今、SaaS業界は大きな転換点を迎えています。従来型のビジネスソフトウェアが苦戦を強いられる一方で、AI機能の実装により30〜40%の成長を実現する企業も現れています。巷では「SaaS is Dead」とささやく人もおり、AIネイティブ企業へ注目をシフトする投資家も。
しかし、アメリカのSaaS市場は2,000億ドル規模で20%の成長を続けており、2025年には新たに600億ドルの市場が生まれることが予想されていると言います。この相反する状況をどう読み解くべきでしょうか?
SaaSの世界で起業家や投資家として、そして毎年1万人以上が参加するアメリカ最大のSaaSカンファレンス「SaaStr」を運営するJason Lemkinさん。Salesloft、Pipedrive、Greenhouse、Algolia、Talkdeskなど、評価額1,000億円を超えるSaaS企業への投資実績を持つSaaS特化型のベンチャーキャピタルファンドも運営しています。
あらゆる経験を持つJason Lemkinさんに、ALL STAR SAAS FUNDのManaging Partner・前田ヒロが迫りました。AI時代のSaaS企業に必要不可欠な戦略とは何か。プロダクト、組織、経営者に求められる新たな要件とは。具体的な事例とともに語っていただきました。
SaaStrのJason Lemkinとはナニモノか?
前田:まずはご存じない方のために、SaaStrとJasonさんについて、教えてください。
Jason:私は2つの会社を起業した経験を持つ起業家です。グレートとまではいきませんでしたが、グッドな結果は残すことができました。2012年にAdobeへ事業を売却し、Heros Pointに参画しました。当時からのCEO仲間には、Bill.comのCEO René Lacerteや、YammerのCEO David Sacks、BoxのAaron Levie、DropboxのDrew Houstonたちがいましたね。
そのなかでも、会社を最初に売却したのが私で......。だから私は、自分の失敗をコンテンツにしてシェアすることにしたんです。そうした活動が繋がって「SaaStr」が立ち上がり、イベント「SaaStr Annual」がはじまって。私たちのイベントには、これまで10万人以上の皆さんにお越しいただいています。
そして2013年から投資活動をはじめました。最後のファンドは2017年に立ち上げたもので、初期投資額の3.7倍のリターンを出しました。この結果は、グレートとは言えないかもしれませんが、多くのことを学びましたね。
幸運なことに初号ファンドは、投資をした5社すべて良い結果となったんです。たとえば、5番目のシード投資をしたSalesloftは約25億ドルで売却されました。PipedriveというCRM企業にはリード投資をしましたが、こちらは約12億5千万ドルで売却。こんなふうに、初期投資が上手くいって、今もう1社、良い結果が出そうな会社があります。おそらく、ライバルがいない環境で早期にはじめたことが成功の鍵になったと思っています。
私は多くの投資を通じて、自分が何をすべきかが分かりました。投資実績件数は、せいぜい年間3〜4件です。100件投資するのではなく、3〜4件に絞り、リスクを取ってすべて成功させようと考えたんです。投資方法としてはあまり賢いやり方ではないかもしれませんが。今もちょうど新ファンドを設立中ですよ。
もう一つ、運営しているイベント「SaaStr Annual」は、コミュニティ活動の側面も大きいです。私たちの仲間の多くは、SaaStrからSaaSを学んだのですよ。ZoomのEric Yuan、HubSpotのDharmesh Shah、CoupaのRob Bernshteyn、AtlassianのJay Simon Strope、StripeのClaire Hughes Johnsonなど……みんなコミュニティメンバーから直接学んでいました。コンテンツを共有しながら学習することは、とても楽しいものです。
前田:素晴らしいです。最初の5つがユニコーンとデカコーンだったとは。
Jason:そうですね。ときには、まずやってみることが良いんでしょうね。そこから学んで、緩やかに成長カーブを登れば良いと思いますよ。結果は、そのうち明らかになりますから。
“SaaS is Dead”には2つの異なる世界が存在する
前田:最近、ソーシャルメディアで「SaaS is Dead」というフレーズをよく見るようになりました。これについてどう感じていますか?
Jason:ビジネスソフトウェアには2つの世界があると考えています。一つは「B2B2B」です。エンドユーザーが企業であるビジネスです。今、アメリカの多くのスタートアップが、この領域で苦しんでいます。セールスやマーケティングに関するツールは「ポイントソリューション」です。ARR1〜3億ドルまで成長した企業も、それ以上の成長が難しい状況下に置かれている。
これまで成長していた企業が、厳しい状況に置かれているんです。Zoomの現在の成長は0%に近くなっています。セールス・マーケティングリーダー向けデータを扱うZoominfoのCEOは最も素晴らしいCEOの一人ですが、彼らの業績も悪化していて、前四半期は約7%の減少という結果になりました。
SalesloftやOutreach、それにGongの成長も大きく鈍化しています。こうした世界では「状況は最悪」と言えますよね。「SaaS is Dead」だと思うのも無理はありません。未曾有のディプレッションが起こっていると思う人もいるでしょう。
でも、外に目を向けると、また別の世界も見えてきます。エンドユーザーが消費者である「B2B2C」ビジネスは、アメリカでは今とても熱いんです。
Monday.comは収益も10億ドル規模で40%近く成長しています。PalantirはAIを活用し、約30億ドルの収益で30%ほどの成長です。トラックなど車両運行管理のSaaSであるSamsaraは、収益13億ドルで約40%成長しています。KlaviyoやShopifyなどアメリカのeコマース業界は、チャレンジングな状況にはあるものの、Shopifyは90億ドル規模の収益を達成しました。
Shopifyは、アメリカにおけるeコマースのリーダーと言える企業です。なんせ収益90億ドル規模で約29%成長ですからね。Shopifyのマーケティング版、Klaviyoもそうです。収益は10億ドル規模でほぼ40%の成長です。
ちょうど2ヶ月前に、KlaviyoのCo-founder&CEOのAndrew Bialeckiに会ったんですが、私が「業績は悪化しているの?」と聞くと、彼は笑って、「え?悪化なんてしていないよ」と答えました。先ほど言ったSamsaraも業績は悪化なんてしていません。
「B2B2C」の世界は、とても順調なんです。セキュリティ分野もそう。Wizを見てください。Googleの約220億ドルの買収提案を断ったばかりです。セキュリティ業界の「B2B2C」サービスを展開するCrowdStrikeは、収益30億ドル規模で40%近い成長を達成しています。です。AI業界も同様です。Palantirは30億ドル規模で成長加速しているし、Google CloudやAzureもそう。
では、「SaaS is Dead」をどう考えるか。実際は、SaaSが関わる多くの業界で、順調な成長が見られているんです。でも、これまで注目されてきたセールスやマーケティング分野、プラットフォームではない単機能のポイントソリューションは、苦戦を強いられていることは間違いありません。
つまり、2つの異なる世界があり、二極化しているのです。「SaaSは終わった」と考える人たちもいますが、私は「SaaSは再起動中」だと思っています。
たとえば、ServiceTitanは8億ドル近い収益で、約30%の成長を続ける企業で、2024年12月に新規上場しました。彼らは、水道業者や便利屋、エアコン修理業者などに向けたSaaSを提供している会社ですが、順調に成長しています。
ただ、「SaaS id Dead」と言いたい気持ちもわかるんです。これまでの私たちのキャリアのなかで、初めてSaaSへのネガティブな空気を感じていますからね。アメリカのベンチャー投資では、純粋なSaaS分野は70%減少し、AI関連にお金が集まっています。アメリカのSaaSに投資をしてきたVCに話を聞くと、私がSaaS企業をはじめた2005年ごろからいた投資家たちは、今ではAIネイティブ、あるいはAI関連の企業にしか投資しないと言っています。
彼らは従来型のビジネスソフトウェアには、もうタッチしません。撤退したんです。本当に「SaaS is Dead」と考えています。理由はマルチプルの低迷や、成功へのハードルが上がったこと。そして、ベンチャー投資においては、みんなイージーゲームを探しているからです。
デカコーンやイージーゲームに依存していますよね。3億ドル、5億ドル、10億ドル規模の小規模なExitのために努力する意欲がなくなっている。VCは努力を惜しむようになっているんです。アメリカの大手VCは、中規模クラスのExitに対応できる構造にすらなっていないのです。規模が大きすぎるあまり、短期間で多額の資本を投入しています。
Thrive CapitalはOpenAIの全ラウンドに参加して大きな利益を得ようとしています。彼らが投資をはじめて以来、初めて「SaaS id Dead」を感じる部分があるのでしょう。私は投資先の8割程度が上手くいっているので現状は様子見ですが、「妥当な疑問」だとは思いますね。
AIが打撃を与えた今、「追いつけなければ生き残れません」
前田:10年前はまったく違う世界だったことを思うと、SaaSのプレイブックも間違いなく変わってきたはずです。いや、すべてが変わったようにさえ感じます。Jasonさんから見て、現在の起業家たちが見落としている根本的な変化は何でしょうか?
Jason:私は、業界全体、そして投資先を通して、私が見ている世界のことを「ハイパーファンクショナルSaaS」と呼んでいます。これは私の造語で、誰にも使ってもらえていないのですが……(苦笑)。
この2年間で成功へのハードルは確かに非常に高くなりました。ただ、それはAIだけが理由なわけではありませんよ。ほとんどのB2Bカテゴリや、SaaSカテゴリにおいて、AIは当然の存在になっていますから。
これまで私は、ポストセールスやコンタクトセンターの分野にたくさん投資してきました。100億ドル近いバリュエーションがついたコールセンター向けSaaS企業Talkdeskに最初に投資したのも私です。ShopifyでNo.1のコールセンターソリューションであるGorgiasにも投資しました。あとは、FrontやIntercom、MaestroQAにも。
これらの企業のウェブサイトを比較すると、みんなほぼ同じなんです。Zendeskと比べてみてください。ポストセールスでは、どの企業もカスタマーサポートエージェントをAIに置換済みです。もちろん質には差がありますが、最低条件になっています。
Dialpadは成長速度が遅い企業でしたが、昨年12月では約2億ドルの収益だったのが、AIだけで3億ドル超えの規模まで伸びています。今ではどの企業もAIを使用しているんです。
さて、ここが厳しいところです。今の時代、「AIチームは不可欠だ」と言えるでしょう。でも、多くの人が、既存のエンジニアリングチームについて、「グッドではあるがグレートではない」と言います。AIの進化に追いつくためには、本当に優れたチームが必要なのに。
よく聞くのは、ウェブサイトの維持やバグ修正、HubSpotやSalesforceとの統合だけで精一杯なのに、どうやってAIの機能を構築すればいいのかと。「OpenAIが80万ドルで雇っているAIエンジニアたちを、12万ドルでどうやって確保できるのか?そんな金額は払えないし、人材も見つけられない」というコメントです。
はっきり言いましょう。それなら辞めるしかありません。競合は、すべてをやっているのですから。2021年に売られていたB2B向けソフトウェアは、もう売れません。理由はAIだけではありませんが、AIが多くに打撃を与えています。この波に乗るために、あらゆる作業に内製が課せられ、みんな大変な思いをしています。
APIが優れていて、どれだけ望み通りに使えたとしても、それはあくまではじまりに過ぎません。これがすべての企業のハードルを上げています。もちろん、AIネイティブやAIファーストの新しい世代のベンダーもいます。Zendeskも同様です。SalesforceはAgentforceを展開しました。世界中がAIを展開していて、追いつけなければ生き残れません。状況はますます厳しくなっています。プロダクトも優れていないといけません。
ただ、良いニュースもあります。実現のコストが下がりましたよね。みんな、効率性を上げなくてはならなくなりましたから。
2021年、スタートアップが上場したときは、トップラインの成長以外、誰も気にしていませんでした。でも今は違うんです。上場することに加えて、利益が出ていること、そして、さらにグロースしていることが求められます。両方が必要であり、なかでもグロースはより重要です。多くの人は、これをわかっていないんです。
凡庸な創業者はこう言います。「利益は出ているけれど、成長はしていないんだ」。そんな創業者には「おめでとう。今や君の会社の価値は、ゼロだね」。そうとしか言いようがありません。
顧客は、すべてのソリューションをあなたに求めている
前田:そういった現状で、経営者は何を考えなくてはなりませんか。
Jason:ポイントは3つあります。1つ目は、APIはこれまでと同じようにすべて処理しなければならないこと。2つ目は、さらに少ない予算とエンジニアで回さなくてはいけなくなること。3つ目は、収益を上げつつ急成長が求められるので難易度がグンと上がることです。
「SaaSが終わった」と思われる理由として多くを占めているのが、複数のポイントソリューションを購入しようとする顧客がもういない、ということです。GongやZoomInfo、Outreachに加えて、88の営業ツール、100個のマーケティングツールも購入したいなんて思ってないですよね。
2020〜2021年にはじまったロックダウンのころ、企業はかつてない成長率を記録していました。CROは「アプリを100個購入するように」とアドバイスされ、CMOも「70~80%の成長を維持するために、必要なものはすべて購入するように」と言われていました。必要なアプリがいくつあるのかなんて、誰も気にしていませんでした。
今では振り子が切れてしまったように、すべてのCIOや購買担当者が言うんです。「それはHubSpotでできないのか?」「既存のプラットフォームで対応できないのか?」とね。
今やAIを活用するだけでなく、効率化を進めて、すべてを自動化するだけでもなく、構築するプロダクトが複数になっているんです。一つではダメなんです。顧客はポイントソリューションではなく、すべてのソリューションをあなたに求めるのですから。難しいことですよ。
2021年……ましてや2019年よりも、難易度はぐんと上がっています。ただ、この話はまだ十分に議論されていません。私は、2021年以降で「成長が劇的に鈍化した」と言ってきた人たちと、ディスカッションする機会があったんですが、どんなプロダクトを追加でローンチしたのかを聞いても、「何もローンチしていない」と答えるんです。だから私は「それならプロダクトがもう一つ必要かもね」と言ったんですけどね。
「でも、それでは4つのチームが必要になるよ」「4倍のお金が必要になるよ」「4人のCTOに、4つの営業チームが必要になるよ」……残念ながら、そういうことなんですよ。厳しいけれど、そういうことでしょ?
前田:ええ、とても厳しいことだと思います。
Jason:ただね、トップ企業はそれを実行しているんです。「驚異的な創業者」でなければ、スケールするSaaSは作り上げられなくなってきている。すべてをやり遂げなければなりませんから、本当に厳しいことです。
私たちはその厳しさに気がついていませんでした。2020年と2021年は、少し気が緩んでいたと言えるでしょう。単発のソリューションが何千も購入される時代で、多少は効率性も向上していましたが、必ずしも素晴らしいソフトウェアだったとは言えないわけです。一転して今では、真の優れたプロダクトであることが不可欠です。
200ものプロダクトを提供しているRipplingは、「特別なんだ」とも言えるかもしれません。それでも、彼らを少しは模倣できるし、学ぶことはできるでしょう?
少し長い答えになってしまいましたが、これらが私が強く関心を抱いていることです。創業者と会って、彼らの人生に投資するとき、彼らはすべてを備えようとするでしょう。最低限まで絞り込んだとしても、それでも膨大な量になる。
でも、この時代に必要なのは……最高に優秀なCTOです。これまでもそうでしたが、今の時代は、本当に、特に、重要になったと思います。今、私がスタートアップへの投資を検討するとしたら、たとえ数字が良くて、CEOを気に入ったとしても、それだけでは不十分です。CTOと話して、満点かどうかを知る必要がある。CTOが卓越していなければ成功は難しいですから。
求む、「地球上で最もクレイジーな創業者」
前田:なるほど、その通りです。確かに以前よりも創業者に求められる基準は高くなったのだと思います。そして、Jasonさんの投資における基準も、かなり高くなったようですが、そのほかにも投資判断をする際に高くなった基準はありますか?
Jason:正直に言うと、2019~2021年の間で基準を下げたこともあったんです。それで何回か投資してみたのですが、結果は……投資したお金をすべて失うかもしれません。これまで全額を失ったことなど一度もありませんでしたが、今回はその可能性があります。
どの投資先も成長率は素晴らしくても、チームが優れていなかったのです。だからこそ、今私は、優れたCEOとCTOを改めて求めています。
そしてもう一つ、基準を少し下げていた部分に気づきました。それは「ファウンダーモード」を見ることです。どう呼ぶかは、なんでも良いのですが、今の私が求めているのは「地球上で最もクレイジーな創業者」です。クレイジーでないとやってられないんですよ。
あまりにも厳しくて、みんな途中で投げ出してしまうんです。文字通り辞めるわけではなくても、早過ぎる段階で売却したり、諦めたり、1年のうち26週しか働かなくなったりします。
誰もがY Combinatorに入りたがります。今の時代、「起業」がクールなことになりましたよね。私が起業したとき、父にこう言われました。「息子よ、それは最悪の考えだ。創業者になんてなれないし、馬鹿みたいにお金を全部失うだけだ。そんな考えは捨てて、医者か弁護士かもっと安定した職業に就け」とね。
だから、起業が珍しくなくなったことは良かった。ただし、ゼロから会社を立ち上げて、5億ドルの収益を達成、50%の成長率でIPOを目指すなら、本当にクレイジーになって、すべてをこなす必要があります。とにかく大変なんです。ときには、そこそこ優秀で人の良い創業者に投資したくなることもありますが、それではやっぱり十分ではないんです。
クレイジーな人だけが生き残る厳しい世界ですよ。
一度外に出た「ランプの精」は元に戻りません
前田:AIに関する、よくある質問をしたいと思います。実際のところ、何が「リアル」なのでしょうか。顧客にもたらすAIの真の提供価値とは?過剰になっていることはありますか?
Jason:まだまだ学びの途中ですよね。ただ明白なのは、従来のB2B分野で2つのことが効果を発揮していることです。
1つ目は、AIxセールスツールの領域は、まだまだ不透明です。AI SDRツールやAIセールスツールなどいろいろありますが、実際にはそれほど優れていません。でも、ポストセールス分野は少し状況が違います。アメリカではテクノロジー特化の企業が、サポートチームの20~30%を解雇し、AIに置き換えています。そして、一度外に出た「ランプの精」は元に戻りませんね。
さて、それは素晴らしいことなのでしょうか?私のポートフォリオの企業のデータを見てみると、実は結果はまちまちなんです。AIを利用する以前から、サポート系業務は自動化の波が進んでいました。IVRや電話のコーリング・ツリーで置き換えようと試みていたのです。AIはこの動きを正当化することができるでしょう。確実に機能していますからね。
また、リーガルやファイナンスなどの分野でも同じく、これまでは膨大な非構造化データを構造化することは事実上不可能でした。毎週のように何百と届くNDAを、弁護士がすべてレビューするのは現実的ではありません。リーガル分野にはAIが参入するには難しい領域もありますが、それでもレビューの90%をAIができれば、ディスラプトと言えるでしょう。
他方で、100%の精度が求められる分野もありますからね。これがB2B領域における、現状の私の見解です。そのほかの領域では、まだ実験段階で、結果がわかるには2年くらい必要でしょうね。
革新すべきなのはプロダクトで、プライシングはコピーすれば良い
前田:話は変わって、プライシングについて。シートベースのプライシングが終焉を迎え、成果ベースのプライシングへ移行していると話題になっています。これについてはどう思いますか?
Jason:議論にさえならない、というのが私の意見ですね。そんなこと、誰も気にしないんですよ。プライシングの仕組みなんていうものは、明治時代やアメリカ独立革命の時代から変わっていないんです。競合ベンダーのプライシングをコピーすれば良いんですよ。
あなたがStripeのような企業だとして、さあ、プライシングはどうします?Stripeは、シート単位で料金を請求していませんが、仮にそうしたらディスラプティブでしょうか?Stripeの類似企業は、みんなStripeと同じプライシングを採用します。
HubSpotやGitLabは、シート単位のプライシングが大好きなようです。彼らの業界では、それが効果的なプライシングなのです。でもAPIベースの業界では、シート単位のプライシングは機能しません。AIはAPIモデルとシートモデルの中間の位置にあります。
プライシングという話題は、本当にVCが好きですよね。でも、本当にどうでもいい話だと思いますよ。本当に重要なのは、ディールサイズ。顧客は年間でどれだけ払ってくれるのか、です。翌年にはもっと払うのか、それとも減るのか。
繰り返しますが、プライシングは「コピーせよ」です。革新すべきなのはプロダクトであって、プライシングはコピーすれば良いんです。これが、余計な摩擦を減らす方法です。
ShopifyやServiceTitanは、フィンテックとSaaSを掛け合わせたハイブリッドモデルですよね。ShopifyのSaaSプロダクトからなる売上は、90億ドルのうち、わずか20億ドルほど。70%は他のエリアで売上を得ているんです。残りの70億ドルは、フィンテック、決済、マーチャントサービスから得ているんです。
ほらね?プライシングをどうすべきかなど、気にしなくて良いんです。NRRが100%を超えてさえいれば、誰も気にしません。大げさに捉え過ぎているのではないでしょうか。私たちがより関心度を高めるべきは、ディールサイズが拡大するかどうか。顧客から売上をより得られるか。AIに対して、より費用を請求できるのかという点です。
ただ、AIを含めておくべきカテゴリもありますけどね。Boxのようなコンテンツ管理ソリューションでは、AIは非常に有効な技術で、付加価値を提供できます。何百万もの文書の中から必要な情報を見つけるには、AIが不可欠となるでしょう。文書のタグ付けやメタデータを多少つけるくらいはできるでしょうが、検索となると別問題ですから。
Aaron Levieが、この領域においてAIに大きな期待を寄せています。AIは、コンテンツへ破壊的な影響を与えます。彼らも最初は、AIを追加料金で提供していましたが、その後は料金を引き下げ、今ではデフォルトの機能になりました。上手くいかなかったんですよ。
一方でコールセンターやポストセールスの分野では、AI課金が行われ、VCたちは、すごく興奮していますよね。IntercomやZendeskが、1件のチケットを解決するのに2ドルも徴収していて「ワォ」となっているんですよ。でも、考えてみてください、それはそんなに革新的なことなのでしょうか。
前田:イノベーションを起こすのは、プライシングではなく、いつもプロダクトですからね。
Jason:買いたいと熱望されるような、プロダクトを作るべきです。プライシングは他社をコピーする、それでいいんです。
私が思うに、企業がプライシングモデルに時間を割くのは、成長率が30%から20%以下に鈍化したときです。私がAdobeでVPをしていたころは、クラウドによる成長を再加速しはじめたところでした。成長が鈍化して、PhotoshopやAcrobatから得られる1ドルが、数億ドル規模の影響を与える状況でした。ここではプライシングを最適化することに莫大なエネルギーを注ぐ意味があります。
しかし、スタートアップで100〜200%の成長中なら、まずは結果を出すことに集中してください。プライシングに時間を割くのをやめて、ディールをクローズしましょう。まずはディールです。
私は決して「プライシングが重要ではない」と言っているわけではないんです。手持ち無沙汰のVCたちが話しているような、APIとシートの間にあるプライシングモデルは、さほど破壊的なインパクトを与えないと思うわけです。実際にそれほど新しいことではありませんから。
前田:では、最終的にどうなると思いますか?ACVは成長するのか、それとも横ばいなのか、そしてその時間軸は変わっていくのか……。
Jason:具体的なACVの例を挙げましょう。たとえば、コールセンターの分野。私が取締役を務めるSMB向けのGorgiasという企業では、AIを使わない場合に顧客が払っている費用は、年間平均約3,000ドルです。そこに約70%ほどの追加費用をかけてAIを導入すると、シート数が20%削減されるんですよ。そして、ディールサイズも30%~50%増加します。
AI機能のために追加料金を支払うと、必要なシート数が減少し、二歩前進することになります。シート単位の価格モデルは廃れているわけではありませんが、必要なシート数は減少します。サポートチケットを解決するのが人間でなければ、それほど多くのシートは必要ないでしょう?
前田:その通りですね。
Jason:このやり方は、優れたモデルですが、ただね、効果はマチマチなんですよ。
ServiceTitanの上場から見える「興味深いトレンド」
前田:ServiceTitanが上場しましたが、彼らのS1を見てどう思いましたか?あわせて、ソフトウェア市場のIPOについて、来年何が起きると思いますか?
Jason:まず、アメリカのVCが盛り上がっていることがいくつかあります。一つは、先ほども話したAIのプライシングモデルで、終わりのない議論をしています。この点については、私が気にしているのは、それをマネタイズできるかどうかだけです。
突然、SaaSに投資する多くのVCが、バーティカルSaaSを好むようになりました。彼らには、バーティカルSaaSが新しい魔法の道具のように映っているんですね。でも、MS-DOS時代からあらゆるカテゴリでSaaSは存在してきましたよ。バーティカルSaaSは、決して新しいものではありません。クラウドが大きくなって、バーティカルがやっと10億ドル規模の売上を得るようになっただけです。
ServiceTitanは暖房、換気、空調、水道などの管理業者向けのSaaSで、売上は約8億ドル、30%ほどの成長を達成しています。ほかにも、Procoreという建設ソフトウェアの上場SaaS企業は、売上10億ドル規模を持ち、年度成長率は約30%を達成しています。
バーティカルSaaSは新しいのではなく、大きくなったのです。バーティカルSaaSは現状で、成長において低迷傾向が見られない分野なんです。マクロの業績変動の影響がない。
ServiceTitanは素晴らしい創業者の素晴らしい会社で、そして素晴らしいストーリーを持っている。そんななかで、面白いことが一つ、そして課題も一つあります。
興味深いトレンドなのですが、アメリカではServiceTitanが2021年以来、4番目のSaaS銘柄のIPOとなります。2019年前後には、SaaS銘柄のIPOは100件ありましたが、2021年12月にIPOの扉が閉ざされ、2023年のKlaviyoまで1件もありませんでした。
Klaviyoの売上は、現在約10億ドルです。Rubrikも同様に売上10億ドルに達しています。ファイナンシャル・コンプライアンス関連の企業であるOneStreamは、売上5億ドル規模で年度成長30%を見せています。
繰り返しますが、バーティカルSaaSは低迷する傾向がないんです。Klaviyoが扱うeコマース分野もね。Rubrikのセキュリティ分野や、コンプライアンス分野も低迷することがない。これがバーティカルSaaSの特徴です。SaaS市場の明るいニュースですよね。
一方で、ServiceTitanへの懸念といえば、これまでよりも厳しいIPOになるだろうということ。特にSMB系の複雑なソフトウェアでは、チャレンジングな環境になるでしょう。もっとも、すでにSMBではないですが……。現在の彼らは7億ドルほどの売上規模で、従業員は約3,000人います。これは十分に効率化ができているとは言えません。
現在の株式市場は、アメリカの従業員1人当たり30万~40万ドルの売上を期待しています。ほぼ40万ドル寄りと考えたほうが良いでしょうね。効率化を行なって売上を高めていくのです。
では、SaaS企業が収益を上げるには、どうしたらいいのか。2022年は全体の30%をレイオフする程度でした。こうしてスピード感を持って成長し、そして再び採用しはじめましたよね。アメリカの上場企業の従業員1人当たりの売上は、2021年の18万~20万ドルから、現在では40万ドルにまで上がったんです。ServiceTitanは、そのレンジで言うと最低ラインにいるわけです。
カスタマーサービスの担当者も多くいます。彼らがいろいろ言われてしまっている背景は、効率性が十分でないからなんです。おそらく彼らは必要に迫られて、IPOをするのかもしれません。これまでIPOをした企業も「時が来た」から上場する決断をしたのかもしれません。
StripeやCanva、Databricksのような企業は、まだ様子を見ていますよね。ServiceTitanも「その時」を迎えたのかもしれない。私はServiceTitanの創業者、そして企業自体も、ソフトウェアも高く評価しています。良いものを築いていると思うし、多くのことを学んでいます。だからこそ、収益性や効率性という見方だけで、世代を代表するような素晴らしい企業であるにもかかわらず、評価が十分ではなかったのではないかと感じます。
私たちは素晴らしい企業を求めています。日本のマルチプル水準は詳しくありませんが、VCが機能するためには、ベンチャー市場のIPOでは10倍のマルチプルに達する必要があるわけですが、現在は5~6倍の水準にとどまっています。
アメリカのベンチャー資金が、これほど急速かつ大量にAIやスタートアップに投資されているのに、現在のIPO市場は、その投資のペースに見合っていないんです。だから、ServiceTitanのような素晴らしい会社に対しても懸念を抱いてしまうのです。
すべての指標について、常にL4M(直近4ヶ月)を持っておくべき
前田:経営論の話題に移りたいと思います。多くの素晴らしい企業と関わってこられましたが、取締役会には出席されますか?やり取りはどのようにしていますか?
Jason:私は、取締役会には同じ時期に4つまで参加するようにしていますかね。
例外もありますが、私が取締役会に参加するのは、自分が最大の投資家である場合か、ほかに誰もいない場合だけです。私は、ただ取締役会に顔を出すだけではなく、助けになったり味方になったりしたいのです。参加するだけでは楽しくありません。会議室に行くのも、会議室で飲むコーヒーも、事前ミーティングも事後ミーティングも好きではありません。ドラマが起きるのもね。
私が望むのは、ビジネスの仕組みやSaaSの仕組みを実際に理解している唯一の投資家になることです。眠くなるような取締役会の話題ではなく、収益をどう成長させるかについて話したいんです。
ただ、何年か経て、私が学んだことは「受託者としての関係は大事」ということ。取締役会はあるべきですし、取締役会はキャップテーブルにならった形であるべきでしょう。投資家が取締役会にいなければ、企業は機能不全に陥ることがあると考えています。もし、初期段階で大きな資金を投資し、最大の投資家となるなら、取締役会には加わるべきです。
前田:もちろんです。
Jason:でもやっぱり、楽しいこととは思いませんけどね。
前田:スタートアップ創業者が、取締役会で話し合うべきトピックを3つに絞るとしたら、何を挙げますか?たとえば、1,000万ドルから1億以上に成長している企業がいるとして。
Jason:まず、最も重要かつ見落とされがちなことは、自分のメトリクスについて徹底的に誠実であることです。そして、すべての指標について、常にL4M(直近4ヶ月)を持っておくべきです。都合の良いデータばかりを選んで共有してくるのを見かけるんですがね。今月の結果が素晴らしくても、前月は何も契約が取れていないことがあるんです。
前田:なるほど。
Jason:すべてのメトリクスに対してL4Mで用意すべきです。成長率や顧客獲得率、バーンレートも。常に移動平均を出すようにしてください。
「今月は12%成長、でも前月は0%で、その前の月はマイナス3%で、さらにその前は1%」という場合、直近の数字が12%でも大したことないですよね。真のメトリクスを見せつつ、同時に4ヶ月分の移動平均も見せてください。95%の確率で、L4Mはそのまま2年間先まで転用できるんです。
非常に多くの創業者が、意図的に隠そうとしたり、悪いニュースを怖がったり、選択的な開示をしたり、忘れたふりをします。これでは何にもなりません、意味がないのです。プロフェッショナルな投資家たちは、普段から良いニュースよりも悪いニュースのほうをたくさん耳にしているのですから。
投資家にとって唯一、本当に悪いニュースは「サプライズ」です。サプライズがある会社にVCはつきません。95%のVCは嫌がるでしょう。少なくともアメリカのシリコンバレータイプのVCは、サプライズさえなければ、あなたを困らせるようなことはしませんよ。
もし、あなたがサプライズもなく、辞めずに続けていればね。みんな、あなたと戦いたいわけではなくて、助けたいのですから。最悪なのはサプライズがあるときです。信頼と信用を損ない、すべて失ってしまいます。
現状は高いマルチプルを「装っているような」感じがする
前田:現在の業界の空気をどう感じていますか?最新のソフトウェア業界の状況については楽観的でしょうか、悲観的でしょうか。
Jason:おそらく1~10のうち、5のあたりでしょうね。
前田:まさに中間だと。
Jason:アメリカでは2年間、ほぼ流動性がなかったからです。信頼が損なわれると、どんな規模の企業買収も成立しなくなります。LoomがAtlassianに買収されたケースなどは例外ですが、会社を10億ドルで売却することは、ほぼ不可能です。
偉大な成果を求めていますが、スタートアップやベンチャーの仕組みを見ると、大きなExitはエコシステムのなかの流動性で生まれます。つまり、成功した会社を売却する能力が重要なのです。
GoogleやFacebook、あるいは他の大手企業が10億ドル規模での買収をできなくなった場合、大手企業が誰も買収できなくなった場合、Salesforceも誰も買収できなくなった場合、すべてではないにしても……こうした会社が買収をできなくなったら、従業員、創業者、投資家の選択肢が狭まってしまいます。
アメリカ政権が新しくなることで変わるかもしれませんが、ここ2年間はM&Aにとって非常に厳しい状況が続いています。WizがGoogleからの230億ドルの買収提案を断ったのは、さらに大きくなる可能性を考えたからでしょう。それは理解できます。でも、同時に買収が成立しない可能性も考えたとも思います。Figmaの買収が成立しなかったのと同じようにね。
M&A環境、上場企業の低マルチプル、そして少なくともアメリカでは、シード段階のバリュエーションの極端な高騰がある。一方で、Gartnerによると、アメリカのSaaS市場は、現在2,000億ドル規模で20%成長しており、さらに加速しています。
つまり、支出は確実に存在しており、ポジティブな要素はあるのです。AIのハイプを横において冷静に考えると、これほどベンチャー投資でお金を稼ぐのが難しい時代もないように思います。IPOの基準が売上5億ドルで50%の成長、かつM&Aの選択肢が限られているのですから。
なので、私は「5」だと言いました。全体的に成長はしているのですが、現状はあたかも流動性がもっとあって、実際より高いマルチプルを装っているような感じがするんです。これを踏まえて「5」と考えています。「7」としたいところですが。
創業者やVCへ伝えたいのは「その600億ドルを取りに行け」
前田:10年後はどうなっているとお考えですか?将来について、楽観的な側面と悲観的な側面についても、お聞かせください。
Jason:ポジティブな側面としては、たとえば、私が創業した当初は「SaaS市場が3,000億ドル規模になって、20%規模で成長を続けることはあり得ない」「成長スピードは減速するはずだ」「ソフトウェアへの需要は大きくない」と多くの人は言いました。でも、実際には加速しているでしょう?Gartnerのデータを見れば一目瞭然です。
私が19年前にSaaS業界に入ったころ、SaaS市場が1,000億ドル規模になるなんて、まったく信じられなかったでしょう。誰にも想像できなかったですよ。
HubSpotが25億ドル、Salesforceが300億ドルの売上を上げて、3,000億のSaaS市場の大きなシェアを占めていくなんて。インフラ分野でも3,000億ドルの市場が存在していて、20%成長を20年間続けている事実は、私たちが業界として非常に前向きに捉えるべき点です。
AIやクラウド、そしてオートメーションなど、何であれ効率化の余地を見つけ出し、十分な予算を確保することにより、この規模で20%成長を維持できているのです。非常に励みになることですよね。
私が自分の会社を2012年に売却したのは、当時はSaaS市場が爆発的に成長する直前でした。それほど大きな市場になるとは、誰も思っていなかった。業界全体があまりにも小さなニッチ市場に見えていました。そして12年後の2024年になり、これまでになく早い成長を遂げています。励みになりますよね。この成長が一夜で鈍化することはあり得ませんよ。
考えてみてください。膨大な予算が存在しているのです。もし、SaaSの支出が3,000億ドルで20%成長しているなら、来年には増加する支出総額は600億ドルです。文句を言ってる場合じゃないですよ。すでに3,000億ドルもの市場が存在していて、さらに600億ドルが上乗せされるのです。
数字が大きくなると、割合の影響を見失いがちですが、来年にはさらに600億ドル分のソフトウェアが購入されることを考えてみてください。その半分はAI関連のものかもしれません。AIはあって当然のものになりますから。でも、これは莫大な金額です。
600億ドルの新たな支出があるなかで、ARRを1,000万ドルから1,200万ドル、100万ドルから300万ドルに伸ばせない……なんてことがあるでしょうか。真の問題を解決すれば良いんです。問題はたくさん転がっていますよ。確かにハードルはこれまで以上に高くなっていますが、新たな市場が600億ドルあるのであれば、そこから600万ドルくらいは、シェアが取れるはずです。
60万ドル?いやいや、できなければ……もうそれはお気の毒さま、ですよ。もっと努力してください。より良いチームでより良いプロダクトを作るのです。予算が横ばいであれば共食いになります。2025年は、ソフトウェア業界がゼロサム状態に達するかもしれないと考えたこともあったでしょう。その状況ではSalesforceがOracleからシェアを奪わなければならない。
違う、違うんです。もちろん実際には競争し、シェアを奪い合ってはいます。でも、来年には600億ドル分の新しい市場も生まれます。「その600億ドルを取りに行け」。私からのアドバイスです。
前田:素晴らしいお話が聞けて良かったです。ありがとうございました。次の来日が9年後ではないことを祈ります。
Jason:ええ、素晴らしい時間でした。ありがとうございました。
(※本記事は「ALL STAR SAAS CONFERENCE 2024」のセッションから抜粋・再構成したものです。また、記事中の各社の数値情報は、セッション内容に基づいて記載しており、在籍企業・肩書きはイベント当時のものです)