2023年11月期の決算において、ついにARR200億円を突破したマネーフォワード。M&Aを含めた新規ビジネスを次々と取り込みながら、非連続的成長と連続的成長を実現し続けてきた、日本でも稀有な一社とも言えるでしょう。
このような強大な成長戦略のためには、何が必要なのでしょうか?「新しいビジネスが生まれる仕組みづくり」や「次の世代を生み出す取り組み」など、思い浮かぶ言葉はあっても、その実践知はまだ見知らぬ人が多いものでしょう。
多くのSaaS起業家が成長の過程でいずれぶち当たる壁。フレームワークもなく、ルールさえない領域で戦い続けるリーダーの実体験から、そのエッセンスを学ぶべく、マネーフォワードのCEOを務める辻庸介さんに、ALL STAR SAAS FUNDでManaging Partnerを務める前田ヒロがお話を伺いました。
【プロフィール】
株式会社マネーフォワード
代表取締役社長 CEO 辻庸介
2001年に京都大学農学部を卒業後、ソニー株式会社に入社。2004年にマネックス証券株式会社に参画。2011年ペンシルバニア大学ウォートン校MBA修了。2012年に株式会社マネーフォワードを設立し、2017年9月、東京証券取引所マザーズ市場に上場。2018年2月 「第4回日本ベンチャー大賞」にて審査委員会特別賞受賞。新経済連盟 幹事、シリコンバレー・ジャパン・プラットフォーム エグゼクティブ・コミッティー、経済同友会 第1期ノミネートメンバー。
責任と権限は一緒に渡してこそ、意味がある
前田:SaaS企業が一定規模を超えてくると、非連続的成長と連続的成長を両立できなくてはならないのではないか、と思っています。その観点でも、今日は辻さんから学べることを楽しみにしてきました。最近ではARR200億円を突破されて、素晴らしい成果ですね。
辻:ありがとうございます。現在、事業としては大きく3つのユーザーセグメントとして、法人、個人、金融機関に分かれています。特に法人部門ではバックオフィス向け、ファイナンス、SaaSマーケティングに注力していますね。
バックオフィス向けサービスのカンパニー内にはそれぞれ本部を置き、社員数は約2,100人となりました。この規模になると、僕一人の力ではとても対応できません。本部長レベルでの意思決定と組織への権限委譲。そして、組織を横串でつなぎながら、規模の経済をいかに働かせて競争優位性を築くか。その両方をいつも考えている形です。
前田:本部長クラスには、どの程度の権限を与えているのでしょうか?
辻:決算や決裁に関する権限は規定に基づいていますが、基本的にはすべて決めてもらって構わないとは思っています。というのも、僕自身の失敗談でもあるのですが……責任と権限について考えるとき、「責任を与えるけれど権限を与えない」というケースが、特に創業社長にはよくあるものです。
それらは一緒に渡さなければいけません。権限がなければ部下は付いてこず、効果的な組織運営はできません。そこで、マネーフォワードでも社員数1,000人を超えたあたりから、責任と権限をしっかりと委譲する体制を整えてきました。
エンジニアリソースを短期的な機能開発に偏らせない
前田:組織を横串でつなぎ、相乗効果を生み出すための取り組みについて、具体的に教えていただけますか?
辻:まず、システムアーキテクチャに関しては、CTOオフィスが横串で連携し、全社的な開発の効率化に取り組んでいます。短期的な機能開発に偏らないように注意しつつ、中長期的な視点で技術負債を解消する努力をしています。開発速度の低下を防ぎ、エンジニアの投入効率も高めるために、センターにリソースをある程度は割り振っています。
現在ならジェネレーティブAI(生成AI)が目下のテーマですね。既存の開発チームが目の前の課題に集中してしまうのは、それはそれで正しいことだと思いますが、やはり中期的な視点も必要です。テクノロジーこそがレバレッジだと捉えていますから、マネーフォワードでは「Money Forward Lab」を設けて、OCRやLLMの研究などを進めています。
先ほど「中長期」という言い方もしましたが、まだ「長期」までの余裕はないですね。組織の目標設定と組織を分け、「中短期」でやるべきことに取り組んでいる形です。
前田:なるほど、テクノロジー面での共通化が進んでいるんですね。
辻:CTOが全体を見ています。現在のCTOはインドに赴任していますから、リモートで管理しています。僕らの開発拠点は、東京、名古屋、大阪、京都、福岡に加えて、ベトナムに2箇所、インドに1箇所あります。インドの拠点立ち上げは特に難易度が高いと考え、僕かCTOが駐在しようと決めたのですが、CTOが担ってくれました。
新規事業を立ち上げるときのルールと備え
前田:新しい事業を立ち上げる際の基準やポイントについて教えてください。例えば、クロスセルできるプロダクトを中心に事業を作る、マネーフォワードなりに持っておきたいテーマや主軸を大事にする、といったような基準はありますか?
辻:まずは当社のビジョンに即しているかどうか、です。なぜ僕らがビジネスを行なっているのか、何のためにそれをやっているのか。ビジョンに即していない領域は手を出しません。これが一番の基準です。
正直に言うと、ビジョンに即していないけれど、ものすごく伸びるであろう魅力的な領域があるものです。ただ、できるだけ自制しています。
マネーフォワードのビジョンは「個人や法人すべての人のお金の課題を解決」することにありますから、確かに領域は広く取りがちです。新規事業もプロダクトレベルであれば、ディスカッションしながらですが、各事業部が広げてくれることもあります。大きな投資が必要なときや新しい領域に関しては、トップダウンで進めることも。
前田:トップダウンの場合は、どういった編成で臨みますか?
辻:「社長室」の直下に数人のチームを作って、仮説を検証します。開発するのはソフトウェアなので、ビジネス1人、エンジニア2人、デザイナー1人という4〜5人がいれば、ひとまずは出来上がりますからね。そのチームと僕が週1回ほど壁打ちしながら検証して、だめなら解散になることもありますし、うまくいけばさらに事業部へ渡していきます。
前田:新規事業チームの編成で、特に重要視しているポイントはありますか?
辻:すごく難しい課題で、過去にはプロジェクトがうまくいかずにチームが解散し、メンバーが辞めてしまうということもありました。一生懸命に取り組んだことがうまくいかないと、やっぱり心が傷つくじゃないですか。そもそも、新規事業は基本的に成功しにくいものです。不安定さを受け入れ、変化に抵抗しない人が必要です。
一つの方法として、「Five Factors and Stress(FFS)」という性格診断を行ない、特性に基づいてメンバー構成を考えたり、コミュニケーション方法のすり合わせを行なっています。この診断は、人間の特性を5つの因子に整理します。凝縮性、受容性、弁別性、拡散性、保全性という、それぞれの因子の多寡と順番によって、個性を理解しようとします。
例えば、凝縮性と保全性が高い人は連続的成長に向いていますが、拡散性が高い人は新規事業や新しい挑戦に適しています。ただ、組織が大きくなるにつれて、拡散性の高い人は減少傾向にある。拡散性が高い人の多くは、凝縮性や保全性が高い人とぶつかりやすいんですよね。だから、そういった人材が活躍する方法や場所は、社長である僕自身も意識的に考えるようにしています。
マネーフォワード流の「3つのM&A戦略」
前田:マネーフォワードはM&Aも推し進めていますが、自社で開発するか、企業を買収するか、その決定はどのように?
辻:ケースバイケースではありますが、M&Aに関しては3つの戦略を持っています。
1つ目はプロダクトラインナップの拡充。2つ目は地理的なTAMの拡大。3つ目は事業領域の拡大です。
前田:2つ目はアメリカやインドネシアといった諸外国を含む、リアルな地理的拡大ですね。3つ目はスマートキャンプをグループ化したときのような例ですか。
辻:そうです。M&Aの際に最も合理的、あるいは継続的なのは、1つ目の拡充だとは思うんです。そこで、M&Aで取り込むのか、自社開発でプロダクトを提供するのか、という点はいつも議論しますし、実際のところは「自分たちで作れる」と判断はできるのです。ただ、事実として「なぜ今まで作っていなかったのか」と考えれば、それは優先順位が低かったからです。社内的には、優先順位の高いところへリソースを突っ込みますから。なので、「作れるから」という理由は、M&Aは選択肢としてとらない、という考え方はやめた方がいいかなと個人的には思います。
また、そういったプロダクトが現状で必要なのか、プロダクトやマネージメントチームのクオリティはどうか、といったことを総合的に評価して、自社開発かM&Aかを決めています。
前田:M&Aは、なかなかプランニングがしにくいものですよね。「来年度は10社を買収します」といった計画も作りにくいですから。その上で、M&Aに際して「決めていること」はありますか。
辻:これが正解なのかはわかりませんが、僕らはかなりの数、M&Aを見送ってもいるんです。何より、マネーフォワードグループにジョインしてもらって、その企業が幸せになれるか、成長を加速できるのかどうかが大事じゃないですか。
例えば、「僕らのセールスパワーを使って売上が大きく増える可能性があるのか」といったシナジーの話もあれば、マネージメントのクオリティやカルチャー、ミッションの適合性も重要です。当然、僕らは上場企業ですから、バリュエーションも厳しく見ます。
これは案外に見落としがちなこととして、特にM&Aでは買収する企業の規模を問わず、トップマネージメントのリソースを大きく消費します。僕をはじめ、CTOやCFO、事業責任者といった関連するトップたちのリソースを投資するだけの価値があることなのか。それを考えると迷うことも実際にありますね。
非連続的な成長のために、M&Aで得られる「人」の価値
前田:買収企業の規模は考慮しますか?
辻:プロダクトラインナップやユーザーへの提供価値に必要な場合で、自社で開発できない場合ならば、企業の規模に関係なくM&Aは進めますね。
本音を言うと、M&Aは時価総額の向上だけを目的とはしていないんです。もちろん、それは株主への責務であるので当然考えるのですが、結局はユーザーへの価値提供を上げないと、結果も付いてきませんから。
そして、ユーザーへの提供価値には「短期的」と「中期的」の両方がありますよね。もし、短期的価値だけを重視するなら「ARR30億円以上でないと難しい」といったように考えるでしょう。しかし、M&Aにはマネージメントにジョインしてもらうことで、彼らから得られる経営的な知識や経験も大きな価値です。すぐ数値には表れずとも重要なのです。
例えば、元クラビス取締役・CFOで、2017年にグループに参画してくれた竹田正信さんが、今当社のバックオフィス向けクラウド事業のCOOを務めています。連結子会社となったR&AC創業者の高山知泰さんは、20年近くにわたって債権管理・入金消込システムなどを作ってこられて、業界知識も豊富です。僕らがミッドセグメントを攻めるときにも、たくさんの有益なアドバイスをくれましたし、それが成長の大きな要因にもなった。特に「人」の価値は計算し尽くせないものがあります。
前田:非連続的な成長を望むのなら、そういった起業経験者は強い力になりますよね。
辻:そう思います。非連続な成長を実現する人材は希少で、マネーフォワードにも10人もいないのではないでしょうか。アメリカの「コンパウンドスタートアップ」を掲げるRipplingのMatt MacInnisのセッションでも語られていましたが、彼らは買収でそういう人材を獲りに行っていましたよね。
前田:実際のところ、そういった人材を育成することは可能だと考えますか?
辻:なかなかに難易度が高いことかと思います。性格と興味が大きく関わってきますから。サービスレベルではある程度は育成可能ですが、事業レベルになると難易度は格段に上がります。
0から1を生み出す人と、10から1,000へ成長させる人は全く異なります。0から1ができる人をチームにどれだけ取り込めるかは難しいですが、非連続的な成長には欠かせない。できそうな人材を僕の直轄で持ち、チームを作ることもありますが、なかなか教えられるものではないな、と。
取締役会はインタラクティブかつ本質的な議論を
前田:取締役会の構成やアジェンダについて、辻さんの考えを教えてください。
辻:取締役会で大切にしているのは、新しい視点を持つ経験豊富な人々から意見を聞いて、自分が見落としているポイントを見つけることや意思決定のクオリティを上げること。CEOのタイプにもよると思うのですが、僕は「言われたい人」なんですよ。
例えば、社外取締役の田中正明さんは、三菱UFJフィナンシャル・グループの代表取締役副社長やユニオン・バンクの頭取兼CEOも務められ、モルガン・スタンレーの出資もリードされたご経験がある。「経営」で言えば、スタートアップのそれとはレベルが違うんですよね。
他にも、SaaSビジネス、人事、技術といったプロフェッショナルな方々で取締役会は構成されています。自分たちよりも大きな組織を率いたり、先端をいくご経験があったりする方に加わってもらうのは、そういう意味でも価値が大きいです。自分の視座を上げてくれ、困ったときにも引き出しが多い人がそばにいるのは、経営としてショートカットできることも増えます。
僕自身は取締役会を形式的なものにせず、実質的な議論が最大限できるような場づくりを目指しています。書面だけで判断が可能なものはメールなどを活用し、説明時間を設けずに質疑応答を行ない、アジェンダに「協議事項」や「相談事項」を必ず入れて、議論する時間を増やしています。プラスして、「CEOレポート」という僕が考えていること、思っていることを共有しています。各事業部のトップも現状を簡単に説明した上で、インタラクティブかつ本質的な議論ができる時間を持とうと。
アジェンダ設定についても、田中正明さんが議長を務めてくださる「社外役員協議会」があり、社外取締役と社外監査役だけで「現在の取締役会で本当に議論すべきことは何か」「執行部に伝えるべきことはあるのか」といった議論を踏まえて、提案してくださいます。取締役会はいつも緊張しますが、意義深いものだと思っています。
「ヒト、モノ、カネ、情報」をどのようにマネージするのか
前田:ARRが100億から200億に増加する過程で、特に大きく変わった点はありますか?
辻:実際に改めて振り返ってみると、創業した2012年から無我夢中でやってきて、ARRがARR50億円を超えたのは2019年の3Qでした。その後、ARR100億円が2021年の2Q、ARR150億円が2022年の3Qです。つまり、ARR50億円まで増やすのに約7年かかっているのに、そこからARR100億円までは約1年9ヶ月、 150億円までは約1年3ヶ月、200億円までは約1年とスピードアップしてきたわけです。
従業員数もこの2年間で800人ほど増えて、約2,100名です。EBITDAのグラフを見るとわかりやすいのですが、2021年初めに黒字化したところで、再度アクセルを踏みたいと考えました。2017年に株式上場、2021年3Qには315億円を調達しました。まずは「グロースを生むためのストーリー」を作り、それが明確になったからこそ、資金調達とダイリューションを厭わずにやったのです。
もちろん、プロダクトを磨くのはマストですが、僕は「ヒト、モノ、カネ、情報」をどのようにマネージするのかに尽きる、と思っています
前田:その決断をしたときの背景は何だったのですか?
辻:元々がSMB領域からスタートし、SMB市場でナンバー1になったのですが、さらに成長を続けた顧客のニーズに応えられなくなっていったんですね。元々の顧客だった企業が規模を拡大していくと、僕らのサービスでは機能が足りずに切り替えられることがあった。それは悲しいことで、それならばミッドセグメントにも提供できるようになろうと。
これからどんどんスタートアップも増えていくし、成長企業も増えていきますから、そういったユーザーさんと一緒に成長していけるならば、やるべきだと考えたんです。
「全産業がSaaS化する」未来に向かっていく
前田:SaaS業界の変化について、過去10年と今後10年で、どのような変化があると思いますか?
辻:創業した2012年頃は、最後に残っていたB2B SaaS領域には大きな空白がありました。僕らはラッキーだったと思います。今は、ホリゾンタルSaaSから、バーティカルSaaSの領域を深掘りして、さらにFintechも加えて深めていく戦い方がありますよね。さらに、生成AIの影響で新しい領域が出てくる可能性もあります。
僕は「全産業がSaaS化する」と思っていて、興味はディープテックやFintechを組み合わせたビジネスにあります。あるいは、量子コンピューターや核融合などの技術がポイントになるかもしれない。そこがSaaSの次の大きなマーケットになると思います。ただ、DXだって、まだまだこれからでしょう。
前田:まさにAIによって市場がさらに拡張し、新たなチャンスが生まれると思います。僕らも同じ目線で見ていると感じますね。
辻:だから、僕としてはもう一度、起業したいくらいですよ。
最近は周りの経営者が会長になっていることが多いですね。それくらい、長い間続けるのは難しいのだろうと。常にパッションを持ち続けながら、自分自身も成長し、会社の成長に合わせて役割を変えていかなければならないし、苦手なことも克服し、適切に権限を渡す必要だってあります。僕もその点で常に、四苦八苦、試行錯誤しています。
この流れの速い業界で「60歳代の社長」というイメージはあまりないですし、事業が大きくなるとビジネスポートフォリオのマネージメントに役割が変わるかもしれない。社員2,000人、5,000人、1万人の企業でも社長の役割は全く違うので、意識して変えていく必要があります。役割が合わなくなったら、辞めるべきだと思います。
まぁ、ミニ版ではありますが、イーロンマスクみたいなことをやりたいですね。
前田:おお、新しい事業をはじめる可能性もあると。何をされるのでしょうね?
辻:なんだろう。でも、そのときは投資してくださいね。
前田:もちろんです(笑)。辻さん、今日はお忙しい中、ありがとうございました。
※この記事は2023年11月9日に開催した「ALL STAR SAAS CONFERENCE 2023」のセッションから抜粋・再構成しています。