データの収集・分析・連携ができるCDP(カスタマーデータプラットフォーム)を手掛けるTreasure Dataは、グローバルでも急成長中の注目SaaS企業。2018年にはArm社へイグジットしましたが、その後、今年になって創業者たちが「出戻り」の形で経営陣につき、さらなる飛躍を目指すというニュースは、業界に驚きをもたらしました。
今でこそCDPとして名高いTreasure Dataも、実はARR 30億円の段階でピボットし、現在の姿へと変わった経緯がありました。その背景にあったストーリー、ピボット後にARR 100億円を突破するため必要だったこと、そしてカムバックの理由まで、共同創業者でCEOを務める太田一樹さんに伺います。
聞き手は、ALL STAR SAAS FUNDマネージング・パートナーの前田ヒロです。
3年でARR10億、しかしテックジャイアントの参戦で…
──早速ですが、ARR30億円でピボットされた経緯から伺えますか。
太田:Treasure Dataは5年目から6年目にかけてピボットしましたが、実はこの段階でARRとして積み上がってはいたけれども、ファウンダーの脳内では下降線が見えていました。しかし、このピボットによって、グロース率が一気にリアクセラレートしたのが実情です。
Treasure Dataは、僕がHPC(ハイパフォーマンス・コンピューティング)を大学で研究していたというバックグラウンドを生かしたサービスです。当時、データ分析はオンプレミスで、巨大なハードウェア、ネットワーク、ソフトウェアをセットアップし、人も雇い、やっと始められるものでした。しかも、開始するまで平均18ヶ月かかるのに、約4割のプロジェクトが失敗するといわれていました。
そこで、データ分析のインフラをクラウドで実現すれば、アップフロントのコストもかからず、人を雇う必要もないのではないか、というのが最初の発想です。立ち上げて3年が経つ頃までは、ほとんどファウンダーがセールスに立ち、大口顧客をつかまえてARR10億円となるなど順調に成長できました。
ところが、Amazon、Google、Microsoftといったクラウドベンダーが、どんどんインフラレイヤーをコモディティ化する流れが起きていきます。AmazonのRedshift、GoogleのBigQueryなどが競合となり、価格の安さや処理速度を求められるようになりました。Treasure Dataは資本力、開発能力、エンジニア数でも対抗できませんから、大きな方向転換を迫られたのです。
そこで、ビッグデータプラットフォームの上にアプリケーションレイヤーを載せて、よりビジネスに近いレイヤーへ売るべきだ、と考えるようになりました。つまり、エンジニア部門へ売る方針から、マーケ部門へ売るというピボットを実施したのです。それによって成長率が、年率70%〜80%までアクセラレートしたわけですね。
──ありがとうございます。3年でARR10億といえば、SaaS業界でいえば順調な部類に入りますが、ピボットを決めた兆候はあったのでしょうか?
太田:正直に言うと、僕らはARR10億円から仮に20億円まで至ったとしても、PMFを感じられていなかったんです。「売れた!」というより「売ってきた」という感じ。それはACV(Annual Contract Value、年間契約額)が何千万円というラインを狙っていたせいもあるとは思います。スケーラブルなセールスマーケティングファンクションがなかったんです。
そこへテックジャイアントが参入してきて、いろんな兆候が起きました。まず、レップが育たない。スーパースターレップが何人かいても、営業のキャパシティを増やせなくなっていました。そして、アベレージのACVも下がっていきました。Treasure Dataは最低初期費用を月30万円で置いていましたが、AWSやGoogleなら月1円から、サインアップして即使える。
そんな状況になると、営業をしても「なぜ30万円から?」という議論になり、ベンチマークして速度を比べるような状況に。営業サイクルも延びてしまい、チャーンも当然に増えていきます。「全てのKPIがこのままでは成り立たなくなる」と感じていましたね。
その後のTreasure Dataを完璧に左右した30分間
──その状況からピボットを決めるまで、後押しになる言葉やアドバイスはありましたか?
太田:いくつかあるのですが、何より頼りになったのはTreasure Dataの投資家たちでした。調子が悪いときにアドバイスをくれる投資家は、アントレプレナーからすると最もバリアブルですからね。
ZoomやSentinelOneの取締役をしているDan Scheinman、それからYahoo!のファウンダーであるJerry Yangといった人たちに相談したのを覚えています。Jerryとのミーティングは、その後のTreasure Dataを完璧に左右した30分間だったと思っています。Jerryからは「もう二つしか道はない」と言われました。
一つ目の道は、僕らと似たような企業であるSnowflakeの戦略。Microsoftで要職を務めたCEOを要しシリコンバレーのVCから$1b以上の資金を調達、営業もマーケティングのエクスキューションもトップクラス。彼らは大量に資金を投入してAmazon Redshiftを喰いに行った。ただ、Treasure Dataは彼らのような戦い方はできないでしょう。
二つ目の道は、自分たちのプロダクトにバリューを積み上げ、よりアプリケーションに近い領域をend-to-endで提供すること。我々が選んだ道はこちらです。Treasure Dataのデータ分析プラットフォーム上にどういったアプリケーションが作れるのかを考えるために、100社ほどの顧客のもとを訪れて、さまざまなことを聞かせてもらいました。
その気づきとしては、ほとんどの顧客が「お客様やユーザーに関するデータ」を分析して何かしらの動向をつかんでいるけれど、その分析の9割方をマーケティング部門が依頼していたことです。その依頼を元に、エンジニア部門が動くのですね。それならば、マーケティング部門が自らデータ分析できるアプリを作ればいいのではないか、と。
そこで、複数の顧客データを集約し、セグメンテーションや検索条件によって適合する顧客リストを取り出せたり、EメールやSMSといったマーケティング施策のツールと連携できたりといった機能を作りました。これらは顧客から請われたものを一般化して作ったようなプロダクトです。
実際のところ、2017年ぐらいのCDP (Customer Data Platform)のカテゴリーにおいて同種の機能は存在していたのですが、ここに勝ち筋があると見えたんです。
──当時でいうと、そのCDPの競合は何社ほどありましたか?
太田:20社から30社ぐらいでしょうか。最大手はSegmentという企業で、最近になってTwilioに3.2billionで買収されていましたね。ただ僕としては、それまで毎日、Amazon、Google、Microsoftを相手にすることしか考えていなかったので、肩の荷が下りたという気持ちもありました。だって、彼らはあまりにも巨大じゃないですか(笑)。
今になってPLG(Product-Led Growth)という言葉も出てきていますけれど、一般的にはデベロッパーから入って、徐々に増やしていく戦略を取るサービスが多い中で、CDPは全社導入することが多いです。というのも、部門単位で入れても価値がそれほど高くならないからです。複数のブランド、複数部門のデータを統合することで最も価値が発揮されます。
つまり、大企業であればあるほどペインは大きいのですが、競合他社にはその点を満たせる製品が見当たらなかったんです。この領域にビッグデータプラットフォームで培った、複雑なデータや巨大なデータを一つにまとめ、マーケティング施策に生かすというサービスは、僕たちしか作れないのではないか、と。
現在もCDPの競合としては150社ほどありますが、売上的にはTreasure Dataがナンバーワンです。
説得していては間に合わない…ピボットのために動き出す
──実際、ピボットしてからは、そのあたりの感触は変化したんでしょうか?
太田:いや、結構にカオスな時期があって(笑)。僕が「CDPをやろう」と言っても、誰も信用してくれませんでした。共同創業者の芳川(裕誠)も「突拍子もないことを言いだした」と、きっと思っていたはずです。でも、僕を信頼してくれたので、芳川と一緒に立ち上げて良かったと感謝しましたね。実際、取締役会でとあるVPが僕を解任しようとした事件も……。
──なかなかのハードシングスですね(笑)。社員の説得も大変だったでしょう。
太田:社員は150人規模になっていましたから、全員を納得させてからではピボットが間に合わないだろうとは考えていました。そこで、『Zone to Win: Organizing to Compete in an Age of Disruption』や『イノベーションのジレンマ』で語られているようなやり方ですが、まずはプロトタイプを作る少人数チームを立ち上げました。僕がプロダクトマネジャーとして入り、エンジニア、UI/UXエンジニア、デザイナーと共に製作したものを3社ほどに使ってもらい、MRRを積み重ねました。
そういったことを地道に続けると、営業チームにも良い影響が及んでいきました。とはいえ、会社全体がCDPへ方針転換するまで2年はかかりましたし、売上比率を見てもピボット前からの顧客もいました。事実、今も売上の8割がCDPで、全て転換しきってはいません。
あとは、プロトタイプを作る以外にも「Fluentd(フルーエントディー)」というオープンソースのデータコレクターを作り、それをエンタープライズ向けに販売することも始めました。つまり、プロダクトごとピボットしたんですね。これは2年でARR1億円くらいまでは至りましたが、CDPのほうが圧倒的に成長率も高く、結果的にはFluentdのビジネスは閉じました。
──アイデアを模索するプロセスにおいて「探しにいくべきシグナル」といえるものはありますか?
太田:勝ち筋が見えていることでしょう。僕の中で最も重要なのは「市場の大きさ」です。<yellow-highlight-half-bold>市場が大きければ戦略や戦術が悪くとも、一つの大きな会社になれる<yellow-highlight-half-bold>とは思います。
当時のCDPは、顧客行動がデジタル化の一途であること、GDPRやCCPAといった動きから同意を取った上でのデータ活用という流れがありました。つまり、あらゆる企業が顧客データをとにかく集める時代から、それらを適正に集めて管理する時代に、ここ5年から10年で切り替わっていくことが見えてきていた。だから、この市場に賭けられたんです。
特にMarTech(マーテック、Marketing Technology)のカテゴリーは爆発を続けていて、5000社あったものが8000社にまで増えています。実はそのエコシステムが増えれば増えるほどCDPの価値は上がるんですよね。ベンダーがあるほどにデータはサイロ化してしまいますから。
現在では1社当たり約90個のSaaSツールを使っているという話を聞きました。中でも多いのはマーケティングに関するツールです。このトレンドは今後も続くでしょうし、その分だけCDPの需要も高まるはずです。
こういった市場の側面を、僕は重要視しましたね。そして、それに対して既存のプロダクトからどういった戦略的な競争と優位性を作れるか。それが楽であるほど成長も速い。まだまだ未熟ながら、そのように考えていました。
複雑な問題を「僕しか解決できません」と言える状態にする
──競合社数を聞いてもわかるように、シリコンバレーはありとあらゆる面で競争環境が激しいですよね。そこで勝つための要素やスキル、あるいは築くべき強みとは何でしょう?
太田:やはりポジショニングが大事です。CDPの市場全体を見て、どこなら自分は絶対に勝てるのか。それを意識して、マーケティングや営業をすることです。
Treasure Dataの場合は、マーケティング全体の領域が100%あるとして、30%くらいのお客さんはSalesforceやAdobe、Oracleといった企業から全てのツールを買っています。僕らはこういった調達を「スイートアプローチ」と呼んでいます。スイートアプローチが取れるのは、企業として資金的な体力があることが多いです。
残りの70%は、CRMはSalesforce、ウェブ分析はAdobe、EメールはOracle……といったように個々で最も良いと思えるツールを選びます。いわゆる「ベスト・オブ・ブリード」ですね。ただ、その分だけデータは分散されてしまいます。
そこでTreasure Dataとしては、「どのマーケティングクラウドでもTreasure Dataを導入すれば、データを一つに統合できる」というポジションを取ったんです。そうすると巨大ベンダーに対しても明確な立ち位置が生まれます。僕らはこの位置を「ベンダーニュートラル」と呼びます。
ベスト・オブ・ブリードを選ぶ70%の中で、CDPは150社の競合があるけれど、Treasure Dataは特にペインが大きいエンタープライズに特化しました。それこそ「ARR1000万円以下のディールはやらない」と決めて、マーケや営業のオペレーションも作り込んでいきました。
僕がポジショニングを重要視するのは、日米の競争環境の違いも大きいです。アメリカでは約50社のコンペから始まるのが基本で、まずはベンダーがブランドの機能要件を満たせるか否かを回答し、2〜3社ほどに絞って最終コンペを行うか、時にはPoCまでして決めるというプロセスです。競争が激しく、営業サイクルも長いので、この動きをいかにコンパクトにして単価を上げるかが重要だと考えたわけです。
また、ソフトウェアの歴史を見てみても、グローバルにカバレッジできるプロダクトが最もシェアを取っていると感じます。たとえば、「経費精算」のプロダクトでいえば、トヨタ自動車のように世界中でオペレーションをするグローバル企業において、各国のルールに従いながら統一的に経費精算をさせるとなると、現段階ではConcurしか選択肢がありません。そうなれば値段も何も関係ない。だって、それしかないんですから(笑)。
Treasure Dataも同じような存在になれることを常に意識しています。Treasure Dataのディールで言うと、50カ国の拠点にまたがって実装している顧客があるのですが、「国外へデータを持ち出せない」というルールがある拠点も出てきます。Treasure Dataはヨーロッパ、US、日本、韓国にデータセンターがあり、今も増やしているところですが、グローバルブランドへ世界中でオペレーションしているCDPとなると、実はTreasure Dataしか現時点では存在していません。
そうすると営業サイクルも大幅に縮まり、ASPも大きく上がります。そういったグローバル企業を相手に、とにかく複雑な問題を「僕たちしか解決できません」と言える状態にすることを意識しています。
世界中でタレントを確保しなくては務まらない
──グローバルでエンタープライズな企業を狙う上で、Concurという例もありましたが、他にも参考にした企業はありましたか?
太田:世界中を見ても参考にできる会社はほとんどないのですが、ServiceNowが意識している「G2Kペネトレーション」は僕らも注視しています。彼らは時価総額が高い世界の企業2000社のうち、どのぐらいにペネトレーションできていて、顧客単価がどのくらい増えているのかをアーニングスコールにも出しているんです。
そうすると、投資家からしても「世界の2000社のうち、1500社はまだ攻められる」という市場感もわかり、単価も伸びる。同じようにTreasure Dataも「G2K」だけは、より手厚くセールスプロセスが走るようになっています。デモにしても、各社のサイトや導入サービスを徹底的に調べて、しっかりと時間をかけて作り込んでから担当者に見せますから。
──そういったお客様に寄り添った提案は、プレセールスが担うのですか?
太田:そうですね。結構いろんなオーバーレイがあるとは思います。たとえば、テキサス州担当であれば、そこに業界のオーバーレイがあり、フィナンシャル、CPG、オートモーティブ、リテール…といったように、それぞれにエキスパートが必要でしょう。
そこで僕らは、自動車業界で15年の経験を持つ人をアサインして、さらにセールスエンジニアやソリューションエンジニアが張りついて、テクニカルな営業ができるようにもしています。それにグローバル企業となると、重要なデータを全世界にかけてお預かりするので、要望の40%ぐらいがセキュリティやレギュレーションになってきます。セキュリティアーキテクトをつけて、そのデータが正しく守られるだけでなく、クラウドと顧客セキュアに通信できるようなアーキテクチャも握ります。
──いやぁ、すごいです。それを実現するためにも採用力が必要ですが、おそらくGAFAMクラスの企業と人材獲得戦争に入っていることと思います。Treasure Dataの採用の秘訣は?
太田:元も子もないことを言いますが、“Revenue solves everything”という面はあると思います。これは僕と芳川の想いとして、最初にリスクを取ってくれた人たちには大きく報酬を得てもらいたかったんです。だから最初にArmへ買収されたとき、実はミリオネアが社員から50人以上生まれました。彼らにアップサイドを提供できたというプラクティカルな理由は、まず一つあるはずです。
確かにポストパンデミックにおいて、シリコンバレーの採用はより激化しています。そこでここ3年ほどは、特にエンジニア側はリモートになってきていますから、アメリカ、日本、UK、ベトナム、あるいはプロフェッショナルサービスならばインドといったように、世界中でタレントを確保することは意識しています。文化やタイムゾーンの違いによるチャレンジはありますが、Treasure Dataはグローバルに展開していますから、どの国で雇っても同じタイムゾーンに属する顧客がいるわけです。
僕個人としても、グローバルでも日本人である強みを生かさないと勝てないとは思っていた中で、自分がシリコンバレーにいたのもありますが、日本のエンジニアリング能力は非常に高いとは感じていました。言語の壁や英語能力の問題は追って超えてもらうことにして、エンジニアの40%ぐらいが実は日本にいる状況になっています。
再起を決めた、孫正義からの言葉
──最後に、一つ今日お聞きしたかった質問を。一度はArmに買収され、お辞めになった後でCEOとして戻ったニュースに僕はすごくびっくりしました。自分で新しくスタートアップを立ち上げる選択肢もあったでしょうし、悠々自適という暮らしもできたかもしれない。なぜ、CEOとしてTreasure Dataへ戻ってきて、会社を伸ばそうと決められたのですか?
太田:買収されて2年くらいは、「ポスト・マージャー・インテグレーション」といって、ArmにTreasure Dataをどのようにインテグレーションするのかに取り組んで……よくある話ですが、そこで燃え尽きちゃったんですよね。去年9月に一線を退き、取締役会だけは出席をしていました。会社の方向性などを議論する機会はあったけれど、それ以外はずっと『フォートナイト』で遊んでいた時期もありました。
実はArmは、GPUで有名なNVIDIAに買収されそうな局面にあるのですが、NVIDIAとしては「Armのソフトウェア部門は買収しない」と判断しています。その部門にはTreasure Dataも含まれています。だから、Treasure Dataは独立した企業としてソフトバンクグループに属することになったわけです。それがちょうど僕たちの辞めるタイミングでした。
新しい社長を据えて走っていくところでしたが、今年の4月頃に僕と芳川のところに、ソフトバンクの孫正義さんから電話がかかってきて、「戻ってこないか」と。
孫さんの思惑としては、先ほども話に上がったSnowflakeが8兆円という史上最高規模のIPOになったのは大きいはずです。それで「データビジネスは押さえねばならない」とまず考えた。そして、創業者がオペレートしている会社が平均的に時価総額がつきやすいという理由もあって、僕らを呼び戻そうとしたのでしょう。
ただ、芳川はVCに戻るキャリアを選ぼうとしていたし、僕もまだ36歳ですから、自分で新しい事業を手がけようと考えていたところでした。自分の経験から言えば、会社を作るとなると、特にSaaSは長期戦ですから、10年や15年は情熱を賭けられるものでなければなりません。でも、そこまでのものは僕も見つかっていない状況でした。
そういう精神状態で孫さんに会って、提示された条件も確かに魅力的ではありましたが、最終的には「血湧き肉躍るほどではない」と感じていました。
──それなのに、どうして戻る決断に至ったのですか?
太田:孫さんの煽り方が、やっぱり上手かったんですね。
今、ユニコーンと呼ばれる企業価値1000億円企業は500社ありますが、今年は700社くらいになるでしょう。そうなると、1billionのユニコーンは、今後はもうポニーになってしまう。ここから先、<yellow-highlight-half-bold>起業家として何かを成し遂げたと言えるためには10billion、つまり1兆円企業を作ることで「初めて一国一城の主になれるのだ」<yellow-highlight-half-bold>と。孫さんの言葉を借りれば「男子として事を成し遂げた」といえるわけです。
ソフトバンクをあそこまで作り上げた人から、そんなふうに言われると、僕もなんだか「悔しいな」と思っちゃったんですよ。それなら、再びTreasure Dataでのチャレンジを選んでもいいのではないかと。
僕はもともとCTOで、プロダクトとエンジニアリング、カスタマーサクセス&サポートを見てきましたが、営業やマーケもプロダクトの戦略と組み合わせて、初めて意味を成すのではないかと考えていました。そういったオーケストレーションには自分のキャリアとしても興味があったので、CEOとして戻ることに決め、それを芳川もサポートしてくれました。
とはいえ僕だけではオペレーションできないので、Armが買収される前のCOOとCFOがフリーだったこともあり、このタイミングで一緒に戻ってきて、買収前の3人のマネジメントチームになった、という経緯です。
──本当に孫さんは、そういう焚き付けがうまいですね。
太田:「1兆円企業を作ることで初めて一国一城の主になれる」ですからね(笑)。今日、僕がやっぱり一番に伝えたかったのは、目標を「1000億円企業を作る」には置かず、「1兆円企業を作ろう!」と目線を上げることの重要さです。結果として、それが1000億円企業にまでなれば、それはそれで良いことでしょうから。