SIerからSaaS業界への転職を考える人は年々増えています。一方、実際の転職事例はまだ少なく、キャリアイメージが描けず一歩を踏み出せない人も多いでしょう。
今回は、大手SIerで数々の最年少営業記録を更新し、その後に転職したSaaS業界でも数々の業績を残しているdigsas(ディグサス)の石井友規さんにインタビュー。両業界の違いや転職時に大切なスキル、キャリアイメージなどを伺いました。聞き手は、ALL STAR SAAS FUNDの前田ヒロです。
SIerとSaaS、それぞれのメリット・デメリット
前田:石井さんは新卒で大手SIerの富士通マーケティング(現・富士通Japan)に入社し、セールスフォース・ドットコムでは当時最年少の29歳で営業部長を担当されました。さらにZuora Japanでは営業として世界1位の成果を残すなど、両方の業界で大活躍していますね。
石井:ご紹介ありがとうございます。2019年11月には「買い手によるIT投資の自己推進力の向上」が必要と考え、digsasを創業しました。現在は「変遷するビジネスに、IT投資のモノサシを。」というビジョンを掲げ、様々なデータを活用しながらIT投資を最適化していくことを目指しています。
前田:両業界で功績を残している方は非常に貴重です。今回は石井さんに、SIerからSaaSへの転職のポイントや必要なスキルなどを伺いたいと思います。まず、両者の違いはどこにあると思いますか?
石井:最初にSIerのメリットとデメリットからみていきましょう。私が新卒の頃に考えていたメリットは3つ。会社の母体が大きく安定していそうなこと、社会的なインフラに関われるかもしれないという期待を持てたこと、そして基礎的なITリテラシーが身につくことです。
三つ目のITリテラシーは、「ハードウェア」「ミドルウェア」といった用語や仕組みのことです。SIerにいると知っていて当たり前だと思うかもしれませんが、SaaS業界に来てみると、意外とよくわかっていない人も少なくないんですよ。こうした知識を根幹から学べるのはメリットですね。
前田:デメリットは何だと思いますか?
石井:こちらも3つあります。一つ目は、年功序列が根強いこと。マネージャーになる人はほとんどが40歳以上で、ジョブ型雇用が思うように機能していないことが多いです。
二つ目は、成長が実感できないこと。当時は私自身も、求めていたITやセールスのスキルではなく、納期交渉や外部ベンダーとの調整をするマネジメントスキルばかりが身についているような焦りがありました。
三つ目は、フロー型のビジネスが中心だということ。どのSIerもストック型ビジネスへの転換を進めていますが、未だに大きな収益源がフロー型であることに変わりはありません。なかなかSESに頼ったビジネスモデルから脱却できず、将来性に不安があるのも挙げられますね。
前田:SIerで働いている方は共感するところが多そうです。では、SaaS企業にはどんなメリットがありますか?
石井:まず、SaaSの強みは専業にあります。SIerに求められるネットワークやPCハードウェアの設定、現場調整といった業務がなく、ソフトウェア営業に特化できるのは大きいですね。サブスクリプションモデルのため、プロダクトを通じてお客様と長期的な関係を築けることもメリットでしょう。
納期調整がないのも魅力。SIerでは各所の調整にかなり負担がかかりますが、SaaSでは提供する日が決まったら、当日にIDとパスワードを渡すだけ。このストレスから解放されるのは個人的にかなりうれしかったです。
求められるのは、ユーザー企業と共創できるSaaS
前田:石井さんは自身のように、SIer業界の人材がどんどんSaaS業界に入っていくべきだと考えていますか?
石井:そうですね。私はこれからの時代、SIerよりもSaaSに分があると考えています。
これを裏付けるのが、2017年度のミック経済研究所の調査。2017年度のSI・開発型システム開発サービス市場の構成比は、約90%が従来型のSI、残りの10%がクラウドSIです。しかし2021年度にはクラウドSIが20%、2024年度には32%にまで成長すると予測されています。
前田:市場動向として、今後はクラウドSIの比率が大きくなっていくということですね。
石井:その通りです。次に、日本と海外でIT人材がどんな企業に所属しているか比較してみましょう。
アメリカやカナダ、イギリス、ドイツなどの海外ではユーザー企業側に人材がいるのに対し、日本ではSIerやIT企業に人材が集中しています。こうした中で、日本のユーザー企業は自分たちでITについて考えなくなりつつあります。ITを内製化しないという状態が生まれているわけです。
ここで考えたいのが、近年よく聞く「DX」についてです。DXは日本だとデジタル化と捉えられてしまうことが多いですが、その本質は「デジタルテクノロジーを通して、ビジネスモデルを変革していくこと」。つまり、トランスフォーメーションが主軸なのですが、多くの企業はこの点を理解していません。
IT投資には大きく2種類あります。一つが「ランザビジネス」。いわゆる、既存のビジネスを維持するための守りのIT投資です。もう一つが「バリューアップ」と呼ばれる攻めのIT投資。自分たちの価値を上げ、新たな価値を創造するための投資ですね。本来のDXは後者にあたります。
調査データにもよりますが、日本はまだランザビジネスが多いです。原因は、役員層がデジタルテクノロジーを理解していないこと、ユーザー企業のITリテラシーが低いことなどが挙げられます。
1995年と現在のIT投資額を比較した時、アメリカでは3倍になっているのに対し、日本ではほとんど変わっていないというデータも。ITを投資ではなく「コスト」として捉えているため、バリューアップにお金を使わず、DXが思うように進まないのです。
前田:なるほど。だとすると、日本と海外ではSaaS業界の戦い方も変わってきそうですね。
石井:アメリカなど海外のSaaSは、ユーザー企業が賢いんです。コンピュータサイエンスを専門的に学んでいる人が、IT部門の担当になることが多いですから。一方、日本では知識のない人が担当している場合も多いので、ユーザー企業と共創できる関わり方が求められるでしょう。
SaaSではコスト削減の提案は刺さらない
前田:ここからは、SIerからSaaS業界への転職について伺います。SIer出身者がSaaS企業に転職する時、どんな点が強みになりますか?
石井:4点ほど考えられます。一つは、大企業の組織政治に理解があること。大企業の新規攻略を行う際など、組織のどこにアプローチするかをわかっているSIer出身者は重宝がられるでしょう。
二つ目は、確実なITリテラシーがあること。SaaSの営業はIT業界以外から来ている人も多いので、確実な知識があるだけで強みになります。
三つ目は特殊ですが、ERPの営業経験がある人は強いです。企業全体にかかわる複雑なシステムを提案するERPの営業経験は、単価商品であるSaaSの営業にも必ず生きてくる。これからはSaaSを単体で提供するだけではなく、それらのインテグレーションを踏まえた提案の重要性が増してくると思います。経験がある人は積極的にアピールしていくべきでしょう。
四つ目はSEの方向け。提案から受注・構築、そしてメンテナンスまでを一人で担当した経験がある人は、SaaS企業ではセールスエンジニアとして力を発揮できるでしょう。
前田:転職後に活躍するためにはどんなスキルが大切ですか?
石井:営業やSEにおいては大きく3つです。一つ目は、初回の訪問でしっかりプレゼンし、その説明を土台にヒアリングできること。二つ目が、ビジネス面でも確実にアプローチできること。
三つ目が、自分で製品のデモンストレーションができることです。SIerの営業は自分でやらないことも多いですが、SaaSでは自分で操作して画面を見せられないとお客様には刺さらないでしょう。
前田:次に、SIerから転職した時に伸び悩むのはどんなタイプですか?
石井:失敗してしまう人の特徴は5つあります。一つ目は、既存顧客にべったりな人。売上の9〜10割が既存顧客という人は気を付けまでしょう。二つ目は、IT知識を疎かにする人。三つ目が、ITの話ばかりしてビジネスの話をしない人。四つ目がコスト削減、リスク低減の提案ばかりする人。五つ目が、成功体験を伝えられない人ですね。
前田:四つ目、コスト削減やリスク低減の提案をしてはいけないのはなぜですか?
石井:それはランザビジネスの提案で、SIerのやり方になるからです。お客様の目指す姿と現状のギャップを埋め、価値を生み出すのがSaaS営業の仕事。このギャップが大きいほど価値を提供できますが、コスト削減はそれが小さくなってしまうのでおすすめできません。
転職初日に感じた「俺、このままいくと死ぬ」
前田:石井さん自身についても伺いたいのですが、富士通マーケティングからセールスフォースに転職した際、役に立ったスキルやマインドセットはありましたか?
石井:富士通マーケティングでは中堅の民間企業を担当していたので、お客様のLANケーブルの配線の手伝いやプリンターの不具合対応など、泥臭い仕事もたくさんやっていました。
SaaS企業ではやらないことが多い仕事ですが、私は積極的に担当するようにしました。なんでもやっているとお客様との信頼関係が築けて、新しい提案がしやすくなるんです。
その意味では、お客様のランザビジネスも大切にしないといけません。リクエストに応えていくことで「こいつならうちのITをなんとかしてくれそうだ」と思っていただけますし、その上でバリューアップを提案すれば、経営者の方も考えてくれますから。
セールスフォースの営業で攻めのITをたくさん提案できたのは、SIerの経験があったからこそだと思いますね。
前田:転職で悩んだり、つまずいたりしたことはありますか?
石井:私は運がよくて、セールスフォースでもZuoraでもつまずいた経験がないんです。ただ、衝撃を受けたことならあります。
セールスフォースの新入社員研修初日のことです。これはどんな役職の人でも受けるものなのですが、一緒に研修を受ける人の中に、元IBMや元オラクルのシニアマネジメント層の方がいたんですよ。
「やってやるぞ」と入社して、初日に圧倒的なビジネススキルを持った人を目の当たりにしたわけです。「俺、このままいくと死ぬぞ」と思いました。それで、毎日深夜までその人たちと勉強会をしたんです。SaaSの仕事のやり方も、そこで彼らに学びました。人生で一番頑張った1カ月だったと思います。
だから私がつまずかなかったのは、私じゃなくて隣に座っていた人のおかげですね(笑)。
若くして役員を目指すなら「圧倒的にSaaSが有利」
前田:必死でキャッチアップしたから今があるんですね。SIerからSaaSに転職した場合、どんなキャリアプランが描けるのでしょうか?
石井:これからのSaaS業界が求める人材像は、大きく4つあると思います。
一つ目が、エンタープライズといわれる大企業を新規攻略していく人材。SaaSだと社員1000人以上、売り上げ1000億円以上の企業と定義されることが多いと思います。SIer出身者は従業員1万人、売上1兆円以上の会社で働いたことがある人も多いので、組織理解に詳しい人がエンタープライズ企業にどんどんアプローチしていくキャリアが考えられます。
二つ目が、インテグレーションの知識が豊富な「営業なのにITも詳しい」というポジション。日本のSaaSではこれから急速に全体最適が進み、SaaS同士をインテグレーションしていくことが起きてくるでしょう。それをお客様自身に提案できる営業は、非常に重宝されます。
プロジェクトマネージャーの経験があれば、お客様の中に入って積極的にヒアリングするキャリアも考えられます。このタイプはプリセールスやカスタマーサクセスでも活躍できるはずです。
そして、製品に特化したサービスの拡販部隊にいた方なら、SaaSではSEとして即戦力で活躍できると思います。
前田:SIer出身者は部署間、お客様間のあらゆる調整をしてきた人が多いので、これ以外にも方向性がありそうですね。
SaaSに行きたい人の中には、SIerでマネジメント経験を積んでから移るべきか、先に転職してしまうべきか迷っている人もいると思います。石井さんはどちらがいいと思いますか?
石井:大手のSIerではマネージャーになるのは40歳前後が一般的。20代でマネージャーになる可能性はほぼないと考えると、20代なら転職が先でもいいのではないでしょうか。前田さんはどう思いますか?
前田:SaaSやスタートアップ企業であれば、20代でマネージャーは珍しくありません。すごいペースで企業が成長し、人が増えていくので、活躍した人はどんどん役職に就く必要があるんですよね。
僕の感覚だと、SaaS企業の役員の平均年齢は30代半ばくらいが多いです。早く経験を積みたいならSaaSへ転職するのも手だと思いますね。
SaaSの決算、「赤字だからやめよう」が勉強不足な理由
前田:続いて、SaaSの給与について伺わせてください。
石井:まず、稼げるのは外資系のSaaS企業です。ただ、一部は海外本社の営業代理店のようなところがあるので、売ること以外の学びがあまり得られないかもしれません。
日系SaaS企業の場合、上場企業であればSIerとほぼ同等の報酬が得られるでしょう。社会的な信用もあるので、銀行からお金を借りることもできます。さらにSIerと比べると会社の規模が小さいため、裁量も広がるでしょう。
前田:規模によりますが、スタートアップでも50人を超えると業界水準の報酬であることが多いですね。100人を超えていれば、SIerより低くなることはまずないと思っていいでしょう。
石井:次に、digsasのような非上場で成長企業の場合です。この場合は正直、給料はちょっと下がります。ただし単純に下がるというよりは、CEOと直接対話をして、足りない分は株式を付与する、資金調達ができたらアップするといった調整をするかたちになりますね。経営に近いポジションがとれるので、裁量権も大きくなります。
お金に関連して、株価の話もしておきたいところ。結論から話すと、基本的にSaaS企業はずっと右肩上がりであるのに対し、SIerは縮小傾向にあります。私がセールスフォースに行く時は「富士通より小さな会社に行って何するの?」なんて言われましたが、今ではセールスフォースのほうが圧倒的に時価総額が高くなっていますから。
SaaSが伸び続けているのは、サブスクやストックビジネスの妙ですね。今期の売上が基本的には来年も続くから成長が約束されていて、売上も株価も上がり続けていくんです。
ちなみに、SaaSは決算だけみると赤字の企業も多いですが、来年の成長が約束されているため、キャッシュフローはまわっていることが多いです。SaaSについて調べて、「赤字だからやめておこう」と考えるのは勉強不足だと覚えておきましょう。
前田:ありがとうございます。では、最後に転職を考える人へ、ぜひメッセージをお願いします。
石井:大企業にいることをステータスに感じる人など、SIerに残ったほうがいい方もいると思います。ただ、ITで社会を豊かにしたい人は、今後はSaaS業界にいた方が思いを叶える機会が増えていくでしょう。皆さんもそのことを理解した上で、良い人生、良い世の中になるための選択をしていただきたいと思います。
前田:今、SIerにいる方はすごく貴重な体験をしていると思います。その経験があれば、きっとSaaSでも活躍できるでしょう。その上で、興味があればSaaS業界にも注目してみてください。