創業期のスタートアップから上場企業まで、テクノロジー企業ならば永遠と向き合う概念が「プロダクトビジョン」です。
しかし、日本のスタートアップでは、プロダクトビジョンがそもそも無かったり、曖昧なまま見直されなかったりするケースも少なくありません。それはさながら、目的地とコンパスの無い航海のようなものです。成長スピードが遅くなるだけでなく、顧客へプロダクトの方向性までゆだねるリスクをはらんでいます。それでは、もはや受託開発のような状況に陥ってしまい、真にSaaSとはいえないでしょう。
SaaSのようなBtoBプロダクトにおいて、プロダクトビジョンは重要です。BtoC向けよりプロダクトの複雑性が高く、ニッチマーケットの局地戦から、次第にターゲットを広げていくため、繰り返し修正していく必要もあります。
この記事では、急成長するSaaSスタートアップに欠かせないプロダクトビジョンの作り方や、気を付けるべきポイントについて解説します。
そもそも、プロダクトビジョンとは何か?
プロダクトビジョンを一言で表すと、「未来のプロダクトの姿を定めたステートメント(声明文)」です。
ビジョンという言葉を聞くと、会社にとってのビジョンやミッションを思い浮かべる方もいるのではないでしょうか?SaaSのプロダクトマネジメントのバイブル『ALL for SaaS』によると、「ビジョンとは組織や社会の将来の姿、ミッションとは企業の社会的使命や存在意義」を意味しています。
一方、プロダクトビジョンは「会社全体のミッションに則した形で、プロダクトを通して対象となる業務や市場に対し、どのような価値を提供し、何を実現するのかを簡潔にまとめたもの」です。
図で示すと、プロダクトビジョンの位置付けは、以下のようになります。
プロダクトビジョンからプロダクト戦略やプロダクトロードマップが作られ、最終的には日々のアクションプランにつながります。従って、一貫性のあるプロダクト開発を進める上で、全てを左右する重要な役割を果たします。
上図のように一貫した流れの中に位置付けられるものですから、プロダクトビジョンを作成するタイミングとしては、会社のビジョンやミッションを定める際に、並行して策定すると良いでしょう。
ここまで抽象度の高い話をしましたが、要は「SaaSのスケールにプロダクトビジョンは、めちゃめちゃ大事!」ということです。と言われても、「プロダクトビジョンってピンとこない」と思われる方のために、まずはアメリカ企業の実例を解説してみましょう。
3つの米テクノロジー企業に学ぶ、代表的なプロダクトビジョンの例
ここでは、下記3社のプロダクトビジョンを見てみましょう。
- Amazon - Kindle
- Google - Google Calendar
- GitLab
注意点としては、基本的にプロダクトビジョンは社外へ公開する文書では無いため、これらの例ではプロダクトビジョンの一部を切り取ったものも含まれます。実際のプロダクトビジョンは、きちんとした文章として書かれているケースも多いです。ただ、プロダクトビジョンとは何かを理解していただくには役に立つと思います。
Amazon Kindle
Vision:
地球上で最もお客様を大切にする会社であること、お客様が買いたいと思うものをオンラインで見つけ、発見できる会社であること、そしてお客様に可能な限り低価格で提供することに努めます。
Product Vision:
- あらゆる言語で書かれた、絶版も含めたすべての本を60秒以内に利用できるようにします
- 文庫本より薄くて軽く、200冊の本を収納できます
- Kindleは長文読書の目的で作られたものです。Kindleは、近年急増している集中が散漫になる情報収集ツールの氾濫に対抗して、長時間の集中を持続させる世界へと移行していくことを願っています
(出典:「2007 Letter to Shareholders」より筆者翻訳)
Kindleのプロダクトビジョンは、2007年にジェフ・ベゾスが株主に当てた手紙から読むことができました。このプロダクトビジョンは、全社のビジョンと完全にアラインしています。簡潔な文章である一方で、具体的かつ顧客視点で書かれている点で、優れたものだと言えるでしょう。読書好きで知られるベゾスらしさも感じさせます。
Google Calendar
Vision:
世界の情報にワンクリックでアクセスできるようようにする
Google Calendarチームは、4つのシンプルなビジョンを掲げています
- サクサク動き、美しく、楽しく使える
- カレンダー上に情報をシンプルにとりこめる
- リマインダー、招待状など、スクリーンに映るただのボックス以上の機能がある
- 誰でも簡単に共有でき、あなたの生活全体を一目で見ることができる
(出典:Christian Strunk氏のブログ「How to Define a Product Vision (With Examples) 」より筆者が翻訳し、抜粋)
Google Calendarのプロダクトビジョンとされる文章を公開しているブログから、要点を抜粋しました。
全社のビジョンと一貫性があることはもちろん、とてもシンプルかつ、ユーザー目線で書かれている点で優れています。ただし注意点としては、一般的に言われるプロダクトビジョンというより、テネット(プロダクトの意思決定ガイド)に近いです。
(※テネットではなくプロダクトビジョンの書き方については後述します。)
GitLab
DevOpsのライフサイクル全体をカバーする単一のアプリケーションを提供する
Product Vision(要約):
(出典:「GitLab Direction」より筆者翻訳)
GitLabのプロダクトビジョンも、KindleやGoogle Calendar同様に、全社のビジョンと整合性がしっかり取れています。また、BtoCに近い前出の事例とは異なり、顧客のペルソナとその拡張について明示されている点や時間軸が明確な点は参考になります。ただ、今回は要約して載せましたが、文章が長すぎるきらいがあるのも本音。ユーザー目線ではなく提供者目線だと感じられる点も注意が必要です。
3つの実例から、プロダクトビジョンのイメージと、それがビジョンといかに異なるかをわかっていただけたと思います。それでは、実際のプロダクトビジョンの書き方について、解説していくとしましょう。
プロダクトビジョンに使える「3つのフォーマット」
ここでは、プロダクトビジョンの書き方として、よく紹介される3つのフォーマットを取り上げます。
- ジェフリー・ムーアのプロダクトビジョン・テンプレート
- プロダクトビジョンボード
- PRFAQ
それぞれ解説を交えて紹介していきます。これらのフォーマットは、事業フェーズ、組織のカルチャー、チームのスキル、ケイパビリティに合わせて、柔軟に選ぶと良いでしょう。
1.ジェフリー・ムーアのプロダクトビジョン・テンプレート
(出典:ProductPlanブログ「What is a Product Vision Statement?」より筆者翻訳)
『キャズム』の著者としても知られるジェフリー・ムーアが提唱するプロダクトビジョンのフォーマットです。上記のかっこの中身を、それぞれのプロダクトによって内容に沿って適宜変えられる、汎用性の高さが良いところです。PM向けスクールや認証機関である、Product SchoolやThe 280 Groupでも推奨されているプロダクトビジョンの基本形です。
この書式の良さは、短く簡潔で、必要最低限の構成要素が網羅されている点です。一方で、この短い文で説明するだけの文章力と、プロダクトの未来に対する明快なビジョンが無いと、力強いものになりません。その観点では、ご自身のSaaSのプロダクトビジョンにとって足りないことをチームで確認するためにも役に立つと思います。
2.プロダクトビジョンボード
(出典:Roman Pichler氏ブログ「THE PRODUCT VISION BOARD」,Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 Unported (CC BY-SA 4.0)より筆者翻訳)
数多くのソフトウェア企業でプロダクトコーチを務めるRoman Pichler氏が提唱するフォーマットです。
プロダクトビジョンボードの良さは、取っつきやすいところです。ポイントを網羅しつつ、ビジュアル的に理解しやすいので、ステークホルダーとの意思統一を図りやすいです。また自由度が高いので、初心者にもオススメです。
前述のジェフリー・ムーアのフォーマットとの違いは、ビジネスゴールを明示的に入れているので、プロダクトがもたらす顧客と自社双方の利益を可視化し、ステークホルダーの巻き込みを図ることができることです。
3.PR FAQ by Amazon
(出典:Robert (Munro) Monarch氏ブログ「PR FAQs for Product Documents」」より筆者翻訳)
Amazonのプロダクトマネジメントの方法論として有名なPR FAQは、その名の通りプロダクトや機能の開発の判断をするために書く、顧客向けの想定プレスリリース文とFAQです。
「カスタマーオブセッション(飽くなき顧客志向)」と「終わりから考える逆算思考(Backward-thinking)」をバリューに据えるAmazonらしいPMアプローチと言えます。これの優れた点は、顧客視点でのストーリー性の高さと、仮説検証のポイントを洗い出せることです。
一方で、簡潔にストーリーを書ける高い文章力と、高度な仮説構築力が要求されるため、PM経験者や戦略コンサル出身者のような人材がいないとなかなかワークしにくいでしょう。その意味では上級者向けのフォーマットです。
優れたプロダクトビジョンを作るための8つのポイント
最後に、優れたプロダクトビジョンを作るために押さえておくべきポイントをお伝えして、締めくくりたいと思います。
1.ビジョン・ミッションに則している
『ALL for SaaS』でも論じられていますが、プロダクトビジョンは、会社全体のビジョン・ミッションが起点になります。そのため、これらがフワっとしていると、優れたプロダクトビジョンを作ることはできません。
プロダクトビジョンが書きにくい場合、まずはビジョン・ミッションから見直すべきかもしれません。逆に、エッジの立ったビジョン・ミッションを定義できているスタートアップは、優れたプロダクトビジョンを示せているケースが多いです。
2.全ては顧客からはじまる
AmazonのPR FAQにもありましたが、SaaSも顧客から始まり、顧客で終わります。そのためプロダクトビジョンは、顧客視点で書くことが重要です。プロダクトや機能の話ではなく、潜在的な顧客が抱える課題や、なぜ取り組むべきかを考え抜く必要があります。提供者側のロジック優先で書かないように注意が必要です。
3.PMや開発のみならず、ビジネスサイドとも一緒に作る
SaaSは顧客が価値を感じるまで、プロダクトのデリバリーに携わるマーケティング、セールス、カスタマーサクセスなど多くのステークホルダーが関わります。代理店やパートナーのような、社外の人が関わる場合もあります。そのため、ステークホルダー全員が一致団結し、共有できるプロダクトビジョンを作る必要があります。ワークショップの実施も、優れたプロダクトビジョンを作る上では有効なプロセスです。
4.プロダクトビジョンは進化する
SaaSのようにニッチセグメントからスタートするプロダクトは、顧客セグメントが増えるたびに修正を加える必要があります。一貫性を保ちつつ、ステークホルダーが疑念を持たないように調整しましょう。
5.野心的かつ現実的で、みなを熱狂・共感させる
優れたプロダクトビジョンは、大胆で野心的である一方、現実的でアクションにつながるものでなければなりません。プロダクトに関わる全てのステークホルダーを熱狂させ、共感してもらう文章の書き方にも注意が必要です。
6. ソリューションの実現方法と時間軸が明記されている
よくある間違いが、プロダクトビジョンに何を実現したいかだけが書かれていて、実現方法と時間軸が書かれていないケースです。上記の「現実的でアクションにつながるものでなければならない」という話とつながりますが、何をどうやって実現するのか、いつまでのスコープなのかが明記されていないと、アクションにはつながりません。スコープは3〜5年が目安になります。
7. 簡潔に、パワフルな文章で
プロダクトビジョンは、プロダクトを作る理由そのものです。伝わりやすく、理解しやすいように書きましょう。できる限り簡潔で、暗記しやすく、心に残る言葉で。
8.意思決定して、ステークホルダーに語り続ける
プロダクトビジョンは、ただのスローガンではありません。日々のプロダクトにおける意思決定の指針として、開発の優先順位付けや、開発すべき顧客の要望を意思決定する上で使います。また、ステークホルダーにそれを伝える際には、判断の根拠としてプロダクトビジョンも伝え続け、浸透させることが、ビジョンの実現にはカギになります。
謝辞
本記事を作成するにあたり、ALL STAR SAAS FUND アドバイザーであり、『ALL for SaaS SaaSの立ち上げのすべて』著者であるfreee VP of Product Management 宮田善孝さんにご監修頂きました。宮田さんには、この場を借りて厚く御礼を申し上げます。
参考文献・出典
- 宮田 善孝著 『ALL for SaaS SaaS立ち上げのすべて』
- Here's Amazon's Vision For The Kindle In 45 Words(Business Insider)
- Amazon 2007 letter to shareholders
- How to define a product vision (with examples)
- Tenets at Amazon
- GitLab Direction
- What is a Product Vision Statement?
- The Product Vision Board — A tool for creating your Product Vision
- PR FAQs for Product Documents
- Why is product vision crucial to your product?
- What is product vision?