テクノロジー業界では「数十年に一度」の大波とも言われるAI技術の進化が進行中です。これはBtoB SaaS企業にとっても例外ではありません。海外を中心に、SalesforceやServiceNow、Canva、Adobeなどの企業はこの波を活用し、新プロダクトのリリースを急ピッチで進めています。
しかし、こうした変化の中でも、日本のSaaSスタートアップの多くが、この技術革新をどのように自社プロダクトの開発に取り入れていくべきか、どのように手を付けていくべきかについて悩んでいるように見受けられます。
そこで、日本のSaaS業界に身を置くプロダクトリーダーが、AI技術の進化という大波をどのように捉えて行動しているのか、どのような課題に直面しているのかについて、お二人のゲストを招いて議論しました。
ALL STAR SAAS FUNDのアドバイザーを務める宮田善孝さんに、プロダクトマネージャーの視点からの意見を伺います。また、プロダクトマネージャー向けのSaaS「Flyle」の開発を行なう、株式会社フライルの共同創業者であり、CTO兼プロダクトオーナーである荒井利晃さんには、エンジニアリングやスタートアップの観点からお話を聞きました。
聞き手は、ALL STAR SAAS FUNDのシニアパートナーである湊雅之です。
生成系AIの取り組み方は、企業内でも二極化している
湊:まずは、SaaS業界や、みなさんが関わられるお客さまの業界で、生成AIや大規模言語モデル(LLM)への反応について伺わせてください。まさに今、プロダクトやPoCを手掛けられている荒井さんからお聞きしたいと思います。
荒井:最近、フライルでは定性情報である大量のユーザーフィードバックに対し、GPTを利用して自動分類を行なえないか技術検証を行なっています。
PoCの開始とともにさまざまなお問い合わせをいただき、既存のお客さまからのご要望や、共同研究のような形での知見交換のお話も寄せられています。みなさんが情報をキャッチアップしようという積極さがあります。一方で、組織全体で積極的に取り入れようとする会社と、防御線を引いて「これ以上の使用を避けよう」とする会社があり、二極化を感じています。
私自身はフライルのプロダクト開発において、特にプロダクトマネジメントの領域では、自分の業務が劇的に変わった印象はありません。PdMの仕事の多くは「意思決定」であり、人間によって決断されるものだと考えています。ただ、データ分析や小さなプログラムを書くなどの補助的な業務に関して、ChatGPTは非常に強力なツールだと実感していますね。
湊:関心を寄せているお客さまはエンタープライズですか?あるいは、古き良き大企業なのか、スタートアップのような方々ですか。
荒井:お客さまのセグメントは多岐にわたりますが、大量のフィードバック処理に困っているという方々からのお問い合わせが多いので、必然的にエンタープライズのお客さまが多いです。
湊:興味深いですね。エンタープライズの方々も技術に対するキャッチアップが早いと。宮田さんは変化を感じていらっしゃいますか?
宮田:PoCのやり方自体に変化が見られるのが気になります。これまでSaaSはニーズヒアリングを行ない、それに合わせてプロダクトを作る流れだったと思いますが、最近では技術ドリブンな開発が増えてきているように思います。荒井さんは、そういった開発アプローチについての変化は感じますか?
荒井:現在はChatGPTをはじめとする技術の活用方法を、みんなが模索しているフェーズだと思います。課題解決に対してAI技術が最適な手段であると判断される場合もあれば、使い方を模索する中で「試したらできちゃった」みたいなケースもある。後者が、技術ドリブンな機能開発の一例でしょう。
SaaSのPoCに関しては、アウトプットが業務に適用できるかどうかの水準や、そこに達するまでの精度の上げ方は各社で異なっていきそうです。
宮田:そのあたりは、今後のトライアンドエラーで落ち着いていくのでしょうか。
荒井:狙ったアウトプットを得るための具体的な方法として、プロンプトエンジニアリング(※)による試行錯誤は続いています。ただ、プロンプトによる工夫のみでは競争優位にならないため、各社が独自に品質を追求するためのデータを集めたり、異なるシステムを組み合わせるなどの検証が必要となると思います。
(※プロンプトエンジニアリング:テキストや画像といった生成系AIに対して、AIが実行すべき命令を適切に入力することで、より望ましい結果を引き出す技術)
ジュニアPdMの業務がAIに置き換わっていく?
湊:今回は状況を踏まえて、「プロダクトリーダーはいかに変わるべきか?」をテーマに話せればと思っているのですが、まずは率直に、お二人の考えを聞かせてください。
宮田:まずは、プロダクトとしても、日々の業務としても、一定で変革はしてくると思っていますので、常に最新の情報に対して鮮度高く取り組むスタンスは重要です。具体的には、各社がどのような取り組みをしているのか、それを自分で体験して感触をつかむことが重要でしょう。
特に、日々の業務に対する変革については、PdMの仕事の一部がAIに置き換えられる可能性があると感じています。例えば、市場調査やPRD(プロダクト要求仕様書)の作成といったクリエイティブな部分は代替が難しいかもしれませんが、ヘルプページの作成やQ&Aの自動生成といったアシスタント系の業務はAIでも可能になるでしょう。
湊:PdMの業務については、意思決定は人間が行ない、調査やドキュメンテーション作成などの業務はAIに任せて、スピードアップできる方向性があると。
宮田:そうですね。主には、これまでジュニアPdMが担当していたようなアシスト業務がAIで置き換えられそうです。
湊:それは大きな影響がありそうですが、日本のPdMが不足している現状にとっては良いニュースかもしれませんね。荒井さんはどう思いますか?
荒井:プロダクト開発とエンジニアリングの観点から見て、自然言語解析という尖った技術がデータサイエンスの知識がなくても試せるようになったことは大きな変化だと思います。
また、エンジニアリングの観点から見ると、ChatGPTやGitHub CopilotなどのAIツールを使用することで、コーディングの質や速度が圧倒的に上がったという社内エンジニアの声も聞いています。例えば、使用技術とエラー内容をChatGPTに投げかけると、かなり精度の高い解決策も返ってくるので、エンジニアにとってのいわゆる「課題にハマっている状態」がスムーズに解決されるといったケースも見られます。
また、GitHub Copilotはコメントや関数名を書くだけで、AIが実装すべきプログラムを提案してくれるツールです。コードのコンテキストを読み取り、それに応じた変数名を提案してくれるなど提案の精度は非常に高いです。まずはAIにコードを書かせ、それを理解して手直しする、といったコーディングの機会も実際に増えています。
人材育成のプロセスに起きる変化
湊:皆さんのお話を伺っていると、生成AIやLLMの進化にもかかわらず、意思決定など人間がやらなければいけない仕事はそうそう変わらない、と感じました。
宮田:生成AIやLLMの精度が向上しても、意思決定や出力の評価という部分は、人間が担当し続けるだろうと考えています。AIが出力した情報を評価するためにも専門知識は必要で、特にPdMの育成においては学習機会が欠かせません。
もっとも、その育成プロセスが従来はジュニアPdMとして担ってきた役割でした。ユーザーヒアリングをまとめることからスタートして、徐々にプロダクトビジョンの形成やロードマップの作成といった抽象度の高い業務に移っていく流れがありました。AIで代替されるとなると、育成の難易度が一気に上がってしまいそうですし、次なるチャレンジになるでしょうね。
荒井:エンジニアの観点でも、要件定義や意思決定の部分は人間が引き続き担当すべきだと考えています。
教育やトレーニングの観点でいくと、生成AIやLLMを利用して一般知識のインストールを行なうことは有効だと考えています。ジュニアPdMの方が「ユーザーインタビューはどうやるの?」と聞けば的を射た答えが返ってくるように、壁打ち相手として汎用的な知識を得る分には優れているので、そういったトレーニングには活かせるでしょう。
ただ、意思決定の経験は実際の場数を踏むことが不可欠であり、教育する側にとってはいかにその機会を提供するかが難しい課題になりそうです。
湊:プロダクト開発における活用のチャレンジは、どういったところでしょうか?
荒井:特にセキュリティ面は、AIだと現在ではカバーしきれないのではないでしょうか。例えば、お客さまがとあるサービスを利用するにあたって、担保してほしいセキュリティ水準があったり、自社内で取り組んでいるセキュリティチェックシートのようなものがあったりしても、AIがその適合を正しく判断し、提示することは難しいはずです。
あくまで最後は人間が確認して、承認した上でプロダクトを提供するといった「防御的な領域」においては、人間の手が必要になると考えます。
iPhoneが登場し、App Storeが確立した時期に似ている
湊:確かに、エンジニアリングにおける意思決定力や、ある種の「センス」が重要だというお話には賛同します。その点を掘り下げると、それをSaaSの文脈で考えた時の「鍵」は何になるでしょうか。私自身は、お客さまの業務やドメインの知識をどれだけ持っているかが、さらに大事になる可能性を感じています。
宮田:生成AIは確率的に高い答えを返すのですが、そこから真に有益なインサイトが生まれることは、むしろ少ないと感じています。特にプロダクトビジョンやロードマップを考える時には、ユーザーの深層に迫り、特定の使用方法や仮説を引き出すことが必要になる。そういった際に発揮するセンスや感度は、引き続き重要だと考えています。
湊:そうですね、全てが平均値を目指すと特色のないプロダクトになりますから、特異点をどのように捉えるかが重要になってくる。
宮田:LLMには「Temperature」という概念があり、これを低く設定すると最も確率が高い、つまり「みんなが思っているような」回答を選びます。逆に高く設定すると、エッジが効いたようなアウトプットが出やすくなる。しかし、そのようなエッジケースに対しては、私たちが評価を行なわなければならず、そのための評価力を磨く必要があると感じています。
湊:ありがとうございます。宮田さんに追加で、特にBtoB分野において、PdMとして今後どのようなマインドセットを持って取り組んでいったら良いと考えますか。
宮田:先ほど荒井さんがお話しされた通り、技術的な進歩に取り残されないように、常にキャッチアップしていくことは前提になります。また、現在のトレンドやムーブメントを見ていると、iPhoneが登場して、App Storeが確立した過去の時期に似ていると感じます。
湊:あの時も多くのアプリが急激に出現しましたよね。
宮田:みんなが一斉にiPhoneやAndroid向けのアプリを作りはじめた時期に通じる「何か」を感じます。そのようなスタンスを持つことは重要で、その後のフェーズではスマートフォンを最大限に活用したアプリケーションが台頭しました。
それを思い返してみると、スマートフォンの特性を深く理解し、それに基づいてUXを磨き上げたアプリが注目されたように思います。この視点はLLMにおいても共通するのではないでしょうか。LLMの意味や構造を理解し、それに対する問題解決をどのように進めるのかを深く考えてプロダクトにつなげていくことで、次のフェーズでの競争力を維持できるのではないかと考えています。
湊:その観点は、まさに「イノベーションのジレンマ」ですね。ガラケーからスマホに移行した時、既存の勝者が新しい波に乗り遅れて敗北した事例がたくさんありました。
宮田:その通りです。
湊:このパターンが繰り返される可能性があるため、過去から学ぶべきですよね。同時に、スタートアップにとっては大きなチャンスでもあります。現在の勝者が必ずしも次の技術革新で勝てるとは限らないからです。
宮田:そうですね。まさに、新しいスタートラインを切った瞬間だと思うので、データなどのフィジカルなアセットが競争力になるケースもありますが、技術という観点においては同じラインに並んでいるところもある。スタートアップにはチャンスと呼べる状態です。
BtoBへの組み込みは、正答率と誤答率の許容度が課題に
湊:私たちが話してきた生成系AIやLLMについては、MidjourneyやChatGPTなどのBtoCのアプリケーションが特に主流ですよね。BtoBの文脈でこれらを使用した際の課題や挑戦について、お二人はどのように考えますか?
荒井:BtoBのプロダクトは各社の業務に組み込まれるという前提なので、間違ったアウトプットが出た時のリスクを考慮しなければならないでしょう。また、アウトプットの正確性や質をどう高めていくかも課題です。許容できる正答率と許容できない誤答率のバランスを判断する必要があり、その観点で適用できるケースと適用できないケースが存在すると思います。
例えば、100%に近い正解率を追求して多大な投資と研究を行なったものの、結果的には役立たなかったというケースも考えられます。投資の判断や、どの程度まで正答率を追求すべきか、といったバランスを取るのが難しそうです。
湊:逆に考えると、顧客の業務に大きな影響を与えず、あまり正確性が求められないものにはプロダクトの競合優位性がないということでしょうか。
荒井:そうですね。
湊:課題はあるものの、顧客の業務に対して大きなインパクトを持ち、かつ、高い正確性を持つプロダクトを磨き続ける者が勝つゲームになる可能性もあると言えますね。
荒井:そう思います。一般化されたモデル、例えばChatGPTなどを単純に使うだけでは競合優位になりません。しかし、企業が持つ独自のシステムや情報をどう使うかにより、求める答えに到達する確率をコントロールできると思いますし、まだまだ研究の余地があるでしょう。
湊:宮田さんは、BtoB領域で生成系AIやLLMを活用する上で、現在見えているチャレンジは何でしょうか?
宮田:社内データを活かすタイプなら問題は起きにくいでしょうが、一般的に公知の情報やクローズドな情報を用いる場合、知的財産の問題が生じやすいと感じています。画像生成において生成系AIを使う場合、有名な著作物を元にした生成は問題となりやすいですよね。生成された画像の所有権問題は、LLMの領域でも同じように起こる可能性があります。
LLM活用のプロダクトは「リソース配分」の意思決定が重要
湊:これらを踏まえて、PdMや企業がどのように生成系AIやLLMに適応していくべきかについて、具体的なステップがあるとすれば何でしょうか。一つ、議論の呼び水として、べッセマー・ベンチャーパートナーズというアメリカのVCが提唱する4つのステップが参考になりそうです。
まず、ステップ1としては、社内で生成AIが使える箇所を監査します。その体験を踏まえ、ステップ2としては提供するプロダクトのロードマップを考えます。これらを経て、ステップ3でお客さまにも実際にテストして反応を見つつ、ステップ4で中長期でのロングタームプランを作成する。これらはざっくりとした進め方ですが、宮田さんはどう思われますか?
宮田:その進め方は、一般的なプロダクト開発にも当てはまるステップですから、特段の意見はないですね(笑)。ただ、LLMを活用する際にはリソースの割り振りに対する意思決定が重要になるはずです。生み出せるであろう価値を、事前に把握することが非常に難しいですから。
湊:リソースというと、人材と予算のことを指していますね?
宮田:ええ、特に人的リソースの割り振りが重要です。その割合を先に決めてしまうのが、LLMに取り組む際に最も重要な意思決定ポイントだと思います。
湊:その観点は重要ですね。荒井さんは、このステップについて何かご意見ありますか?
荒井:宮田さんの意見に同感です。昨今のAI領域はとにかく流れが速いので、プロダクトに技術を導入した後は、より精度が高いものが出せる、良い技術にアップデートするなど、継続的なメンテナンスが続けられる体力を残す必要がある。長いスパンでリソースをいかに投資するのかは、経営的な意思決定によります。また、会社全体にAI技術をインストールするためには、ガイドラインの制定や利用推進策のトップダウンのアプローチと、ボトムアップで「どう使いたいか」の期待感を醸成するといった両方が必要そうです。
経営層がそこにコミットして投資実行するといったスタンスを明らかにしつつ、みんなで一緒に学んでいく。そのようにしなければ、会社を動かすような大きな流れは作れません。
触りながら、深掘りする。プロダクトへ活かすための探求を
湊:最後に、PdMやプロダクトリーダーの方々に対して、お二人から一言アドバイスをいただければと思います。宮田さんから、ぜひお願いします。
宮田:現在、非常にトレンドの変化が激しいフェーズに入っていると思います。ここまでの話からもわかるように、生成系AIといった技術を実際に触って体験し、その構造を理解することが大切だと思います。それを踏まえて、会社やプロダクトの競争力を高めるために、この技術を用いて深掘りしながら磨いていくスタンスが重要となります。PdMのみなさんと一緒に、この技術を使ってさまざまな革新を起こしていければいいですね。
湊:経営者の方々もこのトレンドをしっかりとキャッチアップして、PdMの方々を後押ししていただきたいですね。では、荒井さんからも、メッセージをお願いします。
荒井:私も宮田さんと同様に、「触ってみる」という視点が重要だと思っています。具体的には、個人として生成系AIにどう関わるか、そしてプロダクト組織としてどう関わるか、という2つの視点を持つことです。私自身、個人としてはさまざまな質問を投げかけてこの技術を楽しんでいますが、業務で使おうとすると使い方のニュアンスが変わることも経験しています。それを踏まえ、「何ができるだろうか」という仮説を立て、試してみる。その結果を基に「では、この方法だったらさらに可能か?」と新たな試みを繰り返すことが大切でしょう。