SaaS株を含むテクノロジー銘柄のマルチプルが大幅に下がった……この事実に「SaaSはもう終わりだ」と悲観的な声も上がっています。あるいは、その声とは別の見方をすれば、未来に明るい兆しも見えてくるのでしょうか。
激動の2022年を振り返りながら、今後のトレンドや未来について、ALL STAR SAAS FUNDのマネージングパートナー・前田ヒロと、業界では@saas_junkieの名でも知られる同ファンドのパートナー・湊雅之が、2023年以降の予測を発表しました。
2022年11月17日開催の「ALL STAR SAAS CONFERENCE 2022」で発表された予測は、このカンファレンスでは恒例のコーナー。「まったくの予想外だった」と前田が話す異次元成長のSaaSの登場、国内市場の活況による見通しの上方修正など、数値面と事象面から日米の状況を踏まえて語ります。
(※この記事は講演内容をテキスト化し、抜粋・再構成したものです)
2022年は「価値のパラダイムシフト」が起きた年
湊:2022年のSaaSマーケットは、本当にジェットコースターみたいでしたね。
前田:変化が激しく、自分たちも支援先も、考え方を方向転換しなくてはなりませんでした。本質的に「何が大事なのか」を気づかせてくれる、学びのある良い年ではありました。
湊:変わることへの柔軟さと、それでも変わらないものを見ることと、両方が大切でしたね。2022年のSaaSは、一言で表すと「価値のパラダイムシフト」が起こった年。それを振り返るために、まずは数字面を中心にマーケットの状況から見てみましょう。
湊:2022年のSaaSで最も象徴的だったのは、金利上昇の影響で、アメリカのSaaSのマルチプルが30%まで圧縮されたこと。青い線がアメリカの長期金利、茶色い線がSaaSのマルチプルを示しています。
中央値ながら、コロナのピーク時は20xという異常に高い値を示す一方で、インフレが一気に加速する中で金利が上がり、足元では6x程度まで落ち込んでいます。
湊:日本でも全く同じことが起こっており、ピーク時は中央値で約20xながら、10月前半の時点で5xを切るところまで落ちている。コロナ前の平均値の10xに比べても半分です。
こういった状況の裏で起きたのが「価値のパラダイムシフト」です。従来の「何が何でも成長すればいい」という考えから、「いかに効率的に成長するか」に金融市場の評価がシフトしてきました。
湊:上図は、ピンクの線が「アメリカのSaaSのマルチプルと売上成長率の相関係数」です。黒い線が「Rule of 40(※フリーキャッシュフロー・マージンと売上成長率の和)の相関係数」を示しています。
去年9月までは圧倒的に売上成長率が投資家の評価を受けていたのが、今年の5月頃から逆転して、市場評価の中心が「効率的な成長」に変わったのです。
湊:日本の場合、必ずしもRule of 40で市場が評価されているわけではないのですが、国内の上場SaaS企業の銘柄を「売上成長率と」「EBITマージン」でプロットして、4象限に分けて見てみました。
緑のグループは「売上成長率が高く、Rule of 40が高い」という効率的に成長した銘柄。青は「Rule of 40は達成してないけれども、利益の成長率は高い」という成長重視型。そして、黄色が効率重視型となります。結論から言うと、日本の上場市場でも「効率的な成長へのシフト」は確実に起こっていると思います。
湊:ただ、僕らとしては、あらゆるSaaS企業で効率を求めるべきではなく、特にグロース株にあたるようなスタートアップにとっては、売上規模と成長率を重視したいと考えます。
湊:売上規模別にPSR(※Price to Sales Ratio、株価売上高倍率。時価総額を年間売上高で割った値)を見てみると、連動しているのは明確です。なおかつ、成長率25%以上となると、さらに評価は高くなる。市況によって一定の孤立性は担保しなければなりませんが、スタートアップならば売上規模と成長率を求めるべき、という理由の一つだと考えます。
湊:投資家側の反応も見ていきましょう。上図は「アメリカのVCによるSaaSへの投資額の推移」です。2010年から2022年上半期までの推移ですが、実は2022年の上半期だけでも、コロナ前より圧倒的にお金が集まっている状況は続いています。通期では72ビリオンドル(約9兆円)まで積み上がるとの予測です。
マーケットの評価の割には「なんだか強気だな」と思えるのですが、これにも2つの理由があります。
湊:理由の1つ目が「クラウドを中心にIT投資が拡大する」という予測です。グローバルのIT投資が来年には700兆円弱に成長していくと予測されており、依然としてクラウドが成長を牽引し、2021年から2024年の間に100ビリオンドルの市場が新たに作られるとされています。
湊:理由の2つ目が「インフレと低い失業率が続く環境で、SaaSは特効薬な役割を果たす」という考え方です。「アメリカの求人状況」と「NASDAQインデックス」の連動を見てみると、失業率が低いほど、売上に連動するNASDAQ指標は高い状態にある。
Battery Venturesの言葉を借りると「SaaSは高インフレの環境では、生産性アップにより抑制効果が期待できる」と言われています。つまり、慢性的な人材不足が続く日本では、SaaSは高評価を受けることが将来的にも期待できると考えられているのです。
短期的には若干厳しく見える環境が続いているように見えますが、蓋を開けてつぶさに見ていくと、中長期的にはSaaSの未来は明るいといえるのではないか、と。
ここまで数字面を扱ってきましたが、次は「今年起こったこと」から紐解くのも面白いだろうと、『ALL STAR SAAS FUNDが選ぶ、今年の5大SaaSニュース』を紹介しましょう。
第5位:SaaSの効率経営へのシフトとレイオフの波
急激なマクロ環境の変化が起こり、SaaS上場企業でもコスト削減が急務に。HopinやShopifyといったコロナ禍で急激に需要が伸びたSaaS企業に人員削減の波が訪れた。さらに、UiPath、Zendesk、Salesforceといった企業でもレイオフのニュースが出ている。
第4位:国内IT・クラウド市場予測の上方修正
市場調査会社「International Data Corporation」が発表した予測によれば、国内のIT市場とパブリッククラウド市場は成長が速く上方修正に。IT市場は2025年で21兆円超、パブリッククラウドも2026年までに4兆円強。日本市場の成長性が見込まれるという明るいニュース。
第3位:長期目線でのSaaSの非公開化/大型のM&A
長期目線での投資を念頭に、プライベート・エクイティによる上場SaaSの非公開化が活発に。Thoma BravoによるProofpointの他、Zendeskも非公開化。日本でもカーライル・グループのTHE SHAPERによるユーザベースのTOBが実現。
また、未上場SaaSのM&Aとしては、AdobeがFigmaを買収し、買収金額20ビリオンドルという高評価に期待感が高まった。マルチプルが下がる中でもM&A事例は現状でそれほど多くないが、来年以降にもこの動きは活発に続くと予想できる。
第2位:生成型AI×SaaS/クラウドが市場を広げる
Generative AI(生成型AI)とSaaS/クラウドが市場を広げる可能性がホットトピックに。OpenAIはMicrosoftから資金調達も受け、評価額20ビリオンドルと高値を付けた。JasperやStability AIといったシード〜シリーズAの企業が100ミリオンドルを超える大型調達も。
主にシリーズA〜シリーズBラウンドをリードし、ソフトウェア産業に強いアメリカのVC「Scale Venture Partners」は、「Generative AIとSaaSが組み合わさることで市場は非連続に拡大する。特にクリエイティブ産業のデジタル化が促進される」と予測している。
第1位:DeelとWizが異次元成長でARR $100Mを達成
今年の4月、給与計算とコンプライアンスHRサービス「Deel」が、わずか20ヶ月でARR100ミリオンドルの達成を発表。その4ヶ月後、サイバーセキュリティークラウドSaaSの「Wiz」も18ヶ月でARR100ミリオンドルを達成した。冷え込んだように見える市場であっても、各業界のクラウド化は加速化していることを示す、象徴的なニュースになった。
中長期的な可能性が広がりつつも、既存の常識は崩れつつある
湊:2022年を振り返ったところで、ヒロにぜひ聞きたいのが、この中でも特に注目しているニュースや、象徴的だと思う項目はどれですか?
前田:まず全てに関係することとしては、SaaS企業の評価のされ方が変わってきている一方で、SaaSの波の勢いは止まっていないこと。そして、ディスロケーションが起き、それによっていろんなニュースが起きていることですよね。
M&Aにしても、今まで特定の戦略をとっていた会社が、方向転換しづらいことを理由に未上場化して評価される状態に切り替えてから、再上場する。そういったチャンスが「評価のパラダイムシフト」によってだいぶ出てくるでしょう。
それで言えば、DeelやWizのような異次元成長は全然想像していなかったです。僕ら投資家はSaaS企業に対して「T2D3」を口にしてきたのに、それを前提からひっくり返す存在。SaaSの波の大きさもあると思うのですが、SaaS経営のナレッジ、プロダクトレッドグロースの成熟度合い、市場の拡大といった組み合わせがあって、はじめて異次元成長が実現できたのだと思います。
個人的には、SaaSとAIの組み合わせで新しいスタートアップやイノベーションがどんどん生まれてきているので、すごく楽しみにしている領域です。
湊:中長期的な可能性がどんどん広がっているけれども、今までの常識も良い意味でどんどん崩された。それが今年を象徴していましたよね。市況的な話で言っても、お客さまがいる市場が変わってきたのは、かなりポジティブな要素ではないかと思います。
フィンテック×SaaSの組み合わせが強さを発揮した
湊:では、「2023年のSaaSのテーマ予測」をしていきましょう。予測する上で、まずは2022年の海外SaaSの振り返りを。上図の7つが主要テーマだったと思います。
Deelに代表されるポストコロナ「HR」、地政学的なリスクの課題感も背景となった「サプライチェーン」、それと連動する形でWizなどの「サイバーセキュリティ」も伸びた。昨年に続いてコロナ禍で浸透が進み、加速期に入った「B2Bフィンテック」。Snowflake、Databricks、Jasperのような企業と、データマイニングを扱う「データとAI/ML」の領域も大型調達や成長が見られました。
加えて、Notionなどの「グローバルPLG」もより浸透し、Alchemy、TRM、Chainalysisといった「Web3イネーブラー」も話題になった。FTX事件こそありましたが、アメリカも含めてレギュレーションが厳しくなってくる中では、日本にまたオポチュニティーが来るのではないか、という期待感もあります。
前田:個人的にFigmaがすごい評価を受けて買収された件は、確かにグローバルPLGであることに加えて、コミュニティーレッドな部分をAdobeが欲しがったのではないかと思うんです。オンライン上のFigmaコミュニティはとても活発ですから、PLGでコミュニティレッドの戦略まで持っていたことが、大きなマルチプルにつながったのだと見ています。
あとは、Bill.comが、コーポレートカード事業のDivvyを2.5ビリオンドルで買収しましたよね。この領域も「第2のフィンテック」というべきか、非常に勢いを感じます。
湊:フィンテックとSaaSとの組み合わせの強さが、ある意味では証明されてきた部分が表出しているのではないかな、とも思えますね。
2023年の国内SaaSの主要7テーマ+3つの新潮流
前田:では、ここからはALL STAR SAAS FUNDとして、「2023年の国内SaaSの主要7テーマと3つの新潮流」というテーマで、僕らも予測をしてみようと思います。
湊:7つの主要テーマとしては、日本も海外との連動が近くなっているという点を加味して、まず代表されるところは「B2Bフィンテック」ですね。LayerX、Nstockといった企業が挙げられます。あとは「サイバーセキュリティ」も、日本でデジタル化が進むほど必要になってくるでしょう。
「サプライチェーン」も日本企業の課題感が大きくなっているのは、僕らの投資先を通しても感じるところはあります。アメリカ同様にSaaS自体の数が増えている中で、「AI×SaaS」であるとか、アダプションを獲得させるような「SaaSアクセラレーター」であるとかが、SaaSマーケットを拡張していくでしょう。
そして、「B2Bトランザクション」に加えて、日本企業の経営の在り方が変わってきているところがあるので、LoglassやSmartESG、CO2排出でZeroboardやアスエネさんといった「次世代経営支援・ESG」も注目している領域です。
さらに、いかにSaaSが拡張していくのか、中長期の目線で「3つの新潮流」も予測してみましょう。まず、チャレンジの一つとして「グローバルGTM」が出てきています。違うセグメントも広がりあって「vSaaS(バーティカルSaaS)のセカンドアクト」も注目です。さらには、中長期的で力強く成長するための「M&A/非公開化」も起きていくでしょう。
前田:個人的には業種・業界に特化したSaaSに興味があります。廃棄物処理のファンファーレ、カスタマーサポートのカラクリも、そういったテーマに添っていますよね。
B2Bフィンテックは、ある意味ではSaaSの全てがフィンテック化していますので、なかなか一つのカテゴリーにまとめるのは難しいかもしれません。ほぼ全てのSaaSが何かしらフィンテックの概念を取り入れていくのではないかと思います。そういう意味でも、特にバーティカルSaaSがいかにフィンテックを取り入れるか、すごく興味のある分野です。
あとは、せっかく日本はSaaS大国なので、グローバルへ行きたいですね。RevComm、Autify、Commmune……など、NASDAQに上場する日本初のSaaS企業の姿が見たいですし、実現のためには僕らも全力で応援していきたいと思っています。
湊:本当に楽しみですね。僕らのようなVCとしても、このあたりをいかにサポートできるかが大事なポイントになってくるでしょう。気が引き締まる思いです。
「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」
湊:最後に。2023年に向けて、僕らから皆さんへお伝えしたいことは、この言葉に集約されると考えています。
「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」
これは今年、残念ながら亡くなられた稲盛和夫さんの経営哲学といえる言葉です。2023年のSaaS企業にとって、この言葉の重要さは増すのではないかと思います。中長期的にSaaSとクラウドの市場は大きくなっていくと予想できますし、それらがお客さまに求められて日本のためになることもわかります。その意味では楽観的に構想していくことが大事でしょう。
一方で、足元を見たときには資金調達の環境も含めて、不況が来たときにお客さま側も影響を受けますから、悲観的かつ現実的な計画も欠かせません。今回のカンファレンスで、SnowflakeのFrankさんもおっしゃっていましたが、経営は現実をいかにリアルタイムに把握するかが大事です。
お客さまの反応やマクロな環境が変わったときにどう影響するのか。プロダクトが本当にPMFしているのか。チームがアラインして同じ方向へ進めているのか。組織は健全なのか……そういったことを自己否定的に見て、計画を立てていく。そして変えていく。これらが来年に向けて、より大切なポイントになってくるのだと考えています。
前田:今、とても市場がダイナミックに動いてるんですよね。株価や為替も、いろんなことで上下していて。いろんな予想が出ていて、楽観的なものでは「2023年の4月までには株価は上がるんじゃないか」という人もいれば、悲観的なものでは「2025年まで全然上がらない」という人もいる。これらは、僕らにもわからないというのが結論です。
だからこそ、現状をできる限り理解して、現状に基づいて適正な判断をしていく。それが重要です。仮に悲観的なシナリオが起きたときに、ちゃんと対策を持っているように計画できていることが大切です。
もっとも、業界としてはポジティブです。SaaS業界も市場も大きくなってきています。まさに波が来ているのは疑う余地のないことです。それらが株価や市場環境、そして景気に反映されていくと、また勢いが止まらない状態になっていくはず。それが来年なのか、再来年なのかまでは読めませんが、それに向けた準備を進めていければと思っています。