日本のSaaS業界は黎明期をすぎ、業界特化型の「バーティカルSaaS」の成長戦略にも注目が集まっています。業界の課題をしっかり捉え、満足度の高いプロダクトを提供できている一方で、単独ソフトウェアでの急成長の実現に苦心し、TAM拡大や成長ドライバーの確立に課題を抱えている企業も少なくありません。
そんな中、大手企業との強固な資本業務提携を基盤に、IPO後も資本市場の期待を上回る成長を続けている企業があります。それが、Arentです。
Arentの鴨林広軌CEOは、大学は理学部で数学を学び、投資家のウォーレン・バフェットの教えから「投資家であり、起業家のような存在になりたい」と決意。ファンドマネージャーとしてさまざまな業界を見てきた経験と、IT企業でのエンジニア経験を融合させ、「業界の特化した知見をシステム化する」というビジョンを掲げてArentを設立しました。
同社は「日本の会社に眠る高い競争力のコア技術」をSaaS化し、プロダクトとして普及させるという革新的なミッションを持ち、着実に業績を伸ばし、高い収益力を誇っています。従来のSaaSのプレイブックでは打開できなかったレガシー産業のDXに挑戦し、高成長・高収益な事業を創出しているのです。
クライアントの課題に深く寄り添い、コンサルティングから開発まで一貫して行なうArentのアプローチ。大手企業とのジョイントベンチャー設立やM&A戦略。そして、グローバル人材の活用を含む、革新的な組織づくりの秘訣……日本のSaaS業界、特にバーティカルSaaS企業の経営者や起業家にとって、Arentの戦略は多くの示唆に富んでいることでしょう。
ALL STAR SAAS FUND Partner 神前達哉が聞き手となり、バーティカルSaaSの未来を切り拓くArentの戦略に迫ります。
なお、今回はYoutubeも同時公開しております。是非併せてご覧くださいませ。
暗黙知を民主化し、業界知見をデジタル化する
神前:海外と国内のマーケットでは、バイヤーの特性やSaaSに対する慣習、業界の受け入れ方に違いがあると感じています。Arentの事業戦略やプレスリリースを拝見すると、日本の未上場企業においても、バーティカルSaaSの成長戦略のヒントが数多く詰まっているように思います。
事業共創の方法、SaaSプロダクトの外販、コンサルティングサービスを踏まえたDX戦略、これらをどのように統合しマネジメントされているのか。今日はぜひ詳しくお聞かせください。まずは、Arentさんの事業内容についてご説明いただけますでしょうか。
鴨林:弊社のミッションは「暗黙知を民主化する」です。あらゆる業界の深い知見がなかなかシステム化されていないという課題感から生まれました。我々は数学力の強いメンバーが多く、彼らが業界知見を数式化し、デジタル事業化していくプロセスを重視しています。
たとえば、プラント現場などで用いる配管設計の分野では、ベテランの方々の頭の中にある暗黙知を言語化するのが非常に悩ましい。以前に、とある方へお話を伺った際に、手にした水を指しながら「これの飲み方を説明できます?」と返されました。「僕らも水を飲むかのように、意識せず設計しているから言葉になんかできないんですよ」と。
言語化が難しいとはいえ、我々はそれをヒアリングし、数式化してプロダクトにしていくわけです。このプロセスはアジャイルに進める必要があり、誤りが見つかれば「そこにロジックがあったのか」と気づく。そうやってクライアントとの密接なフィードバックループを通じて、業界知見をデジタル化していきます。特に今はBIMやSaaS化に非常に注力しており、それが結果としてデジタル事業になるのが、Arentの特徴でもあります。
主に3つの事業ドメインを展開しています。1つ目は「プロダクト共創開発」でクライアントのSaaSの裏側を担う、いわばSaaSのOEMや受託開発事業。2つ目は「共創プロダクト販売」で開発したSaaSの販売事業。3つ目は「自社プロダクト開発」で蓄積した知見を活かして作ったプロダクトを展開する事業です。
事業会社との子会社設立やジョイントベンチャーで新たな事業創出を
神前:私たちSaaS投資家から見ると、Arentの事業モデルはとてもユニークですね。プロダクト共創開発を行ない、それを自社のプロダクトとして販売していくというスキームは比較的よく聞きますが、Arentの場合は千代田化工や高砂熱学といった企業との子会社設立やジョイントベンチャーなど、資本も絡む連携をされています。レベニューシェアなどさまざまな選択肢がある中で、子会社化を選択された背景はどのようなものでしょうか。
鴨林:実は、レベニューシェアでも全く問題ないのですが、より明確な形で協業を進めるには、子会社化や資本提携が効果的だと考えています。レベニューシェアだと、どちらかに有利になりがちです。資本を持ち合うことによって互いにリスクを取り、より強固なパートナーシップを築けるはずです。
また、私たちが意識しているのは、日本の事業会社が持つ膨大な力やノウハウをDXによって活用することです。たとえば、フランスの航空機メーカーであるダッソーの事例が良い参考になります。ダッソーは自社の設計業務効率化のために自社でCADを開発し、それを外販するためにダッソー・システムズという会社を設立しました。結果として、親会社の時価総額が2兆円なのに対し、ダッソー・システムズは6兆円の時価総額を達成したんです。
事業会社の内部課題を解決するはずのシステムが、親会社を上回る価値を生み出す可能性があるわけです。私たちはこういった成功事例を日本でも作りたい。たとえば、千代田化工建設との合弁会社が上場することで、開発コスト以上のリターンが得られれば、他の事業会社にとっても新たな事業創出のモデルケースになれると思っています。
神前:つまり、本社内でのDX推進の困難さを克服するために、Arentさんが介入し、子会社でDXの成功事例を生み出し、さらにそれを株式価値や時価総額のリターンという形で還元していく。そういったDXの在り方を実践されているということですね。
鴨林:おっしゃる通りです。DXにはさまざまな定義がありますが、私たちが重視しているのはデジタル事業の立ち上げです。これ自体がDXとして大きなポジションを占めていると考えています。
高成長と高利益率を実現する、Arentのビジネスモデル
神前:他のSIや戦略コンサルティング会社と比較して、Arentが高成長を実現できている要因が気になります。通常、コンサルティングサービスは人員投下によるビジネスモデルで、株式市場での高いマルチプルを得るのは難しいと考えられます。しかし、Arentは高成長かつ高利益率を達成し、高い評価額を得ています。これにはどのような背景があるのでしょうか。
鴨林:私たちの事業も人に依存する部分は大きいので、ビジネスモデルの根本的な差はそれほどないと考えています。ただし、高利益率を実現できている理由はいくつかあります。
まず、従来のコンサルティングビジネスでは、コンサルタントが分析し、SIerに仕事を投げるという多重下請け構造があります。私たちは、この一連のプロセスを1社で完結させることで中間マージンを削減し、コストを圧縮することで利益率を高めています。
次に、業界特化型のアプローチを取っていることです。一般的なコンサルティング会社では、コンサルタントがさまざまな業界を担当するワンプール制を採用していることが多いですが、私たちは特定の業界に特化することで、深い知見を蓄積しています。これにより、コンサルティングから開発までの質を高めつつ、クライアントとのコミュニケーションコストも削減できる。結果として、クライアントにとっては比較的安価で、私たちにとっては高利益率を実現できる要因になっています。
神前:今後の中長期的な展開としては、共創プロダクト販売にレバレッジをかけて成長を加速させていく、といったイメージでしょうか。
鴨林:クライアントとの共創開発にはまだまだ伸びしろがありますね。ただし、共創プロダクトの販売については、クライアント側の意向も重要です。言ってしまえば、社内のノウハウが外部に出てしまうことへの懸念もあるため、クライアントの意向に沿って進めていく必要もあるわけです。
そこで私たちの戦略としては、長期的な「建設業界のDXプラットフォーム構想」と、短期的な「共創開発事業を基軸にした、建設DXカンパニーとしての非連続成長」を同時並行で進めています。最近では、高砂熱学工業との事例をご覧いただいて、同様の取り組みに興味を示す企業も多く、そういった企業とのSaaS開発も継続して行なっていきます。
さらに、M&Aも含めたバーティカルSaaSの拡大戦略も考えています。業界特化型のプロダクトを持つ企業のM&Aを通じて、ラインナップを拡充していく計画です。たとえば、カナダのConstellation Softwareや、ServiceTitanのような企業の戦略は参考になりますね。業界近接の企業をM&Aすることで、バリューチェーンを効率化していくアプローチは、私たちの方向性とも近いものがあります。
M&Aで拡大する「建設業界のDXプラットフォーム」構想
神前:中長期展開の中で、共創プロダクトの成長には顧客へ依存する部分がありますね。一方で、御社にとってBIMは重要なキーワードだと思います。データベースとの連携を軸に、原価管理や施工管理など、さまざまなマルチタスクアプリケーションがあるということは、先日のYouTubeで公開された決算説明会でも拝見しました。
これらを自社で開発しつつ、良いものがあればM&Aで獲得する戦略で、建設業界のDXプラットフォームとして訴求していく、という理解であっていますか?
鴨林:おっしゃる通りです。建設業界のソフトウェアは50年近い歴史を持つものが多く存在します。長年使用されており、Google検索を「ググる」と呼ぶかのように、そのシステム自体が動詞になるくらいユーザーにとっては日常的な道具となっているんです。
私たちはこういった既存のソフトウェアを、単純にディスラプトしようとは考えていません。むしろ、M&Aを通じてこれらの企業を取得し、Constellation Softwareのように「バイ・アンド・ホールド」戦略で保有し続けることも選択肢の一つです。必ずしもSaaS化を強制するのではなく、API連携やクラウド上でのデータ管理など、現状のシステムを活かしつつ改善を支援する方針です。
一方で、より大きな改善を望む企業に対しては、私たちのSaaS開発ノウハウや最新技術の導入、さらには採用面でのサポートも提供します。50年近い歴史がある企業ならば社員の高齢化が進んでいるケースもありますから、そういった技術導入や採用支援も大切な観点になってきます。そうしてSaaS化を促せれば、お互いにより良い連携ができるはずです。
私たちが目指すDXの形態としては「アプリ連携型」というものがあります。これは、さまざまなSaaSアプリケーションが相互に連携できる環境を作ることです。この実現のためには、自社で多くのSaaSプロダクトを保有することが重要になってきます。
日本人の高い技術力が、デジタル化を阻む原因に?
神前:BIMに注目された背景についてもお聞かせください。建設業界には施工管理や原価管理など重要なタスクが数多くありますが、従来の紙による図面がデジタル化され、それがプラットフォームとなって、すべての基盤になっているという認識です。この点をしっかり獲得できていることが御社の強みの一つだと見ていますが、いかがでしょうか。
鴨林:おっしゃる通りです。紙にしろPDFにしろ、従来の図面ベースのアプローチには大きな課題がありました。図面は人間には理解しやすいのですが、コンピュータにとっては必ずしも理解しやすいデータ形式ではありません。たとえば、紙に四角を描けば人間には土地のように見えますし、さらに間取り図のように書き込むと壁の存在もイメージできます。ただ、コンピュータにその想像力は備わっていません。
BIMの優位性は、3次元のデータに素材、価格、寸法などの情報が付加されたデータベースとして機能することです。そうなると、建設プロジェクトのさまざまな局面で効率化が図れます。たとえば、従来はオーナー向けの3Dモデルと施工者向けの詳細図面を別々に作成する必要がありましたが、BIMではこれらを統合できます。また、業界では「拾い」と呼ばれる、2D図面から部材を数える見積もり作業も大幅に効率化できます。
しかし、メリットが多いBIMの導入が、日本の建設業界では遅れている面があります。その理由の一つは、日本の職人の高い技術力です。彼らは2D図面から3D空間をイメージし、必要に応じて現場で調整できる能力まで持っています。
神前:図面ではうまくいっていても、現場にアジャストしていないケースを見抜けるわけですね。設計と施工にある溝を埋められるといいますか。
鴨林:こういったことは海外だと考えられないんですね。アメリカならば契約社会ですから、設計図があれば、契約違反にならないようにその通りに造ってしまう。皮肉にも、日本人の高い技術力がBIM導入の必要性を低下させている面があるわけですね。さらに国土交通省の資料によると、BIMは主にプレゼンテーション用途で使用されており、業務フローの効率化やデータベースとしての活用は進んでいないとも言われます。
そこで私たちは、BIMデータの入力自動化や、そのデータを実際の業務効率化に結びつけるシステムの開発をクライアントにもよくご提案しています。
フィジカルな建設業界を変える「BIM ✕ 生成AI」の可能性
神前:先日の決算説明会でも触れられていましたが、鴨林さんが生成AIをどのように捉えているかについて、SaaSやAIの投資家としても非常に興味があります。最近は子会社であったVestOneを「株式会社Arent AI」へ事業転換されましたね。この経緯と戦略についてお聞かせください。
鴨林:Arent AIの立ち上げは、実はBIMとも深い関係があります。たとえば、ChatGPTのような生成AIは、入力した画像に対する説明であれば、問題なく結果が返ってきます。たとえば、ある部屋の360度写真を入力して、「写真内に椅子は何脚あるか?」と聞くと、「ダイニングエリアには4つ、リビングスペースには2つのオットマンがあります。オットマンは椅子としては機能しますが、通常は椅子と呼びません」といったことまで教えてくれる。
そこで、「この建物をBIMのJSON形式で表示してください」と指示すると、「この画像から直接BIMデータは作れず、BIM作成にはAutodesk RevitやGraphisoft Archicadなどの専用ソフトウェアも必要であり……」など詳しく答えてくれます。そこで、「簡易的なもので良いから表示して」と依頼してみると、画像から推測できる要素を基にしたサンプルデータという前提はありますが、建物の構造や部屋の配置、家具の数など、しっかりと含まれたものを出しました。つまり、データとしてBIMとの相性の良さが見えてきたんです。
一方で、現状では生成AIに「図面を書いて」と指示しても、実用的な図面は作成できません。図面とは似ても似つかないものが出てきてしまうのです。そこで私たちは、図面の作図からAIに任せるのではなく、BIMと連携しながらAIを開発していく方針を立てました。BIMデータを基に、AIが建物の設計や構造を自動で生成できる可能性を見出したのです。
現在のAI、特にGPT-4o以降の発展は、革新的な進化というよりは「横展開の時期」に入ったように感じています。そのため、私たちの技術と組み合わせることで、十分に実用可能なレベルとして、生成AIの利用例を打ち出せればと思っています。
神前:私もAIとソフトウェアについて学んでいますが、AIによって革新的な成果を出せる領域と、そうではない領域があると考えています。音声やカスタマーサポート、マーケティングなどでは顕著な成果が見られますが、フィジカルな業務が多い建築・建設業界ではまだ難しいのではないでしょうか。建設・建築業界、あるいはバーティカルSaaSの現場作業において、AIが活かせる部分とそうでない部分の区分けについて、どのようにお考えですか?
鴨林:確かに、建物を実際に建てる部分でのコスト削減など、ハードな部分でAIを直接活用するのは難しいです。ただ、コミュニケーションの部分では大きな可能性があります。
建設業界特有の課題として、一般的なWBS(Work Breakdown Structure、作業分解構成図)ではなく、「ネットワーク工程表」という特殊な管理ツールを用いています。通常のネットワーク工程表ならば「1行に1タスクずつ」書くのが基本ですが、1行あたりに複数タスクが書かれている形なんです。建物を作る側からすると、横軸に設けた時間軸に沿って、まるで地下から建物が作られていくような過程が見えてきて、とてもイメージがしやすい利点もあるんです。ただ、従来のデジタルタスク管理ツールとは相性が悪いのも事実です。
このような業界特有のメンタルモデルに合わせたツールの開発が重要です。たとえば、ネットワーク工程表のような複雑な情報をAIが理解し、一般的なタスク管理ツールに変換できれば、リモートワークの促進やコミュニケーションコストの削減にもつながるでしょう。業界的に慣れている部分は踏襲してもらいつつ、現場の方々が楽になれるソフトをどんどん作っていきたいですね。
未上場時のファイナンス戦略とバーティカルSaaSの成長モデル
神前:ここからは未上場時と上場後のファイナンス戦略についてもお聞かせください。特に未上場の段階で、通常のSaaSとは異なる複雑なビジネスモデルをどのように投資家に説明し、資金調達を行なったのでしょうか。
鴨林:おっしゃる通り、私たちのビジネスモデルは複雑で、従来の投資家から理解を得るのは難しいだろうと感じていました。私自身も投資家としての経験がありましたからね。
ただ、バーティカルSaaSの特徴として、早い段階で収益が出やすいという点があります。たとえば、建設業界の設備設計ソフトウェアを提供している会社は、売上140億円に対して経常利益100億円という驚異的な収益性を誇っています。このような高い利益率を持つSaaS企業は日本では数えるほどしかないでしょう。
問題は、バーティカルSaaSは一見ニッチな市場に見えるため、「売上100億円を目指します」と言っても、多くの投資家は魅力を感じないだろうと考えました。実際に投資家と対話を試みても、理解を得ることは困難でした。そこで、私たちはブートストラップでの成長を選びました。
千代田化工建設との取り組みを通じても、業界のニーズの深さと、そのニーズに応えられる開発会社の希少性を実感しました。この強みを活かし、上場までの成長を自力で達成することを決意したんです。
しかし、この方針だけではピュアなバーティカルSaaSから離れてしまう可能性がありました。私たちの目標は、多くのSaaSプロダクトを持つ企業になることです。バーティカルSaaSは個々のTAMが小さいため、複数のバーティカルSaaSを開発や買収することで成長を目指す戦略を立てました。
長期的な戦略としては、3つの事業セグメントを順に展開していく計画です。まず短期的には、第1セグメントである「プロダクト共創開発事業」に注力し、非連続的な成長を続けます。その後、第2セグメントである「共創プロダクト販売」を拡大し、持続的な成長を図ります。最後に、第3セグメントである「自社プロダクト」の成長を推進し、(M&Aを活用して自社プロダクトの拡充を図りつつ)建設業界におけるDXプラットフォームの構築を目指します。最終的な目標は、この第3セグメントを大きく成長させることです。
この戦略を実現するためには、M&Aが重要な役割を果たします。自社開発だけではコストと時間がかかりすぎるため、早い段階で投資家の理解を得るのは難しいと予想しました。特に2022年頃は「SaaSバブル」の崩壊が囁かれましたし、より慎重なアプローチが必要だとも感じていましたから。
理想的なシナリオとしては、M&Aを通じてクライアントが慣れ親しんでいるソフトウェアをグループ内に取り込み、それを改善してバーティカルSaaSとしての収益性を高めていくことです。この過程を繰り返し、実績を積み重ねていくことで、投資家の理解と支持を得ていくと良いだろうと見ていました。
リカーリング性の高さを強調。IPOのタイミングと投資家の反応
神前:2023年3月にIPOされていますが、このタイミングでの上場の理由について、先ほどのM&A戦略との関連もあるのでしょうか。
鴨林:M&A戦略も一つの理由ですが、社内の事情も大きく影響しています。当社では従業員に対して通常のストックオプションや株式を10%以上配布しています。リスクが高い段階で早期に入社したメンバーには、なるべく早く報いたいという思いもあったので、早期の株式上場を果たしたかったんです。
神前:上場プロセスにおいて、アンカーとなる投資家や、IPOプロセスの中でのロードショーもされていると思いますが、上場株にも投資してる投資家の反応はどうだったのでしょうか。
鴨林:当時は利益を出していることが重視される傾向にあったため、私たちの収益性の高さは強みになりました。特に、バリューチェーンの圧縮による高い収益性を強調しました。
現在、私たちは40億円程度の売上目標、営業利益で17億円程度を目指しています。個人的な感覚では、売上100億円規模に到達するのはそれほど難しくないと考えています。高砂熱学工業との事例が業界に与えたインパクトが大きく、多くの企業がこのような取り組みの必要性を感じているからです。
現在のPERは36倍程度ですが、50%から場合によっては100%の成長率を達成できれば、さらに企業価値が上昇すると考えています。これによりM&Aもより容易になるでしょう。上場企業と未上場企業ではバリューに差があり、この差を活用することが資本市場を効果的に利用する上で重要だと考えています。
神前:短期的な共創開発事業を基軸とした建設DXカンパニーとしての成長ストーリーについて、リカーリング性の観点から質問はありませんでしたか?
鴨林:聞かれましたね。私たちの特殊性として、開発期間が非常に長いことがあります。一般的にはSIerの開発期間は1年ほどですが、私たちは通常3年は継続しますから。
また、共創プロダクトの開発においては、クライアントから収益を得ながらSaaSの開発費用としても活用しています。SaaSの開発は継続的なプロセスであり、これもリカーリング性の高さを示しています。
神前:つまり、あるクライアントのSaaSを開発し、その利用料を継続的に得る。さらに、クライアントの許可があれば外販も行なうというモデルですね。これは単なるワンショットのシステム開発とは異なる次元の話です。
鴨林:その通りです。さらに、開発したシステムを外販しないと判断された場合でも、継続的な開発と改善を提案します。なぜなら、後から優れた競合製品が登場した場合、これまでの投資が無駄になる可能性があるからです。
たとえば、千代田化工建設と開発したプラント設計に用いる自動配管設計ソフトウェアの「PlantStream」は、現在は日本の大手三社すべてが利用しています。ただ、そのうちの一社は、2018年に策定したIT戦略で、AIを活用した設計やプロセスの自動化を2030年までに完了させるという目標を掲げていましたが、PlantStreamはその目標を10年早く実現したことになります。
このように業界内で同様のニーズがある場合、仮にPlantStreamを外販しない選択をしたとしても、他社が同様のシステムを開発するかもしれません。そうなれば、外販した企業のソフトウェアが残っていくはずでしょう。それならば、SaaSとして外販することで競争力を維持できると考え、クライアントにもメリットを説明することが多いですね。
神前:確かにそうですね。エンタープライズのお客さまにSaaSの有用性を、さらに強調されて明示していることの凄みを感じました。競合他社も意識したようなSaaSの流用性についても勉強になります。
鴨林:これはバーティカルSaaSならではの気はしますね。業界に特化していると、ペインが共通していることは多いので、誰がソフトウェアを作ってもおかしくないですから。
人事部門は「営業に近い組織」と捉えてスカウトを打つ
神前:ここまでお聞きした戦略を実行するにあたって、採用や組織づくりにもこだわりを持たれているのではないかと感じます。特に経営陣の方々は素晴らしい実績をお持ちですが、採用については、どのように取り組まれているのでしょうか。
鴨林:採用については、一見すると当たり前のことを繰り返しているだけかもしれません。ただ、私がさまざまな企業を見てきた経験から、人事部門が営業組織のように動く企業はあまりないとも感じていました。多くの企業では、人事部門は主に人事制度の運用に注力していて、KPIの設定も異なる印象を受けていたんです。
私としては人事部門は、当社のミッションに合う人材をリクルーティングする、いわば営業に近い組織だと捉えています。そこで、そういった活動ができるメンバーを積極的に採用していこうと。
実際、あるスカウト媒体の会社から「Arentさんは、どのようにスカウトを行なっているのですか」と質問されたことがあります。当時、我々は100人以下の規模でしたが、1,000人規模の企業と同等のスカウト活動ができていたので不思議がられたんです。当社が求める人材は、3D関連の知識や数学スキルなど、やや特殊な要件であることが多いので、スカウトを活用する方が合理的なんですよ。
神前:スカウトを積極的に行なうことで、興味関心を持ってもらえる層を増やすことができるのは、とても有効な戦略だと思います。そこでお聞きしたいのが、特に採用プロセスの後期段階で、候補者のクロージングを成功させるための秘訣はありますか?
鴨林:候補者の人生における目標や願望を深く理解することに重点を置いています。そして、「Arentのこのポジションなら、あなたの目標を実現できます」とお伝えするんです。とても営業的なアプローチを取っていると言えますね。
採用面接もクライアントへのヒアリングと似ているところがあります。「なぜこの転職を考えているのか」「なぜこのポジションに興味を持ったのか」といった質問を通じて、候補者の真の動機を理解しようとします。そして、「Arentのこのポジションは、あなたの長期的なビジョンの実現に最適です」といったように伝えるのです。採用面接にいらした方にとっての魅力を強く訴求することを、一次面接の段階から意識しています。
エンジニアは、ほぼ100%リモート勤務。海外人材も積極採用
神前:候補者の志望理由や成し遂げたいことを深く掘り下げ、Arentで実現できる世界観やポジションを提案しながら、お互いの適合性を確認していくというアプローチですね。丁寧な採用プロセスが、Arentの組織力の源泉になっていると感じました。
また、海外の人材を積極的に採用しているという点も興味深いです。現在のSaaS企業では、オフショア開発体制の構築が課題となっていますが、鴨林さんは海外人材の採用についてどのようにお考えですか?その目的や背景について教えていただけますか。
鴨林:私たちの海外人材採用は、単純に需給バランスの問題だけでなく、リモートワークを前提とした柔軟な働き方に基づいています。当社はリモートワークを推奨しており、特にエンジニアは、ほぼ100%リモートで働いています。この環境下であれば採用対象を日本に限定する必要がありません。
世界的な企業の採用指針を意識的に実践しているのもあるのですが、根本にあるのは「どこに住んでいても良いから、良い人材を採用したい」というシンプルなものです。重要なのは、アウトプットの質ですから。
言語の壁については、テクノロジーを活用して解決しています。たとえば、ベトナム人の社員とのコミュニケーションでは、「もしチャットで不安があったら、ChatGPTを使って、日本語にしてから送ってね」と伝えれば実践してくれます。「このテキストはベトナムの方が書いた英語です。これを自然な日本語に翻訳してください。そのとき、プログラミングの記述は特に気をつけてください」といったプロンプトを準備しておくと、とても気楽にコミュニケーションが取れます。
給与面では、現地のオフショア企業の平均と比較して、数倍単位の高い報酬を提示します。たとえば、ベトナムの平均年収の約6倍程度の報酬です。ベトナムの平均年収が70万円程度であることを考えると、私たちの提示する給与は魅力的に映るはずです。もっとも、GAFAMのような大手テック企業が提示する2,000万円から3,000万円といった高額な年収には及びませんが、高い技術力を持っていて、ITに関わる仕事をしたい人はマーケットにいる。そういう方たちを頑張ってリクルートしているわけですね。
神前:具体的なコミュニケーションの方法から、採用についての考え方まで、さまざま学ばせていただきました。ありがとうございます。最後に、鴨林さんから未上場のバーティカルSaaSやSaaS起業家、経営者へのメッセージをいただけますでしょうか。私たちの投資先企業も、Arentさんの戦略にはとても注目しています。
鴨林:バーティカルSaaS自体が非常に魅力的で、世の中にまだあまり存在していない分野が多いと感じています。そのため、さまざまなアプローチが可能な市場だと個人的に強く思っています。
確かに、Arentのビジネスモデルは特殊だと自覚しているところはありますが、逆に言えば、特殊なアプローチでもお客さまのニーズに応えられる隙間がたくさんある、ということだとも考えています。私たちにご相談いただければご一緒できる部分もあるかもしれません。
業界全体が豊かになっていくことで、クライアント企業にとっても、さまざまな企業が競争している状況の方がより良いサービスを享受できるはずです。そういった意味で、業界の発展に貢献して、皆さんと一緒に成長していけたらと願っています。