北米の大手SaaS企業で積極的に取り入れられている「CAB(カスタマー・アドバイザリー・ボード)」。Cレベルの経営層と直接つながる機会を設けるもので、SaaS企業にとってカスタマーサクセスやマーケティングリサーチ、プロダクトのアイデアの創出など、さまざまな観点で重要な機能を果たしています。
日本ではまだ浸透していないものの、これから重要性を増すと考えられるCAB。ここでは180カ国以上、約7億人のユーザーがいるDropboxで米国流のCAB運用を学び、日本展開を実践された小林健吾さんを招いて、その重要性や実際の運用方法についてお話しいただきました。
「ALL STAR SAAS CONFERENCE TOKYO 2021」のセッションより、抜粋・再構成して記事化しました。記事前半では小林さんにCABのスタイルやゴール設定といった概要をお話しいただき、後半では前田ヒロが実践的なCABの運用方法や気をつけるべきポイントを深掘りしています。
CABの成否の7割は「招待するメンバー」で決まる
前田:まずは小林さんの経歴を教えてください。
小林:前職のSansanからSaaS業界に入り、同時にカスタマーサクセスのキャリアをスタートしました。Sansanには4年半ほど勤務し、国内でのスケール業務を担当したのちシンガポールで拠点の立ち上げを経験。2020年6月に帰国してからは、Dropboxの日本市場のスケール業務を担当しています。日系と外資系、両方の企業に所属したことがあり、日本市場と海外市場でそれぞれ立ち上げとスケールを経験していることが特徴ですね。
前田:続いて、CABとはどういったものなのか説明をお願いします。
小林:Customer Advisory Boardの略称で、Customer Advisory Councilとも言います。北米などの外資SaaS業界では広く認知されているアクティビティです。
主な要素は3つあります。1つ目がメンバー。Cレベル、つまりCEOなどの経営層がつながりを持つ場であることが重要になっています。2つ目がトピック。経営戦略や技術戦略、各業界のトレンドといった、Cレベル同士が話すのにふさわしいトピック設定が必要です。3つ目が頻度で、CABは一度きりではなく、半年や年に一回など、定期的に開催することが前提になります。
中でも、CABの成否の7割はメンバーで決まると考えています。ありがちなのは、普段対面している人が情報システム系の人が多く、その方ばかりを呼んでしまうケース。経営レベルの話がしたかったのに細かな技術論で盛り上がってしまうと、もっとハイレベルなトピックで議論をしたいCxOたちが「これなら情シスの部長に任せよう」と、次回から参加しなくなることもあり得ます。
代表的なCABの目的やゴール設定は以下の3パターンがあります。
CABのスタイルは3パターン
前田:CABのアクティビティを実施する際には、どんなスタイルがあるのでしょうか
小林:主に「個別対応型」「イベント型」「ハイブリッド型」があります。
個別対応型は個社訪問ですね。自社の役員を連れて行き、先方の役員とつなげていただくイメージで、最近はオンラインで行うことも増えています。イベント型は10人から15人ほどの小さなクローズドイベントを開催するもので、CABの王道的なスタイルです。ハイブリッド型はイベント型と似ていますが、独立したイベントだけを開くのではなく、大きな自社カンファレンスの1コーナーとして開催するのが違い。ランチセッションを長めに設けて、クローズドな会場で行うようなイメージです。この3つを状況に応じて使い分けていただくのがポイントですね。
前田:どのように使い分ければいいでしょうか。
小林:プロダクトや事業フェーズによって最適な選択肢が変化します。たとえば、まだ取引のある社数が限られていて、どんな顧客がいるか把握している導入期。自社と顧客のCレベルの距離感が近い場合が多いので、個別対応型が最適です。スタートアップ企業の中には「自分たちがやっている活動が実質的にはすでにCABである」という意識がないまま活動している企業も多いかもしれません。
成長期前半の企業では、ハイブリッド型が良いと考えます。理由は、このフェーズになると自社のカンファレンスなどのイベントがシリーズ化していることが多いため。とはいえまだ既存ユーザー向けのイベントは少ないので、この段階で独立させるよりは現在の活動に組み込んでいく方が、コスト面でも、運営面でも実施しやすいです。
定期的な自社カンファレンスをすでに確立していて、既存ユーザー向けのイベントもシリーズ化している成長期後半の企業では、イベント型を検討しても良いでしょう。顧客のセグメンテーションも固まってきているでしょうし、このタイミングでこそイベント型のCABが大きな効果を得られると思います。
さらに進んで成熟期に入っている場合は、プロダクトや会社の方向性によっても変わります。イベント型で成功していればそのまま継続しても良いですし、ハイブリッド型に戻すスタイルも。顧客との距離が遠くなりがちな成熟期こそ、あえて強いつながりを求めて個別対応型に立ち返る考え方もありますね。
ゴール設定のフレームは「5W1H」
前田:続いて、日本市場でのユースケースを教えてください。
小林:3ケースご紹介しますね。
最初は外資系大手のマルチプロダクト系SaaS企業、個別対応型の成功事例です。特徴としては、期初にCABを実施していること。各役員が抱えているCSM(Customer Success Manager)のうち上位3〜5社をピックアップし、各社のCレベルとホットラインを創出します。「エグゼクティブスポンサリング」と呼んでおり、期初はこの活動で忙しくなるのが恒例行事になっているようです。
2つ目が外資系の中堅、シングルプロダクトSaaS企業のイベント型の成功事例。期末に実施し、各社から1名ずつ、合計15名ほどに参加いただきます。「エグゼクティブラウンドテーブル」という、Cレベルが参加し、役員同士が直接議論できる場を設けているのが特徴です。それだけの近い距離感でVIP企業の経営層を扱っていますよ、というメッセージングになります。
最後に紹介するのは日系大手のマルチプロダクト系SaaSの、ハイブリッド型の成功事例。ここでは年に数回CABを実施しています。15名ほどのCレベルが参加する点では2番目の事例と同じですが、マルチプロダクトかつビジネスとして成熟期に入っているため、さまざまな組み合わせでイベントを作りやすくなっているのが特徴です。
たとえば、プロダクトAにフォーカスして東京、大阪、北海道などと各地で開催するだけで、一つのシリーズができますよね。そうして既存のワークフローにCABを組み込むことが可能となっています。またこの場合、マーケティングが管轄するイベントの一部となるので、普段から開催しているイベントの集客からどの程度のリードが創出できるのか、どれくらいのパイプラインで受注したのかといったTHE MODELのフローの数字からKPIを設定します。この点も他の2つと違う特徴です。
前田:CABを始める時におすすめのフレームはありますか?
小林:特に真新しいものではありませんが、「5W1H」で一つずつ考えてゴールを設定すれば、重要なポイントを外さないと考えています。「Why」で目的やゴール設定をどうするのか、「Who」で誰を呼ぶのか、運営の管轄はマーケティングかセールスか……といった具合ですね。なお、ゴール設定では定量と定性の両方から検討するのが大切です。
5W1Hの中では、「What」のアジェンダはよく考える必要があります。Cレベル同士を集めた上で、有益なディスカッションを生むにはどんなテーマがいいのか、メンバー的に懇親会は開催した方がいいのか……一つ一つ考えていくことで、自社に合ったCABの内容が決まっていくはずです。
以上が、CABの概要と大まかな運用方法になります。
日本では「1社から1人」が難しい
前田:わかりやすいお話をありがとうございました。ここからは色々と質問していきたいと思います。まず、Cレベルクラスの方々を一堂に集めるのは調整が大変です。参加のインセンティブや、興味を引きつけるアジェンダにはどんなものが考えられますか?
小林:「この会に参加しないとできない会話がある」ということがインセンティブになります。具体的に考えるために、ユーザーイベントと比較してみましょう。<yellow-highlight-half-bold>ユーザーイベントでは色んな人が集まってきて、オープンに同じことを話しますよね。ただ、そこでは自社の抱える課題や、経営レベルの悩みを共有できるとは限りません。CABであればCレベルに限定しているので、経営や同じプロダクトの悩みを抱えている人同士が話せる場として機能します<yellow-highlight-half-bold>。
CABかユーザーイベントかを分けるポイントは「誰をエンゲージしたいのか」。エグゼクティブ層をエンゲージしていくことにこだわるのであれば、CABを実施すべきでしょう。
興味を引くアジェンダに関しては、インタラクティブ性が重要。悩みを共有できる貴重な場として、一つのトピックをもとに広がっていくことを目指しましょう。DropboxのCABに参加する人なら、Dropboxを自社DXに活用する可能性を探っている人が多いですよね。そのために経営レベルは何ができるのか……といったテーマで語り合えるアジェンダを設定すると、成功確率を高めることができます。
前田:メンバー同士のアイスブレイクはどの程度入れるといいのでしょうか。
小林:顧客のタイプや自社のプロダクトによると思います。コロナを抜きにして考えれば、ウェットな交流を好む業界や顧客層に向けては、温泉へ行くなどの要素をアイスブレイクとして検討することもありでしょう。一方で、問題解決に注力していて、純粋にビジネスの話だけを求めている顧客が多ければ、アイスブレイクもライトな懇親会程度にすべきでしょう。
前田:参加の上限人数はありますか?
小林:感覚として、15人から最大で20人ですね。それ以上だとブレイクアウトを分ける時もマネージメントが難しくなりますし、自社のエグゼクティブと話せる時間も減ってしまいますから。
ただ日本市場の場合、単純な人数の前に「1社から1人」が難しいというハードルがあります。Cレベルだけが参加するのが理想ですが、普段連絡している人に上司を連れてきていただくパターンになりがち。やりとりをしている方に「今回は(あなたは)参加しなくていいです」とも言いづらいですしね……。
ただ、それを続けていると1社から2〜3名が参加することになり、クローズドな会ではなくなってしまいます。その意味では、人数以上に1社1人で本当に呼びたい人を呼べるかを重視するのが大切ですね。
運営には複数のキープレイヤーが必要
前田:続いて、社内のオペレーションはどのように連携していくと良いのでしょうか。
小林:まず、<yellow-highlight-half-bold>基本的にはカスタマーサクセス主眼が成功しやすい<yellow-highlight-half-bold>です。北米でも同様のケースが多いですね。カスタマーサクセスのメンバーが多い組織であれば、自分たちでオペレーションを回すと良いでしょう。他部署との連携としては、マーケティングのノウハウを補うために1〜2人入ってもらう、挨拶のためにセールス部門の人に当日いてもらうなどが考えられます。
避けた方がいいのは、セールス主観で運営すること。CABの主旨が変わり別物になってしまいます。セールス主観のイベントも重要ですが、しっかり切り分けましょう。
CABでは、目的をしっかり把握することが大切。冒頭でお話ししたゴール設定の3パターンで、たとえばカスタマーマーケティングリサーチにフォーカスするならマーケティング部の意見をしっかり聞く。PLGを重視するならプロダクトチームにも携わってもらうといった具合ですね。
前田:CABの実施は経営判断に近いと思いますが、やはりトップダウンが多いのでしょうか?
小林:北米SaaSだと事業がある程度の規模になったらCABはやるべき、という考えがスタンダードなので、みんな自然と実施しています。一方、日系SaaSではこれから浸透していく段階なので、トップダウンとボトムアップ、両方考えられると思います。
トップダウンであれば話は早いですが、難しいのがボトムアップ。この場合も「やりたいこと」は何か、目的を明確にすることが大切です。
前田:小林さんが運営に関わる中で、大変だったことはありますか。
小林:トップダウンでCABの実施が決まることが多いので、WhyよりHowで苦労することが多かったですね。Cレベルを厳選して同日に集めるのが特に大変でした。
それから外資特有のものだと、Cレベルが日本語を話せないことが通常です。そのため、日本の顧客とインタラクティブなコミュニケーションを生むために、事前の準備や通訳との摺合せにかなり時間をかけたこともありました。
前田:ファシリテーション能力が問われますね。CABを進める人は、他にはどんなスキルが必要でしょうか?
小林:運営では一人ではなく、何人かのキープレイヤーが求められます。まずは会場選びや予算、どのツールでブレイクアウトを行うかを決めるため、イベント経験がある人が必要。CSの部署にいなければマーケティング部にお願いします。
企画に関しては、企画をまとめたりチームをマネージしていくことに長けていたりする人が中心にいると良いでしょう。ファシリテーションは、声が良くて司会が映えるとか、いろんな人の意見を取り入れながら場をまわせるとか、上手い人に任せるといいですね。カスタマーサクセスには得意な人も多いのではないでしょうか。
目的が達成できれば、CABじゃなくてもいい
前田:今後、日本でCABはどうなっていくと思いますか?
小林:日本でも多くのSaaS企業が成長している中で、CABで解決できる課題が日々生まれているので、ニーズにともなって導入が進んでいくと考えています。これまでのSaaSでも、ノウハウが米国で確立されたものの多くが日本でも浸透していますし。日本は個別訪問型と相性が良いので、まずはここから発展していきそうだなとみています。
CABはエグゼクティブエンゲージメントを獲得し、SaaSを成長させるためにとても重要なアクティビティです。我々も実践する中で、その価値を感じています。一方で、CABがすべてではありません。企業のフェーズなどによって使い分けることが必要ですし、ユーザーイベントや他のアクティビティの方がフィットする場合もあるでしょう。
大切なのは、どのタイプがいいのかじっくり検討し、やるなら目的を明確化してしっかり実施することだと考えています。
前田:CABでないと得られない結果や情報がない限りは、他の手段でも構わないということですね。
小林:そうですね。究極的には目的が達成できれば、手段はなんでもいいんですよね。ですので「CABが最適な手段なら、それを選びましょう」というのが一番伝えたいところですね。
とはいえ、自社で実際にやってみないとわからないと思うので。リソースがあればぜひ取り入れてみてください!
カンファレンスセッションで投影された全スライドはこちらからご覧いただけます。