp.の全行程に責任を持つのではダメなのか?」という質問が出てきます。私の回答は「事業フェーズや社内のタレントによる」です。
カスタマーサクセスとフィールドセールスで役割を分担する
過去には、すべての営業活動をフィールドセールスが担当している時代もありました。ところが昨今、社内にインサイドセールス部門を設置するのがSaaSのスタンダードになっています。
分業制になっているのは、そのほうが効率化が図られ、成果が最大化するからです。CSQL戦略においても同じ理屈で、「パイプラインの生成」と「パイプラインのフェーズアップ」は別の人間が担当した方が良いでしょう。
特に商談のクロージングに進むにつれて、
- 顧客の社内力学の把握や決裁者のグリップ
- 値引き交渉への対応
など、カスタマーサクセスが得意とする導入・利活用支援以外のスキルも必要ですし、時には強引さや駆け引きも求められます。これらのスキルは顧客との伴走を常とするカスタマーサクセスの活動とは明らかに相反するため、同一人物が状況に応じてスキルを使い分けることは難しいと私は考えています。
一方で、スタートアップのアーリーステージでは人材不足が普通であるため、多少の問題があろうとも一人でさまざまな業務を担うしかありません。だから、「事業フェーズや社内のタレントによる」という回答になるのです。
上記を踏まえ、(あえて理想的に)カスタマーサクセスとフィールドセールスそれぞれの目標設定を整理してみます。
- カスタマーサクセス:パイプラインの生成数(もしくは受注後の金額)
- フィールドセールス:売上 or 積み増したMRR額
この私の考えは提供しているSaaSに依存するとも考えています。個人的な感覚ですが、特定部門が利用するSaaSにおいては(アップセルであれば)パイプラインの生成~商談のクロージングまでをカスタマーサクセス単体でも担える可能性もありそうです。そのようなSaaSの場合、顧客側のステークホルダーが少なく、課題の把握や信頼関係の構築がそのままクロージングに繋がりやすいというのが根拠ですが、結論を出すにはもう少しファクトの収集が必要そうです。
Expansion戦略の実行前に持つべき視点
カスタマーサクセスがExpansionを追う前にやっておくべきこと
CSQL戦略の有効性を知り、「うちもやってみよう!」と考える事業責任者の方もいらっしゃることでしょう。ただ、カスタマーサクセスとしては、あまりに早く「エクスパンションマネジメント」に取り組むのは考え物です。
カスタマーサクセスにおいて最初に取り組むべきは、
- チャーン予備軍の最小化
- リニューアル金額の最大化
であり、これらは「オンボーディングデザイン」と「リニューアルマネジメント」活動によって低減させることになります。SaaS事業では、まずサービスのチャーンレートをAnnualで10%以下にし、その上でExp.に向き合うのがセオリーとされています
(※『ami.SaaS:解約率は成長の上限を決める』より)。
自社の事業成長を急ぐあまり、この2つの活動をおざなりにしてExp.を追うと、後にチャーンの上昇に苦しむことになります。事業の初期フェーズでのカスタマーサクセスのメインミッションは、あくまで上記2点であることを忘れないようにしましょう。
マルチプロダクトかどうかで戦略が異なる
また、Exp.を追うにあたっては、自分たちが提供しているのが「シングルプロダクト」なのか「マルチプロダクト」なのかも意識しなければなりません。
なぜならシングルプロダクトで勝負している時は、Exp.方法はアップセルしかないので(=クロスセルする商品がない)、そもそもExp.の目標金額は低くならざるを得ません。
また、アップセルはお客様がプロダクトを導入してサクセスが進み、その上でOutcomeをもたらしていることが前提となっています。サクセスしていない段階でカスタマーサクセスがアップセルを提案しても、「まだそんな段階じゃない」という言葉が顧客から返ってきます。
しかし、あなたの事業がクロスセル商品を持っている場合は話が異なります。あるプロダクトのオンボーディング中であったとしても、課題感が異なれば(別の部門につないでもらうことを含めて)別のプロダクトを提案できるはずです。
Exp.戦略においての大きなアドバンテージであり、前述した私のnoteでもそのことについて言及しています。
よって、提供できるプロダクトが多ければ多いほど、頑張り次第でトップラインの上昇は狙えます。もちろん、プロダクト戦略が描かれていることが前提で、個々のプロダクトが補完しあい、広い範囲でサービスを提供できている必要があります。
これらを踏まえてカスタマーサクセスの戦略を組み立てると、シングルプロダクトしかないフェーズでは新規顧客のオンボーディング → サクセス、及び契約継続(リニューアル)を活動の中心に。サービスがマルチプロダクト化するにつれ、アップセル/クロスセルのパイプラインの生成にも責任を持つ、という進め方が良いようです。
まとめ
これまでの私の主張をまとめると、以下のとおりです。
- Exp.においてもThe Modelはそのまま使える
- 既存顧客にも、新規顧客より多くのパイプラインの生成ポイントが存在することがある
- CSQL戦略においてはカスタマーサクセスでパイプラインを生成し、セールスにてパイプラインのフェーズアップと商談クロージングを行うのが基本
- カスタマーサクセスがExp.に着手するのは「チャーンレートを下げた後」
- マルチプロダクトでないとExp.目標を高くすることはできない
- 自社の事業フェーズに合ったカスタマーサクセス戦略を取ろう
国内のSaaSにおけるExpansionの模索はまだ始まったばかりです。一方で海外に目を向けると、売上2兆円を誇るセールスフォース・ドットコム社は年間20%でトップラインを成長させている中、年間発注額(ACV)の7割が既存顧客からの売上で構成されています。同社は積極的なM&A戦略によって、自社のプロダクトをホールプロダクト化し、既存顧客からの売上をすでに最大化しているのです。
* セールスフォースについては私が出演しているこちらの動画の31:45付近で言及されています
現在、日本のSaaSビジネスは米国に大きく遅れを取っていますが、今後日本のSaaS業界が10年、20年と続くにつれて同じムーブメントが到来すると考えられます。来たるべき時代に備え、今後もSaaS事業とその中でのカスタマーサクセスの在り方について、私も考えていきたいと思っています。
本日の記事が皆さんの事業の一助となれば幸いです。
著者:山田ひさのり
『カスタマーサクセス実行戦略』の著者。ゲームプログラマーとしてキャリアをスタートし、Web開発のPG/SEを経て事業開発にキャリアチェンジ。その後、Sansan株式会社にてCS部門の責任者を歴任。現在はsasket LLCを設立し、2年間で約20社へのCSアドバイザリーを経験。