在宅療養の核となる「訪問看護ステーション」における看護記録の入力や管理、書類作成といった業務を軽減できる電子カルテサービス「iBow(アイボウ)」を中心に、業務支援システムとBPOサービスを提供しているeWeLL。
少子高齢化の加速により在宅医療の重要性が一層高まる中、「iBow」は毎月42,000人以上の訪問看護師などに利用されるサービスにまで成長。IR資料からも、+31.2%の高成長率(※1)と+43%の高利益率(※2)を両立させ、チャーンレートも0.09%と驚異的な低さを見せるなど、ユニークな存在となっています。
彼らは今、「iBow」に蓄積された膨大な慢性期医療データを活用する「医療データ活用ビジネス」をはじめており、在宅医療のプラットフォーマーとしてサービスを展開しはじめているといいます。
代表取締役社長の中野剛人さんに、いかにしてこのSaaSを立ち上げ、そして成長を続けていったのかを聞きました。ALL STAR SAAS FUNDのSenior Partnerである湊雅之が深掘りします。
(※1)2023年第2Q前年同期比 (※2)2023年第2Q時点通期予想
水上バイク選手としての大事故が起業のきっかけに
湊:eWeLLのことを、ずっとお話を伺ってみたいと思っていたので、今日は念願叶って嬉しいです。
中野:ALL STARS SAAS FUNDは、ブログの記事などを通じて見知っていました。「うちもSaaSやねんけどなぁ」と思いながらお声がかかっていなかったので、やっと呼んでいただけましたね(笑)。
湊:すみません!なかなか実現できず……今日はぜひ創業から成長の軌跡についてお聞かせください。まずは、中野さんのご経歴も交えて教えていただけますか?
中野:私のバックグラウンドからお話しすると、遡ること約24年前には水上バイクのプロレーサーでした。元々はバイクレースをはじめ、乗り物が好きだったんです。
余談ですけど、昔に『ターニングポイント』っていう1時間枠の、ゴールデンタイムに放送されていたテレビ番組があったんですよね。それで孫正義さんがちょうどVodafoneを買収した頃に15分取り上げられ、残りの45分は私が出た回がありました。今の孫さんを思うと恐れ多いような話ですね(笑)。
で、水上バイクで世界のトップに立ちたいと思ったのは、周りと比べても遅い23歳の頃。ただ、「やる」と決めたら絶対に成し遂げたい性分でした。あとは、ニッチな領域でトップになることも好きなんですよ。メジャーな分野ではない小さな業界でも注目されたり、活躍できたり。
ただ、水上バイクをはじめて間もない頃、肝臓破裂の大事故に遭って生死の境を彷徨いました。10日間も意識不明の重体で、周りからはもう助からないだろうと思われていたそうですが、その後奇跡的に生還しまして、実はこの体験が後のeWeLL創業につながるんです。
湊:怪我の功名と言うにはあまりにも大事故ですね......。
中野:私が瀕死の重体から助かった最大の理由が看護師さんだったんです。事故で病院に運び込まれた時、肋骨が折れていなかったので、医師は「肋骨も折れていないし、レントゲンを見ても問題ないよ」と帰宅を勧めてきました。
それでも違和感があったのでそう伝えると、側に居た看護師さんが「顔が土気色だし、確かに悪い。こっちのベッドで少しゆっくりしていてください。何かあったらナースコールを押してね」と機転を利かしてくれました。
横になってしばらくすると、肝臓が破裂して血圧が急激に下がり、一瞬にして意識を失ったんです。ナースコールを手に持っていたから、咄嗟に押せた、そして実際にそれで助かった。だから看護師さんに「絶対に恩返ししよう」と思ったんです。その後は医師の緊急手術も素晴らしく 10ヶ月ほど入院することになりましたが、なんとか無事に帰ってこられました。
そこから、周囲の猛反対を押し切ってレースに復帰し、「諦めずにやり抜けばいつか必ず成功する」という信念で、13年間選手として活動し続けました。そして、日本1位や世界2位のタイトルを獲得し、2011年に世界戦を終えた時、「目一杯やり切った」と思えたので引退を決めました。
湊:選手を引退されて、次のステップを考える時が来たのですね。
中野:念頭にあったのは「看護師さんへの恩返し」です。住宅型の介護施設で10ヶ月ほどボランティア活動に携わりながら、可能性を探っていました。
入院生活やボランティアから知った「現場の非効率さ」がヒントに
湊:事故後の入院生活や介護施設の経験が、起業のヒントになったのでしょうか?
中野:ボランティアを通じて現場の様子を見ていると、非効率だとわかってきました。この時、eWeLLの料金体系の設計にもつながる“気づき”を得たのですが、医療・介護施設から健康保険組合などの支払機関に対して、診療報酬を請求するためには「レセプト(診療報酬明細書)」を作成する「レセプトシステム」、いわゆる「レセコン」と呼ばれるコンピューターシステムが必要で、日本の大手メーカー製で購入には初期費用だけで数百万円ほどかかる。さらに、ID課金の上に保守料まで支払う仕組み。しかも、このシステムがすごく使いづらいと。
それで私がメーカーに電話したんですよ。「使いづらいので直せませんか?」って。向こうも「もちろん対応します」とは言ったけれど、結局は何も変わらなかった。なぜ、そんなことが起きるのかを考えました。
まずメーカーはイニシャル(初期費用)で売り切ったものに対して、追加でコストをかけないだろうと。なので、ユーザーはシステムごと購入してしまうと、UXが悪かったとして改修をお願いしても、対応してもらえるかはわかりません。
システムの受託開発では、発注をかけてシステムを開発してもらうのに、まず要件定義をしますよね。要件定義をして、金額もフィックスさせてから開発がはじまる。受託開発側は要件さえ満たしていれば良いので、UI・UXに余計な工数はかけず、その結果、使い勝手の悪いシステムが出来上がってしまいます。つまりは「受託開発は今後終わっていくだろう」と思ったんです。
湊:なるほど。たしかにその当時から、受託開発という仕組みが問題であり、海外ではSaaSとしてのサブスクリプションモデルが広まりを見せていきましたね。
中野:おっしゃる通りで、仕組み自体に問題があると気付きました。もう一つの大事な出来事として、介護施設のリネン庫の扉を開けたら、書類がブワーッと落ちてきたんです。聞いてみると「書類には保管義務がある」と。私がボランティアをしていた2011年は初代iPadが発売されたタイミングでしたから、「今後はこのiPadに全ての書類が収まらないか?」とも思った。今で言う、デジタルシフトが必須になるはずだと。
それに加えて、訪問看護の業界では、レセプトシステムの提供会社が数十社あったんです。全て支払機関に請求するためのシステムで、競争優位性が生まれにくい業界に、なぜこれほど関わっているのかと思ってました。
私たちは戦略として、レセプトシステムは作らずに、訪問看護の日々の業務を効率化する電子カルテを作り、レセプトシステムの会社とは協業すれば良いと考えました。その後、上場を目指す大手の訪問看護事業者のシステムを受託開発として請け負うことになったんです。
湊:受託開発は終わる、と考えていたのに、まずはそこからはじめられたのですね。
中野:後々にeWeLLとして提供するシステムを開発することが目的だったからです。従来的な「要件に見合った最低限のもの」を納品するのではなく、いずれ自分たちが提供するものだからこそ、UI・UXの部分までしっかりと作り込んで、徹底的に良くしますと。クライアントとお互いの利害が一致したんですね。
つまり、受託開発ではあるけれども、開発した成果物についてはeWeLLのサービスとして提供する、という交渉をちゃんとして、それを受け入れていただいた形です。こうやって、当時のiBow Ver.1の原型を作り込んでいったんです。
誰もやらないことではなく、大切なのは「本物」のサービスか
湊:スタートアップは通常、エンジニアを囲い込んで新しい製品を開発する傾向があります。でも、eWeLLはそのセオリーに囚われすぎずに、“シナジーを生む受託開発”という進め方をしたのはユニークですね。
中野:おっしゃる通りで、効率も良かったですね。他の企業や起業家には一つの参考例として聞いてもらえたらいいと思いますが、私らは訪問看護という医療領域で事業を展開していますから、医療情報を取り扱う以上はセキュリティを担保していなければなりません。
セキュリティの担保には、大きく2つの選択肢がありました。まずは、ネイティブにダウンロードして取り扱うパターン。次に、データセンターなどのサービスを通じて使うSaaS型のパターンです。ダウンロード型にすると端末に情報が残りますから、それが情報漏洩のリスクとなる。未だに端末の紛失や人為的ミスが、情報漏洩の主な原因なんです。
当時は、シンクライアント(データを社内サーバーで管理し、ユーザーの端末に情報を保存しないシステム)が流行りだした頃でした。やはり、データセンターからの提供の方がセキュリティを担保できるだろう、と最初から考えていました。
実際、iBowは訪問看護のセキュリティの基準となる「電子カルテの3原則」と政府が定める「3省2ガイドライン」を遵守していますので、安心してご利用いただけます。
湊: なるほど、クラウドベースにする判断で、セキュリティと柔軟性の両立を実現されたのですね。機転を利かせたアプローチが成功につながったことがよくわかります。
中野:機転を利かせることはビジネスを作る上でも重要だと思っています。業種や業界に応じて適切に機転を利かせるスキルですね。あと、「誰もやっていないことをやらなくちゃ」と考えがちかもしれませんが、それには囚われずに「そのサービスは本物か?」という観点が大切だと思ってます。お客さまの課題解決に本当に役立つサービスになっているのかは、常に考え続けてます。
湊:あと伺いたいのは、中野さんのメンタリティーについてです。中野さんは、人があまりやっていないことに挑戦することに抵抗がなく、むしろ新しい領域に興味を持つタイプだと感じます。それはスポーツ選手としての経験が関連していると思いますか?
中野:そうですね。マイナースポーツを「やり切った」と思える体験は大きいです。一般的にはメジャースポーツや、より賞金が高いものに取り組むことが多いのでしょうけれど、私は違う道を選びました。「誰もまだ試みていない領域」に挑むことに魅力も感じましたし、「誰も成し遂げていない記録」を作りたいとも思っていました。
まず、「なぜ」から語る
湊:中野さんには「普通ならこうする」という縛りがなく、おそらくは「お客さまにとって最も良い状態とは何か」にフォーカスされている印象を受けました。
中野:そうです、そこはブレていないですね。他者へ説明する際にも、「私たちが何をしているのか」よりも「なぜ、この事業をしているのか」を先に徹底して伝えてきた。今に振り返ってみても良かったですね。
安全性や蓋然性など、システムの内容をいくら語っても残念ながら相手には響かないことが多いんですよ。相手からしたら私のことがわからないので。まずは、「なぜ、この事業をしているのか」をちゃんと伝える。
お客さまからすれば、正直に言って、どれもこれもプロダクトは一緒に見える。プロダクトを語るよりも想いを語る、それは業界に関係なく大事なことなんじゃないでしょうか。
湊:「何を提供するか」よりも「なぜそれをやっているのか、なぜ提供しているのか」が最も大事だと。
中野:だからこそ本物志向でなければいけないし、期待を裏切ったらだめなんですよね。
私はこの両輪かなと考えているんです。事業を手掛ける想いと、何をやっているのかという説明。どちらを先に伝えるか、という話ですね。
聞いてもらえる相手によって順序は変えればいい。私のことを知っている人には「何をやっているのか」から説明しますけれど、知らない人には想いから伝えることに、当時から終始してきました。
本質を見極め、諦めずにとことんやり切る
湊:経営はどのようなチームで行なっているのでしょうか?
中野:経営陣は、常勤では私と北村亜沙子(※常務取締役カスタマー本部長)と浦吉修(※取締役プロダクト本部長)、それと非常勤で島田亨(※社外取締役)の4人です。
最初の出会いは、北村と会ったことでした。当時、北村は関西で最大の医療法人のシステムのリプレイスプロジェクトに携わっていて、受託開発を担当していたので、先ほども話した「受託開発の終わり」について説明したんです。そして、先ほどの大手訪問看護事業者の仕事が取れるか否かの時期だったので、「それが取れたらジョインしてほしい」と。
あと、社外取締役の島田亨との出会いは事業の礎を築く上で、大きな影響を与えられました。島田さんとは知人の紹介で知り合い、エンジェル投資をしてもらったことが縁でした。
その後は彼の広い知見から資本関係や株式のことなど事業の根幹に関わる様々なことを教わり、また豊富な経験からくる物事の捉え方・考え方はとても刺激的で勉強になりました。
常にストライクど真ん中の話をする人物だった彼は、メンターとして重要な判断の際には事あるごとに助言をくれて、私は一人ではないと何度も勇気付けられました。そして2020年に社外取締役となり、これまでeWeLLを支えてくれてます。eWeLLがここまで来れたのは功労者である彼のおかげと言っても過言ではありません。
湊:そうだったんですね。チームメンバーに対しては、どういったことを求めていましたか。意識されていたことなど、ありますか?
中野:基本的に、部下には前向きな考えを持ってもらうことが大切だと思っています。途中でダメだと諦めないこと、考え抜くこと、できるだけ多くの手段を出し切ってもらうこと、そして、リーダーは多くの選択肢から本質を見極め方向性を決める。
その本質を見極めるには片手間では難しく、方向性は細かな微調整を加えながらやり切らないと見えてこない。だから、少し負荷がかかって「もう無理」と諦めればそれまでで、負荷を成長要素に変えていけるように考えたいですね。
実際に、私が採用で見ているところは、結局は「前向きさ」です。問題が起きた際に、解決しようと向き合うのか、それとも逃げてしまうのか。そこをいつも見ています。
無料デモの施策は、向き不向きがある
湊:「iBow」は正式リリースまでに2年ほどかけていますね。開発の過程ではお客さまに使ってもらうためのトライアルや試験的な導入などが行なわれたと思います。訪問看護ステーションの方々、特に紙で業務に従事されていた人々がICTに移行する際、最初にどのような反応があったのでしょうか?
中野:最初は理解を得るのが難しかったですね。この業界では「システム」といえばレセプトシステムであって、私たちが「新しいシステムを導入していただけませんか」と尋ねても、「うちはもうレセプトを変更したばかりですから必要ない」と言われました。しかも、「レセプトシステムではないなら、なおのこと不要ですよ」とも。
湊:それでは、どのように説得したのでしょうか?
中野:重要だったのは無料デモを試してもらうのではなく、セッティングも済ませて手取り足取りで導入することでした。
知り合いのドクターに「テストとして無料で使ってください」とiBowを1ヶ月渡したことがあって、感想を聞くと一言で「使いづらい」と。不思議に思ってデータセンターを確かめてみたら1回アクセスしただけだったんです。もう5分も使っていない。おそらく忙しくて軽く触っただけだったんでしょうね。
知り合いのドクターでもそんな返答をしてくるくらいですから、無料デモでは意味がないんだなと気づきました。実際に情報を入力して業務で使ってみないと使いやすいかどうかはわからない。無料デモにも良し悪しがあって、マッチしない業種や業態もあるんですよね。訪問看護のように日々忙しい業種はなおさら向かない。その向き不向きがあることがよくわかりました。
湊:初めて「このシステムだったらいける」と感じたお客さまの反応などはあったのですか?
中野:初期の「iBow」では、まずは要望も多かったレセプトシステムとの連携を実装しました。
たとえば、日本医師会が提供していた「訪看鳥」という無料のレセプトシステムとの連携は弾みになりました。「訪看鳥」の利用自体は無料で、そこに優れたUIやUXを誇る「iBow」を導入しても利用者にはダブルコストにはならなかったので、「訪看鳥」でしっかり使える「iBow」という座組にしたかったんです。
そうしていると、お客さまからも「iBow」と連携してほしいという要望が出て、既存のレセプトベンダーも「動かざるを得ない」と感じたようで、連携が進んだんです。
業界の特殊性を知り、背水の陣を敷いてプロダクトに向き合う
湊:とても面白いですね、システム連携がPMFの切り口になったというエピソードは、数々のSaaSを見聞きしている僕も初めて聞いたように思います。
中野:医療業界のシステムにはサブスクリプションはほぼなく、基本イニシャルなんです。レセプトシステムもそうです。一方、「iBow」の料金は初期費用不要で、月額18,000円の基本料金に1訪問あたり100円が加算される従量課金制を採用しています。
訪問看護のビジネスモデルではステーションの経営が独立採算制で、「業務の効率化」と「訪問件数の増加」が極めて重要となります。ステーションは、医療保険・介護保険から支払われる1訪問あたり約8,500円の中から100円を利用料として当社に支払います。
「iBow」は、移動時間や書類作成の時間を削減し、看護師がより多くの訪問をこなせるようサポートしています。これにより、1日あたりの訪問件数がアナログで行なっていた時に3件の場合、6件に倍増しステーションの売上も伸びます。
つまり、お客さまの業務を効率化することで訪問件数が増加し、1訪問100円で私たちの売上となる仕組みなんです。
私たちにとってはいわば背水の陣、本物のシステムを追求し続けるしかないわけです。これはお客さまに使いやすいシステムを提供し続けるという私たちのコミットメントの表れです。
そして、お客さまの事業拡大が私たちの利益になり、お互いに成長し合えるビジネスモデルなんです。
湊:医療業界の特殊性もありながら、他の領域でも同じようなことが起こっているところがあると思いました。今のお話は、シンプルに他の業界のICT化を進めようとしている人たちも、とても勇気がもらえるものになるでしょうね。
中野:もっとも、だからこそUIやUXにこだわって、お客さまが本当に満足するサービスになっているのかを、本気でちゃんと見ていかないといけない。そこの手を抜いていたら結局はコミット料金の100円もいただけなくなりますから。
湊:「1訪問100円」という料金体系は、どのように考案されたのでしょうか?
中野:「1訪問100円」の値段設定はすごく考えました。無料をうたったり毎月定額で安さを売りにしているシステムも当時からありましたが、それでは本当に使いやすいものを継続的に提供し続けるのは無理だと思いました。
何よりも、厳しい経営環境で独立採算で経営を行なっている訪問看護ステーションの売上を本気で向上させたかった。ポッキリ価格ではできないが、「1訪問100円」なら何が何でもコミットしてシステムを改善し続け、ステーションの訪問件数を増やして、お客さまと私たちが一緒に成長していける。
だから、これしかないと決めました。この料金は初期からずっと変わっていません。
ド素人の私が見ても、ちゃんと使えるかどうか
湊:UIやUXには強いこだわりを持たれているのを感じますが、中野さんがプロダクトでそれらを見る時に、特に気をつけているポイントはありますか。
中野:「ド素人の私が見ても、ちゃんと使えるかどうか」。当時から「プロになったらあかんな」と徹していました。「あれ?これ何でこうなってんの?」ってとにかく聞く。システム開発を知れば知るほど、やはり「普通の感覚」からは遠ざかっていくんですよ。
たとえば、「なんで字がこんなにちっちゃいの?」とか。私は視力が良い方ですが、自分の母親くらいの年代の方でも使いやすいものにしたかったので、字の小ささは気になる。開発エンジニアと何度やり取りしても変わってこないので、「字をもっと大きくして」と伝えたら、「もうこれ以上無理です」って返された。そこで、無理だという理由を問うと「やったことがないからです」なんて言われる。「いや、やったことないなら、今ここで初めてやってみよう」と。
湊:エンジニアの視点だけでなく、一般ユーザーの視点が大事だと。
中野:開発だけでいえば、そういうものなんだと思います。特に受託開発の場合は、金額と要件が最初に決まっていることが多いため、UIやUXに十分なこだわりを持つ余裕がありません。でも、本物のサービスを作るには、そこを追求するのが大切です。
今も開発体制は7人で進んでいます。うちは社員数61人の時に株式上場まで持っていけたのですが、「非常に効率の良いやり方だ」と東京証券取引所の方から称賛いただきましたね。
顧客と尊重し合える関係を築けていれば、事業はうまくいく
湊:現在は、クラウド型勤怠管理システムの「iBowKINTAI」や、BPOサービスの「iBow事務管理代行サービス」も立ち上げていらっしゃいますが、どうしてスタートされたのですか?
中野:一つのキーワードは「課題解決」で、みんなが困っていることを解決できるからこそ、そこに価値が出てくると思っています。
BPOに関しては、お困りごとの中に「事務員の定着」がありました。訪問看護は「介護保険」と「医療保険」の両方に請求を立てる唯一の業種でもあり、様々なルールや法律が複雑に絡みます。そうなると、事務員の業務がブラックボックス化してしまう弊害もよく起きます。
湊:プロダクトもサービスも、全てがお客さまにとっての有益性から考えるわけですね。
中野:それに尽きますよ。お客さまとお互いに尊重し合えるような関係が築けていれば、事業はうまくいくはず。
それが証拠に、私らは2,500ステーションのお客さまが全て直接契約なんです。それも私はSaaSでやってる強みなのかなと思っています。
湊:それは素晴らしいことですね。eWeLLは数字面でも目覚ましく、成長と利益のバランスを計算しても、アメリカの企業と比較しても素晴らしい。これは結果論的と捉えていますか?
中野:まず言っておきますが、結果論的に見たら、もう見事やと思いますわ(笑)。最初に料金設定を行なった際の事業計画通りにほぼ進んできました。資金調達もしたので修正はしていますけれどね。基本は、あまり外しませんし、リアルに計算もできます。料金を最初に決めた時から、事業計画上の回収時期と、Jカーブの底値も計算通りでしたから。
湊:だからこそチャーンレートも、0.09%と驚異の低さを維持できていることにつながっているのですね。
中野:ええ、実際のところ、チャーンレートはずっと低いままです。そして、解約のほとんどは、事業所の閉鎖によるものなんです。
在宅医療のプラットフォーマーとして
湊:ぜひ、今後の展開についてお話しできる範囲で教えていただけますか?
中野:私たちが中長期ビジョンとして掲げているのが「在宅医療のプラットフォーマー」としてのサービス展開です。
医療には急性期と慢性期の2つがあり、それぞれ異なる役割を果たしています。急性期医療は手術など短期的・瞬間的な性質を持つ医療領域で、一方、慢性期医療は患者の回復期など長期的・継続的な医療の領域です。
「在宅医療」の現場はまだまだアナログです。「医療と介護の連携が重要だ」と厚生労働省は表明していますが、訪問看護の業務がデジタル化されていないと、介護や急性期医療とのデータ連携もできないわけです。
湊:そこで「iBow」が導入されていれば、慢性期医療側のデータも使って、より良い医療を提供できるはずだと。
中野:そもそも日本では医療情報が共有されていないんですよ。他のベンダーも病院内での情報は把握していても、病院間を超える患者の動きはわかっていないようです。私たちも日常生活でありますよね。受診した病院から他の病院へ移る時に、ドクターが手書きで紹介状を書いてくれて、それを持って案内された病院へ行く。そういう経験ありません?
実はそういったところにずっと疑問を持っていたんですね。「iBow」が得たデータが慢性期医療の情報の宝庫になっており、貴重であることはご理解いただけたかと思います。一方で、主には急性期医療に携わる電子カルテのメーカーは、ドクターが起業するケースが多かったのですが、私たちがビジネスをはじめたころにあった会社はもうほぼ現存しません。医療領域に切り込むのは、それだけハードルが高いのです。
湊:データの貴重性と、市場への参入の仕方が重要だったということですね。
中野:もし、真正面からアプローチすれば、おそらく医療の世界では拒否されていたでしょうね。結局、私たちもアウトバウンドの営業は一切やめたんです。
湊:お客さま側からの問い合わせがあれば、ほぼ受注が決まる状況ですか?
中野:そこまではいきませんが、確かにご紹介は多いです。紹介の場合、お客さまがすでに私たちの存在を知っており、ある程度信頼してくださっているため、契約が成立しやすいですね。
湊:プラットフォーマーなのに直販が大事。医療領域の特性もあるとは思うんですけれども、本質的だとも感じます。
中野:おっしゃるとおりです、本当に。だから他社と分け合いながらデータを取るのは、現実的でないことがわかっていたんです。
事業成功の鍵は、領域を精査し、お困りごとの解決に集中すること
湊:最後に、日本のソフトウェア業界で同様に業界を変えようとしている方々にメッセージがあれば、ぜひお願いできますか?
中野:まず、諦めないことですね。諦めたらそこで終わりですし、それは確かです。そして、自分がやっている事業をもう一度見直すことも大切です。事業自体のターゲット市場が狭かったり、背景に課題がある場合は、それに影響を受けます。
事業を成功させるためには、まず自身の領域を精査し、お困りごとの解決に集中することが大切です。私の経験から言えるのは、お困りごとを解決することが最も確実な成長の道だということです。だから、必要とされて成長していく方が良いと思います。
湊:そうですね、共感します。
中野:自身のエゴで事業を進めるよりも、公明正大に解決に取り組む方が良い結果を生みます。協力が得られる状況で批判があるのは仕方ありませんが、基本的には諦めずに進むことが大切です。