SaaSビジネスの成長と実現可能性を担保するための鍵の一つは、セカンドプロダクトの早期立ち上げ、そして成功にあります。
「セカンドプロダクト」の定義を、ALL STAR SAAS FUNDでは、共通機能を持ちつつもスタンドアローンで使え、価値を生み出せるプロダクトだと捉えています。今回取り上げる、クラウド人事労務ソフト「SmartHR」のタレントマネジメントに関する機能は、まさにその好例と言えるでしょう。
本記事では、SmartHRのタレントマネジメント事業の立ち上げと発展の軌跡を通じて、セカンドプロダクトを成功させるためのポイントを探ります。SmartHRは、コアプロダクトである労務管理ソフトに加え、タレントマネジメントという「事実上のセカンドプロダクト」を立ち上げ、高い成長率と利益率を実現しています。
(参照元:https://smarthr.co.jp/news/26682/)
これらの知見を共有してくれたのは、SmartHRでプロダクトマーケティングマネージャー(PMM)を務める重松裕三さん(@sgmtyz)です。重松さんは、イラスト投稿サービスの開発企業でCtoC向けのECサービスの立ち上げなど、新規事業創出の経験を活かし、2019年よりSmartHRに参画。タレントマネジメント事業の統括を担いながら、プロダクトの企画・開発・デリバリーを牽引してきました。
セカンドプロダクトの立ち上げ背景や競合との差別化戦略、組織的な巻き込み方、リリースのスピードを上げるための工夫など、貴重なインサイトをお聞かせいただきました。特に、プロダクトの構造的な優位性を作ること、ポジショニングとメッセージングを徹底すること、そして社内マーケティングの重要性について、学びの多い時間となりました。
労務管理とタレントマネジメントの融合が生む、SmartHRならではの強み
──ARR100億円という野心的な目標を目指すスタートアップが増える中で、成長角度と実現性を担保するうえで鬼門になるのが、セカンドプロダクトのいち早い成長や成功です。SmartHRはARR150億円達成を発表されました。この実現の背景にもセカンドプロダクトであるタレントマネジメント機能があるのではないか、と考えています。まずは、機能について簡単にご紹介いただけますか?
重松:タレントマネジメントは、社内にいる人をどのように伸ばしていくのか、次世代のリーダーをどのように育成・抜擢するのかといった、いわゆるサクセッションプランニングと呼ばれるようなところに活用できます。また、「SmartHR」は分析レポート機能や従業員サーベイ機能を持っているので、社内の状況を把握することができます。
そういった社内全体の定量的・定性的な分析をしながらエンゲージメントを高めていき、離職防止につなげていくこともできるツールを複数持っている、という感じですね。
──まさに今、タレントマネジメントは日本企業の中でテーマになっていると思います。一方で、競合プレイヤーも一定数いらっしゃると思うのですが、SmartHRのタレントマネジメントならではの「強み」はどのような点にありますか。
SmartHRは、もともと労務管理という分野を主軸としています。労務は、従業員の方が何かしら情報を更新したい、変更したいというときに、人事とやり取りする際の最初の接点になる部分だと捉えています。例えば、結婚して姓や住所が変わり、情報を変更するときも、労務手続きが初手になりますよね。
そのため、データが常に最新の状態で正しく蓄積されていくのが、労務管理で得られる成果だといえます。きれいに整えられたデータベースを活用したタレントマネジメント。それがSmartHRが手掛ける強みだと考えています。労務的なデータとタレントマネジメントのデータがすべて一元管理され、一つのデータベースで見られるようになっています。
空きポジションへの抜擢を検討する際も、ひとまず「SmartHR」を見れば、すべてのデータが蓄積されている。常に最新のデータをすぐに取り出せて、リードタイムもいらない。「いつでもすぐに使える」という点も強みといえます。
──労務管理プロダクトが基盤となるからこそシナジーが生まれるプロダクトなのだと理解しました。お話を聞いて、アメリカの急成長SaaS企業「Rippling」のコンパウンドスタートアップ戦略のことが思い浮かびました。また、ARR150億円達成という発表を前提にしますと、タレントマネジメント事業はSmartHR社内でどういった位置づけなのでしょうか。成長ドライバーとしての事業ですか?
具体的な数字は非公開ですが、ARR150億円達成のリリースにも書いてあるように、「SmartHR」を利用している有料顧客のうち約30%の顧客にタレントマネジメントの機能をご活用いただいています。単純に「150億円 × 30%」というわけではありませんが、ARRも相当の規模になってきている、といったところです。
社内的には「第2の柱」という位置づけになっていますし、今のところ、本業である労務管理プロダクトのARR伸長率と比べても遜色ないほどのペース。かなりのスピード感でARRを積み上げられていると思います。
抽象度の高い機能よりも「実際に使われるもの」から作る
──タレントマネジメント機能は、いつ頃から構想が始まったのでしょうか。
私は2019年9月に入社しましたが、それ以前から企画は進んでいたようです。2018年7月頃に「次の事業」に関するブレストが経営企画のメンバーで行なわれ、その中にはタレントマネジメントへの参入というアイデアがありました。
その時点では、保有するアセットを有効活用できるという見立てで、まずはSmartHRが保有するデータを簡単に可視化できるBIツールの開発に着手したのが2018年12月頃です。検討から約3ヶ月で実際に作るプロダクトを決めて着手したのが最初の始まりですね。
──タレントマネジメントに関して最初に作ったプロダクト、あるいは機能は、どのようなものでしたか?
分析レポートです。「SmartHR」にはデータがたくさん蓄積されていくのですが、それを分析しようと思うと、当時はCSVで書き出してExcelで処理するしかありませんでした。それを簡単にグラフや表にできるツールを提供したんです。
その後は、私の入社後になるのですが、従業員サーベイの機能を企画・開発しました。「タレントマネジメント」と言っても、サクセッションプランニングや育成、エンゲージメント向上など、人それぞれで想像するものがまちまち。抽象度の高いところから取り掛かると、「使われそうだけれど、実際には使われないようなもの」になりそうだと危惧しました。
分析レポートは蓄積されたデータを可視化して、会社の中の状況を定量的に見るためのツールでしたが、それだけでは「会社内で何が起こっているのか」を詳しく分析するのは難しく、アクションにつなげにくいと考えたのです。そこで、より定性的な背景であったり、従業員の考え方を明らかにできるようなツールを出すことで、社内の動きや課題を特定し、人事が解決に向けて働きかけられる状態を目指しました。
私が入社して企画を始めたのが2019年9月頃で、リリースは翌年の2020年9月でした。
──抽象度が高くて使い方がわからないものよりも、実際に課題がわかって、それに対してアクションが取れるほうが、お客さまは成果が得やすい。そのために分析レポートの後に従業員サーベイを作ったと。
そうですね。1年かかってしまいましたが、当時はプロダクトの立ち上げノウハウが少なく、まずは基盤をしっかり構築してから立ち上げていく必要がありましたから。
──その後のリリースはどのように?
2021年に人事評価機能を出しました。タレントマネジメントにおいて評価業務は各社ほぼ必ず行なわれますし、紙やExcelを置き換えられるようなプロダクトです。2023年には簡単に人員配置の検討が行なえる配置シミュレーション機能や従業員のスキル情報を可視化し一元管理を実現するスキル管理機能を公開。2024年には従業員に関するあらゆる最新のデータを一つのページで閲覧できる「キャリア台帳」機能を提供しています。
「超削って、超最低限に」いち早くリリースするメリット
──1年間に1〜2個のペースでプロダクトを出していますが、リリースのサイクルが早くなっていますね。
スピードは増していまして、最初の1〜2個は試行錯誤しながらでしたが、2024年にはタレントマネジメントだけでも3〜4個のリリース構想があります。リリース前に作り込むよりも、高速に出してフィードバックを受けながらPDCAを回していくようなプロダクトのリリースサイクルになってきています。
──2018年から現在に至るまで、プロダクトのリリーススピードが速くなっていることについて、どういった変化があるのでしょうか。
2つありまして、一つは「基盤への投資」です。プロダクト基盤チームという専属チームを作っています。もともとタレントマネジメントの事業の立ち上げを私と一緒にやってくれていたPMが、基盤チーム全体を見ています。新しい事業を立ち上げる上での困難なポイントなどをちゃんと理解した上で、「どうすればプロダクトが立ち上がりやすい基盤にできるのか」をケアしているので、作りやすさがアップしているのですね。
もう一つは「開発陣のスタンスの変化」です。特にPMのスタイルは変わりましたね。MVPの意識は強く持っていて、最小限のものを作ろうと努めてきましたが、最近はむしろ「MVPをどこまで削れるか」をかなり考えていて(笑)。
2024年2月に「キャリア台帳」機能を出したときも、当初は5月の予定だったんです。でも、「5月、さすがに遅くない?」みたいに話し合って、削れる機能をPM同士で見合ってみました。「キャリア台帳」のPMが想定している機能リストを、他のPMが客観的にチェックして、「コレは無くてもユーザーの価値は出せる」など話し合いました。
「超削って、超最低限に」を、一人のPMだけでなく、みんなで見る。ユーザーに届けられる最小単位の見極めを、今まで以上にシビアにやっているのが、リリーススピードが速くなっている理由の一つでしょうね。
──シンプルな質問になりますが、早くリリースしなければいけない理由は?
早く出したほうがユーザーからの反応が早く得られて、それだけ早く正解にたどり着けるというところだと思います。もう一つは、開発していると単純にコストがかかる。1ヶ月余分にかかれば、エンジニアの稼働コストなども含めて数百万円から数千万円の損失が出るわけです。早く出すことで、収支を早く整えにいけますから。
──以前に、SmartHRの安達隆CPOが、あらゆる学習機会をもとに「どうしたら組織としての学習効果を最大化できるか」をずっと考えているとXでポストしていました。とても印象に残っていたのですが、今のお話にも直結しますね。お客さまから学んで直すことが、新しいプロダクトを立ち上げる上でも大事なのでしょう。
まさにそうだと思います。加えて、複数人で解くことは、それもまた「学びを最大化する」ところがあって。1人で解かない、というのは意識していますね。
労務担当者の「やりたいけれどできていない業務」を掘り下げていく
──改めて、タレントマネジメント機能の立ち上げの裏側について伺わせてください。2018年当時、なぜ参入領域にタレントマネジメントを選ばれたのでしょうか。市場規模や顧客の要望ベースで決めたのか。どのような観点がありましたか?
いくつか理由はあると思っていますが、主には「市場の大きさ」と「お客さまからのニーズ」だったと考えています。
まず市場については、確かに成長していて魅力的だと感じていました。一方で、競合も非常に強く、昔から手掛けている企業もある中で、果たして本当に参入して勝てるのか、という点は検討すべきポイントでした。
お客さまからのニーズについては、SmartHRで労務管理を導入していただくと、「自分の業務が3分の1ぐらいになった」というケースがあったんです。そこで「空いた時間で何をしたいですか?」と問いかけると、「従業員のためになることをしたい」という答えが多く返ってきたんです。
人事の方が、業務効率化だけでなく、その先にいる従業員がハッピーに働けるようなものは何かを考えてみる。そうなると、離職防止やキャリア形成、スキル向上につながるものが案として出てくるでしょう。それらを大きく捉えるとタレントマネジメントという考え方に行き着きました。
──この観点は面白いですね。SaaSは基本的に「効率化ツール」ですが、その後は「空いた時間をどう使うか」、つまりは「アプリとしての可処分時間をどう増やしていくか」に転換したのは、コンシューマー観点の発想だと感じました。
ただ、実際に私たちがターゲットにしていたのは労務担当者の方が主だったので、その人たちの業務が3分の1になったからといって、ただ遊休時間が増えてしまっても本末転倒ですからね。
実際には労務担当者の方に「本当はやりたいけれど、できていない業務はありますか?」とお尋ねして、いろいろお話を聞かせていただきました。
「構造的な優位性」を追求。労務管理との連携でユニークな価値を創る
──競合が多い状況であっても勝ち筋を見出し、良いポジショニングを取れるのか否か、というのは大きな論点だったと思います。当時はどのような仮説を立てていましたか?
タレントマネジメントの方向性自体は良さそうだと思っていましたが、競合とガチンコで当たるような機能を全部そろえるつもりはあまりなかったんです。勝てるかわからないですし、「超」後発ですから。だいたい、すべての機能を揃えようとしたら、何年かかるのかもわかりません。
だからこそ、分析レポートや従業員サーベイといった、SmartHRの強みがしっかり生きるようなところから始めました。労務からは少し外れつつ、タレントマネジメントのど真ん中ではなさそうな領域。「やや周辺」を攻めにいくような戦い方をしていましたね。
COOの倉橋(隆文)さんとよく話し合ったのが、「私たちが手掛けることで、いかに構造的な優位性をつくれるのか」ということです。要は「勝ち目があるのか」と問われ続けたわけです。結局、差別化ポイントが作れたとしても、それが模倣されるようなものだったら、先行しているプレイヤーのほうが絶対に模倣するスピードが速いですし、簡単につぶされてしまいます。だからこそ、「構造的に強いとは何なのか」をすごく考えていました。
最終的には、労務管理の機能があることに行き着きました。従業員サーベイなども、アンケートを取って分析できるだけなら、どんなプレイヤーでもできるでしょう。でも、「SmartHR」には労務管理の機能があるので、労務データと掛け合わせて分析できる。それこそがユニークな点だと考えました。
例えば、「子育て社員」や「通勤時間が長い人」といった対象でのエンゲージメント傾向を分析できるのは、労務管理の機能があるからこそです。そこを構造的な優位性のポイントとして据え、実際に合っているのかを仮説検証するような進め方をしてきました。
──新しくプロダクトを作ると判断されたときに、既存のカスタマーベースの何割くらいが使うと想定していましたか?
労務管理あってこその新しい機能だと考えていたので、基本的には既存のお客さまに使っていただく想定でいました。具体的な割合までは想定できていなかったのですが、目標として、一つのプロダクトで「ARR1億円から2億円は作れなければいけない」という共通認識はありましたね。
──撤退基準は設定されていたのでしょうか?
一応の設定はありました。私が最初に作った従業員サーベイだと、リリース後の1年間で見込めるARRを撤退基準に据え、未達の場合には有償ではなく「無償ですべてのお客さまに公開する」という撤退後の対応は、最初から合意を取って進めていました。
──仮説検証していくことで価値を確認されるフローがあったと思うのですが、そのときに経営陣はどのように関わっていたのでしょうか。
当時のCEOだった宮田昇始さんは「任せるスタンス」で、基本的にはCOOの倉橋さんと話すことが多かったです。プロダクトがローンチされるまでは、プロダクトの全体像やコンセプト、構造的な優位性ポイントなどはしっかり議論しました。こちらから、倉橋さんが不安にならない程度に報告・連絡・相談をするようにしつつ。
ローンチされてからは、各商談などに私も同席するので、そこで話しながら、「これは筋がいいかもしれませんね」とか、「このようなお客さまには刺さりづらかったです」みたいな話を都度共有しました。そこで倉橋さんから指示がガンガン来るというよりは、こちらからどんどん情報をオープンにしていって、必要に応じてアドバイスを求める感じでしたね。
──そのときの重松さんのミッションは、新しいプロダクトに100%注力する形でしたか。それとも、兼務されていた業務があったのでしょうか。
基本的には、新しい領域に100%フォーカスしていましたね。
──つまり、重松さんがオーナーシップを持って、経営陣はディスカッションパートナーといった立ち位置ですね。それもセカンドプロダクトを成功させるために大事なことの一つかもしれない……と感じましたが、どうでしょうか?
その点は、会社のカルチャー次第かな、と思うんです。SmartHRは「信じて任せる」というカルチャーのもとに、「任せたからには、仕上がりもその人次第だ」と覚悟するようなところがありますから。
──そのカルチャーを前提としても、重松さんが経営陣から信頼を得るために心がけたことなどもあったのでは?
入社してすぐのタイミングということもあって、「自分が何を考えているのか」をオープンにしていた、というのはあるかもしれません。「SmartHRはこうあるべきだと思うんですよね」みたいな話を、入社して1週間や2週間でまだわからないながらも、とりあえずは「こうだと思います」と話をしていったり。
それを考えるために、営業など他部署の人にもいろいろと話を聞いて、現在の課題感への解像度を自ら上げにいって、オープンにどんどん発信していったり。それこそ宮田さんや倉橋さんとも、当時はコロナ禍前で出社していましたから、オフィスで会うたびに話したり。そういうのはやっていたかなと思いますね。
──大事なポイントですね。オープンであること。自分の考えを伝えること。
「何でこの機能ってないんですかね?」なんて言ったり(笑)。
パッケージング変更は「戦いの軸」をずらす戦略にも
──実際にお客さまに価値が出ている、いわゆる「PMF」を感じた瞬間について聞かせてください。数値面か、お客さまの反応か。どういった点に注目しましたか。
分析レポートと従業員サーベイが出たタイミングで、サービスのパッケージングを変えたんです。今までは人事労務の機能を持った「スタンダードプラン」を売るのが主流で、分析レポートなどはオプションで買える位置づけでした。それを、従業員サーベイが出たタイミングで、上位として「プロフェッショナルプラン」を作りました。
正確に言うと、その前にもプロフェッショナルプランはあったのですが、パッケージの中身を組み替えました。最上位プランには分析レポートと従業員サーベイがついてくるようにしたんです。
当時の競合環境を振り返ると、労務管理の領域でも追いかけてくるようなプレイヤーが出ていて、彼らの低単価戦略に負けてしまうようなシーンもあったのです。いくらかの「怖さ」を感じるなかで、プランの組み換えは既存プレイヤーと「戦いの軸」をずらすための戦略だと位置づけました。
「SmartHRは労務管理を効率化するのは当然のこと、分析レポートや従業員サーベイを用いて、従業員の幸せやエンゲージメントを高めていく。それこそが人事業務のあるべき姿だ」といったような売り方へ切り替えていったんです。そのプランが特にSMB領域で大きく売れるようになっていき、実際に「戦いの軸」をずらすこともできました。
ただ、それがある意味では、弊害にもなっていきました。ポジショニングやコンセプトで売れてしまうところがあって、プロフェッショナルプランを契約したけれど、結局は労務管理だけで留まってしまうような顧客も出てきてしまったんですね。
──分析レポートや従業員サーベイの活用までは至らない顧客もいたと。
売れるけれど、活用が思ったほどついてこない。それではPMFとは言えませんよね。「ARR1億円には到達したけれど……」と歯切れが悪い(笑)。そこで、どちらかというと、分析レポートや従業員サーベイ機能の活用を促進させることに注力して、開発やサポートを整えていきました。活用事例が出てきたり、活用の指標数値が良かったりしたときになって、「これでPMFしたかな」と感じましたね。
──セカンドプロダクトやサードプロダクトで、PMFの達成を定量的なゴールとして設定するとしたら、どのようにすると良いと考えますか?
競合プロダクトがあるようなものであれば、「勝率」は一つあるのかなとは思います。私たちも勝率は見ているのですが、最初の頃はなかなか勝てなかったです。ただ、最低限の機能さえそろえば勝てるはず、とも踏んでいました。ですので、例えば、「最低限でも勝率30%は目指したい」と決めてもいいと思います。
──パッケージングを変えるのは、組織を横断する大きなプロジェクトですよね。セールスやマーケなど、どのようにみんなを巻き込んでいきましたか?
パッケージの変更はPMMが発案して、各セールス、CSのマネージャーやチーフ陣などとディスカッションしながら決めていきましたね。「こういうパッケージングを作って、こういう営業トークができるようにしていきたいけど、どう思いますか」みたいな議論を重ねて、合意形成しながら進めていきました。
もちろん、みんながみんな、「爆発的に売れそう」とまでは思ってはくれませんでしたから、最後のところは根拠よりも「えいやっ」と自信を通したのですが、結果的にはかなり売れるものになったので。「パッケージングだけでも結果が大きく変わる」という組織としての学習にもつなげられた例になり、良かったかなと。
──パッケージを変えるまでの意思決定は、実際にクロスセルやアップセルを一定やって検証ができた上でパッケージングを変更したのでしょうか。それとも、いきなりパッケージング変更に進めましたか?
早々にパッケージは変えました。「松竹梅のプランがあったら、みんな真ん中の竹プランを選びがち」といった話はよくありますよね。ただ、当時のSmartHRは言わば「竹プラン」さえなかったですから、仮に最上位のプランがそれほど売れなかったとしても、別のプランがもっと売れる効果は得られるはずだったんです。
それも期待してはいましたが、私の仮説が正しければ最上位プランが売れるようになっていく自信はあったので、早々に切り替えた形ですね。
KPIで縛るより、売りたくなるように仕向ける工夫が効果的だった
──パッケージを変えることについて、セールスからすると、どうしても「売りやすいプロダクトを売る傾向が強い」と思います。労務管理とタレントマネジメントの違いで言うと、新規事業でもあって後者のほうが売る難易度が少し上がるはず。インセンティブや目標設定を変えるなど、売るための働きかけというのはされましたか?
結論から言いますと、営業の目標の持ち方は変えていないです。KPIで縛るよりは売りたくなるように仕向けるほうが効果は大きかったかな、と思っています。
おっしゃっていただいた通り、労務管理は今までずっと私たちが売ってきたもので慣れているし、売りやすい。今ある業務の置き換えですし、業界で今はナンバーワンという信頼もあって、機能訴求をすれば勝ちやすい面もあったでしょう。ただ、タレントマネジメントでは後発だし、機能も足りない。今の業務の置き換えでもないので提案が難しい。今までの売り方とは全然違うし、登場人物も変わってきます。
さらに、今までは労務担当者だけを相手にしていましたが、組織人事のような方にも提案しないといけない。リードタイムが長くなりますし、難しい商談になっていく。実際に、営業からも「タレントマネジメントの提案は難しいし、リードタイムが延びる」と懸念する声も聞きました。
一方で、実際にガンガン売る人も出てくるんですよね。なぜかというと、うまく提案すればポジショニングをずらせるので、競合と戦わずして勝つことができたり、リードタイムが多少延びても勝率が上がったりするので問題ないと。かつ、単価も上がっていき、カスタマーファクターも伸びる。結果的に「タレントマネジメントも併せて提案したほうが、自分の目標を達成しやすくなる!」と気づく人が出てくるんです。
そういう気づきを得た人からタレントマネジメント機能を含めたプランが売れるようになっていって、わざわざKPIで縛らなくても売れるようになっていく人が生まれていった、という感じです。
──短絡的に考えると、目標を持たせて数字で縛りがちなところを、自発性を重んじるようにしたのは、なぜだったのでしょうか。
たしかに一番わかりやすい例は、「あなたたちはタレントマネジメントを売る人です」みたいに組織を分けることでしょう。でも、そうしなかったのは、一つには「経営側の思い」が強く働いたことかもしれません。
労務管理とタレントマネジメントを併せて売ることで新しい価値の提案ができるし、「それが私たちの勝ち筋だ」と徹底していくことで、中長期に見ても状況は良くなっていくと信じていました。この方針は、COOの倉橋さんも含めて方針に賛同していて、もしもどうしようもないほどうまくいかなければチームを分けることはあるかもしれないけれど、おそらく問題ないはずだから進んでみよう、と。
倉橋さんがよく言うことの一つでもありますが、イノベーションのジレンマを単純に乗り越えるだけならば組織を分けるほうが早くても、「一緒にやることの価値」をちゃんと伝えていこうと話していました。
とはいえ、「自発的」といっても勝手にメンバーが動き出すわけでもないですから、PMMである私たちが実際に商談に入って提案の仕方を見せる、といった動きはしました。「タレントマネジメント大学」というのを開講して(笑)、PMMが講師を務めて営業やCSを集めた有志の勉強会も実施しましたね。
「そもそもタレントマネジメントとは何なのか」「ケース別にお客さまに伝わりやすい話し方」といったレクチャーを通して、営業やCSから伝道師のような人が出てきたらいいな、と思いながら取り組んでいました。
新プロダクトでPMMに求められるのは、ドメインへの深い理解と知識
──言わば「社内起業」にも近い形で、メンバーを巻き込んでいく取り組みを通じて、自発性を促していったと。その意味では、今後も事業を増やしていく中で「重松さんのような人」をさらに増やすことも大切です。価値観や経験といった面を加味して、事業の責任者に向いているのはどういった人だと考えますか?
今まで自分の事業を持って、その事業の成長が自分の成果のすべてだ、という意識でやってきた人だと思います。事業の成功のために何でもやるスタンス、実践的なスキルを持っている人ならば任せられるでしょう。
私自身、前職がベンチャー企業だったんですよね。40人ほどのときに新卒で入って、ウェブディレクターとは名ばかりの「何でも屋」をやっていて、社長から日々様々な使命を受けながら何とか頑張る……みたいな環境にいたんです。言われたことがわからなくても、いろんな人に頼りながら、プロダクトを成功させるために使えるものは全部使う。そういう意識はポイントの一つかもしれません。勧めにくいところではありますが(笑)。
──SmartHRで、新しいプロダクトや事業を作るときの体制として、PMMが責任者として動く場合は、他のメンバーはどのような構成ですか?
タレントマネジメントの立ち上げはPMMが主導しました。現在では、タレントマネジメント領域には複数のPMとPMMがアサインされていますので、担当プロダクトごとに協議するような形になっています。新しい領域での企画はPMやPMMが主導し、併せてエンジニアやデザイナーなどのアサインは都度していきますね。
それこそ「第3の柱」「第4の柱」といった事業を立ち上げるには「意志」が必要だと思うのです。何でもPMやPMMが主導するというよりは、その事業に対して意志がある人が務めたほうがいいと考えます。そういう人をCEO直下に置いてもらい、企画を進めていくのが最近の傾向ですね。
──開発プロセスではエンジニアとのコミュニケーションも求められると思うのですが、重松さんは経験があったからスムーズだったのでしょうか。
そうですね。私も前職でPMも経験していて、エンジニアとのコミュニケーションは普段からやっていました。自分でもコードを一部書くこともありました。事業立ち上げやエンジニアとのコミュニケーションに経験があるので、今回も推進できたのだと思います。
ただ、仕込み中のプロダクトであれば、エンジニア的な素養よりも、PMMとしてはドメインに対する深い理解や知識が強みになると思います。当時の私はタレントマネジメントに対するドメイン知識はあまりなかったので、苦労もありました。やはりドメインにまつわる強みがあったほうが、新しい領域の立ち上げには向いているのかなと感じますね。
PMMの役割は「社内マーケティング」である
──現在から振り返って、もしやり直せるとしたら、どういった失敗を乗り越えてみたいですか。
失敗で言えば、まずはパッケージングを変えたところですね。ARRが伸びたところをプラスに捉えて、放置しているとチャーンが増えてしまった。やはり「活用率」を見ていくことが大事だと思います。トップラインが伸びているからといって安心せずに、常にターゲットの正しさを見定めていければ、もっと良い成長があったかもしれません。
──重松さんご自身の経験によるものかもしれませんが、コストへの感覚なども含めて、とてもPL的な思考がある方だなと感じました。それは個人的な資質から来るものなのか、あるいはSmartHRのカルチャーなのでしょうか?
それは人によるかな、と思います。ただ最近、SaaS業界でも黒字化への考えが強くありますよね。SmartHRでもCFOの森(雄志)さんを中心に、従来は「ブリッツスケーリングで、トップラインをどれだけ伸ばせるか」を重要視し、非連続的な成長を目指してきました。でも、そういう時代ではなくなってきつつある、と。
現在は「ソリッドスケーリング」を掲げて、堅実な成長を遂げる。加えて、コストもどんどん削って黒字に転換していくというところを、全社的に意識しています。利用中のツールの見直しなども全社規模で取り組んでいますから、プロダクトサイドとしてもPMを中心に働きかけている一環だと捉えていいでしょう。
──PLを意識するからこそ、スピードを重視する。だからこそ学びが最大化され、共有化もされて、新規事業を生む人たちが増えていく。とても良いサイクルだと感じます。今回、お聞きしたお話全体を振り返って、最後にぜひ、セカンドプロダクトを立ち上げるポイントについて、アドバイスをお願いします。
セカンドプロダクトだからこそ取れる「構造的な優位性」が何なのかは、やはりとても大事だと思っていて。後発であっても勝てるだけの理由になりますし、勝つための戦略を考えるうえでも欠かせません。
加えて、構造的な強みによってポジショニングを築けていくことは、社内へその価値を伝えていく上でも重要です。「競合がいる中で、私たちのポジショニングは、ここでどういったお客さまと向き合っていくのか」といったメッセージにまとめ、社内へ浸透させなくてはなりません。
また、セカンドプロダクトは、セールスにとっては売るインセンティブが働きづらかったりもするので、イノベーションのジレンマの超え方を、ポジショニングやメッセージングで伝えていく。「単価が伸びる」や「構造的に強いから勝てる」といった社内マーケティングも大事だったと思います。
──重松さんが社内でしっかりと透明性高く共有しているから、セールスチームもみんなも巻き込めたところがあるのでしょうね。
僕にとって、PMMの役割は社内マーケティングだと思っていますから。マーケティング部は社外に対するマーケティング、PMMは社内へのデリバリーを担当している。今は、そういった役割分担がしっくりきています。