スタートアップの成長を妨げる要因はさまざまありますが、一つには「社内コミュニケーションが手薄になること」が挙げられます。組織が拡大するにつれ、部門間の連携が上手く進まなくなるのです。特に、社員が増えるほどに経営者/創業者と現場の距離感が開き、コミュニケーションコストが高まることは、貴重な時間を浪費しかねません。
決済サービス「Stripe」で当時COOを務めていたClaire Hugh Johnsonさんは、“起業家のバイブル”とも呼ばれる名著『爆速成長マネジメント』で、創業者が自身の「取扱説明書」を用意することの重要性を説いています。1,000名規模の組織へ拡大する過程では、コミュニケーションを円滑にするために、創業者のパーソナルな情報をシェアすると良いと言うのです。
ALL STAR SAAS FUNDのマネージングパートナーである前田ヒロも、かつて自身のブログでこの提案に対して「この本を読んで一番印象に残ったチャプター」だと書いています。
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StripeのCOOであるClaire Hugh Johnsonが実際にStripeで実践している取り組みで、「Claireがどんな事に関わりたいのか」「どんな時に話しかけて欲しのいか」「どんなコミュニケーションを好むのか」などが細かくまとめられている(中略)。
この取り組みのメリットは2つあると思っている。
1つは、周りがClaireと連携したり、彼女を巻き込みたい時にどうすれば良いのかが分かりやすくなるということ。コミュニケーションスタイルを明文化することによって、誤解が生じることがなくなるし、彼女がどんな行動を評価しているのかも明確になるので、組織の文化作りへの貢献にも繋がる。
もう1つのメリットは、オペレーションガイドを書いている本人の自己認識を高めるきっかけになるということ。自分の強みや弱みが何なのか。改善すべきポイントを振り返ることができる。──部下との認識のズレを無くし、企業文化を強くする「経営者のトリセツ」より
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では、実際に「取扱説明書」を作ることには、いかなるメリットがあるのでしょうか。そこで今回は、スタートアップの第一線で活躍する経営者4名へ、取扱説明書を作る過程となる“自己開示ヒアリング”を実施してみました。ALL STAR SAAS FUNDのメンバーからの質問のポイントは、下記の通り。
・私の悪いところ
・私の助けかた
・私の我慢できないこと
・私が価値を感じること
組織づくりにおける自己開示の重要性を垣間見るだけでなく、これらの回答を元に取扱説明書を作ることの大切さにも気付かされる時間になりました。また、実際に取扱説明書の作成に取り組みやすいように、ALL STAR SAAS FUNDでは独自の「取扱説明書テンプレート」も無料公開します。記事末尾に掲載しますので、ぜひ活用してみてください!
カミナシ CEO 諸岡裕人さんの場合
作業記録や報告書などの現場管理業務を効率化するクラウドサービス「カミナシ」を提供する株式会社カミナシ。日本の就業人口約6,700万人のうち、デスク以外の現場で働く「ノンデスクワーカー」は3,900万人といわれ、日本における“デスクレスSaaS”の旗手として成長を続けている。
Q:「自分の悪いところ」や「弱さだと思うところ」は?
社会人時代にめちゃくちゃ強い成功体験があったわけではないので、すごい自分に自信があるタイプではないんですよね。他人を頼りやすい、権限委譲が進めやすいといった良い面もあるのですが、それが悪く出ると人を引っ張っていったり、指針を示したりするときに二の足を踏んでしまうことも……カリスマ性のある、強い経営者像に憧れてます(笑)。
Q:そんな、あなたの“助け方”、サポートの仕方について教えてください。
優しい言葉よりも、率直なフィードバックをくれるほうがいいですね。自分自身が良い状態に向かうときって、その手前に「痛み」を伴うことが多いんです。キツい言葉をもらったり、外的な要因に立ち向かったり。そうやって痛みを超えながら自分自身を脱皮させてきたなと思っています。それでいうと、平穏な時期が続いてしまうと成長エンジンが働きにくいのも、自分の弱いところといえそうです。
先日もCOOの河内から、ありがたくもグサッと刺さるフィードバックをもらって。社内で権限委譲を進めた結果、「諸岡さんは権限委譲をしまくってきたけれど、自らボールを持つ筋力が衰えていませんか?」と……
そういえば、ある案件で「誰がボールを持つのか」の話になったとき、僕が進めたほうがよいだろうなという雰囲気を感じたんです。でも、「PMがうまくできる自信がないな」とメンバーへ依頼したことがありました。そのあたりを河内は見たんでしょう。僕の問題点や改善点をnotionでまとめて送ってきてくれました。
「もっと、こうしたらどうですか?」と。
それで、最近入社した元DeNAでPMに長けたメンバーなどに話を聞いて、参考にすべき読み物を共有してもらったり、ドキュメントの作り方からやり直したり。カミナシは2022年7月にバリューを新調して、その項目に「自分リノベーション」を加えたのですが、まさに実践しているところです。
Q:諸岡さんが「価値を感じること」といえば?
人生の大事な時期にカミナシを選んでくれたメンバーが、入社によってどれくらい変化できたのか、という「幅」が大きいことには価値があると思っています。カミナシだから挑戦できた、この環境だから自分が変わった、といったきっかけになりたいですね。
僕は「恥より始めよ」を座右の銘にしています。WAmazingの加藤史子さんがおっしゃっていた言葉で、尻込みすることを謙虚や謙遜の美徳だと考えるのではなく、分不相応な場にもまずは挙手して挑み、恥をかくことの大切さを説いています。体現している人はカッコいいですし、もしそれでうまくいかなくても、失敗の経験が成長のエンジンになってくれるはず。そこには価値があるなぁ、と思います。
Q:「我慢できないこと」といえば、何ですか?
この3つだけは反した人を見ると本気で腹が立つなってことがあって。「思いやりを持てるか」「正直者か」「本気のスイッチが入るか」ですね。
「思いやり」は、学生時代にいじめに近しい経験をしたり、人が傷ついたりする様を見たりして心底イヤだと感じたところから。「正直者」は創業当時に在籍していたCPOと正直さを持ってディスカッションできなかったことが、結果的に事業を遠回りさせた経験から。「本気のスイッチ」は手を抜くのが許せないのもあるし、本気でやらなければ何をしても面白くないと思うからです。
マネーフォワード CEO 辻庸介さんの場合
個人向けお金の見える化サービス『マネーフォワード ME』や、バックオフィス向けSaaS『マネーフォワード クラウド』といったプロダクトで、日本では早くからフィンテック業界を開拓してきた株式会社マネーフォワード。IPOを経て、創業10周年を超え、さらなる挑戦を続ける。
Q:「自分の悪いところ」や「弱さだと思うところ」は?
昔のことを極めて忘れているところ。本当に数ヶ月前のことまで忘れるので、「あれ言ったじゃないですか」みたいにその頃に話したことを指摘されたりすると、「本当にすみません」としか言えないという……。
あとは、せっかちで、すぐやりたがるところも。アイデアが出てきたら「これをやろう!」ってなりがちなんです。僕もさすがに大人になってきて、「やりたい理由」や優先順位を考えるようにはなってきましたが。
Q:そんな、あなたの“助け方”、サポートの仕方について教えてください。
僕が「これをやろう!」と言ったときに「Yes,But」を出してくれることでしょうか。「いいですね。しかしながら、こういうことをクリアしないとできませんよ」みたいに助言してもらえると、僕も「なるほど」と立ち止まれます。
あと、僕は得意不得意の差がかなり激しいんです。得意なところは率先してやりますから、得意でないところはぜひ助けて欲しいなぁ、と思います。
Q:辻さんが「価値を感じること」といえば?
とにかく、僕は「ユーザーフォーカス」というバリューが最も大事だと思っています。いかにユーザーさんへ価値を届けられるかどうかだ、と。それはプロダクトづくりでも、営業でも、カスタマーサクセスでも、サポートでも、なんでもそうです。ユーザーフォーカスしているメンバーは素晴らしいと感じます。
Q:「我慢できないこと」といえば、何ですか?
「価値を感じること」と表裏一体なんですが、ユーザーフォーカスできていなくて、提供者目線になってしまっていると思えたときですよね。
たとえば、ある機能が実装できない理由が、社内の事情だったりする。それってユーザーから見たら関係ないじゃないですか。社内の理論だけでディスカッションしていたり、勝手に「自分たちでは無理だから諦めよう」と思い込んで決めてしまったり。そういう提供者目線は本当にイヤです。大嫌いです。とにかくユーザーへどういった価値を、最大限に提供するためにどうすればいいかを考えることが大切です。
あと、これも表裏一体な話にはなりますが、リーダーが暗かったり、できないことばっかり言ったりするのも好かないですね。リーダーは明るさが特に大事だと思っています。チームを最大限に盛り上げて、モチベートしてくれる存在です。だって、楽しくワクワクしながらやれたほうが、人生は楽しいじゃないですか。そのほうが仕事でも良いアウトプットが出るはずですから。
SmartHR CEO 芹澤雅人さんの場合
クラウド人事労務ソフト「SmartHR」を提供する株式会社SmartHR。登録社数5万社(※1)を超え、この領域ではシェアNo.1(※2)のサービスとして成長を続けている。「人事データをいつでも活用できる」状態をつくり、人材マネジメント領域のプロダクトを展開していく。芹澤さんは前CTOを務め、2022年1月よりCEOに就任した。
※1 SmartHR上で事業所登録を完了しているテナント数(但し、退会処理を行ったテナント数を除く)
※2 デロイト トーマツ ミック経済研究所調べ『HRTechクラウド市場の実態と展望 2021年度 労務管理クラウド部門』
Q:「自分の悪いところ」や「弱さだと思うところ」は?
人より懐疑心がかなり強い傾向にある、ということに最近気付きました。先日、とある経営者向けのパーソナリティー診断を受ける機会があって、「世界の経営者でも上位5%に入るほど懐疑心が強い」と言われたんです。
でも、言われてみたら確かにそうかもしれなくて。好奇心が強くて、人と話すのがすごく好きな一方で、そこで得た情報を鵜呑みにすることはなく、持ち帰って何回も咀嚼しながら、自分の頭で考えるからです。
Q:そんな、あなたの“助け方”、サポートの仕方について教えてください。
経営者として懐疑心が強いのはメリットとデメリットがそれぞれあると思います。パーソナリティ診断でも、懐疑心が悪く働くときは、自分が窮地に陥っているときでもあまり人に頼らない傾向にあると言われました。
そういう傾向があるので、僕から「こいつ何か疑っていそうだなぁ」という印象を受けたとしても、一旦はあまり気にしないでもらえたらと。誰に対してもフラットにそういう気持ちを持ってしまう性質があるんです。
ただ、本当に誰にも頼れていないと感じたときは、「ひとりで悩み過ぎていないですか?」と指摘してもらえると、ハッとできて助かるかもしれないですね。
Q:芹澤さんが「価値を感じること」といえば?
これは会社のカルチャーにもつながると思うのですが、経営者としての僕は大きく分けて2つのことに価値を感じるようです。
まずは、仕事に対して胸を張って誠実に、かつ楽しく取り組めていること。働くことを通したWell-beingが注目される中で、特に誠実さが欠けるとサステナブルではないというか……。だから僕自身も、会社の一人ひとりも、そうありたいんですよね。
もし、Well-beingとは言えない課題が組織に起きている場合は、僕も気付けていないことがたくさんあるので、すぐ教えてもらえると助かります。
もう一つは、成長です。僕自身の原動力は知的好奇心にあって、この世の中には知らないことのほうが圧倒的に多いわけじゃないですか。それを日々一つでも多く知って、成長につなげていけることには価値を感じます。
Q:「我慢できないこと」といえば何ですか?
クリエイティビティに欠けるアウトプットは好まないなぁ、と。ものづくりに限らず、意思決定や物事の判断をはじめ、社内のSlackの発言も含めて、一つひとつのアウトプットにクリエイティビティって波及する余地があると思うんです。
たとえば、今は多くの人がテキストでコミュニケーションを取っていますけど、そこでいかに感情を乗せて伝えられるかは、クリエイティビティがなくては務まりませんよね。
SmartHRのバリューにも「一語一句に手間ひまかける」や「最善のプランCを見つける」がありますが、クリエイティビティや工夫に欠けるアウトプットを投げかけられると、ちょっと悲しくなるというか……我慢できなくて、口出しをしたくなるでしょうね。会社のバリューと自分自身が明確にアラインしているところだと思います。
やっぱり、より面白いものをつくりたい、という気持ちが根底にあるんです。良い製品ができて、世の中に価値が伝えられていくことを、僕は人生においても楽しいと感じる。自分のクリエイティビティが社会につながっていくチャンスが、SmartHRという会社にはあります。それが実現できる以上は、クリエイティビティを尊いものとして扱いたいです。
Goals CEO 佐崎傑さんの場合
フードビジネスに関わる企業の生産性・持続性を最大化する仕組みを目指し、現在は飲食業向けDXクラウド「HANZO」シリーズを提供する株式会社Goals。2022年6月末にはシリーズAで総額15.5億円の資金調達を実施するなど、大きな期待を寄せられている。
Q:「自分の悪いところ」や「弱さだと思うところ」は?
要求や理想のレベルが高すぎる、というところかなと思っています。
自分の特徴を考えてみると、何事も工数などは一旦度外視して、理想の状態から入っていく傾向にあると思っています。例えば、何か課題が発生した際に、自分たちの企業規模・業界などの前提を無視して、「世界のトップ企業はどう解決しているか?」とベンチマークを考えてみます。
だから、メンバーとも「それは本当に理想から考えている?」という問答をよくやります。実際はプレイヤーが現実とも戦わないといけないなかで、その考え方が相手を追い詰めてしまう可能性があることは、常に考慮しないといけないと思います。
Q:そんな、あなたの“助け方”、サポートの仕方について教えてください。
僕もプレイヤーとしての経験は長いので、当然現実と理想は違うものだと理解していますし、現実的な実現可能性を重要視しています。だから、現場のメンバーには、理想までの道のりを分割して、ボトルネックや工数を考えたうえで「現状はこの段階までを実現するのがベスト、今後中期的に理想を実現していく」といった話をしてくれることを期待しています。理想が実現できないのは、個人の問題ではなく会社の問題なので、問題の解決に向けて自分自身がコミットしないといけないと考えています。
やはり組織が大きくなればなるほど、現場の課題感ってわからなくなってくるものですから。現状の課題やフィジビリティについての見方は、僕も常に知りたいんです。それに、理想を実現しようとするアプローチは、みんなで違っていて欲しいところもあります。「佐崎さんは技術のことを全然わかっていない」みたいに、技術的な視点からボコボコに指摘してくれることだって求めています。
Q:佐崎さんが「価値を感じること」といえば?
Goalsのバリューにも結びつきますが、一つは理想から逆算して「できる理由から
考えよう」ということ。それから、これもバリューの「ファクトで語ろう」につながりますが、定量・定性のデータをきっちり使って、みんなが納得できるロジックを積み上げていくこと。あとは、やはりスタートアップは大変なので、ギスギスせずに「仲間を肯定しよう」という姿勢で、褒めたたえることも忘れないことですね。
Q:「我慢できないこと」といえば何ですか?
スタートアップは世の中にないものをつくって、社会を良くしていくことがミッションとも言えるじゃないですか。だから、チャレンジや成長のマインドを持つことが、スタートアップでは前提になると思っていて、それが明らかに不十分な場合は不満に思うことがあります。
ただ、疲れてくると疎かになることは当然あります。だからこそ、常に理想を忘れないようにすることが必要だと思います。
チャレンジし続けるのは大変だし、ともすれば自分を追い詰める要素になるかもしれませんが、無限に時間を使うことが「プロフェッショナル」だとは思っていません。自分がどれだけの時間を使うことができるか、事業の優先順位からどこにコミットするべきかを考えて、目標を明確にする。それを仲間にも理解してもらって、外部環境や現実的な制約の中で実現できる最大限の成果を達成する。
自分自身もまだまだできていないことはありますが、全員が理想を実現するプロフェッショナルな働き方をする会社にしたいと思っています。