「起業家とともに、100年続くSaaS企業をつくる」
私たち、ALL STAR SAAS FUNDが掲げるミッションを実現するために、私たち自身は何を学ぶべきなのか。このミッションを活動や実績で体現されている方々への連載インタビューから、紐解いていきます。
初回には、私たちのビジョンを支援し続けてくれる、Sequoia HeritageのCEO / FOUNDING PARTNERのKeith Johnsonさんにご登場いただきました。
続く第2回には、日本を代表する和菓子店「とらや」の18代目である、株式会社虎屋の代表取締役社長の黒川光晴さんにインタビュー。創業は室町時代後期と、100年どころではなく、約500年続く歴史を持つ老舗企業。培われてきた伝統に加え、虎屋が新業態へ果敢に挑戦する姿には学ぶところが非常に多くありました。
聞き手は、ALL STAR SAAS FUNDのマネージング・パートナーである前田ヒロです。 ※記事の最下部でインタビュー動画もご覧いただけます。
「自分だけのスキルを身に着けたい」と高校時代からアメリカへ
前田:虎屋は500年以上に及ぶ歴史をお持ちです。そのはじまりについて、お聞かせいただけないでしょうか。
黒川:はじまりは室町時代の後期とされています。後陽成天皇の御在位中(1586年~1611年)より、御所の御用(皇室の菓子御用)を勤めはじめた記録が残っています。明治維新の際の東京遷都に伴い、京都の店はそのままに、東京に店も開設しまして、御用聞きのような形で菓子づくりを続けてきました。
積極的な店舗展開をしたのは、1962年に池袋の東武百貨店に初めて出店をしてからです。現在は約80店舗になりました。海外へのアプローチとしては、祖父の代である1980年にパリ店を開設しています。
他にも、餡をベースに洋菓子の原材料や製法を用いた新しい菓子を提案する店として、『TORAYA AN STAND/トラヤあんスタンド』といった新業態も展開しています。あとは「和菓子屋の原点」を今の時代に再現するべく、静岡・御殿場に『とらや工房』を開きました。御殿場には、1978年に餡や羊羹を製造する主力工場を開設し、以来、御殿場も拠点にした事業を推進しています。
前田:伝統を守りつつ、海外出店や別業態への進出など、攻めの姿勢もあることが非常に興味深いです。そのあたりは後ほどお聞きしたいのですが、まずは私が黒川さんと初めてお会いしたときに、時計の針を戻しますね。最初は、黒川さんがアメリカのボストンで大学時代を過ごされていた頃でした。その当時から虎屋を継ぐことを意識していたのでしょうか?
黒川:そうですね。私は18代目の社長を務めていますが。虎屋は代々、黒川家の人間が継いできています。物心がついて以来、虎屋のことはどことなく意識していました。ただ、社員から見れば、世襲による社長就任の可能性が高いがゆえに、何かしらの抵抗感を覚えるかもしれないとも感じていたのです。
そこで、自分ならではのスキルを得たいと考え、高校時代にはアメリカのボーディングスクール(※全寮制の寄宿学校)へ留学しました。そのままアメリカのビジネススクールへ進学して、4年間みっちりとビジネスを深く学んでいた頃には、虎屋を継ぐことをはっきりと意識していました。
また、幼少期から「お父さんはカッコいい」と尊敬していて、成長したら自分も父の仕事をやりたいと思っていました。私が中学生の頃にはMBAが注目を浴びていて、「経営者になるにはMBAを取得するのが良い」という風潮もあったんです。そのためにも英語をしっかりと学んでおいたほうが身につくと考え、留学も早めに決意しました。
前田:全体的に長い目で見て、先々のことを考えて取り組んでいったわけですね。海外での経験や学びは、現在の業務にどのように活かされているのでしょうか?
黒川:一つには、固定観念にとらわれにくくなったというのはあるかもしれません。日本と他国では文化や考え方が異なりますが、そういった異文化や新しいものに対する受容度は比較的高いかもしれません。海外に出て、さまざまな人々と交流する経験を積んだことで、より広範な視野を持てるようになったと感じています。これは日々の仕事でも大いに役立っています。
200年前に制定された「バリュー」に共感できる
前田:虎屋の長い歴史を紐解く中で、私が気になったのは、ご先祖からいかに歴史を受け継ぐのかです。今日の成功につながるエピソードや、あるいは「教訓」はあるのですか?
黒川:確かに、多くの方から家訓や教訓を尋ねられることがあります。ただ、虎屋には明確なものは存在しないんです。
一つあるとすると、9代目の黒川光利が、1805年に『掟書(おきてがき)』を制定しています。1788年に京都で「天明の大火」と記録されるほどの大火事があり、京都の大半が焼失、虎屋も大きな損害を受けました。そのような中、『掟書』をまとめたのです。勤める者が守るべき基本的な姿勢や考え方など、15の項目が記されています。
たとえば、「毎朝六ツ時(※午前六時頃)には店の前をきちんと掃除をすること」といった勤務態度から、「子どもや女中のお使いであっても、丁寧に応対して冗談などは言わぬこと」といったことも書かれています。
今見ても、共感できるものもあります。当時の日本社会では上下関係も比較的、厳しかったかとは思うのですが、「仕事はそれぞれが得意なことを励み、上の者が徐々に下の者へ教えること」や「上の者でも手落ちがあった場合は遠慮なく注意しあって、常に『水魚の交わり』を心がけること」といったことも書かれています。
前田:『掟書』には「書道と算術の勉強は怠ってはならない」という記載もありました。これが書かれている理由は何だと思いますか?
黒川:具体的な理由まではわからないのですが、虎屋は美味しい菓子をつくり、それを販売して、お客さまにご満足していただくというサイクルで成り立っています。その中で、算術は経営学の一部であり、菓子屋や菓子づくりにとっても欠かせない要素だったからでしょう。今でいうP/LやB/Sにつながることでもあります。
書道は文学的な背景もあるはずです。和菓子全般について言えば、菓銘(※菓子につけられる名前)で情景を表すことがあります。たとえば、夏の菓子である「若葉蔭(わかばかげ)」では、金魚と葉っぱが描写されています。そのまま金魚という言葉を使うのではなく、木陰のもとに金魚がいる情景を想像させると、暑い夏にも涼やかさを感じさせることができる、と考えたのでしょう。
そういったセンスは、書道というよりは読み書きをしっかり学び、昔の文献や古典などからも学ぶことができなければ、感性は磨かれないはずです。
前田:まさに「行動指針」と読める点では、現在の企業体でいうバリューにも通じますね。他にも、黒川さんが大切にしている方針などはありますか。
黒川:私の曾祖父である十五代が言葉を残していて、今でも東京の工場に掲げられているのですが、「誠(まこと)をもって細く永く。最上の原料を用い、最上の菓子をつくる。虎屋には特に名物なし。製品全部が名物である」という言葉です。これは、虎屋の根本的な考え方に通じていると思っています。ビジネスを急速に拡大するのではなく、地道に「細く長く」続けていく。また、虎屋は特に羊羹が有名ですが、それは元々、羊羹づくりの技術が高かったためであって、本来は和菓子全般を扱う店です。ですから虎屋に「名物」はなく、一つひとつの菓子の美味しさを極めていくという考えも通底しています。これらの代々の精神は、私も個人的には参考にしています。
前田:興味深いですね。特に「細く長く」という考え方は、どうしても欲が出てしまう人間本来の思考とは真逆のように思えます。黒川さんは経営においても、同様の意識を持って当たられていますか。
黒川:私は創業者ではなく、代々受け継いできた虎屋の一員です。虎屋をつくり上げてきたのは先祖や先輩方だと思っていますし、私ひとりの力で500年の歴史を簡単に塗り替えることはできません。その中で痛感しているのは「足るを知る」という姿勢です。大切なことは、自分が何を大切にし、何に注力するべきかを理解することです。
ビジネスをスケールアップする好機を自ら拒むわけではありません。しかし、虎屋のコアはあくまでも美味しい和菓子づくりを続けていくこと。そのためにスケールアップが必要なら追求すべきです。しかし、目的は利益の最大化ではなく、菓子の美味しさを最大化することに集中しています。
「変えてはいけないものなどない」という指針
前田:先ほど触れた『掟書』は今でも活用されているのでしょうか。たとえば、全社員が今でも読めるようになっている、といった仕組みはありますか。
黒川:虎屋の歴史については、社員であれば閲覧できます。その他にもオンラインにアップしている資料もあり、たとえば社史『虎屋の五世紀』を全編公開しています。
前田:これらの資料、もしくは黒川さんが先代から受けた薫陶で、印象的なフレーズといえば?
黒川:父であり、先代の黒川光博が常に言っていたのが「変えてはいけないものなどない」という考えです。それはおそらく、先代も同様に言われてきたからこそ、私にも伝えているのだと思っています。
ひとつのやり方、考え方に人を縛り付けようとする意識は、虎屋ではなるべく避けるようにしています。時代は常に変化していますし、過去の成功体験が現在でも成功につながるとは限りません。資料を閲覧できたり、私自身が考えを話したりすることはあっても、それらを絶対に守らなければならないという形で、社員と共有しているわけではありません。
前田:黒川さんが後継した後に変えて良いと思ったこと、または変えてはいけないとより感じたことはありましたか?
黒川:やはり先代も「変えてはいけないものなどない」と常に言っていましたので、それは重要な指針でした。変えてはいけないものの一例としては、やはり菓子です。自分たちがつくる和菓子は何百年も続いているものであり、私が生まれたときよりずっと前から、その菓子をご愛顧くださるお客さまもいらっしゃるわけです。私が虎屋の菓子を無闇に変えてしまうことは、お客さまの気持ちをないがしろにするようなことであり、避けるべきだと考えています。
中心にあるのはあくまで、菓子です。その上で「時代に求められている菓子」を感じ取ることが重要。変えてはいけないと意識するべきは、そういった視点といえますね。
総合的かつ中長期的に、“コア”をアップデートするための新規事業
前田:コアに和菓子づくりを据えながらも、経営的な観点では変化を起こした部分もあるのではないかと思います。意識的に変化をもたらしたことなどはありますか?
黒川:一つには、数字への考え方です。以前は財務などのファイナンスに関わる部署を中心に全体の数字を管理していましたが、私たちはそれを変えることを意識しています。
具体的には、企画を立てたり物品を購入したりする際には、それがどのようにリターンをもたらすかを社員全員が意識するように努めました。感覚的ではなく計数的かつ明文化して、振り返りがしやすくなるように事業を進められていくようにしています。私の代からはじめた取り組みではありませんが、継続することで、徐々に変わってきています。
また、常に菓子の美味しさを追求することを第一義と考える私たちは、そのチャレンジの中の一つとして、2021年にレストラン『Maison KEI』を御殿場ではじめました。フランス・パリでアジア人として初めてミシュラン三つ星を獲得した日本人シェフの小林圭さんとの共同事業です。10年以上前から、小林圭シェフと温めてきました。
虎屋の和菓子は伝統的なものであり、それを変えることはお客さまの要望とは必ずしも一致しないかもしれません。しかし、新しい技術や洋の素材を用いることで、常にアップデートし続けなくては、「本当に美味しいもの」からは遠ざかってしまうのではないか、という不安がありました。
洋の技術を持つ小林圭シェフと一緒にレストランを開くことで、デザートで洋の技術と虎屋の餡をはじめとする和素材を組み合わせたものを提供しています。新しい菓子の創造とともに、総合的で中長期的に、虎屋の和菓子がさらに美味しく、常に最高のものであり続けるためのプロジェクトとして位置づけています。
虎屋の社員は「虎屋の社員」、他とは違う固有の存在である
前田:先代からの権限移譲に際して、難しさを感じた瞬間や苦労したことはありますか?
黒川:基本的には後継についてはスムーズに行なわれたと思っていますが、強いてあげるのならば、たとえば組織の観点から見ると、これまでの組織は父のビジョンの下で、会社の組織も設定されていたわけです。
その環境下で築かれているフォーメーションを、父とともにさらにつくっていく中では、自分が担当しなければならない業務を円滑に進めるための改善や、新しいテクノロジーに対応していくことは、難しい部分もありました。
特に、インターネットやスマートフォンなど新技術の台頭は、私が学生だった頃から急速に進み、それが世界的にビジネスのダイナミクスを劇的に変えてきました。結果として、新技術による変化は、他のツールがビジネスにもたらした変化よりも、はるかに大きなインパクトを持つと考えています。
虎屋はオーナー経営を続けていますから、こういった事情や社会的背景を丁寧に話しながら上手にテクノロジーの導入を推進することは可能です。一方で、社員の年齢層は異なるため、生じるスキルや経験、自己の能力を超えた課題に対してのギャップなど、いくつかの課題が点在しています。
それらの課題を社員や会社のペースに合わせながら、時代に合わせてトランスフォームを進めることはチャレンジと言っていいでしょう。解決するために何らかの手を打たなければならない大きな問題だと思っています。その一環として、ヒロさんに以前ご相談させていただいたりもしましたね。
前田:ええ、そうでした。ジェネレーションが変わっていく際の変化への対応、特にDXは無視できない部分があると感じています。そのような変化に適応し対応していくことは、組織として多くの労力を必要としますね。
黒川:ただ、私たちの強みの一つは全員でコアバリューを共有できていることにあります。「本当に美味しい菓子をつくり、それをお客さまに喜んでいただく」という目標です。会社全体で年齢層を問わず共有されているのは、非常に強く、感謝すべき土台だと感じています。
前田:今、大切にされている「経営哲学」といえば、何が挙げられますか?
黒川:感性の大切さを強く感じています。何よりも、虎屋の社員は「虎屋の社員」であり、他の会社とは違う固有の存在だと思っています。当然、それを体現するのは私たち自身です。自分たちの感性や感覚を信じることができなければ、うまくいくわけがありません。
何かをおかしいと感じたら、その時点でその相手に対してきちんと伝えることや、日々の積み重ねが重要だと感じています。正直なところ、私が社長になってからまだ数年ですから、考え方が変わる可能性は十分あります。でも、自分が自分であることは変わりません。失敗があるかもしれませんが、感性を信じて行動することは大事ではないかと思っています。
チャレンジし続ければ批判は消え、新しいチャレンジが促進される
前田:先ほど、『TORAYA AN STAND/トラヤあんスタンド』についても触れました。虎屋が伝統的なイメージを持っていたところから、とても現代的なコンセプトで展開されていると感じています。この展開の背景やブランドの目指す方向性は何でしょうか?
黒川:おおもとは、2003年に『TORAYA CAFĒ』が六本木ヒルズと同時にオープンしたことからはじまりました。虎屋は伝統的な和菓子を500年間つくり続けてきた会社ですが、新しい技術や製法、材料は常に世界中で生まれています。これらをきちんとキャッチアップし、我々もアップデートしないと「本当に最高の菓子」はつくれないと考えています。
和菓子は、日本古来の食べ物に外国の食べ物の影響が加わり発展しました。飛鳥~平安時代に、中国からもたらされた「唐菓子(とうがし)」、鎌倉~室町時代に中国から入ってきた羊羹や饅頭などの「点心(てんじん)」、室町時代末期~江戸時代初期に入ってきたポルトガルのカステラといった南蛮菓子など、世界のお菓子の影響を受けながら、現在の和菓子が形成されてきました。
つまり、和菓子だから「日本の中だけのもの」でなければならないという考え方は元々存在していないのです。伝統的な和菓子として守るべきことはありつつも、異なる形の探求として『TORAYA CAFĒ』は設立されたのです。
伝統的な和菓子は守りつつも、洋の素材や製法、技術を用いた新しい菓子をつくるというチャレンジとしてはじまりました。
『TORAYA CAFĒ』(現『TORAYA AN STAND/トラヤあんスタンド』)のスペシャリテとして、「あんペースト」という商品があるのですが、昔は、「和菓子として完成していないものを売るべきではない」という意見が多くありました。たとえば、餡のようなものをそのまま売るというのはいかがなものか、といった議論もあったのですが、朝食にパンを選ぶ人が増えたりと生活様式が変わり続けています。
その未来を見据えて、どのような商品展開をすれば良いかを考え、ジャムのような形状の商品を2003年から提供するなどの取り組みをしてきました。お客さまからすれば驚かれたかもしれませんが、あくまで私たちは、私たちの和菓子や一般的な和菓子を世界中の多くの方に召しあがっていただきたい、その一心に尽きるのです。
前田:新しいブランドへのチャレンジ含め、これまでの虎屋のイメージを変えていく取り組みは難しいと思います。その過程で得た教訓や学びはありますか?
黒川:いくつかありますが、新しいチャレンジをするときは、常に批判が起こることがあるということです。特に虎屋のようにビジネスを長い間にわたって続けてきた企業では顕著です。しかし、批判に過度に心を痛めると、新しいことへの挑戦が難しくなると思います。
父が2003年に『TORAYA CAFĒ』をはじめたチャレンジのおかげで、2021年の『Maison KEI』のオープン時にはほとんど批判がありませんでした。つまり、新しいことをはじめる行動が、未来の評価にもつながっていることを感じています。父は父で批判の声に晒されたと思いますが、自らの感性を信じて推し進めた結果が、現在の挑戦につながっているのは嬉しいですね。
もう一つの例として、1980年にパリで店を開いたとき、はじめはお客さまが全くいらっしゃいませんでした。羊羹を見たフランスの方から「黒い石鹸ですか?」と言われるなど、今よりも日本の食文化は全く浸透していない状況でした。そこで当時の職人たちは、羊羹に、フランス人にも馴染みのあるさまざまなフルーツを入れることを試みました。イチジク、カシス、フランボワーズなどを取り入れたのですが、羊羹づくりからすればご法度とされていることです。でも、そのチャレンジがフランスで受け入れられ、その後の営業を成功させることにつながりました。
そういった経験もあり、日本の虎屋で季節によっては苺やラムレーズンの菓子を出してみたり、パリ店の40周年のときにはフランスのパティスリー「ピエール・エルメ・パリ」と一緒に羊羹をつくらせていただいたり、新しいチャレンジがしやすくなりました。当時の反応は難しいものがあっても、今となってはそういう目新しい取り組みが問題になることは一切ありません。チャレンジをしていく大切さを思い知りますね。
たとえば、寿司は魚の生食文化のない国なら忌避されそうなものですが、今では世界中でハイクオリティに処理された美味だと認識され、親しまれ広まっています。それによって「日本の寿司」だけでなく、「世界中の寿司」のクオリティも上がっています。和菓子は現状、ほぼ日本だけで消費されていますが、長期的にはチョコレートやコーヒーのように、世界中で広く受け入れられる存在になることを目指しています。
コアバリューを見失わず、長い目標設定を持つことの重要性
前田:最後に未来の話をしましょう。虎屋の「次の100年」について、次の世代に伝えるべきこと、考慮すべきことについて、どう考えていますか?
黒川:まだ考えが深まっていないところもあって、しっかりと伝えきれないかもしれませんが……ただ、「虎屋は和菓子屋であり、最高の菓子をつくり続ける」というコアバリューこそが重要であり、強く意識しています。
ビジネスを展開する際に、会社を設立したり拡大したりするのは、今の世界では比較的容易になっています。だからこそ、さまざまな事業を展開して大成功する人もいますが、虎屋の根幹はあくまで和菓子づくりであり、品質を最高に保つことです。それを見失わないようにしなければなりませんね。
前田:100年続く事業づくりの秘訣や、実現するためのアドバイスがあれば、何でしょうか?
黒川:自分も受け継いだ側としてビジネスをしていますし、まだまだ経営者として、いちビジネスパーソンとして学び続けている最中ですので、何かを教える立場にはありませんが、「考えるスパン」と目標設定は大切だと思います。
ビジネスの目標は、10年後、20年後、100年後に設定するかで取るべき行動は大きく変わってきます。たとえば、私が大学で学んだ当時は「利益の最大化」が会社の一番の目的だと教えられました。ただ、仮に自分が当時学んだことを最優先とし、プロフィット・マキシマイゼーション(利潤極大化)や売上の最大化を目標にしていたら、現在と全く異なる行動をとっていたでしょう。
100年後までビジネスを残したいと思うなら、虎屋にとって最も重要なことは、最高の菓子づくりを続けることです。食べ物は原材料が重要で、最高の原材料は最高のつくり手のところに行くと思うのです。どの時代でも、最高のつくり手が最高の原材料を使ってつくったものを、みんなが求めると思います。
単純にビジネスの規模や売上を最大化し、お金をたくさん稼ぐという目標を持つことと、100年後を目指すというのは目指し方も全く異なります。だからこそ、私たちは自らの目標に沿ってビジネスをしているのです。
プロフィット・マキシマイゼーションや売上の最大化が、長期的に見てビジネスを100年後まで維持するために重要なこともあるでしょう。しかし、少なくとも現段階では、目標設定と、そのために何をしているかが、今からすべき行動における差になって表れているとは感じています。