ALL STAR SAAS FUNDは、2023年11月9日(木)に東京・丸の内の「JPタワー ホール&カンファレンス」にて、「ALL STAR SAAS CONFERENCE 2023」を開催しました。
第8回目の開催テーマには『SaaSの進化は常識を飛び越える〜Disrupting the Norm〜』を掲げ、転換期を迎えようとしているSaaS業界の現状に迫りました。生成型AIの登場、マルチプロダクト戦略、SaaSネットワーク効果の増大......それらのトピックによって、従来的なSaaS戦略は時代遅れとなりつつあり、ダイナミックな変化を求められてもいます。
様々なスピーカーが登壇したセッションのラストには、ALL STAR SAAS FUNDのManaging Partnerである前田ヒロと、同じくSenior Partnerの湊雅之が登場。2023年のSaaS業界を振り返り、2024年のトレンドを予想しました。
SaaSをこよなく愛する彼らが、SaaS業界の今と未来について語り合います。
※この記事は「ALL STAR SAAS CONFERENCE 2023」のセッションから一部を抜粋・再構成しています
※記事の最下部でインタビュー動画もご覧いただけます。
2023年のSaaS業界は「マッチョな成長」を求められた
湊:ヒロは、2023年のSaaS業界をどう見ましたか?
前田:2023年のSaaS業界は「マッチョな成長」がキーワードだったと思います。2021年までは、資金を投じても成長を重視していましたが、今は「効率的かつ筋肉質な成長」が求められています。
上場株式市場ではもちろん、プライベート市場やVCにおいても、この傾向は明らかです。成長への期待は変わりませんが、マッチョな成長を求めるという意味では、スタートアップへのハードルは上がっていると言っていいでしょう。
湊:そうですね。僕からは、ヒロの言う「マッチョな成長」とは何か、そして日本のSaaS業界にとってどういう意味を持つのかをお話ししたいと思います。
海外、特にアメリカのSaaS市場を見ると、過去1年半の間、SaaSのマルチプルは低空飛行を続けており、2021年2月のピーク時の3分の1まで落ち込んでいます。アメリカの大手上場SaaS企業は利益と成長のバランスに注目し、今年上半期にはレイオフのニュースも多く流れました。今も第2波的にレイオフの話題は続いています。
つまりは、成長のアクセルを緩め、キャッシュや利益を生み出す方針へ舵を切っているのですね。
前田:確かに、多くの企業がすごいスピードでフリーキャッシュを生み出していましたよね。成長モードから利益重視モードへの移行は速く、おそらく6ヶ月〜8ヶ月程度で黒字化をしながら、Rule of 40%(売上成長率と利益率の和が40%以上)を満たしていく。一方で、この事象は「キャッシュや利益を生み出す方針へ舵を切る」と決めれば、即座に反映される意味でポジティブだと感じています。
湊:2008年の金融危機の時もそうでしたが、SaaS業界の柔軟性や適応能力が発揮されましたね。元々高い粗利率を持つビジネスモデルだからこそ、このような変化にも対応できるといっていいでしょう。
日本でもRule of 40%の相関が見えてきた?
湊:現在のSaaS業界におけるアメリカの状況としては、VC投資の冷え込みが顕著です。2021年は圧倒的なバブル状態にありましたが、2022年以降は大幅に減少。日本の市場もこの動向を反映していて、コロナ前と比べてマルチプルは約半減し、完全には回復していません。ピーク時からは4分の1程度に落ち込んでいます。
平均のPSR(Price to Sales Ratio、株価売上高倍率。時価総額を年間売上で割って算出する数値で、新興企業同士の株価水準を判断する場合に用いる)は、実はアメリカとほぼ似た状況になっていますね。
前田:いやぁ、寂しい状況ですね。冷え込みが続いていると。
湊:投資家としては、なかなか心配な面もあります。ただ、この背景には重要な動きがあるんですよ。マルチプルの影響を受けている要因は、財務指標を見るとわかってきます。
日本ではこれまでRule of 40%とPSRの相関はないとされていました。しかし、最近ではこのルールが強い相関を示しています。ただし、これはあくまでも現時点の話です。アメリカでは、利益を出しはじめた企業が、再び成長の道へ戻る動きを見せています。これは日本でも遅れて同様の現象が起こる可能性が高いと考えています。
前田:まさに振り子のような状態ですね。利益を求められていた時期があり、それが達成されたら、再び成長を求められる。このような状況が続いています。
数字から見えてくる、実は魅力的な日本のSaaS市場
湊:日本で上場しているSaaS企業のRule of 40%とPSRの中央値を比較してみると、40%以上のグループの中央値は、全体のマルチPSRに比べて約1.4倍、つまり40%のプレミアムが付いているような状況です。
日本のSaaS業界におけるこのパラダイムシフトが何を意味するのか、アメリカと比較しながら見てみましょう。日本のSaaS企業は、もちろんマーケットサイズの違いも前提ではあるのですが、営業黒字の会社の割合って非常に多いんですね。日本の上場SaaS企業の営業利益率を見ると、トップの会社である「手間いらず」は、営業利益率74%と驚異的です。
アメリカでは黒字の会社が少なく、1番高くてもAdobeで34%。中央値で見ればマイナスです。もっとも、アメリカはフリーキャッシュフローを重視するので、そちらを加味すれば黒字の会社はもう少し増えるかもしれません。ただ、大きな構造としては、日本市場の方が利益を出しやすい状況にあります。
アメリカと日本の市場を、いわゆる「3C分析」で比べると、日本市場の可能性がまた見えやすくなります。ソフトウェア市場において、アメリカは日本よりも4倍の大きさがあり、SaaS市場としては18倍から20倍近くあると言われています。ただ、日本のソフトウェア市場は12兆円にもなり、これは非常に大きな数字です。
さらに、アメリカではSaaSの浸透率が40%程度ですが、日本ではまだ10%に過ぎません。つまり、まだ多くのホワイトスペースがあるわけです。競争環境を見ても、アメリカはスタートアップの数が多く、ある意味ではドラゴンボールの「天下一武道会」やワンピースにおける「新世界」のような場所で、競争が激しい。世界中からもお金と人が集まってきて、VC投資額も日本の40倍ほど離れています。SaaS企業からすれば、競争環境が激しいアメリカのマーケットではセールスやマーケティングコストを増やさなければシェアをとれず、インフレ問題もあって人件費も高騰しています。
では、日本はどうか。日本はまだスタートアップの数がそれほど多くありません。さらに、競争環境もまだ激しくないため、セールスとマーケティングの投資コストは少なく済み、人件費も相対的には安定している。成長の余地が大きく、利益の創出余地も大きいということです。
前田:素敵なマーケットですよね。こういう環境の要素があって、日本のSaaSスタートアップの方が早めに黒字化できている結果にもつながっている。でも、この魅力的な環境を、日本国内で戦っている人たちは、あまり気付いていないようにも思うんです。個人的には、SaaS企業を作るなら、アメリカより日本で作った方が良いのでは、とも感じます。
成長の鍵は、改めて「プロダクト」に尽きる!
湊:成長の鍵は、シンプルではありますが、プロダクトです。売り上げの成長を因数分解すると「単価」と「顧客数」に分かれます。
単価を上げるには「既存プロダクトの価値を高める」「新製品を増やすか」のどちらかです。顧客数を増やすには「新規受注を増やす」「追加受注を増やすか」です。コロナ禍では需要が一気に増えたことで、多くの企業が営業とカスタマーサクセスを増員して、新規受注に注力しました。
ところが、コロナ禍が落ち着きを見せるに連れて、「バック・トゥー・ノーマル」へマーケットが反転してきた。成長の効率で言うと、プロダクトへの投資がより重要になっており、既存プロダクトの値上げも含めた価値向上や、エンタープライズ向けの大規模顧客の獲得が大切です。あるいは、新規プロダクトの開発やロックイン戦略も重要で、追加受注はプロダクトに紐付いています。だからこそ、成長の鍵はシンプルに「プロダクト」なんだと。
前田:プロダクトの重要性は、今回のカンファレンスでも共通して挙げられたテーマでしたね。プロダクトのPMF(Product-Market Fit、市場適合)を早期に達成し、次々と新しい製品を市場に投入し、さらにそれらもPMFさせて、ARPA(Average Revenue per Account、1アカウントあたりの平均売上額)を高め、利益率を上げていく戦略が共通しています。
湊:それだけに、プロダクトオーナーとして、また経営者として、適切なチームを組むことが試されています。2023年はプロダクト戦略が大きく進化した年であり、主に3つの変化があったように考えています。
1つ目は、エンタープライズシフト。日本の上場SaaS企業のビジネスはSMB向けが基本でした。元々、SaaSのコンセプトはSalesforceしかり、予算がなくシステムの恩恵を受けられない人たちに「安く、早く、良いものを提供する」ように生まれました。当然ながらSMB向けにスタートするのですが、やはり効率の良い成長を志向するならば、エンタープライズへのシフトは大事になってきます。
日本企業のソフトウェア投資は大企業が多く、実に全体の8割を占めています。しかし、大企業は全体の0.3%しかいません。やはり効率の良さを考えても、大規模商談を作るためにエンタープライズ市場の攻略は欠かせません。日本のSaaSスタートアップ、例えばMNTSQ、SmartHR、hacomonoなどは、名だたる大企業の利用も増えています。
2つ目は、コンパウンド・スタートアップ。バズワードとまではいきませんが、注目されてきた重要な戦略になっています。LayerXが代表的ですが、この戦略を明確にしている企業も増えてきました。日本では様々な理由でITリテラシーが低い層がまだ多いため、ユーザーフレンドリーなUI/UXが大切です。複数のSaaSを使い分けるのも難しいため、今後も「ワンプラットホーム」の戦略が日本市場では有効な切り口になる可能性があります。
3つ目は、生成AIやLLM(大規模言語モデル)を踏まえた技術的進化です。ビジネスでの利用には精度が必要で、今後は「生成AI」から「合成AI」への進化として、特定のワークフローや業界特有のデータにファインチューンされたモデルが求められています。言わば、これはSaaSプロダクトに近いわけです。
こういった考えは、アメリカの著名VCであるAndreessen HorowitzのKristina Shenさんも表明していますが、クラウドソフトウェアの未来の方向性といえるでしょう。海外ならNotionやCanvaといったプロダクトが生成AIを取り入れていますし、国内スタートアップでもKARAKURIやMNTSQが実際に進めていますね。
2024年のSaaS業界「5大トレンド」を予想
湊:……といった形で、2023年を総括してみました。
前田:いやぁ、変化が激しいですね。
湊:それを踏まえて、2024年の予測をしてみます。大きく5つのテーマがあります。やや自明ではありますが、まとめておくことに意味がある、と思って進めましょう(笑)。
前田:第一に、SaaSの価値を一気に高める「AI as the 2nd ACT」です。技術的革命が起きるときは、通常であればスタートアップにメリットが全て寄っていきがちなのですが、昨今のAIによる革命は、既存のプロダクトにも新しい価値を得られる機会がある、という技術的革命です。
例えば、海外ならFigmaやNotionがAIを導入していますが、国内でもFlyleやLoglassがこの動きに乗っています。ここから新しい価値が生み出されていくでしょう。
湊:第二に、プロダクトのネットワーク効果を創出する「コンパウンド化」です。日本市場の文脈に合った戦略として、LayerXやSmartHRといった企業が増えると思います。
前田:第三に、日本のソフトウェア支出の本丸を責める「ミッド・エンプラシフト」。エンタープライズ市場にアプローチすることが大切とはいえ、いきなり売上高何百億円以上、何千億円以上といった大企業を攻略するのは難しい。
そこで、「ミッド」な層から入っていくシフトはより起きるでしょう。ファーストアカウンティングやLectoが代表的です。これもプロダクト開発がどんどん成熟してきていて、エンタープライズ向けの開発ナレッジが浸透してきた表れの一つかと思いますね。
湊:第四に、Fintechやトランザクションのその先へ行く、「バーティカル ALL-IN-ONE」という考え方。SaaSにFintechやトランザクションをかけ合わせる戦略は、コンパウンド化にも近しい話なのですが、「オールインワン」にもつながる大きな動きになりますね。
前田:第五に、AIとクラウドの浸透で重要度が一気に増す「サイバーセキュリティ」領域。
SaaSやAIは武器になる一方で、敵にもなり得るため、サイバーセキュリティの重要性は今後も高まるでしょう。
「SaaS業界にとっては、最高に面白い時期になってきました!」
湊:では最後に、2024年の展望を述べますね。
前田:2023年は「SaaS冬の時代」なんて言われるように寂しいニュースもあれば、しっかりとポジティブなニュースも多かったと思っています。その中でも、日本が国際的に注目されてきています。海外の機関投資家やVCが日本市場に注目し、投資を行ないたいと考えている傾向が見られるのです。日本のスタートアップ環境の魅力や早期の黒字化などが理由です。
AIの技術的革命によって、新しい機能やARPAを高めるきっかけも多く生まれています。これは逃せないチャンスです。そこで中央値を目指すのではなく、突出した成長を目指すことが重要です。相対的な成長率、利益率、営業効率などが評価されますので、中央値に留まることは避けた方が良いですね。
湊:ヒロの言うとおりで、僕が言うのもなんですが(笑)、「投資家を信じるな」という一面もあるのかなと。投資家は中央値を重視しますが、それは平凡な会社になることを意味してしまう。世の中を変えるような会社を作りたいと考えている起業家にとっては、異なる道を選んで、突き抜けるというのも大事。特に、日本のスタートアップに求められる観点かもしれません。
前田:例えば、eWeLLや手間いらずといった会社が、信じられないほどの営業利益率を達成しています。今までは成長率が全てとされていましたが、営業利益率や営業効率も重要視される時代です。評価される会社の作り方が多様化していることを踏まえても、SaaS業界にとっては、最高に面白い時期になってきました!