SaaSスタートアップのエンジニアマネジメントについての知見や学びを共有できるコミュニティ「SaaS Engineering Manager Community」を開催しました。ALL STAR SAAS FUNDが支援する企業のエンジニアチームの責任者が登壇。「Vertical SaaSの開発の特徴」「エンジニアが向き合える組織づくり」などのテーマについてお話いただきました。ここでは、株式会社アンドパッドとA1A株式会社の登壇の模様をレポートします。
Vertical SaaSにおける製品開発の特徴とエンジニアに期待すること
(株式会社アンドパッド VPoE 下司宜治)
建設業に特化したクラウドサービス「ANDPAD(アンドパッド)」を提供する株式会社アンドパッド。同社のVPoEである下司宜治氏が語った「Vertical SaaSにおける製品開発の特徴とエンジニアに期待すること」とは?

業界のことを知り、業界のことを好きになる
建設業界のマーケットサイズは非常に大きく、2019年の建設投資は約48.5兆円、リフォーム・リニューアル投資は約11.2兆円となっています。一方で、建設業界の生産性は他業界と比べると低く、多くの課題を抱えています。なかでも、実務において特に問題となっているのは「アナログ(紙・電話・FAX)な現場環境に起因するコミュニケーション不全」です。
「ANDPAD」はその課題を解決するために生まれました。現場情報の管理・共有機能やテンプレートを用いた工程表の作成機能、写真付きの日報による現場確認機能、チャットによる情報共有機能など、生産性を向上させる数多くの機能を「ANDPAD」は有しています。
下司氏は「ANDPAD」の開発経験をふまえ、Vertical SaaSにおいて良質なプロダクトを開発していくには、業界のオタクになる必要があることを解説していきました。
「どのような業界にも、さまざま慣習や法律などが存在しています。エンジニアがそうした知識を学んでおかなければ、Vertical SaaSにおいて適切にプロダクトや機能を設計・開発することは難しいでしょう。業界知識を全く理解せずに、言われたものをただ作るというスタンスでは、受託開発と変わりません。真の意味でお客さまに寄り添ったシステムは開発できなくなってしまいます」(下司氏)
また、アンドパッドでは建設業界の方々や「ANDPAD」のユーザーの方々が、社内で定期的に勉強会を開催しています。開発部向けのものだけでも、一年間で18件以上もの勉強会が開催されているのです。
「勉強会を開催してくださった方々からは『アンドパッドさんが、業界のことを一生懸命理解しようとしてくれるからこそ、私たちも業務知識を伝えたいんだ』と言っていただけました。Vertical SaaSを開発する企業とその業界の方々との信頼関係が構築できていなければ、この取り組みを実現するのは難しいでしょう。そうした観点からも、業界のオタクになることの意義は大きいのです」(下司氏)

顕在化したニーズはない。だからこそ、現場の声を聞く
また、Vertical SaaSの開発においては、顕在化したニーズがないことも特徴です。例えば、建設業界で働く方々に「いま困っていることは何ですか」とアンケートをとったならば、多くの方は「人材不足」と答えるでしょう。そして、表面的な課題をそのまま解決するならば「人材紹介をする」という場当たり的な対応しか生まれません。それでは根本的な解決にはならないのです。
「Vertical SaaSの開発者に求められるのは『では、なぜ現場では人手が足りていないのか』を考える姿勢です。例えば、ある業務が非効率的であるため膨大な工数がかかっているのかもしれません。各従業員に情報共有がなされておらず、コミュニケーションロスによる手戻りが起きている可能性もあります。つまり、課題が発生している“本質的な理由”を追求しなければならないのです」(下司氏)
アンドパッドではユーザーが抱える課題を発見するための手段として、開発者自身が建設の現場に足を運ぶことを推奨しているといいます。
「働く人々を生で見ることで、表面的なデータだけではわからないことがいくつも見えてきます。『ANDPAD』のほぼ全ての機能は、そうした現場が抱える本質的な課題をベースとして生まれてきました。『ANDPAD』は2020年3月で4周年を迎えますが、ありがたいことに事業は順調に成長を続けています。地道に現場の声を聞き続けたからこそ、この結果を実現できたのだと考えています」(下司氏)
下司氏は最後に、Vertical SaaSで働くエンジニアに期待することを以下のように述べました。
・業界の課題に対して「予防・未病・治療」を行っていることを意識する。
・業界への興味を持ち、知識を深め続ける。
・技術への愛を持ち「技術の力で解決できることを探し続ける」という姿勢を忘れない。
・設計力=技術力。適切な設計が、適切なシステムを生み出す。
・業界のプラットフォームを作っているという誇りと責任を持つ。
エンジニアがプロダクトに向き合える組織づくり
(A1A株式会社 CTO 佐々木 延也)
製造業購買部門向けの見積もり査定システム「RFQクラウド」を提供するA1A株式会社。同社のCTOである佐々木延也氏が考える「エンジニアがプロダクトに向き合える組織づくり」の秘訣とは?

「ビジネスの成長戦略=プロダクトの成長戦略」をどう実現するか?
「BtoB SaaSのプロダクト開発では、ビジネスの成長戦略とプロダクトの成長戦略が一致している状態が理想です。プロダクトを磨きユーザーへ提供できる価値を最大化すれば、それに比例してビジネスの利益も最大化できるような状態が望ましいのです」(佐々木氏)
ですが、徐々に改善できているものの、A1Aはこれまでその状態を実現できていませんでした。その理由は、プロダクトが成長していく過程でBtoB SaaS特有の“課題”に直面していたためです。抱えていた課題はいくつかありますが、その1つは「MVPと契約を結ぶために必要な機能とのギャップが大きい」というものです。
「私は、BtoB SaaSの機能は『価値の創造』をする機能と『価値のデリバリー』をする機能に大別できると考えています。前者はプロダクトのコアコンセプト(提供価値)そのものを実現するための機能
(『RFQクラウド』においては見積明細のデータ化や見積明細の活用など)、後者はプロダクトのコアではないものの業務上求められる機能(『RFQクラウド』においては権限管理やワークフローなど)です。
BtoB SaaSの場合、さまざまな企業が顧客として想定されるため、『コアの機能には価値を感じているが、(業務で必要な)○○の機能がなければ導入できない』というご意見をいただくケースがどうしても出てきます。つまり、MVPでは『価値の創造』のための機能を集中的に開発しているにもかかわらず、商談が進み契約が近くなった段階で『価値のデリバリー』のための機能のご要望が出てくることで、ギャップが生じるのです」(佐々木氏)
他にも「プロダクトの仮説検証が難しい」というBtoB SaaS特有の課題もあります。toCのプロダクトの場合、ある機能を試験的に導入するなどして、提供価値の検証を行うことは容易です。しかしtoBのプロダクトでは、商談・稟議・承認というプロセスを経なければ、提供価値を検証できません。
かつBtoB SaaSには「営業の仕方次第で顧客の反応も変わってしまう」という側面もあります。例えば、「価値の創造」のための機能ではなく「価値のデリバリー」のための機能を前面に打ち出す形で売りこめば、顧客からの要望も後者の機能に関するものが多くなることは容易に想像できるでしょう。こうした点も提供価値の検証を難しくしている要因です。

プロダクトに向き合うために、戦略・組織全体を変えていく
では、A1Aはその課題をどのように解決してきたのでしょうか。
「プロダクトマーケティングマネージャーに営業に入ってもらい、クロージングを一手に担ってもらうことにしました。それぞれの営業にクロージングを任せると、『どのような条件を満たすことで契約に至るのか』の検証が各人の肌感覚に委ねられることになり、正確な分析ができなくなります。クロージングを一本化することで、契約がとれない原因が『価値の創造』と『価値のデリバリー』のどちらにあるのかを分析しやすくしました」(佐々木氏)
また、プロダクトのコアコンセプトを磨くことに注力するため、契約のプランとしてミニマムスタートプランを設けました。プロダクトを全社導入する前に、まずはこのプランを担当者個人や特定部署のみに使ってもらいます。
最初からプロダクトの全社的な導入を提案するのではなく、まずは少人数の導入でコアの機能だけでも確実に成果が出ることを顧客に確認してもらうのです。その後、全社展開によるアップセルが実現できるような提案や機能拡充を行う方針にしました。こうすることで、プロダクトのコアコンセプトと顧客がプロダクトに期待する機能とのギャップが少なくなり、前述の課題を軽減できます。
「エンジニアがプロダクトに向き合える体制を生み出すには、プロダクトの価値創造そのものが会社の価値向上に結びつくように、戦略や組織を変化させていくことが求められます。その責務を担うことが、エンジニアリングマネージャーの重要な役割です」(佐々木氏)