SaaSの普及とともに「カスタマーサクセス(CS)」という概念が、ソフトウェア業界のみならず、あらゆるビジネスモデルで強調される場面が増え、一般化してきたということは周知の事実でしょう。
一方、2022年以降、市況がリセッション(景気後退局面)の傾向へと向かった結果、CSを取り巻く環境は大きな変化を迎えました。
IT関連の予算や投資額が減ったことなどに起因し、チャーンやダウンセルのリスクをいかに最小化し、リテンションやエクスパンションに取り組むというミッションが強化されたのです。そして、ポストセールスの体制全体を再設計することが重要視されはじめました。
今回は、日本のカスタマーサクセスの第一人者である山田ひさのりさんとともに、ポストセールスにおけるCSの役割や価値提供の実践論について、ディスカッションします。聞き手はALL STAR SAAS FUNDのPartnerである神前達哉です。
【プロフィール】
合同会社sasket
代表 山田 ひさのり
大学卒業後、ゲームプログラマーとしてキャリアをスタート。その後Web開発のPG/SEを経て、スタートアップのビジネス開発に興味を持つ。
KLab株式会社でモバイルゲームのプロデューサーや新規事業開発の部長を歴任後、 2013年にSansan株式会社に入社。エンジニアリング知識とビジネス開発の経験を活かし、SansanのプロダクトアライアンスマネージャーとしてSansan Open APIの開発に従事。
その後、カスタマーサクセス部のDXと既存顧客へのマーケティング強化を推進し、同部門の責任者を歴任。現在はsasket LLCとして、Sansanをはじめ多くの企業のカスタマーサクセス支援を行っている。
「アウトカム」に注目して、プロダクト提供価値を見つめ直す
神前:2023年11月時点での日本の上場SaaS企業における評価、そして世界的な資金調達環境を踏まえると、カスタマーサクセス(CS)の役割もアップデートが求められていると考えられます。
日本の上場SaaS企業では、成長率のみが重視されていたところから、利益と成長のバランス型へ移行してきました。いわゆる「Rule of 40」との相関も強くなっており、利益をしっかり出せることが前提になってきています。
その中で、チャーンを阻止するためだけにCSへ高いコストを投下し続けることは、持続可能な形ではないでしょう。CSのオペレーションをさらに最適化・効率化させて、アップセルやクロスセルの展開にも取り組む必要があります。
つまり、CSの役割は「活用の促進」を超えて、PMFを加速させる存在へとシフトしていくわけです。この環境下で、様々な企業に携わる山田さんの目から見て、CSの役割はどのように再定義すべきでしょうか?
山田:今までは、オンボーディングに集中するというアプローチがありましたが、それは育成のど真ん中だと思います。付随するようなナレッジも出てきたところですが、それを上回って、「CSは何をすべきか」という新しいフェーズに移行していると感じています。
私が最近、研究しているのは「アウトカムを出す方法」と「アウトカムを特定する方法」です。まずは、プロダクト提供価値とアウトカムが異なるのを理解することが大切です。
例えば、最近では大企業でも導入が進んでいる、従業員のストレスチェックSaaSの場合を考えてみます。このSaaSが提供するプロダクトの価値は「ストレスの測定」ですが、実際に企業が求めるアウトカムは「従業員の定着率向上」など具体的かつ実質的なものです。プロダクトが提供する価値とアウトカムが明確に異なるわけですね。
ただプロダクトがあるだけで、期待するアウトカムである「従業員の定着率向上」を実現することはできません。そのギャップを埋めるための「サクセスプラン」が必要です。「効果的な1on1の実践方法」や「働きやすい環境を整備するための助言」といった、アウトカムのための「一歩手前」に必要なことを、自分たちのプロダクトを踏まえて捉えられることが重要です。
CSを「セールス」と「サクセス」のロールで見直してみるべき
神前:では、変わっていくCSの役割について、山田さんの考えを教えてください。
山田:CSには2つの側面があります。一つは「ナーチャー」で、お客さまにプロダクトを使って価値を引き出してもらうことです。これに対して最適な体制や教育プログラムを考えることが欠かせません。
そして、それができた上で、もう一つは「セールス」として、お客さまがどのような成果を出すべきか、キーマンを捉えてリテンションを実現するためのアピールとは何かを考え、実践していく役割もあります。大きくはこの2つのスキルが必要とされます。
神前:お客さまのタイプでCSのアプローチも変わりますか?エンタープライズの場合、アカウントエグゼクティブのようなセールスパーソンがキーになり、プロフェッショナルサービスやサポート、セールスエンジニアなどを束ねていく。一方で、ミッドサイズやSMB向けのサービスでは、CSがポストセールス全体のハブとして機能する必要があります。
山田:そうですね。ALL STAR SAAS FUNDのメンターでもある、セールスアドバイザーの向井俊介さんは「CSは、セールスの職業の一種だ」とおっしゃっていまして、僕もその考え方には同意です。やはり、CSもセールスに回帰していくのでしょう。
エンタープライズ、そしてミッドサイズやSMBの顧客向けに、どのようにCSを抽象化し、最適化できるのか。僕は「ロールの分け方」を考えることがベストなアプローチだと思います。
「役割としてのセールス」は、アウトカムの創出と事業数値の達成にコミットし、「役割としてのサクセス」は、プロダクトが高活用される状態の維持にコミットすることが理想的です。
具体的には、「セールス」はエクスパンションを追ってアウトカムを合意する、達成支援や契約更新などに注力します。「サクセス」はこれらの基準をウォッチし、達成へ導く役割を担います。このような役割分担が現在最も適切だと考えています。
従来のCSは「サクセス」を達成するための、ナーチャーをするために生まれたというのが僕の理解でしたが、そもそもはナーチャーが目的だったのではなく、あくまでエクスパンションやリテンション、お客さまへの価値提供に主眼があったはず。それが今一度、見直されてきたといえます。
典型的な「最終成果」に至る、「成果創出チェーン」を分析する
神前:今後は、サービス活用水準のウォッチと、アウトカムの合意をしっかりとつないでいくことが、より重要視されていくのですね。
山田:最も大事なのは、自分たちのプロダクトやサービスが、どのようなアウトカムを提供しているかを理解することです。僕自身、何社かで実践しましたが、実は結構な時間がかかります。検証にはサイクルを回す必要もありますからね。
でも、アウトカムを特定することは、実はそう複雑でもないのです。僕はアウトカムを「ビジネス成果」と日本語で言い直しています。僕の経験上、典型的なアウトカムは多くても5つ程度で、そのうちの3つで8割方の顧客をカバーできます。
自分たちのプロダクトを思い返してみると、おそらく「展開的な顧客」というのがいらっしゃるはずです。ただ、日々の現場だと特定の顧客ごとの個別事情に捉われがちで、アウトカムのパターン化が難しくなることがあります。
そして、残り2割の顧客に関しては、それぞれ特殊な要望や目標があるケースが多いのです。これらの特殊なケースに捉われてしまっても、アウトカムの特定やパターン化が難しくなります。売上アップといった直接的なアウトカムにすぐに思いが及ぶかもしれませんが、実際にはもう少し「前段階」の要素が重要になることが多いです。
神前:売上アップ、コストダウン、ガバナンス強化、採用力補助などが浮かびますが、それに向かうためにも様々なアウトカムがある。それを整理しなければならないと。
山田:ここがポイントで難しいのですが、まずは「典型的な最終成果」に注目する必要があります。
山田:最近は価値観が多様化しており、売上アップやコストダウンだけではなく、ガバナンス強化や採用力強化、ブランド向上など、様々なニーズが「最終成果」に反映されています。そして、最終成果を生み出すためにはチェーンがあり、このチェーンが顧客ごとに違うというのが実情だと考えます。
一方で、お客さまごとのインダストリーや個社ごとの背景に基づいた、典型的なチェーンも存在します。このような「成果創出チェーン」を細かく洗い出すことが重要です。このチェーンを見通せるかどうかが問題で、そこにプロダクトがどのようにフィットするかを見極めなくてはなりません。
その上で、売上アップなどの直接的なインパクトをいきなり目指すのではなく、その前段階の要素を理解し、そこにプロダクトが貢献できるかどうかを判断することが重要です。最終成果を創出するまでのチェーン上にある数値において「私たちのプロダクトやサービスは、この数値を確実に上げられる/下げられる」というのを発見できればいいのです。
神前:なるほど、これは難しいテーマですね。特に中規模の企業では、この点を見失っているケースが多いと感じます。ARRが10億円未満の時は必死になりがちですが、それを超えると、提供価値が曖昧になりがちです。ポストセールスや契約後の体制の在り方に対して、深く向き合うことが非常に重要だと思います。
山田:まさにその通りです。ARRが20億、30億円に達すると、この点を見失いやすいですね。また、顧客が大幅に増加すると、拡大に応じて自然に売れていくため、このプロセスが薄くなる傾向もあります。
ビジョンに捉われすぎるとアウトカムの焦点がぼやける
神前:今の考えを、さらに具体的な事例で表すと、どういうプロセスでしょうか?
山田:Sansanの事例を挙げます。Sansanは「クラウド名刺管理サービス」からスタートし、現在は「営業DXサービス」と言われています。お客さまにどのようなアウトカムを提供しているのかを見直してみると、結論としては「商談のプロセスを最適化し、最大化すること」がSansanの提供する主なアウトカムでした。
ビジネスプロセスの対象は商談ですから、具体的なアウトカムはリード量の増加、商談数の増加、受注率のアップ、リピート率のアップ、クロスセル商談数の増加でした。これらはSansanが直接影響を与えられる範囲です。
神前:ありがとうございます。このアプローチでは、商談数の増加がビジョンの実現につながり、CSの観点からも、Sansanの導入による具体的な効果やアウトカムが明確に見えますね。
山田:そうです。ただ、ビジョンに捉われすぎるとアウトカムの焦点がぼやけることがあります。Sansanは創業当時から「商談数増加」や「受注率アップ」を目指してきましたが、これらは成果を証明しにくい側面がありました。でも、これが間違いなく価値ある目標であることは確かなんです。
一方で「名刺のデジタル化」など具体的な成果が出やすい部分にも注目しました。名刺をデジタル化することでリードが大幅に増えたり、展示会でのスキャンによる迅速なアプローチが可能になるなど、直接的な成果は喜ばれています。
神前:既存顧客に対してヒアリングをもう一度かけるのも有効そうですね。現場で体感しているものと、創業者の目線から見えないものがあり、経営的な優先順位が下がってしまっているケースもあるでしょう。提供価値を見失う要因の一つなのかなと思います。
山田:いや、おっしゃる通りですね。お客さまがどんなメリットを感じてサービスを継続されているか。それをしっかりヒアリングしてください。
顧客をアウトカムへ誘導する意識も必要
神前:こういった整理ができると、同一人物であれ、別のセールスであれ、ポストセールスであれ、アウトカムを達成した後に、クロスセルやアップセル、リニューアルなどに動いていくことができるわけですね。
山田:まさにそうです。特定のアウトカムを達成するために高めたいKPIを設定する、という流れができます。これが無いと、ただプロダクトの利用率を上げるために頑張る、といった動きになりやすい。ただ、このプロセスを作成するのは簡単ではなく、試行錯誤が必要です。僕が経験した場合、どの企業でも2〜3ヶ月はかかりました。
また、CSがお客さまと対面する際に大事なのは、先ほど挙げた「セールス」ロールと「サクセス」ロールで言うと、前者の人は、最初のミーティングで「どのようなアウトカムを望んでいますか」と顧客に尋ねることです。
「何をしたいですか」と聞くのはあまり効果的ではありません。多くの顧客は具体的な要望を持っていないので、代わりに「多くのお客さまはこれらのアウトカムを求めていますが、御社はどうですか」と尋ねるのが効果的です。
こういったアプローチで、ほとんどのお客さまは「私たちはこれをしたい」という意向に気づくことができ、それを基に進められます。もちろん、明確な目的を持っているお客さまもいますが、そうでない場合も多いです。そのときは、アウトカムへ誘導する意識も必要です。セールスに似ていますが、今後のCSで求められるのは、まさにこういったアプローチなのだと考えます。
実は自社の提供するアウトカムには、そこまで多くのバリエーションがないことに気付くことが大切です。多くのプロダクトを持っている企業はバリエーションがあるかもしれませんが、単一プロダクトの場合はそうではありません。シンプルなアウトカムに焦点を当て、エネルギーと時間を適切に配分することが望ましいです。そうすることで、組織や役割も自然と整理されていきますね。
※この記事は2023年11月9日に開催した「ALL STAR SAAS CONFERENCE 2023」のセッションから抜粋・再構成しています。