SaaSがビジネスの主流となった今、単一プロダクトによる成長には限界が見えつつあります。そのなかで、複数プロダクトを展開し、シナジーを生み出す「コンパウンド戦略」は業界の中で浸透しつつある成長戦略です。
国内ではSmartHRとLayerXが、この戦略を体現し、強い成長を維持しています。SmartHRは労務管理からタレントマネジメント、情報システム領域へと事業を拡大。LayerXは「バクラク」シリーズで請求書受取から経費精算、ビジネスカードまで、バックオフィス業務全般をカバーするサービス群を展開しています。
彼らはどのようにしてプロダクトを拡張し、組織を進化させてきたのか。ALL STAR SAAS FUNDのPartner 神前達哉を聞き手に、SmartHR執行役員の佐々木昂太さんとLayerX執行役員の牧迫寛之さんが、その取り組みを語ります。SaaSビジネスの持続的成長を目指すための実践的な示唆を得られるでしょう。
(※本記事は「ALL STAR SAAS CONFERENCE 2024」のセッションからオフレコ情報を除いて、抜粋・再構成したものです。また、記事中の在籍企業・肩書きはイベント当時のものです)
創業期から「コンパウンド戦略」は、はじまっている
神前: B2B SaaSをグロースさせるにあたって、顧客単価をしっかりと上げていく、複数のプロダクトを作っていく、そしてバンドリングしていくという流れは、もう常にセオリーだろうと思っています。
ただ、成長しているほとんどのSaaS企業は、複数プロダクトをどういうふうに作っていくのか、という課題に直面しています。これが、いわゆるデータベースが共通化されているコンパウンドモデルなのか、マルチプロダクトなのかという違いはあるにせよ、複数のプロダクトの戦略は、常に問われ続けています。
一方で、早い段階から仕込みをしていかないと、新規性やイノベーションが生まれなくなってきていることも、SaaSビジネスでコンパウンド戦略が特に強調されている背景にあるとも考えています。特にAIやLLMの発展に伴い、SaaSがデータ学習という能力を獲得したことで、データベースの重要性はさらに増すでしょう。
では、創業間もないフェーズから複数プロダクトを意識しながら、データベースの構築は可能なのか。複数プロダクトの組織体制をどう作り、GTMしていけるのか。
まずは、牧迫さんから、LayerXのプロダクトのロードマップと、いかにセカンドプロダクトやサードプロダクトのPMFを進めたのか、ご解説いただけますでしょうか?
半年に1サービスをローンチ。LayerXのコンパウンド戦略
牧迫:LayerXのサービスは、請求書を受け取った後の業務を効率化する「バクラク請求書受取」から2021年1月にリリースしました。その後、「バクラク申請」「バクラク共通管理」という、いわゆるID・認証基盤を2021年4月にリリースしています。さらに、電子帳簿保存、経費精算、ビジネスカード、請求書発行、勤怠と、こういった形で約4年でサービスを拡充して、半年に1サービスほどのペースで市場に投入しています。

最初のPMFでいうと、もともと請求書受取サービスを展開しはじめた4年前から、単品のサービスなのか、横に広がっていくようなサービス網を指向するのかは議論してきました。各社を調べていくと、同じ会社が提供するサービスなのに、サービスごとにIDとパスワードを入力する必要があり、ID基盤やマスタがバラバラというケースが非常に多かったんです。
そんななか、請求書受取のサービスを提供していると、「経費精算も困っています」「請求書発行も困っています」「そもそもワークフローも困っているんです」という声を数多く聞いていました。将来的に統合されていくのであれば、わざわざ分けたID基盤を作るよりも最初から作ってしまおうという話が社内で挙がり、2021年に請求書受取サービス提供開始の直後からID基盤とワークフローサービスをを開発し3ヶ月でリリースしました。
最初に共通のID基盤を提供しはじめたことで、各サービス間での連動性が高まりました。たとえば、経費精算をリリースしたタイミングでも、「請求書も困っているし、経費精算も困っています」という“同時導入”が進んできたのです。そこが、現在のコンパウンド戦略に繋がっているところだとも思っています。
神前:ID基盤を2番目に開発されたことに関して、あえて開発系の基盤を進めた背景はどうだったのでしょうか。
牧迫:最初のサービスをリリースする前から、バックオフィス領域全体の課題についてヒアリングを行なっていました。請求書受取を2021年1月にリリースしていますが、その半年前の2020年6月ごろから、そもそも何の事業を作っていこうかという議論のために、100社ほど経理やCFOの方にヒアリングを重ねながらプロダクトの方向性を検証していたんです。
その中でわかったのは、請求書受取のサービスについては確かに解決できるソリューションが不足しているという課題。そしてその横に、経費精算とID基盤、より細かく言えばマスターデータマネジメント領域に課題を抱えているお客さまが非常に多いということでした。
これを考えると、請求書受取単品だけを提供するというよりは、ID基盤やマスタを統合的に管理できるようにし、横にサービスを広げミドルウェア的にワークフローを提供しながら、その上にアプリケーションとして経費精算や勤怠管理が乗っかってくる形になっていくのではのではないか、ということを思考していました。もう少しリアルな話をすると、開発チームとは「サービスを広げていく前提であれば、それぞれのID基盤を作るのは面倒だろう」とも議論しました。将来的にどちらがスケールしそうかという観点でID基盤を早期に作っておくという投資を判断したのが実際のところです。
神前:気になる点がもう一つあります。ビジネスカードと電子帳簿保存の開発期間が半年、さらに経費精算とビジネスカードの間は3ヶ月しかなかったと思うのですが、SaaSモデルとペイメントでは、かなり異なるビジネスモデルですよね。
複数のSaaSを同時に展開することすら難しいなかで、さらに特殊なビジネスモデルであるビジネスカードを載せていく。この辺りのPMFの考え方や、試行錯誤のプロセスについて教えていただけますか。
牧迫:経費精算に関しては、ユーザー側も承認者側も、一気通貫での処理を求めるニーズがとても強かったんです。「経費精算をしています」「コーポレートカードも使っています」という声の裏には、それぞれの業務が分断されているという課題が見えていました。これは経費精算サービスの立ち上げ時点のヒアリングから把握できていたため、早い段階から準備を進め、3ヶ月での立ち上げを実現しました。
ただし、コンパウンド戦略を実行するうえで、特に難しいと感じた点が二つあります。一つは、ビジネスモデルの異なるサービスをどう融合させていくか。もう一つは、勤怠管理のように、経理部門とは異なるバイヤーが対象となるプロダクトをどう重ねていくか、という点です。
特に、ビジネスカード事業は完全なトランザクション型のビジネスモデルです。通常のSaaSであれば、契約・導入後に翌月からサブスクリプション収益が発生する形ですが、カードビジネスは入会が無料で、お客さまの決済額に応じて収益が発生します。そのため、KPIの設定や管理の方法で当初はかなり苦戦しました。SaaSのセールス担当はMRRや経常収益といったKPIを持っているのに、そこにカードの利用額というKPIを追加で持ちながら活動する難易度は高く、半年ほどの試行錯誤を経て、最終的には組織を分離し、カードの決済金額にコミットする組織を組成しました。
神前:組織体制も含めて、新しい機能やサービスを追加していく際の判断基準について、より詳しく伺えますか。開発を決める判断はどのように行われているのでしょうか?
牧迫:意思決定において大きいのは、やはりお客さまの声です。定期的にヒアリングやアンケートを実施して、どの領域に課題を抱えているかを追跡し、結果的に「声の大きな領域」から展開していく方針を取っています。
たとえば勤怠管理についても、リリース前に自社の顧客1,000社ほどにヒアリングとアンケートを実施しました。20%ほどの回答がありましたが、非常に熱量の高い反応をいただいたことで、「可能性がある」と判断してリリースを決めました。
「困っているポイント」から提供していき、クロスセルを実現する
神前:SmartHRではいかがでしょうか。SmartHRの特徴は、タレントマネジメントを含めてコンパウンドに成長していますが、セカンドプロダクト以降のPMFの経緯をぜひ教えてください。
佐々木:SmartHRの場合は、一つずつ機能やプロダクトを拡げた結果、コンパウンドに向かった形でした。セカンドプロダクトへの進出は、やはりお客さまの声からはじまり、“Better Together”というところですね。一緒に使っていくとよりシナジーを生むというところで、タレントマネジメント領域に進出することになりました。

労務管理、タレントマネジメントまで合計すると18個ほどプロダクトがあるので、オプションで提供するものもありますし、料金プランも定期的に見直しています。2023年まで二つだった領域のさらなる拡大に向けて、今年からより本格化してきているところです。
そのうえで、自社のポジショニングと強みを重視しています。たとえば、SmartHRの従業員データベースやAPI、ミドルウェア、IDなどの基盤といった、コアとなる強みを活かせる領域を見極めながら展開を決めています。
情報システム領域への展開を例に挙げると、SmartHRは労務管理からはじまっているため、全従業員のIDを持っているという強みがあります。さらに、入退社の手続きや組織のマスタ変更といったトリガーとなるデータも保有しています。
これらが強みになるのは、たとえば、情シス領域ではセキュリティも含めていろいろありますが、まずIDからはじめられるということです。SaaSのIDを発行する、権限を変更する、退職時に残っているIDを削除するといったことが自動でできるようになります。
業務の実態としては、HRの担当者から情報システム部門の担当者が情報を受け取り、それを手作業でExcel管理しながら更新するという課題を抱えている企業が多いのです。SmartHRは双方のお客さまと話をする機会があり、この情シスのペインを解決できると考えて情シス領域にも進出することにしました。
神前:シングルソリューションのプロダクトと比較して、マルチプロダクトだからこそ出せている価値については、お客さまからどのような反応がありましたか?
牧迫:当事者、いわゆるビジネスを提供する側もそうですし、お客さまもそうなのですが、段階を踏んで導入できるというところが大きいと思っています。一気に全部変えようというのはお客さまとしてもコストが高かったり、関係者も増えるため難易度も上がりがちでプロジェクト期間も伸びがちです。
全部を変えるというのは、会社として大きな意思決定になってきます。働くうえでのインフラを変えるという意思決定ですから。そこで、請求書の受け取りなど困っているポイントから提供して一定期間使っていただき、サクセスを実現したあとに組み合わせるとさらに便利になるという価値がわかっていただけます。その流れでしっかりとクロスセルができることは、事業側からも実感していますし、お客さまにとっても導入しやすいという評価をいただいています。このようにランド・アンド・エクスパンドの事例が多いことも特徴になるかなと考えています。
佐々木:スピード感もとても重要ですよね。ERPからすべてを置き換えるとなると、要件定義をして、社内調整をして、ソリューションを選定し、構築して、それだけで3年ほど掛かってしまう。その間にも良いプロダクトが世の中に出てきたり、業務自体が変わってくると、大規模なカスタマイズが必要になり、さらに時間とコストを要します。
そういった多様な選択肢や柔軟性、拡張性に対応できるというところも、SaaSがより浸透してエンタープライズにも受け入れられるようになってきた土壌だと感じています。
マルチプロダクトにおけるセールス体制の構築はどうする?
神前:確かにそこを別々に提案できる、あるいは段階的に導入していけるというのは一種の強みですよね。この辺りはたぶんセールスの部分もすごく絡んでくるかなと思います。特に新規のプロダクトと既存のプロダクトでどういうふうに目標設定していけば良いのか、あるいは人材をどういうふうに投資していけばいいのか。これらは非常に難しいポイントだと思いますが……マルチプロダクトにおけるセールス体制の構築はどうしていますか?
佐々木:今、SmartHRはコンパウンド戦略を進めるうえで、マーケット軸で事業部を分けています。

組織の切り方や形態については、すべてにおいてメリット、デメリットが必ずあるでしょう。正解は一つというわけではないですし、事業やプロダクトのフェーズによって異なるというのが大前提です。そういったときに、メリットをどうやって最大化するか、デメリットをどう最小化するかを考え、それらを補完するために「横串の役割」を作るというのをSmartHRはやっています。
具体的には、リード獲得やブランド領域、クリエイティブコンテンツといったところをブランディング統括本部が横串で担当しています。さらに事業戦略統括本部でPMM、プロダクトセールス、プロダクトCSといった役割を設けています。こうしている理由は、すべてのマルチプロダクトの提案やオンボーディングをセールス、CS、ISが単独で行なっていくのが難しくなってきているためです。そこで、ソリューション営業、ソリューションCSという役割を作り、よりPMMに近い距離で縦横無尽に動ける体制を整えています。
SmartHRに限らず、新規プロダクトで陥りがちなところでいうと、既存プロダクトの基準や枠組みをそのまま当てはめてしまうことです。たとえば、セールスの採用要件やKPIの考え方など、組織全体の単位でいきなり考えてしまうんです。
僕もタレントマネジメントのプロダクトを立ち上げたときに、組織全体単位で考えて、つい近道を探してしまいがちでした。「どうやったらみんなで売れるようになるんだろう?」とか、「どうやったらみんながサクセスをクイックにできるんだろう?」とか……。
新規事業チームの中に各組織機能をまとめるやり方もありますし、プロダクトセールスやCSを置く方法もあります。あるいは、セールスやCSでも、プロジェクト型やハイパフォーマーでまず勝ちパターンを作り、それができたらスケールさせる方法もあるかもしれません。いずれのやり方においてもアプローチ設計がなければ、学習サイクルが回りにくいというのは陥りがちな課題だと思います。
神前:この辺り、バクラクではいかがですか?
牧迫:僕らも耳が痛いというか、まったく同じっていう感じではあるのですが。

SMBからMIDマーケットを担当する部門として、マーケティング、セールス、カスタマーサクセスなどの部門があります。特徴的なのは、別途で法人カード等のトランザクションの事業を行うペイメント事業部があること。また、1,000人以上の企業を担当するエンタープライズ部門を設けています。
そして結論としてセールスは、立ち上げプロダクトのセールスと既存プロダクトのセールスで、組織として分ける形を取っています。立ち上げ時に売上を重視し「最速でARR1億円を目指そう」というトーンではじめてしまうと、すでに一定のトラクションがでている既存事業のモデルを援用しがちです。たとえば、「リードがこれくらい必要で、商談数をこれくらい作れば、売上はこうなるだろう」という計算は簡単にできてしまいます。しかし、それでは最初にフィットしたいターゲット像が曖昧になってしまうのです。
また、既存プロダクトを売っているチームも、次なるプロダクトを「どれくらい売ったらいいのか」と戸惑い、お互いに“お見合い”になってしまう。期待は高いのに、立ち上げ時の達成目標を見失いがちになるわけです。
振り返ると、ARR5,000万円から1億円ぐらいまでのフェーズは、ある程度は境界線をゆるく引いて分けるべきだったなと思います。LayerXでは「GTMチーム」と呼んでいるのですが、組織としても分けて、新規プロダクトのセールスチームが型をつくりながら、徐々に既存プロダクトのセールスチームに一定の型をインストールしていく。ゆるめの境界線を引きながら、一定のスケールが出るまでは組織を分けて運営するべきだと考えています。
そうしなかったために、3~6ヶ月ほど遅れが生じてしまったケースがありました。結論として、僕は組織を分けるほうが良いと考えています。
セールス体制はプロダクトカット?アカウントカット?
神前:先ほど、佐々木さんのコメントにもあった通り、組織体制はいかにメリットとデメリットを剪定するかになると思います。簡単にプロダクトカットでセールス体制を構築するのか、アカウントベースで構築するのか……。
アカウントベースにする場合、既存のお客さまに対して提供しきれていないサービスを勧めていくところはイメージが比較的湧きます。でも、新規のセールスについては、複数のプロダクトを学習してもらってオンボーディングして新規セールスをしていくのか、あるいはセールスの中でもゆるく労務担当、タレントマネジメント担当、バクラクSaaS担当、ペイメント担当といった形で、プロダクトごとに粒度を付けているのか……いかがでしょう?
牧迫:バクラクでは分けてはいますが、大きく三つのまとまりで運営しています。SMB・MIDのセールスチーム、エンタープライズのセールスチーム、ペイメントです。
基本的には、最終的なKPIとその時間軸でカットしています。
たとえばSMB・MIDの商談であれば平均で60〜90日、長くて120日ぐらいの商談期間になっているので、この中での開拓が勝負になってきます。エンタープライズは会社対会社の付き合いになってくるので、180日から、長いものではプロジェクト化する前段階から伴走すると2〜3年かかる案件もあります。「これからプロジェクトを立ち上げていきます」というフェーズもあるので、同じ時間軸では扱えないという判断です。
カードビジネスも同様です。先ほども触れましたが、カードは入会していただくだけでは売上は立ちません。実際に使いはじめてもらって決済をはじめてもらう、他社で使っているカードの金額を弊社に寄せてもらうといったことを含めてやっていく必要があります。追い方も違えばその時間軸も違うため分けているといった形です。
佐々木:SmartHRはマーケット軸という話では、HR領域と隣接する領域を手掛けているので、アカウントに対してクロスセル、アップセルしていく戦略を考えています。
ただし、アカウントカットにしたときのデメリットとして、プロダクトセールスやCSのチームで動く中で、どこまでユニットエコノミクスが合うのかもポイントになります。今は一旦この形にしていますが、仮にもっと違う領域に進出することになれば事業部として別にすることもありえますね。0→1→10フェーズまでは新規事業チームにまとめるけれど、10→100のフェーズになると事業本部にまとめるという議論も出てくるかもしれません。
先ほどの牧迫さんのお話にもありましたが、「何を仮説検証して、どのようにスケールさせて、そのためにどれくらい投資していくのか」。マルチプロダクトの経営はとても変数が多い中で、同時並行で常にチューニングし続けることが肝だと思っています。
点と点を繋いでみて、「うまくいったら次に行こう」
神前:複数のプロダクトがあることで、バリュープロポジションの設計も変わってきますよね。シングルプロダクトだと割と決まってくるものの、複数プロダクトがあるからこそのバリューをマーケットからインサイトを持ってきて、イネーブルメントだったり、セールス体制に落としていかなければなりません。この辺り、難しかった部分や良かった部分を教えていただけますか。
佐々木:大事なのは、専門人材というよりは、縦横無尽に動ける人材がいることです。それをBizDevと呼ぶのか、PMMと呼ぶのかは別として、そういう人材が0→1フェーズでは必要だと思っています。
SmartHRではPMMという形で実践しました。タレントマネジメントの最初のプロダクト立ち上げでは、オプション機能としてSmartHRのデータを活用してレポートを作る作業の効率化や人事施策の検討・効果の可視化に使うというプロダクトでした。
僕自身がPMMを担当していた最初の1年は本当に苦労しました。セールスもCSもリソースがない、売り方もわからない。自分はどうしていいのかわからないし、何を作ればより使ってもらえるのか……それを組織全体にスケールさせることは絶対に無理なので、まずは「自分でやってみよう」と。
商談獲得から提案・導入のオンボーディングまで一気通貫でやりながら、それをプロダクトにフィードバックするというサイクルを1年ほど繰り返しました。実はプロダクトリリースしてから1年たった当時、これ以上うまくいかなければプロダクトを閉じる意思決定を経営から提示されていました。
お客さまの解決したい課題として、通称「ロクイチ報告」と呼ばれる、毎年6月1日時点の高年齢者・障害者雇用の状況などをまとめる業務がありました。これまでは紙で提出していたのですが、SmartHRのデータを使えば自動でレポーティングが可能になり、これが一つのユースケースとして成功して 他のレポートに広げていけばスケールさせられるかもしれない。もし、これがうまくいかなかったら、このプロダクトは厳しいかもしれない……と自分でも覚悟を決めて、経営から最後のチャンスをもらいました。
ただ、この機能がうまくいったおかげでPMFというか、プロダクト・ソリューション・フィットのような形が見えてきました。確かにユースケースとして使えるし、ROIもあう。そこが見えてからは、売り方の方向性も定まり、ユースケースの拡がりも作ることができました。
だから点と点を繋いでみて、「うまくいったら次に行こう」というところにいくつか分かれ道があったりするのだと思います。そういうチームとして縦横無尽に動ける形にするのか、あるいは横串を通すような役割を置くのか。当時はもっと違う形でしたが、そういう役割を置いたのは良かったと思います。
神前:そこにも試行錯誤のプロセスがめちゃくちゃあるんですね。
佐々木:そうですね。学習サイクルをどれだけ回すかが重要です。
エンタープライズ顧客との向き合い方を考える
神前:エンタープライズへの展開についてもお聞きしたいと思います。SaaSは、MIDやロングテールのお客さまがITの導入費用を大きく掛けずにサブスクリプションで利用できるというのが一番のメリットですが、一方でエンタープライズSaaSというところにも大きなポテンシャルがあります。これはAIやLLMの文脈も含めてですね。
お二人の会社は、エンタープライズをどういうふうにGTMしていくのか試行錯誤され、実績も出されています。この辺りのTierの変え方や、従来のSaaSだけでは導入が難しい個別開発やコンフィグレーションの部分をどう制御されているのか、お聞かせください。
佐々木:この話で3時間くらい話したいくらいなのですが(笑)、今日は特に重要な2点についてお話ししたいと思います。個別開発のアプローチと、最初のエンタープライズ顧客獲得についてです。
コンパウンド戦略を進めるうえで、既存のプロダクトにしても、新しいプロダクトも含めて狙うにしても、最初は機能が足りないものです。そこで重要なのが、最初の優良顧客10社を既存の顧客からどれだけ作れるかということです。
「この機能があれば導入します」という声をいただく場合、それを受注してから開発することもあると思います。しかし、これは諸刃の剣にもなります。自分たちでリソースの算段があり、「この時期に、この金額で受注する」というところを、開発チームも経営陣も、そして対応するCSチームともしっかり合意形成を取ったうえで進めていく。それができるのであれば、やるべきだと考えています。
個別開発にもいろいろな種類がありますが、その顧客だけが使う独特な業務というよりは、エンタープライズのこのセグメントでマーケットフィットしていくために絶対必要な機能、あるいはソリューションとして作れば必要に応じて展開できるものであれば、積極的に取り組んでいます。
神前:シングルソース、マルチテナントでの展開もありますし、一方でその会社だけに分けて提供するような個別開発にも粒度がありますよね。SmartHRではどう整理されているんですか?
佐々木:個社のテナント独自での展開は行わないという判断をしました。実際、エンタープライズで十数万人規模の会社を獲得できましたが、正直なところ、全然機能は足りていませんでした。お客さまはある程度期待を含めて導入してくださっているのですよね。
もちろんその期待に応えていくという話なのですが、お互い伴走していくパートナーとしてという前提で、それがどうしても追いつかないというジレンマも出てきます。
過去のロードマップの考え方では、チャーンを防止するための改善なのか、すぐにやらなければいけないセキュリティ対応なのか、新規のプロダクトや機能への投資なのか。これら全部を横に並べて考えていたんです。リソース配分をどうするかという意思決定と、何をどういう順番で作っていくかという意思決定を、一緒に考えてしまっていました。
当時エンタープライズ顧客に向けて足りなかった機能は、今になって開発しはじめたものがいくつもあります。今は、まずリソース配分を決めてから開発優先順位を、タレントマネジメントと労務に分けて、それぞれの中で決めるようにしています。
これがもっと早く実現できていれば、もしかしたら個別開発についても、できる範囲内で最適な順番で作っていけたのではないか。振り返れば、一つのしくじりだったと思っています。
神前:バクラクはエンタープライズ事業についてどう捉えていますか?
牧迫:弊社の場合、去年まで1,000人以上の企業というだけの定義だったのですが、これでは粗すぎてターゲットがぶれてしまうケースが多かったんです。佐々木さんの話と同じように、数万人の企業が求めているものと、5,000人以内の企業が求めているものは異なり、どういう優先順位をつけるかがまとまりませんでした。
そこで、一旦は従業員数の上限を決めて、そのセグメントに対して同じような属性のセグメント、あるいはインダストリーで同じようなユースケースに使えるのか、汎用性があるのかを見て、優先度を付けて開発を進めていきました。
また、弊社のプロダクト組織では、エンタープライズの開発とSMB・MID開発を分けていないところがあって、どちらに注力するかという議論は続いていました。去年取り組んだのは、特定の期間を「エンタープライズ集中」と定め、最初のセグメントフィットまではエンタープライズに集中しようという方針を決めて実行したことです。
神前:この辺りのデマンドジェネレーション、つまりマーケティングについてはどういうふうに投資を考えていますか?たとえば、SMB・MIDとエンタープライズで財布を分けているのか、コンパウンドの中でも特定のプロダクトを主軸にプロモーションしていくのか。その辺りの意思決定はいかがですか?
牧迫:予算は分けています。マーケティングの手法が異なってくるためですね。もちろんマスマーケティングのような共通部分もありますが、SMB・MIDであれば展示会やオンラインセミナーといった手法が使えます。
一方、エンタープライズは1,000人以上の企業が日本に4,500社しかないので、ここにどれだけの印を付けていくかという勝負になります。攻め方がまったく違うため、予算も分けて運用しています。
神前:SmartHRも同じような考え方ですか?
佐々木:そうですね。全体的なプロモーションはもちろんやっていますが、エンタープライズマーケティングというチームを作って、アカウントベースマーケティング、クローズドな勉強会、顧問の方々との連携など、この辺りは分けて実施しています。
神前:さまざま伺いたいことはありますが、ここでお時間いっぱいのようです。またいずれ、さらにお教えください。本日はありがとうございました!