2024年5月15日、16日にアメリカのセントルイスで開催された、世界最大のカスタマーサクセスカンファレンス「Pulse(パルス)」に、今年もALL STAR SAAS FUNDのメンターであり、『カスタマーサクセス実行戦略』の著者・山田ひさのりさんが参加。
昨年もこのブログで刺激的な現地レポートを届けてくれた山田さんが、今年も最新の潮流を紹介してくれました。
AI時代にカスタマーサクセスはどういったマインドで業務に望むべきか?
まず断っておきたいのですが、今回は「SaaS+生成AIがもたらすインパクトを正しく理解する」というテーマをもってPulseへ参加したので、聞いたセッションは生成AIに偏っています。そのため本稿も「SaaS+生成AIの可能性を皆様に広く紹介する」というスタンスで書いていることをご了承ください。
Pulseをご存じない方のために少しだけ説明しておきましょう。PulseはアメリカのGainsight社が主催する世界最大のカスタマーサクセスカンファレンスの名称です。PulseとGainsight社については、昨年に書いた「Pulseレポート2023」に詳述しているのでご参照ください。
さて、今年度の「Pulse2024」ですが、テーマは「Human First AI」とされていました。昨今、国内外を問わず大型のカンファレンスに参加すると、ほとんどの場合において生成AIの活用が取り上げられます。Pulseも同様で、「SaaS+AIの可能性を探る」「SaaS+AIがスタンダードになった世界でわれわれは何を成すべきか」という問いが投げかけられていました。
開催地がいつものサンフランシスコではなく、セントルイスに変更されていたことも大きな変化の一つです。セントルイスと聞いてすぐにイメージが湧く日本人はそう多くはないでしょう(私も同じです)。
「そこ、どこ?」という印象と共にアメリカ人の知人に聞いたところ「ジャズとカージナルス(※米メジャーリーグの野球チーム)の街だよ」と教えてくれました。ちなみに、セントルイスは主催企業のGainsight発祥の地らしく、今でも古参の社員がオンサイトで勤務されているそうです。
Pulseはカスタマーサクセスの祭典なので、カスタマーサクセスの最新トレンドをキャッチアップできます。Gainsightの公式ブログで Pulse2024のTop Takeaways が紹介されているのですが、ややGainsightの製品紹介に寄っている部分もあったので、ここでは私が意訳したエッセンスを抜粋します。
今回のPulseの目玉は、『Human First AI Playbook』がKeynoteで紹介されたことでした。このプレイブックは「AI時代にカスタマーサクセスがどのようなマインドで業務に望むべきか」を端的にまとめたものであり、AIとの付き合い方を知る上での手掛かりになります。
詳しく説明しましょう。
プレイブックは「チーム向け」と「顧客向け」に大別されており、AI活用は社内と社外の両面に対して有効であることを示唆しています。下記の1〜3はチーム向け、4〜6は顧客向けに提供できる価値です。
- Eliminate Blindspots(AIがあなたの目になる)
- Remove Grunt Work to Make Room for What Matters(面倒な業務こそAI任せ)
- Turn Every Teammate into the Best Version of Themselves(AIでチーム内のコラボレーションを促進)
- Make Self-Service Not Suck(セルフサービスを味方につける)
- Transform Novices into Gurus(AIがあなたを達人へと変身)
- Help Customers Find Their Work Bestie(AIが出会うべき仲間を見つけてくれる)
Gainsightの製品機能をアピールする目的のものもありますが、「SaaS+AIで何ができるのか?」という視点でAI利用の可能性を探ることができます。これらについてはGainsightに搭載される新機能の説明を通して、後ほど深掘っていきたいと思います。
生成AIがSaaSをどう進化させるのか?
SaaSは「Software as a Service」の略ですが、一口にSaaSと言ってもさまざまなタイプがあります。しかし、ことBtoB SaaSにおけるゴールは明確で、「すべてのSaaSは業務に組み込まれ、利用されること」を目的としています。
これは転じて、「業務フローにSaaSを組み込めば、その活動自体をデジタル化して記録でき、それらの効率化・最適化を目指せる」ということを意味します。昨今、クラウドコンピューティング技術の発展により、膨大なデータを蓄積し、その中から意味のある情報を見出そうとする試みがなされていますが、そもそもそれはSaaSの目的の一つとも言い換えられるのです。
そういった意味で、業務へのSaaSの組み込み → ビジネス活動の記録 → AIによる膨大な活動データの分析 → 利用者へのインサイトの提供、という流れは自然なことであり、すべてのBtoB SaaSはAIと無関係ではいられないのです。
では、SaaSとAIは具体的にどう共生していくのでしょうか?これを理解いただくには、GainsightやPulseのセッションに登壇された各企業が生成AIにどのように向き合っているのか、そして彼らのSaaSに具体的にどのような機能を盛り込もうとしているのかを説明したほうが早いでしょう。
以下、今回のカンファレンスで私の印象に残ったセッションから紹介します。
Gainsightが考える、SaaSにおけるAI活用のかたち
GainsightのAIに対する向き合い方は、同社のAIプロダクトディレクターが登壇するセッションで詳しくキャッチアップできました。下図は過去から現在にかけて、AIの登場によって顧客との向き合い方がどう変化していくのかを表すスライドです。
「カスタマーデータ」「リレーションシップマネジメント」「ユーザージャーニー」という切り口から書かれています。簡単に説明すると、次の通りです。
- カスタマーデータ:蓄積先がキャビネットからデータベースへと変化し、もはや顧客支援活動をするだけでAIが必要なデータを生成してくれるようになる
- リレーションシップマネジメント:過去は限られた関係構築手段(電話など)しかなかったが、今やその選択肢が広がり、かつどの経路が最適かの判断をAIに任せられるようになる
- カスタマージャーニー:過去は画一化されたもの(書籍やCD-ROMなど)しかなかったが、AIのおかげで個別最適化したジャーニーをスケールを伴って提供できるようになる
未だ現実的に利用できるレベルに達していないものもありますが、近年の生成AIの発達ぶりを見ていると、このような未来は遠からず来ることが想像できるものばかりです。そして、これらのコンセプトに基づいて発表されていたGainsightの各種機能が以下の9つです。
- 顧客向けのEメールのドラフトを作成できる
- ZoomとGongのミーティング映像をインプットして、会話内容をサマライズ。ネクストアクションまでをまとめてくれる
- 顧客とのやり取り(メールやタイムラインの会話)から、顧客の重要なプロパティデータを補完してくれる
- SaaS内に蓄積される日々のデータから異常値を検知し、アラートを飛ばしてくれる
- 顧客専用ページのタイムラインで生成AIと会話し、必要な情報を提供してくれる
- 生成AIとの会話において、AIが分析した顧客データをグラフィカルに分かりやすく表示してくれる
- 当該顧客・ユーザーなどのデータソースをAIが構造化し、必要に応じて表示してくれる
- 顧客のプロダクト習熟度に応じて、AIが必要なチュートリアルを表示してくれる「in DAP(Digital Adoption Platform)」
- 自身と近しい立場、悩みを持つユーザーをAIがレコメンドしてくれる「in Community Platform」
同社は直近でChatGPTのテクノロジーを使った「Gainsight Copilot」をリリースし、対話型のAI機能を同社SaaSの中に実装予定です。Gainsightはカスタマーを管理する顧客管理プラットフォームですが、その中に蓄積された顧客のデータをAIの学習データとして与え、SaaSとの対話によって最適な顧客支援のあり方を、顧客とチームの両方に提供しようとしているのです。
セールスフォースなどに代表されるCRMも同じですが、支援側は日々の顧客とのやり取りや活動状況をSaaS内に蓄積します。つまり、顧客の支援活動を当該SaaS内で行なえば行なうほど、AIが最適化されていくことを意味します。
今回、私とともにPulseに参加された、CSカレッジの主宰であり、レクシエス株式会社代表取締役の丸田絃心さんは、生成AIの発達がカスタマーサクセスにもたらす変化を次のように説明されています。
Gainsightが直近で実装した多くの機能も、丸田さんがまとめたこの文脈に沿っており、予想が遠い未来の話でないことがうかがえます。
IBMが示す、SaaS+AIが到達する地点とは
皆さんはGainsightの機能群を見て、何を感じられたでしょう。もしかしたら「ふーん、まだその程度なのね」と思われた方もいるかもしれません。正直、私もここまでは想像済みのことでした。しかし、参加したIBMのセッションで、私の読みが浅はかだったことを痛感させられました。
IBMといえばWatsonをご存じでしょうか?同社は生成AIがブームになる前からAIへ精力的に投資し続けており、その技術と製品を進化させ続けています。GainsightのセッションではIBMのカスタマーサクセス部門からジェネラルマネージャーが登壇し、Gainsight内部にIBMの生成AI(CoSMo)を組み込み、カスタマーサクセスマネージャーとCoSMoが対話しながら顧客の支援プランをディスカッションしているデモを見せてくれました。
特筆すべきは、このデモの中でカスタマーサクセスマネージャーがCoSMoに対し、「今回のミーティングを踏まえて、顧客のサクセスプランをアップデートして」と依頼し、CoSMoがそれに対して自分なりの回答をしていたことです(図中の矢印部分)。
ご存じない方のために説明すると、サクセスプランとは契約後の顧客に成果を与える目的で顧客と合意する支援計画のことです。サクセスプランは顧客によって異なるため、通常はカスタマーサクセスマネージャーが当該顧客専用のものを作って提供します。しかし、IBM社内においては、すでにサクセスプランの雛形の作成やアップデートをCoSMoと相談しながら行なっているとのことでした。これは驚くべきことです。
正直な話、このCoSMoの提案にどれだけの妥当性があり、カスタマーサクセスの業務に貢献できているかは、実際にAIと会話してみないと判断できません。ただ、IBMのセッションを目の当たりにして、私は「これがSaaS+AIの目指すべき地点だ」という感想を抱きました。
上述したとおり、CRMなどに代表される顧客管理型のSaaSは、その活動自体を当該SaaSで行なうため、その顧客の情報がどんどん蓄積されていきます。中にはエクスパンション(拡販)に繋がり、ロイヤルカスタマーとなる顧客もいるでしょう。AIはそのような顧客の活動履歴を通して、最適な支援策や実行のタイミングを理解していきます。このループの先には「サービス提供者にとって、そのSaaS自体が最良の相談相手になる」という世界があるのです。
実際にGainsight社のプロダクトマネージャーもPulse2024のKeynoteにおいて、「大量の顧客データを蓄積できているおかげで、今回のリリースを意味あるものにできた」と語られていました。
まさに、業務へのSaaSの組み込み → ビジネス活動の記録 → AIによる膨大な活動データの分析 → 利用者へのインサイト、の提供ループがSaaSとAIの結びつきを強固にしていることを示しています。
Pulse2024 で感じた、最新のCSトレンド
ここまで、主に「SaaS+AI」の可能性にフォーカスして今回のカンファレンスを紹介してきましたが、より広い視点でPulse2024の総括をすると、以下のスライドに集約できると考えます。
1st:CS活動のすべてをアウトカムベースで設計
カスタマーサクセスにおいてアウトカムを特定しようとする動きは、日本でもスタンダードになりつつあります。その理由は、自社サービスが選ばれ続けるためには、顧客にアウトカムを与え続けなければいけないからです。アウトカムの重要性に関しては、ALL STAR SAAS BLOGで私も携わった以下の記事で説明していますので、詳しく知りたい方はそちらをどうぞ。
ここから示唆されるものは、「顧客へのすべての活動は、成果創出から逆算されなければならない」ということです。例えば、SaaSにおいてオンボーディングプロセスを整備し、顧客に提供することはもはや常識です。その上で、プロセスは顧客が得たい成果から逆算して導かれていなければなりません。当たり前のように聞こえますが、実践できているサービス提供者は意外に少なく、自分たちが思う「こうあってほしい」という活用状態に顧客を導こうとするケースも多いのです。
Pulse2024のセッションにおいては、コミュニティ活動やカスタマーエデュケーションの文脈においてもアウトカムを意識して発表されているケースがほとんどであり、米国においてはすでにアウトカムを特定することの重要性が常識となっていることを実感しました。生成AIの活用以外にも、「アウトカム中心のCS活動」を語るセッションが多く見られたことも、その証左ではないでしょうか。
実際、HubSpotのカスタマーエデュケーションのセッションに参加しましたが、同社のユーザー教育プログラムのフォーミュラ(定理)も、顧客アウトカムを出発点として設計されていることに驚きました。日本国内ではまだまだ一般的でない発想です。
2nd:生成AIの活用に本気で向き合う
これに関してはここまで説明してきたとおりです。しかし、私がそもそも感じたのは、米国では生成AIに対して投資が集中しており、この領域にアテンションを張らない選択肢はない、という雰囲気です。
賛否両論はあるでしょうが、米国のスタートアップ界隈においては「このチャンスをうまく活用できない企業には出資できない」といった暗黙の了解があるかのようでした。米国のそれは日本国内よりも強力であり、わざわざ説明すらしていません。
ただ、私もPulse2024に参加するまでは「SaaSでAIって具体的に何がどうなるの?」という程度の知識であり、自身の業務がAIによって変化するイメージを持てていませんでした。それが今や、SaaSとAIの未来を確信をもって語れるようになったのは大きな収穫でした。
AIの恩恵を受けられない原因は、自分たちのデータ基盤の不備にあるかもしれない
ここまでSaaSとAIの可能性をお話ししてきましたが、すべての企業がこの恩恵を受け取れるのかというと、そうではないのも現実です。特にデータ蓄積型のSaaSにいえることですが、自社が保有する有効なデータ群を統合できているという条件下でのみ、AIは強力な相談相手となってくれるのです。
AIの世界には「Garbage In, Garbage Out(ゴミを入れたら、ゴミが出てくる)」という格言があります。AIに品質の悪い不完全なデータや特徴量を入力すると、品質の悪い不完全な機械学習済みモデルが出力される。AIサービスを提供する側は、そのようなことが極力発生しないよう、学習データの品質担保には気を払うわけです。
でも、考えてみてください。CRMのような顧客情報蓄積型SaaSの場合、過去に形成されたその他大勢の学習データのみで顧客を正しく導くことはできません。今まさに成果を与えたい顧客の正しい情報があってこそ、AIはその顧客に最適と思えるアドバイスをくれるのです。これは転じて、顧客データ基盤が不十分な企業はAIの恩恵を受けにくいことを示唆しています。
もしかしたらそのような企業は、AIに何を依頼しようが「なんだかピンとこないんだよな……」「AIからはたいして示唆は得られないよね」と判断してしまい、その原因が自分たちのデータ基盤の不備にあることにも気づけない可能性すらあるのです。
Pulse2024に参加して、AIの恩恵を受けられる企業と、そうでない企業の格差が広がることに懸念と恐怖を覚えました。私はカスタマーサクセスの専門家として、これまで多くのSaaS企業にアドバイスを行なってきました。そして、その企業のほとんどは、提供するSaaSの利用によってユーザーのデータを蓄積し、そのデータに価値を宿した上で、顧客のサクセスを目指すように設計されています。
しかし、肝心のSaaS提供側は、自社のプロダクト利用データと顧客情報を統合できている企業自体が少なく、できたとしてもスプレッドシートに毎日、または毎週手動で統合していたり、デジタルタッチ用のフォローコンテンツに至っては別システムであるためデータが統合できていなかったりというケースを多く見てきました。
AIには、データが構造化されている/いないにかかわらず、すべてのデータを与えるのが正しいとされています。しかし、データの構造化を語る前に、そもそもデータを統合する仕組みを持っていなければ、AIの恩恵を受けることはできません。
残念なことに日本の多くの企業はまだこの段階で停滞していることも多く、AIの活用レースに一歩も二歩も遅れてしまうことが懸念されます。今回、私がPulse2024で得た最大の示唆は、まさにここなのです。
AIの登場を「推進源」と捉え、逃げずに向き合う覚悟を持つ
BtoB SaaSの従事者が多いことを思うと、読者の皆様にやや苦言を呈するような結論となってしまった懸念はありますが、ここから逃げていては日本のSaaSの未来はありません。
私は、昨今の生成AIのムーブメントは、日本企業のデータ統合を加速する最大のチャンスだと捉えています。AIの登場は、すべての人類が向き合わなければならない大きな進化です。そのことを危機ではなく、むしろ「推進源」と捉え、正面からこの課題に向き合う企業が増えることを願っています。
そして、SaaSビジネスを通して、日本の経済が明るく、未来あるものになっていくことを期待して止みません。そのために私も、今後もカスタマーサクセスの情報発信に努めたいと思っています。