今、日本企業は競争力の向上を求められています。2023年3月末に東京証券取引所が公表した「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応等に関するお願いについて」では、日本企業に対して株価や利益率改善の期待が寄せられています。
SaaSは日本の生産性や競争力をアップデートしていくビジネスの一つであり、そのプロダクトを企業に導入する実績を、より増していくことの重要性が浮き彫りになっています。一方で、SaaSベンダーにとっては、自社プロダクトの販売や導入に至ることができず、業績を高めることができない課題にも直面しやすくなっています。
特にエンタープライズ領域を攻めるスタートアップほど、顧客理解をもとにプロダクトをフィットさせられるような、営業パーソンとして「売り切れる力強い人材」を求めています。では、優れた成果を出す「トップ営業」は、いかなる特徴を持ち、どういった点を意識して営業活動をしているのでしょうか。
ALL STAR SAAS FUNDのメンターであり、BtoBセールスのプロである向井俊介さんに、その知見をお借りしました。向井さんは外資系企業の営業職のトップ営業としてキャリアを築かれ、その後は経営者としてだけでなく、法人営業アドバイザーとしても活躍。また、自身の営業理論を構築するべく、大学院で研究活動にも勤しまれていました。
ご自身の経験に加え、多くのトップ営業へのインタビューを通して見えてきた共通項とは?聞き手は、ALL STAR SAAS FUNDで、投資先開拓や支援に従事する、Senior Associateの佐伯裕人です。
トップ営業=一時的な売上記録を持つ人、ではない
佐伯:まずは、現場で日々、提案やコミュニケーションに奔走する営業の方々にとって、目指すべき一つの姿といえる「トップ営業」に近づくための考え方などをお聞かせください。向井さんはどのように定義されていますか。
向井:トップ営業が「何を意味するのか」という視点から考えてみるといいでしょう。
トップと呼ばれるくらいですから、それだけ多くの買い手から支持を得ているということです。言い換えれば、多くの人々との合意形成を経て、結果として数字が上がってきたと捉えられます。「この製品は良いね」や「これは我が社に必要だね」と評価を得て、ときには「あなたが言うなら」といった関係値でもって、契約に至ることもあるでしょう。
それを踏まえると、トップ営業の大切な要素は、「売る」という結果に至る手前のプロセスで、顧客に対してどれだけ真摯に向き合い続けられたのか、だと私は思うんです。
また、一口に「トップ営業」といっても、その人材的な市場価値は、全員が必ずしも高いとは言えないかもしれません。例えば、10人の組織と1,000人の組織では、同じ「トップ営業」であったとしても市場での影響力が全く異なることは明らかですよね。
そこで「トップ営業とは何か」と問われたなら、私は「一時的な高い売上記録」よりも、「継続的に結果を出し続け、それを支える営業活動のプロセスが成熟していること」を指す、と答えるでしょう。
佐伯:向井さんはアドバイザー業務と並行して、自らが持つ営業の知見を体系化しようと社会構想大学院大学へ進まれましたよね。大学院での研究成果として、トップ営業の共通項といった発見はありましたか?
向井:大学院で営業の研究を行なっていたとき、インタビュー対象となったトップ営業と呼ばれる人々には、確かに近しい考え方が見られました。
彼らは「売るという行為」や「売上目標の達成」に対する執着はそれほど濃くなく、「目の前の顧客を良い方向へ導く」という発想が圧倒的に強かった。つまり、結果として、彼らはトップ営業だったわけです。
特にSaaSというビジネスモデルにおいては、トップ営業が持つべき概念として、まずは購入した顧客が商品によって満足すること。それにより、営業パーソンと継続的に関係性が築かれ、新たな課題が出てきたときにも、良好なパートナーシップのもとで解決に図れること。そして、その状態をどれだけ多くの企業と築けるか、だと思います。
目標達成と顧客理解のバランスは、「量」あってこそ
佐伯:インサイドセールスやフィールドセールスは、達成すべき予算や目標が定められていることが多いものです。一方で、中長期的に顧客との関係を続けていくためには、顧客の課題を整理し、その解決を目指さなければなりません。目標達成と顧客理解、この2つのバランスがとれた営業になるためには、日々の習慣を含めて何に気を払うべきでしょう?
向井:一言で表すならば「量」です。自分たちのプロダクトを売ろうとする行為は、お客さま側から見ると自己中心的に映ることがあります。ただ、よくあるビジネスシーンの一部ですから、お客さまは感情を公にされることは少なく、代わりに「検討します」という答えにつながるわけです。
でも、本当に検討するとは限らないですよね。なぜかといえば、今、このタイミングで、プロダクトによって改善される経済合理性のある理由や論理的な納得感が自分の中にないのに「買おう」とは思わないじゃないですか。
だからこそ、営業という職種の存在意義があるともいえます。お客さまはどこを目指していて、何で困っていて、問題を抱えているのか。どの問題を、どういった順番で解決すれば良いのか。複雑化する現代で解決がより難しくなった諸問題を、一緒に解きほぐしていくプロセスを担えるのが営業なんです。
目標達成と顧客理解のバランスについて、基本的な考え方としては、まず関係性を少しずつ築いていくことからはじめるべきです。一方で、数値目標を達成するためには、量を担保するしかありません。確率論で考えると、契約の確率がある程度は一定とすれば、「お客さまとの出会いの絶対量を増やす=分母を増やすしかない」というシンプルな考え方です。これはインサイドセールスでもフィールドセールスでも共通の意識となるでしょう。
佐伯:そうですね。向井さんのお話は、創業期のスタートアップのCEOが行なう動きとしても重要な考え方だと感じました。仮説を立てて検証する際も、ヒアリングする量を増やして、自分の仮説の確度を検証する。そして、的が外れていたら次の仮説を立てるという流れです。そこでの「量」や「スピード」も重要ですから。
営業プロセスの標準化の前に......「初回ミーティング」にもっと注力を!
向井:SaaS業界の「悪しき」と言っていい特徴の一つとして、プロダクトそのものが効率化を実現するものであるがゆえに、自社のビジネスプロセスや営業プロセスも効率的であるべきだ、という考え方が色濃く見られます。
営業活動においても「量」の担保は、一歩引いてみれば効率的ではないでしょう。良質なリードを低いCPAで取得し、少ないコミュニケーションで商談化し、真剣な提案でクロージングする......そういった理想的な営業プロセスを効率化の名の下に追い求めすぎて、結局は「顧客がいない」という状況が生まれてしまう。「SaaSあるある」かもしれません。
デジタル化による効率性と生産性の向上を追求しているが、それが自身の営業活動にも影響を与えてしまっているのです。私は「効率的に動くこと」と「戦略的に動くこと」は別物だと考えています。
佐伯:どう違うのでしょうか?
向井:例えば、営業戦略について問われたとき、多くのマネジメント層の人々が明確な答えを出せません。「営業戦略とは何を指しているのか」を理解できていないと捉えられる方がとても多いです。
営業戦略がある程度形成され、顧客となる母数がそれなりにいて、それに対してペルソナやカスタマージャーニーマップが作成されると、How(方法)が見えてきます。そのHowを行動量によって検証していくことが必要です。PMF(Product-Market Fit)までは、それの連続でしょう。
PMFが達成されると、マジョリティ層を獲得できるようになります。マジョリティ層を獲得した後は、効率化を追求してスケールアップする方向にシフトしようとします。しかし、そこで効率化や型化といった標準化を追い求めるには、リソースの投下としては早すぎるのではないかと思います。
佐伯:「早すぎる」と考える、向井さんの観点を教えてください。
向井:かつて外資系のスタートアップで働いていたとき、常にプロダクトがある状態から営業がスタートしました。ただ、本国とは距離も体制も違いますから、日本から営業活動などで得られたフィードバックをしても、反映されるまでには時間がかかります。実際はプロダクトはあまり改善されることはありませんでした。
そうなると、売り方や営業プロセスを工夫するしかなかったのです。正解がない状況下で様々なストーリーやプロセスを試しました。ジョブごとの評価制度を調整し、現場やお客さまと膨大なコミュニケーションをしながら、形作っていく。そうして、大きくスケールするタイミングで、やっと自社らしい営業の方法論を固めていったんです。あまり最初のうちから「きれいにやりすぎない」というのも大事だと考えています。
なにしろ、大量の新規顧客に会うのは現在の日本では難しくなっています。そのため、先週・先月会った人に再会するシーンを作り出す必要があります。
佐伯:どうすれば2回目以降のアポイントメントを取りやすくなりますか?
向井:初回ミーティングのゴール設計を、なあなあにしないことです。第一印象や初回ミーティングの印象は後々、重要になってきます。多くの営業は「次にどのような話をすれば顧客が喜ぶのか」とか、「どのような話をすれば相手の役に立つのか」とかいった必要な情報を得られないまま、初回のミーティングを終えてしまう。
なにしろ、初回ミーティングで自分のことを伝えるのに満足して終える人が、すごく多い。プレゼンテーションも一方的で、概算金額を含めて提案を差し出すことが、「顧客体験の良い初回ミーティング」とは言えません。顧客から見るとただのセールストークをひたすら聞かされているという状態なのでは?と思って欲しいですね。
フィールドセールスの提案力を問題とする以前に、営業プロセスに改善点があるのではないかと考えます。多くの営業マネージャーやフィールドプレイヤーは、この視点を持っていない。逆に言えば、成長の余地がある点だと私は考えています。
そもそも商談相手ではなく、「人」としてコミュニケーションできているか?
佐伯:なぜ、相手の立場になってコミュニケーションがとれないのでしょうか。数字を追うことに過度に焦っているからなのか、それとも他に理由があるのか。
向井:商談の際に、企業や業界、ビジネスについては調べていても、問題はお相手の人に対する興味が持てていないことです。向き合う人に自分がいかに役立てるのか、この人をどのように助けることができるのか、といった観点にフォーカスを合わせることが、特に初回のミーティングでは重要です。
これは私の大学院での研究からも明らかになったのですが、数値達成を継続的に達成している優秀な営業パーソンたちの共通認識でした。彼らの思考や行動に「どうやって売るか」という視点は一切含まれていません。また、売ることを目的としたコミュニケーションや資料の構成を考える人も全くいませんでした。
彼らのエネルギーと興味は「目の前のこの人は何に困っているのか、どうなりたいのか、どう助けることができるのか」だけに注がれています。これらがトップ営業マンの特性なのかは定かではありませんが、一つの特徴として挙げられます。私としては、声を大にして伝えたいポイントです。
佐伯:面白いですね。世の中にはたくさんのフレームワークがあり、それらを読み解きながら、お客さまとコミュニケーションを取るのが最善だと考えることもあります。しかし、フレームワークの前に、もっと大切にすべき要素があるというわけですね。
向井:とても難しく聞こえるかもしれませんが、実はプライベートでは、ほとんどの人が実践できていることでもあるんです。例えば、初対面の人と友達になりたい、あるいはそれ以上の関係になりたいと思っていても、直接的に「僕と付き合いませんか?」や「私は料理も上手で背も高いんですよ」なんて、すぐには言わないですよね。
その人が何を好きなのか、普段どのようなことをしているのか、どこに行けば気分がリフレッシュできるのか、週末は何をして過ごしているのか……と興味を持ち、知りたいと思うから質問するのです。そこから共通点を見つけたり、相手の悩みがわかれば、自分がその人と関係性が深まるかどうかは関係なく、その人のために良い提案をしたくなるはずです。自分の考えを伝えたり、解決するための良い道具や優れた知人を紹介したり。
しかし、営業の場面になると、この能力が突如失われてしまう。おそらく、相手を「人」として見ていないからではないかと思います。相手を企業や組織として認識し、その結果、無機質な会話になってしまうのではないかと。私が言っていることは実はそんなに高度な話ではなく、みなさんが素のままの個性を活かして、目の前の人と良好な関係を築きたいと思うところからスタートすることが大切だと思っています。
営業という下心は見抜かれて当たり前。ただ、見せ方は人それぞれ
佐伯:トップ営業の特徴ともいえる「目の前の相手に役立ちたい」という志向は、自己の損失を度外視して、他者の利益へ全力を注ぐ意味では「無償の愛」とも言い換えられるように思います。確かにプライベートであれば、好意をもった相手を口説くようなことは自然な行動だとみなされそうです。ただ、仕事となると自己の損失や利益も天秤にかけざるを得ない。なぜ、真の意味でのトップ営業とされる方々はビジネスの世界でも「無償の愛」を体現できているのでしょうか?
向井:結構、単純な話だと思います。私自身もそうでしたが、実はちゃんと下心があるんです。でも、それを表に出すか出さないかだけの問題です。お客さまからすれば、何を言われても「営業であること」はすでに認識しているわけで、どれほど隠しても見抜かれてはいます。
ただ、見抜かれていたとしても、下心の「見せ方」は営業パーソン次第です。「私も営業なので、どこかであなたの会社とビジネス上で関わりたいのですが、今日はそんなつもりで来ていませんので、ご安心ください」と最初に言ってしまうのも手です。下心をすぐに表に出すことが、かえってわかりやすくて潔くて良いと捉える人がいる一方で、好ましくないと感じる人もいる。「どちらのほうがマイナスになるか」を合理的に考えてほしいんです。
特にエンタープライズの場合は、本当に営業慣れしています。だからこそ「この人はちょっと違うな」「この人と話す時間は他社の営業よりも有意義だな」と思ってもらえるようにすることも、自分自身の考え方のパターンの一つとして持っておくべきでしょう。
他にも、会議の目的や期待値を最初に確認することも大切です。「今日はこれらの話をするつもりですが、特に気になる点はありますか?」と相手の興味にフォーカスした会話をはじめることが重要です。繰り返しますが、下心が見抜かれるのは問題ではありません。あなたは営業だとわかっていますから、下心を隠さずに「いずれ売り込みたいとは思っています」と、会うことが単なる時間つぶしではないと牽制しておくのも、一つの手段ですね。
佐伯さんの言葉を借りるなら、「無償の愛」とは考えていません。結局のところはギブ&テイクの関係なのですが、「ギブ&ギブ、&ギブ、&ギブ、&テイク」くらいにギブは多い。どこかで絶対にテイクできると思うから、ギブもできる。だから「無償」ではないんです。逆に言えば、どれほど何かを与えても、それが投資として利益をもたらす見込みがない場合はギブを止めるべきです。ビジネスである以上、その判断も必要です。
それゆえに、ターゲットリストの更新は、どの会社でも行なうべき重要なセールスオペレーションです。自分たちの営業リソースを投下すべき対象が「本当にこのターゲットで良いのか」を定期的に見直して、データに基づいて検証し、リフレッシュすることが大切です。そうでなければ、まさに「無償の愛」になってしまうでしょう。
成果目標・行動目標に続く、第3の目標「意義目標」を説明できるか
佐伯:向井さんが思うトップ営業が持っている視点や価値観について、もっと詳しくお聞きしたいです。他にも印象に残ったエピソードがあれば、教えていただけますか。
向井:トップ営業の共通点は「知的好奇心が高い」ということです。必ずしも学問的な知識を求めるだけではなく、自分が知らないことや経験したことがないことに対する好奇心も含まれます。
トップ営業ともなると、自然と交友関係が広がり、様々な人と関係を築きながらビジネスを展開します。私の周囲にいる優秀なビジネスパーソンは、自分が知らないことに興味を持ち、新しい経験を積むことを恐れません。自分自身のスタイルを持ちつつ、興味を持ったことは自分で試したり、他人がお勧めする本をその場で購入してすぐに読みはじめたりなど、主体的に行動します。
また、特にSaaS業界では顕著ですが、自分の仕事に意義を持っている人が多いですね。これは成功の必要条件の一つだと思います。そして、その意義を他人に堂々と語ることができるのも、トップ営業の特徴といえます。
麻野耕司さんが書かれた『THE TEAM 5つの法則』でも述べられているように、基本的に営業パーソンは、成果目標と行動目標を会社から設定されます。行動目標は、目標達成のためにどれだけの行動が必要かを逆算して設定します。ただ、課せられた目標に対して、異議を申すような意見って、基本的に出ないですね。
この本でも重要だと触れられていますが「意義目標」と呼ぶものがあります。「自分が何のために、どういった意義を持ってこの仕事をしているのか」という目標で、会社のビジョンやパーパスと大きく乖離しない方が望ましいですが、他人からとやかく言われる類のものではありません。
トップ営業と言われる人々、つまり継続的に成果を出している営業の人たちは、この意義目標を持っていることも必要条件の一つだと思います。それぞれが「何のためにこの仕事を選んだのか」「何を達成したいのか」という“WHY”の部分について、自分自身の言葉で説明できる状態になっています。
「欲求」の理解が、これからのピープルマネジメントには欠かせない
佐伯:向井さんが数多くの営業パーソンと交流されてきた中で、知的好奇心の他にも、共通するものがあるとすれば何でしょうか?
向井:「欲求」ですね。ただし、欲求は人によって求めるものが大きく異なり、その多様性がピープルマネジメントの必要性を生んでいます。承認欲求、経済的な豊かさ、社会的な地位、マズローの言葉を借りれば他者承認を超えた自己実現、パートナーから認められたい、亡くした親への誇りを示したい……など、みんな等しく何かしらの欲求を持っています。
それぞれの人が持つ欲求が強いことは、成功しているビジネスパーソンに限らず共通していますし、欲求を満たすことは一つの大きなモチベーションとなっています。欲求を満たすためには、ある程度の成果を出せなければなりません。そこにこそ、継続的に成果を出せるような一流の営業パーソンになるための分かれ道があります。
営業パーソンにおいて、お客さまが購買することは手段でしかありません。「何のために購買するのか」という目的に対して会話を展開できる人は慕われ、継続的に支持されて、仮に転職したり業界が変わったりしても信頼関係を築き続けられる。そして、優秀な営業パーソンは「売ること」もただの手段であることを理解して、「お客さまが何を目指しているのか、何がどうなったら嬉しいのか」に最も興味を持ちます。
だから、結果的に成果がついてきて、欲求も満たされるわけですね。「売ることに対する捉え方」が全く違うというのが、優秀な営業パーソンの共通点になってきます。さらに言えば、売ることを目的に営業活動をしている人は、継続的かつ同じ人へ商売を続けることは難しいでしょう。
佐伯:お話を聞きながら、昨今のSaaSスタートアップ業界を俯瞰して見ると、コミュニケーションやメッセージングが欲求を感じないというのは納得させられました。あるいは、個々人に欲求があっても、それが深遠でなかったり、希薄であったりするのかもしれません。こういった現象はなぜ起こり、またマネジメントはどう変化すべきですか?
向井:その理由は何でしょうね……一つ思い当たるのは、ここ10年間、盛り上がりを見せるスタートアップ業界では多くの人がソーシャルグッドについて考えているようです。一方で2010年頃の起業家たちは、ソーシャルグッドよりも自社のビジネスがどれほど成長するか、いかに自分が豊かになれるかを重視し、それが褒め称えられていたようにも思います。
近年、特にSaaSスタートアップの現場では、驚くほど清廉なプレゼンテーションを聞くことも増えてきました。とてもピュアに社会のために頑張ろうとする姿勢がうかがえます。もちろんそれは悪いことではないのですが、その空気感や作法が浸透してしまい、各個人が自身の欲求を表現する機会も失われてしまったのかもしれません。
結果として、表向きは企業の目指すパーパスやビジョンと自分の欲求を無理やりにでも一致させるのですが、実際の欲求とはズレが生じてしまうという現象が起きているのではないでしょうか。
だからこそ、この状況を捉えることがマネジメントでも重要な部分となります。ビジネスマネジメントは理論に従って進めていけば良いのですが、本当に難しいのはピープルマネジメントです。その人がどのような意義や欲求を持ち、モチベーションスイッチになるものは何か。これらを素直に話すのが難しい環境が、今のスタートアップ業界、特にBtoBの業界には存在するのではないかと、佐伯さんの話を聞いて思った次第です。
佐伯:しかしながら、会社や社会への貢献をモチベーションにできる人材は、とても良いメンバーとも言えるはずですが。
向井:個々の数字よりも、会社全体のレベルを上げることに全力を尽くすというモチベーションを持つ人がいるならば、とてもマネジメントしやすい存在です。ただ、すべての人がそのような思考を持っているとは限りません。
それなのに、マネジメントや経営者が「メンバー全員がそのような考えを持っている」と仮定してしまっている、とすれば問題でしょう。事業の成長に全力を尽くし、目標達成に向けて全力疾走してくれると思い込んでしまうのは、おそらく不適切です。なぜなら、私たちは人間であり、それぞれ異なる欲求や意義を持つことには変わりないからです。
例えば、「給料が上がる」と言われたら、インフレ化する資本主義社会の中であればなおさら、基本的には誰もが喜ぶはずです。そこで内省すべきは「なぜ今、私たちは給料やポジションが上がると言われて喜んだのか」だと思います。
どれほど忙しくても、自分を振り返って「なぜ、そのように考えたのか」を知るための内省は、アンラーニングの過程においても重要です。アンラーニングという概念は現代社会でよく言われますが、欲求というキーワードとも切っても切り離せません。
自分が何の欲求を持っているのか、それを堂々と公言する必要はありません。ただ、自覚することは大切だと思います。テクノロジー業界はビジネスライクになりがちですが、人間味を保つため、特にマネジメントのコミュニケーションの中では、欲求を意識することが一つのポイントになるでしょう。
ヒトが働く理由を考えるほど、「感情」との向き合い方は価値を増す
佐伯:内省という習慣を身につければ、自分の意義や成果を見直すためのPDCAサイクルも回るはずですね。また、振り返りは業務だけでなく微細な感情も見る必要がある。感情を無視してはならないと、向井さんとの話を通じて強く感じました。
向井:特に自分の感情は必ず把握しておくべきです。例えば、私はミーティングの時間が3回続くと、だんだんと感情が薄れていくことを知っています。そういうスケジュールが入るときは、前後に必ず30分の休憩を入れるようにしています。
相手の理屈だけを聞くのであれば、わざわざオンラインミーティングやディスカッションをする必要はありません。対話において「感情の交換」はとても大切です。緩急をつけたコミュニケーションで、強く言うべき重要なことや、気にしなくていい部分を伝えたいときには、感情も一緒に伝えなければメッセージは届かないと思います。そのためにも内省をしながら、自分の感情を安定させることが欠かせません。
佐伯:欲求や感情といった「人の生々しさを重視する」というテーマは、今回の会話を通じて見えてきた共通項です。その観点で言えば、これまでALL STAR SAAS FUNDとして、様々なことをノウハウやフレームワークへ形式知化してきた活動とは、やや異なるかもしれません。ただ、異なりはすれど、本質的な問題を扱っていると感じています。
向井:その通りですね。何しろ、AIも急速に民主化しつつあって、プロンプトの作成方法も広まってきています。これは様々な職種の変革にもつながる話で、営業も例外ではないと考えています。お客さまが一定のプロンプトを書くことができるようになると、営業とのコミュニケーションの必要性は減少してくると思います。そのため、物事を論理的に整理し、解決に向けて思考するという方向性については、お客さま側でも理解が進むでしょう。
しかしながら、出てきた結論に対して、「今すぐにリスクを冒して取り組むべきか」という問い、または一歩を踏み出す最初のステップについては、人間が意思決定を下すことには変わりません。その前提を考えると、感情は極めて重要かつ最後の要素になると考えています。そして、誰かの感情を動かせるのは、感情を有する人間なのだと、私は信じています。
今だけでなく、これからの時代において、「人間であることの理由」や「人間だからこそ可能なこと」を考えるとき、感情は必要不可欠になってくるはずです。だからこそ、プロセスやコミュニケーションにおいても感情は無視できない。私自身もChatGPTが登場してから、このようなことを考える機会が増えましたね。
結論、営業も採用もすべては関係構築から
佐伯:社会の変化と共に、感情という切り口の必要性が増していることは、とても興味深いところです。どうすれば、マネジメントは感情についてより考えを深められるでしょうか?
向井:私が言うところの感情は「EQ(Emotional Intelligence Quotient、心の知能指数)」という理論にも近しいでしょう。仕事や人間関係において「感情をうまく管理し、利用する能力」を指していますから。
ビジネスの現場にも「IQ(Intelligence Quotient、知能指数)」が高い人はたくさんいると思います。ただ、自分自身の感情がよくわからず、ある事象に対しても「何を思い、考え、どうコントロールすれば良かったのか」について問いを投げかけている人は少ないのではないでしょうか。
第三者の感情をあまり意識せずに、施策を先行してしまったり、実行に移したりすることにフォーカスしている人たちほど、相手の感情の変化に気づけなくなります。今こそ何周か巡って、EQのような考え方が大事な要素であることを思い知らされるわけです。
実際にインタビューさせていただいたトップ営業やそのマネージャーからも「感情の理解」というキーワードは共通して聞かれました。これも繰り返しになりますが、相手の感情を理解するためには、相手に興味を持つことが、すべての出発点になるのです。
佐伯:感情への理解という点を重視すると、採用や育成についても難易度が変わりますね。
向井:そうですね。実際、感情面を重視した採用の難易度は非常に高いです。ただ、先に私なりの答えを述べると、「見極めることはできない」と考えています。
一つの方法としては、特に「一人目セールス」やVP of Salesのようなポジションに人を配置したい場合は、通常の一次、二次、三次といった面接プロセスだけではなく、会議室の外で一緒に時間を過ごすことを増やし、3ヶ月から半年間の継続的なコミュニケーションを通じていくことが大切でしょう。
例えば、サイバーエージェントやメルカリといったメガベンチャーと呼ばれる企業でさえも、特に求める人材が見つかったとき、リストアップし、連絡を取り続けるナーチャリングをするようです。毎月や隔月で食事をしたり、オンラインで会話したり、オフィスアワーに招待したりと接点を作り続けます。
その中で、候補者が転職を考えはじめ、「あなたの会社ではどのようなポジションがあるのか?」と尋ねる機会を作るのです。放っておいても優秀な人材が集いそうな企業であっても、そういった取り組みはしているわけですね。
前にもお話ししたことにはなりますが、ギブをし続け、どこかでテイクできると望める数を、どれだけ増やせるか。その量を重視することで、結果的に数字が伴ってきます。そして、継続的に販売した顧客との関係が途切れず、自分の人生のアセットにもなる。それが営業活動でも重要だと、ぜひご理解いただきたいです。