サービスの提供価値をいかなる指標で計り、顧客のチャーンを防ぐのか。その一つの基準に「ROI(費用対効果)」が挙げられます。
プロダクトやサービスがもたらす「売上増」や「コスト減」をROIとして算出しようとしても、うまくいかないことが多いものです。
いったい何をROIとすべきか、それはどのように測られるべきなのか。現実感のある「ROIを特定しやすくするステップ」を学びましょう。
ALL STAR SAAS FUNDのメンターであり、Sansan株式会社のカスタマーサクセス部で戦略の立案・実行サポートのほか、IT企業へのカスタマーサクセスアドバイザリーに従事する山田ひさのりさんが、自身の経験から「ROIを特定する意義とその方法」について寄稿してくださいました。
SaaSサービスの価値は、ROIが認められてこそ実現する
カスタマーサクセスにおける「サクセス」とは、提供するサービスによって顧客に「ROI(費用対効果)」を与えることに他なりません。
私は日ごろから「BtoBサービスのサクセスとは、提供するサービスが顧客の業務に完全に組み込まれた状態」と主張していますが、これも顧客がそのサービスに何らかのROIを認めてこそ実現します。
提供するサービスによってROIは変わりますが、何かしら「弊社サービスで御社の業務の○○の部分が改善されます」と言い切れなくてはなりません。自著『カスタマーサクセス実行戦略』で提唱した「DEAR Framework」では、この指標を “ROI”カテゴリで管理することを推奨しています。このフレームワークは、
- Deployment:最適な利用条件の充足度
- Engagement :顧客との関係値
- Adoption:プロダクト・サービスの利用率
- ROI:費用対効果
という4つの頭文字をとったもので成り立っています。DEAR Frameworkにおいて、最も設定が難しいのがROIカテゴリです。多くのカスタマーサクセス関係者は、このカテゴリの存在意義は認めているものの、実際に何をROIとして選ぶかに苦労しています。
ROIは、顧客が自社のレポートラインにおいて、導入したサービスの効果を報告するときにも使われます。つまり、この数値がよい顧客はチャーンする可能性が低いと判断できます。そのため、同指標を管理する意義も大きいといえます。
ほとんどのBtoB SaaSは、テクノロジーの活用による業務効率向上をベネフィットとして打ち出していますが、どの程度の金額が実際に削減されたかを算出するのは簡単ではありません。
Google WorkspaceやOffice365などの代表的なグループウェア、及びSlackやWorkplace from Facebookといった業務SNSですら、そのコスト削減効果は体感できるものの、明確に費用対効果をさほど具体的に説明していません。
しかし逆に考えると、プロダクト・サービスのROIをヘルススコア化し、その数値を把握できれば、「費用対効果が見合わない」と考えている顧客を特定することができます。もし実現可能ならば、ぜひ活用したい要素といえます。
ROI特定の意義は「事業に一本筋が通る」
カスタマーサクセスの重要な業務の一つに「ROIの特定」があります。
あるプロダクト・サービスのもたらすROIは、そのベンダーの創業者や開発責任者ですら答えられないことも多く、曖昧なまま事業を継続しているケースも珍しくありません。ただし、顧客は説明こそできませんが、ROIを実感していることは多いのです。
カスタマーサクセスでは顧客をつぶさに観察し、ROIを発見・特定、言語化しつつ、それを社内に還元し、事業戦略やプロダクトメッセージに紐付け直す役割を担わなければなりません。
顧客が肌で感じているROIを観察、ヒアリング、特定、言語化できるのはカスタマーサクセスにしかできない重要な業務
このような取り組みは、大きく捉えるとプロダクト・サービス戦略の一部であるため、カスタマーサクセスの業務外という解釈もあるかもしれません。しかし、顧客が肌で感じているROIを観察、ヒアリング、特定、言語化できるのはカスタマーサクセスにしかできない重要な業務です。
観察眼は顧客だけでなく、自社にも向けられます。自社が提供しているプロダクト・サービスのROIの特定は簡単ではありませんが、これが上手くいけば、プロダクト開発、マーケティング、セールス、カスタマーサクセスに一本筋が通った活動になり、市場や顧客への説得力は格段に増します。そう考えると、ROIの特定は欠かすことができない活動です。
ROIを特定する方法
ここでは、私の経験に基づいたROIを特定する方法を紹介します。そのまま使えるメソッドではありませんが、一つの考え方として参考にしてください。
まず、顧客にROIをヒアリングしたとしても、答えが返ってくることはほぼありません。運良く返ってきたのであれば、それをシンボリックなROIとして位置づけましょう。「最大効果としてこの程度のROIが出ます」と伝えればいいので、ROIの算出はそこで終了です。
ほとんどの顧客は「数値的なROIを示すのは難しい」と回答するでしょう。このような場合は顧客にROIを直接問うのではなく、自社でROIの算出ロジックを構築して、「御社内ではこのようなロジックで、この程度の数値が出ていませんか?」と尋ねます。
顧客がそれを見て「確かにそうかもしれない」「似たようなことが社内で起こっていると考えて良い」と回答したら、それはROI候補になりえます。
ここから先は、上記の手法を使ってROIを特定していく具体的な方法を説明します。
(1) そのサービス・プロダクトがベネフィットを提供するシナリオを持つ
ここでいう「シナリオ」とは顧客がプロダクト・サービスに価値を感じるプロセスのことを指します。SaaSに限らずサービスは1つ以上のシナリオを持っており、シナリオはマーケティングメッセージやセールス活動で顧客を引きつけるときに活用されます。
たとえば、クラウド名刺管理の「Sansan」における主要シナリオは以下です。
- 名刺経由でもたらされた社内人脈を一元管理し、アカウント営業プランを精緻に立案できる
- Sansanに存在する名刺データベースに対して、簡単にメールを配信できる
- 紙の名刺を保持し続ける必要がないため紛失・漏洩時のリスクを削減できる
カスタマーサクセスは顧客が体現しているサクセスシナリオを解像度高く捉え、典型的なパターンを明確にストックしておかなければなりません。これらは、新規顧客から「他社はどのように活用しているのか?」と聞かれた際の回答にもなります。
(2) それぞれのシナリオを抽象化して捉え、提供プロダクト・サービスが増加・削減する事業貢献数値を特定する
(1)の「シナリオがもたらすベネフィット」を抽象化して考えると、そのベネフィットは顧客の事業活動における何らかの数値を向上させていることに気づきます。
Sansanはクラウドで名刺を管理するSaaSであり、「紙の名刺が手元になくても情報が参照できるので便利」とよく言われますが、これは表層的なシナリオに過ぎません。
以下はSansanのROIを特定する過程で、シナリオを抽象化→明文化したものです。
- 同僚の人脈を参照することで、体外的なコネクション形成プロセスをショートカットできる
→(単位期間あたりの)人脈が相互参照・活用される数が増加している
- 日々交換してる名刺をデータ化し、マーケティングリードとして活用できる
→(単位期間あたりの)オフラインリードが増加している
※他にも存在しますが、説明を単純にするために主要な2つのシナリオのみを取り上げました
矢印の右側は抽象化されたシナリオが増加(もしくは削減)させている事業にまつわる数値です。この数値の特定が一番難しいのですが、この数値をシナリオから発見・特定できることで、(3)に繋げることができます。ここではこれを「事業貢献数値」と呼びます。
(3) 抽象化・共通化された事業貢献数値と売上増・コスト減を結びつけるロジックとファクトを探し出す
企業が最終的に求めるリターンは「売上増」か「コスト減」のどちらかです。あるプロダクト・サービスの導入によって生み出されるアウトカムは、最終的にはどちらかに紐付く必要があります。
このステップでは、(2)で特定された事業貢献数値を上記のどちらかに紐付けたときに、以下が成り立つかどうかを考えてみます。
A:そのロジックはすんなり納得できるか?
B:それをファクトベースで証明できるか?
Sansanの事業貢献数値は、「人脈が相互参照・活用される数」と「オフラインリード数」が相当します。前者がコスト減で、後者が売上増に寄与すると想像できます。
まず、これらは上述のAの質問に対してYesでしょうか? もし、Yesだとしたら、それはROIの候補と考えることができます。
次に、Bの質問を考えます。ただし、これは顧客へのヒアリングと、何らかのロジック(簡単な計算式)から、どの程度改善したかを想像で組み立てるしかありません。その結果、多くの顧客で「売上増」または「コスト減」との相関があると判断して良い場合は、その数値をROIとして位置づけることができます。
SansanのROI候補である、「人脈が相互参照・活用される数」は、この数値が向上すると、顧客の社内で人脈の活用が活発に行われていると考えられます。そのことを顧客へヒアリングし、賛同していただければAの質問はクリアです。
では、実際のコスト削減金額はというと、ここはそのサービス提供者が自身で考えた何らかのロジックに当てはめて算出します。この例では、
- 社外のコネクション創出にかかるコストを○時間とする
- Sansanで参照された人脈のうち、実際に外部コネクションを作る必要があるものを全体の○%とおく
このようにROI金額を計算できます。また、直接的な数値でなくても、「△が従来と比較して◯倍」などでもROIになります。
「オフラインリード数」の方はシンプルです。現在のトレンドであるThe Model型の営業スキームは増加したリード数に商談率、成約率を掛け合わせることで売上金額を算出できます。このように、ビジネスとして自明なロジックが既に存在している場合、ROIまで繋げることは比較的容易です。
ここまでの数値が算出できたら、次に提供プロダクト・サービスの顧客単価と算出されたROIの比較を行います。ROIはその名の通り「Return On Investment」です。よって、一般的には投資以上の見返りを求められるので、その点が成り立っているかを計算します。
この数値にインパクトがない場合、
- (1)~(3)のROI算出ロジックの筋が悪い
- 提供しているプロダクト・サービスの価値が低い → 要改善
のどちらかなので、結果に応じて対応しましょう。
ちなみにROIをパブリッシュする際は、それが虚偽・誇大広告に該当しないかどうかに注意を払ってください。特定商取引法第12条では「著しく事実に相違する表示」や「実際のものより著しく優良であり、もしくは有利であると人を誤認させるような表示」を禁止しています。
算出されたROIをどのように表現し、世の中にメッセージングするか。しっかりとした事業判断を行いましょう。
納得が得られるロジックが組めればROI足り得る
ここまでの説明を見て、「そんな数値がROIと呼べるのか?」と思われる方もいるかもしれません。しかし、多くのSaaSにおいてROIの特定は非常に困難であり、ダイレクトに売上増やコスト減を説明することはできません。
しかし、そのSaaSが売れている以上、顧客は何らかのメリット感じており、何らかの(抽象的な意味も含めた)数値を改善しているものです。その数値を特定し、それらが売上増・コスト減に関連しているという納得感のあるロジックさえあれば、それはROIといえます。
仮にそれ以上の説明を求められるとすれば、そのとき向き合っている顧客の納得感の問題であり、それは別の論点で解決すべきだと私は思っています。
またROIの明確化においては、別途注意しなければならないポイントがあります。それは、ROIが特定できたとしても、(2)で特定した事業貢献数値を顧客が活用できていなければ最終的なリターンは得られないということです。
(2)で事業貢献数値を特定し、(3)でその紐付けロジックを説明できたとしても、顧客社内の(2) → (3) の業務プロセスに問題がある場合、リターンを得られないのです。
当たり前のようにも思えますが、以外に見落とされるポイントです。ROIを説明できているにも関わらず、顧客から「ROIが出なかったので解約したい」といわれた場合、この部分がうまく回ってないことがあります。
カスタマーサクセスの業務は、まさにこのようなことが起こらないように業務フローをしっかりと整備することです。ただし、ROIの算出ロジックの欠陥があるかもしれません。慎重に事実確認を行う必要はあります。
多くの人はROIを特定する時、いきなり当該プロダクト・サービスがもたらす「売上増」「コスト減」を算出しようとしますが、そうではなく、上記のようなステップで考えれば現実感のあるROIを特定しやすくなります。
皆さんも自社が提供しているプロダクト・サービスで一度考えてみてください。