「1つのプロダクトをつくり、それを普及させ、成功させる」というのが、これまでのSaaSにおける「一般常識」とされてきました。実際に、この手法によって、多くの企業が自分たちのポジションを確立し、現在の「SaaS業界」は誕生したわけです。
しかし、「Rippling」がこの常識を覆します。人事、IT、財務にまつわる情報を統合されたプラットフォームで扱える人事管理SaaSを展開する同社が提唱するのは、複数のプロダクトを展開することで成長をさらに加速させる「コンパウンドスタートアップ」という考え方。
創業6年目にして30近いプロダクトを持ち、何十社もの競合企業からマーケットシェアを奪取。従業員数は2,300人を超え、売上高は数百億円、前年比成長率は100%を維持しています。
本セッションでは、RipplingのCOO(Chief Operating Officer)であるMatt MacInnis氏を招き、コンパウンドスタートアップ戦略の概念、把握すべき「落とし穴」、そして次時代に突入する「SaaSの世界を勝ち抜く方法」についてお話を伺いました。聞き手は、ALL STAR SAAS FUNDのManaging Partner・前田ヒロです。
一般常識と“逆のこと”をするから、みんなが注目してしまう
前田:Ripplingは、この数年間で多くの注目を集めていて、「コンパウンドスタートアップ」という言葉はSaaSの世界において、2023年の流行語になったと思います。誰もがその仕組みや裏側で起こっていることを学び、理解したいと願っています。今日はたくさん学べることを楽しみにしてきました。
Matt:私も皆さんにお話しすることを楽しみにしています。
まずは、Rippling創業の経緯と、私の個人的な経歴も少しお話しますね。Ripplingはサンフランシスコに拠点を置き、約7年前にParker Conradが創業しました。彼は以前に人事管理サービスの「Zenefits」を創業し、かつては「史上最も急成長するSaaSソフトウェア」と評された会社でした。
でも、非常に良くない人々が、非常に良くない決定をした結果、終結を迎えてしまったという恐ろしい話があります。突然フリーの身となったParkerでしたが、よく理解している市場で再起しようと創業したのが「Rippling」です。Ripplingは、今や最も急成長するSaaS企業の一つです。Parkerは急成長するSaaSビジネスを構築する方法を熟知していますから。
私は10代の頃からParkerのことを知っていました。彼とは共にハーバード大学へ通った仲なんです。ある意味、Ripplingへの参画は自然な流れでした。成長力の高さはもちろん、友人と会社を築けることは大きな理由になりました。もし、あなたが親友と何かを築き上げる機会があれば、絶対に挑戦することをお勧めします。こんなに楽しいことはないですから。
前田:では、早速ですがRipplingが提唱する「コンパウンドスタートアップ」について、その概念やポイントを教えてもらえますか。
Matt:「コンパウンドスタートアップ」の概念は、一般的な常識から反するもので、とても興味深いんですよ。通常は、一つのプロダクトを構築し、成功させてから次のプロダクトを開発しますね。一度に複数のプロダクトを展開すると、さまざまな問題が発生しますから。
でも、一般常識とは違う「何か」を行なっている様子を見ると、人々は惹き込まれていくのです。だから、みんながRipplingに注目しているのでしょう。一般常識と逆のことは、異なる機会も生み出してくれます。私は個人投資家として70社ほどの企業に出資していますが、高いパフォーマンスを常に達成している企業は、どこも「一般常識と逆のこと」をするための正当な理由を持っているように思います。
「楽しいから」とか、「やってみたいから」とかいった気まぐれではないんです。「やらなくてはいけない、本当に正当な理由」があるからこそ、一般常識と逆のことをする。ここがポイントです。Ripplingにも同時に複数のプロダクトを構築する正当な理由があります。
それが結果として「コンパウンドスタートアップ」という用語になったんです。今は、一般的な用語として意味が少し広がってしまい、歪められてしまっているようにも感じます。人々は「コンパウンドスタートアップ」と聞くと、「5つのプロダクトを同時に作ること」と思うようですが、実際はもっと複雑です。そんなにシンプルじゃないんですよ。
Ripplingが目指すのは、「1990年代のMicrosoft」
前田:Ripplingがどのように成長してきたのかを教えてください。
Matt:Ripplingはサンフランシスコを拠点に、グローバルで約2,500人の従業員がいます。ARRは数億ドル規模です。2023年の10月だけで、1,750万ドルの純ARRを新たに達成できました。どれだけ成長しても、高い成長率を継続している。本当にエキサイティングなことです。
Ripplingは労務管理システムを展開していて、給与、福利厚生、パフォーマンスレビューなどを管理できます。これらのプロダクトが、全て単一のプラットフォーム上にあることで、従来よりベターな存在になれました。そこからさらに「IT」も扱いはじめました。新しく従業員が増えるときには新しいPCが必要で、それを注文したり設定したり、配布したりする担当者がいます。あるいは、誰かが会社を去る時は、PCを回収しなくてはなりません。
次に「ファイナンス」の領域にも進出しました。新しい従業員のオンボーディングをするときにはPCと一緒に法人カードを渡して、使った経費を申告しますよね。これらの全てを一つのプラットフォーム上で管理できるようにしたんです。
HR、IT、そしてファイナンス。これらが同じプラットフォーム上にあることが面白いんです。最近はGitHub、Salesforce、Zendeskからのデータ取り込みも開始しました。そうすると、個々のアプリケーションのデータが、私たちが「Employee Graph」と呼ぶ場所に集積します。私たちのプラットフォームは、全アプリケーションの最下層にある構成です。これが、コンパウンドスタートアップの醍醐味なんです。
「Employee Graph」は、単なるデータベースでもなく、従業員リストでも、給与リストでも、パソコン管理リストでもない。「オブジェクトグラフ」なのです。各オブジェクトに任意の属性を割り当てられます。従業員をデバイスに関連付けるだけでなく、パソコンを従業員に関連付けることも可能です。パソコンの所有者に法人カードをリンクすることも。そうすると、システム内で自由にレポートを作ったり、自動化できたりするわけです。
前田:「Employee Graph」は今後の話にも関連してきそうですね。ちなみに、コンパウンドスタートアップの醍醐味とのことですが、なぜそう言えるのでしょう?
Matt:ここで注目すべきコンポーネントは4つです。分析、ワークフローの自動化、ポリシー、権限。これらは給与、福利厚生、デバイス、経費アプリの中にあります。経費アプリは給与アプリと全く同じレポートエンジンを持っています。つまり、給与レポートの作り方がわかれば、経費レポートも、デバイスレポートの作り方もわかります。これが、コンパウンドスタートアップなのです。
先ほども話したように、複数のプロダクトを同時に作る理由がなくてはなりません。私たちの「理由」は、全てのビジネスアプリケーションにおいて、全てに基づくデータを、コントロールしていることです。私たちは自分たちのサービスを「人材管理ソフトウェア」だとは思っていません。「HRソフトウェア」でもないんです。
私たちは、ビジネスソフトウェアを全面的に「再考」する存在になろうとしています。なぜなら、全てのビジネスソフトウェアやアプリケーションは、従業員データに依存しているからです。あなたが誰で、ボスが誰なのかもわからないままに、GitHubを使ってソフトウェアを書くことなんてないですよね。そう、関係性を理解する必要がある。Ripplingにはその依存性を直接組み込んだのです。
次の10年間で、私たちは1990年代のMicrosoftのような存在になれると考えています。当時、Microsoftの店舗へ行けば、Microsoftのソフトウェアを買ったでしょう。Microsoft OfficeやMicrosoft Accessなど、様々なプロダクトを。他メーカーのプロダクトを買おうとなんてしなかったはずです。
私たちもRipplingという店舗を作ろうとしているんです。「すべてのビジネスアプリケーションはRipplingで入手する」という状態にしたいと考えています。そのために、私たちは給与計算からスタートした、というだけなのです。
これが、私たちの考える「コンパウンドスタートアップ」の概念です。
初めから果樹園をつくるように、プロダクトをつくってきた
前田:現在のRipplingは四半期ごとに新しいプロダクトを出していますよね。驚くべきスピードです。どうやって実現しているのか、もっと深掘りしてお聞きしたいです。
Matt:2019年には「タイムカード」と「出席管理」ができるようになりました。最近だと、採用候補者をトラッキングできるリクルーティング機能も。全ての新しいアプリケーションが収益予想を超える結果を出しています。非常に強いGTM(Go-To-Market)を達成できているからでしょう。
多くのSaaS企業の創業者が早い段階で勘違いしていることですが、悪いプロダクトでも良い営業があれば勝つ可能性がはるかに高まるのです。あなたのGTMエンジン、つまりはプロダクトを市場に出して売る能力のほうが、プロダクトを作る能力より重要です。ほとんどの創業者はエンジニア気質があるからか、その大切さを理解していないケースが多い。
Ripplingはプロダクトを正しく作るだけでなく、強力なGTMエンジンを持っているのが強みです。まともなプロダクト、あるいは良いプロダクトをチャネルに投入すれば、爆発的に伸びて、お客様は購入してくれます。
前田:GTMについてもう少し聞きたいのですが、たくさんのプロダクトを持っている場合、セールスチームは複雑に感じませんか?一つのチームが複数のプロダクトを扱うのか、それとも各プロダクトごとに専門のチームがいるのか。どうしていますか?
Matt:ほとんどの企業は一つのプロダクトを作り、それに特化したセールスチームを築きます。そして、ファイナンスやR&Dチームをその周囲に構築します。会社のストラクチャーは一つのプロダクトを中心にオペレーションが組まれます。一つのプロダクトと、一つのセールスチームがあったとすると、ビジネスの財務的な面について考えるときも、その一つのプロダクトを中心に考えようとするでしょう。
ここで、プロダクトを「木」に例えてみます。あなたが植えた一つの木に、果実が実りはじめる。そして、木が大きくなって、もっともっと果実が実りはじめる。収穫のプロセスも成熟してきたら、あなたは「2本目の木」をそばに植えようと考えるはずです。
問題は、2本目の木を植えるとき、1本目の大きな木の影に隠れない「陽の当たる場所」を見つけられるかです。2本目の木を育てるために必要なものは、すべて1本目の木の周りにあります。隣に植えようとしている若い木を踏まないように収穫するのは非常に難しい。
では、最初から木が列を成しているリンゴの果樹園と比べてみましょう。お世話の仕組みも全く異なりますよね。つまり、同じようにやろうと考えてはいけないのです。複数の木を育てている果樹園なら、よく伸びる木のために別の木を犠牲にすることさえ可能です。もっと熟練したやり方を持たなくてはなりません。
一つの成熟したプロダクトから2つ目を作る場合は、マーケティング、ファイナンス、セールス、エンジニアリングなど、全てを一から再考しなくてはなりません。これは本当に苦痛で、ほとんどの場合において、うまく実行するのは難しいはずです。
Ripplingが成功した理由、そしてセールスチームがプロダクトを横断して販売できる理由は、何かしら魔法があるわけではありません。初期から「果樹園」を育ててきたからです。私たちは常にマルチプロダクトを見越して、全てのプロセスを構築してきました。
セールスを「リレーションシップマネジメント」と捉えている
前田:マルチプロダクトを販売するセールスチームがいる場合、たくさんのことを学ばなくてはならないし、常に新しい機能についてもキャッチアップが必要ですよね。メンバーのトレーニングは大変ではないですか?
Matt:やっぱり難しい部分はあります。Ripplingでは、セールスチームをコアなアカウントグループごとに分け、専門チームを作っています。セールスをプロダクトの専門家としてではなく、リレーションシップマネジメントと捉えているんです。
顧客は通常、一つの大きなオールインワンシステムを探すのではなく、特定のニーズに応えるシステムを探します。だからこそ、お客さまの候補となる人に対して、最初からRipplingを選んでいただけるように、プロダクトについて効果的なコミュニケーションを取らなくてはなりません。
「新規ロゴセールス(New logo sales、新規顧客向けの営業)」について考える時は、アカウントマネジメントも考慮します。アカウントマネジメントとは、既存顧客にも私たちのエコシステムに入っていただくことを指します。私たちの顧客基盤が大きくなるにつれて、新規顧客の獲得よりも、アカウントマネジメントの売上が大きくなるでしょう。
Ripplingでは、新規ロゴセールスのプロセスを担当する人がいて、彼らはすべてのプロダクトに関連するノルマを持っています。一方、アカウントマネジメントチームは、リニューアルやアップグレード、クロスセルを管理し、全てのプロダクトをセットで見たノルマを持っています。そして、新規ロゴセールスとアカウントマネジメントの間に、それぞれの専門領域チームが存在し、両方のノルマを達成しようとしています。マトリックス構造のようになっているんですね。
私たちのサービスである「Talent Cloud」や「Finance Cloud」を担当する人は、その中にある全てのプロダクトの売上に基づいて報酬を受け取れる仕組みです。彼らは担当プロダクトについて深い知識を持ち、アカウントマネージャーや新規ロゴセールスチームは営業プロセスで顧客がプロダクトを理解できるようにしています。
前田:新規顧客にとっては、プロダクトによって導入のハードルが異なりますよね。例えば、給与管理系のプロダクトは比較的簡単で、法人カードは難しいかもしれません。どのプロダクトから導入するかは自由に選べるのですか?
Matt:Ripplingの顧客になるきっかけは、彼らのニーズによって異なります。私たちはHRのコアとなる分野でよく知られているので、多くの新規顧客は給与や福利厚生の管理から入ります。しかし、ITとFinance Cloudも人気が高まっていて、新規顧客の大きな割合を占めるようになってきました。
新プロダクトをリードする「アントレプレナーチーム」の流儀
前田:プロダクトチームについて詳しく聞きたいです。Ripplingには多くのプロダクトがあり、新たな開発も進行中です。複数のプロダクトを管理し、ローンチするための体制はどのようになっていますか?
Matt:プロダクトチームについて話す前に、CEOのParkerが2週間ごとに一人で全社員の給与管理をしていることをお伝えしようと思います。これはちょっと驚きですけどね。本当に深いレベルでプロダクト思考な創業者なんです。
彼はプロダクトに近い場所にいたいと思っていて、経費精算管理プロダクト「BillPay」のローンチ後、全ての経費精算の承認を「BillPay」を使って、自分で行なっています。今ではParkerの承認待ちの請求書が山積みです……。でもこれは、彼が経費をコントロールしたいわけではなく、プロダクトを使うのが楽しいからやっているのです。
よく私たちには「どうやってプロダクトをスケールさせているの?」と聞かれることがありますが、そんなことは問題ではありません。私たちの場合、スケールするかどうかよりも、創業者がプロダクトの最も深いところまで理解していることが重要だ、と捉えています。
FigmaのCEOであるDylan FieldもFigmaを毎日使っているそうですね。何より大切なのは、プロダクトの世界で本当に才能のある優れたリーダーが、プロダクト組織をスケールさせることです。一つひとつのディテールに密接に関わらなくてはいけない。
もし、あなたがSaaSソフトウェアの創業者ならば、作ったプロダクトをあなた自身が毎日使っていないなら、絶対に間違っている。毎日、使うべきなんです。
では、チーム体制についてお話ししましょう。Ripplingには異なる2つのモデルのプロダクトリーダーがいます。「トラディショナル」と「アントレプレナー」です。
「トラディショナル」においては、成熟したプロダクトをもっとスケールさせるため、才能のあるプロダクトマネージャーとエンジニアマネージャーが一緒に取り組んでいます。給与や福利厚生、デバイスマネージメントに関して言えば、プロダクトとエンジニアの専門チームを持つトラディショナルなアプローチを採用しています。
一方で、新しいプロダクトの開発には「アントレプレナー」がリードします。例えば、法人カードプロダクトは元起業家のRishab Hegdeがリーダーです。私は、彼の会社にエンジェル投資をしていたのですが、事業がうまくいかずにRipplingが買収しました。彼はRipplingで新しいプロダクトを担当してくれています。
要は、私が失敗してしまった投資案件が、最終的にはベストな買収を実現させているわけです。お金は生めなかったけど、才能のある優秀な起業家とつながるきっかけを作れたのですからね。
ちなみに「トラディショナル」と「アントレプレナー」は異なる報酬体系を採用しています。成熟したプロダクトを担当する場合は、すでにあるものを磨いて運用するため、従業員と同じような報酬体系で、同じように株式も付与します。
新プロダクトを担当する場合は、時に「アーンアウト」と呼ばれるものを付与することがあります。目標となるARRの達成に基づいて株式の一部を得ることができます。さらに大きいARRを達成できれば、また別の株式の一部を獲得できる。株式のアップサイドはリスクのある報酬ですが、これが起業家たちをRipplingに誘い込み、ジョインしてもらう方法です。
私たちが新プロダクトを発表するときは、プロダクトマネージャーが集まる「委員会」によるものではなく、アントレプレナーチームによって生み出されていることが多いのです。新プロダクトを作ることに専念しているアントレプレナーたちによってね。
前田:アントレプレナーチームはどのくらい独立しているのですか?素晴らしいGTMチームがいる一方で、PMFがまだのプロダクトもたくさんありますよね。その間にコラボレーションは生まれているのか、それとも完全に別々で動いているのでしょうか?
Matt:いえ、それはないですね。アントレプレナーチームはRipplingの採用チームに頼らず、自分たちのネットワークを使って独自の採用を行ないます。セールス面では、セールスチームがプロダクトをエンジンに投入して活用しますが、起業家の成功には独立したビジョンが絶対に必要です。「実行するための飢え」を持っていないといけない。本来的に彼らは優秀な人を採用して、維持する力を持っています。だから、官僚的な環境に起業家を入れてしまってはいけません。特に、リソースが溢れるような環境なんて最悪です。
「制約」はイノベーションの母ですよ。明確なビジョンを持つ優秀な起業家が、大企業に入ると起業家はただ太ってしまう。アントレプレナーチームには利用できるリソースを意図的に制限し、「やるしかない!」という状況に置きます。セールスとマーケティング部分については、別のチームがプロダクトのGTMエンジンを使って展開を進め、アントレプレナーチームが作ったプロダクトを積極的に売っていきます。
CEO Parkerだけが鳴らせる「60日の鐘」
前田:RipplingはNPSが高いですよね。新しいプロダクトをローンチするハードルは高いのですか?CEOのParkerは、この点でもゲートキーパーなのでしょうか。
Matt:間違いなく、Parkerはゲートキーパーです。私たちには「60 Days Gong(60日の鐘)」という制度があり、新しいプロダクトを出したときは、まずParkerにもアカウントを付与されます。彼が実際に使って品質を確かめ、問題がなければ「60日の鐘」を鳴らす。
この期間中、マーケティングチームはローンチの準備をし、セールスチームは事前にプロダクトを売ることができますが、社内では60日間という線引きがされている。そして、鐘を鳴らせるのはParkerだけです。彼が新しいプロダクトを使ってみて、不合格だと判断すれば差し戻されることが多々ありました。
私たちのMVPの定義は「顧客が完全なものを望んでいる」という知見に基づいていて、分析、ワークフローの自動化、ポリシー、権限などを取り入れることが必要です。それこそが、Ripplingのプロダクトを、Ripplingのプロダクトにするための唯一の道なんです。ワークフローの自動化を半分だけ実装させることなんてできませんから。展開する前に完全に実装されていなくてはいけません。
前田:面白い!プロダクトをローンチするたびにMVPの定義が広がっているのですね。
Matt:そうです。正しくは「大きなプロダクトになる」という表現です。機能が充実した完成度の高いプロダクトになっていきます。私たちは既存のセグメントに参入しているので、半分の機能で参入するわけにはいきません。BillPayをローンチした時も「bill.com」がすでに存在していました。「コンプリートセット」を持って参入しなければならず、私たちは顧客が望む統合されたコンポーネントを持って、Rippling流に実現していくのです。
前田:Parkerが試して鐘を鳴らさなかったプロダクトはありますか?
Matt:6〜7個はありましたね。それらのプロダクトを作った人にはフラストレーションが溜まったでしょうが、最終的には全てのプロダクトを世に出そうとは思っています。
私たちが持つエンジンを使えば、各アプリケーションごとのデータがどのように表示されるかが分かります。私たちは、このデータを基に作られた「間違いなく成功するプロダクト」が書かれた長い、本当に長いリストを持っているんです。実際、エンジニアやプロダクトリードが足りないくらい作りたいプロダクトがあります。
だから、適切な会社が「自分たちを買収してくれる会社を探しています」と言い出すのを待っています。優秀なチームがいれば、プロダクトが書かれたメニューを彼らに渡して、「ここにある9個の強力な機会からどれを選ぶ?」といった感じで問いかけます。
そして、彼らに実際に開発をしてもらいます。あとはもう想像できるでしょう。クレイジーな話に聞こえるでしょうが、驚くべきリストがあり、どれもが開発を待ち侘びています。
前田:リストに着手する順番はあるのですか?例えば、経費管理関連のものは、アプリストアより後にしようとか......。
Matt:多少はあるかもしれません。ただ、そこでも「りんご果樹園」の話に戻って、それぞれの場所に、それぞれの魅力的な土壌があると考えます。コツは、植える場所にあまり神経質にならず、とにかく木を豊かな土壌に植えることですよ。
Ripplingマフィアの誕生がもたらすもの
前田:企業買収の戦略についてもっと聞きたいです。60以上の企業を買収したと記事で読みましたが、Ripplingの買収は人材獲得が目的ですよね。
Matt:はい、私たちは「戦略的買収」は行ないません。人材を獲得するための買収のみです。Ripplingには現在80人ほどの起業家がいます。私自身もその一人でした。
会社のカルチャーは起業家精神に満ちていて、Parkerはこれに深いリスペクトを持っています。私たちは人々を引き込むために、報酬の仕組みを設定し、彼らに成功するための「自立」と「制約」を与えています。これは起業家精神に満ちた会社の経営陣が、全ての従業員に求めているバリューです。
前田:買収する起業家を探す際の条件はありますか?
Matt:実は、このトピックは今まさに私たちが話し合っている内容なんです。たくさんの会社の、たくさんの人たちと時間を過ごし、結果としてディールを行なわなかったこともあります。私たちはテクニカルな面と起業家精神の面と、どちらを評価しているのかを見直しているところです。
私たちが求めるのは、プロダクト構築ができる技術的なスキルを持った人です。例えば、有名なコンサルティング企業出身の人が、エンジニアなしで何かをはじめた場合は買収しません。しかし、3人のエンジニアがたくさんのものを構築したがうまくいかなかった場合なら、買収の可能性があります。技術面のインタビューで基準を満たしているのかは確認しますが。
コンサルタントの人に対して失礼なことを言ってるように聞こえるかもしれませんが、そうではないです。そういった経験を持つ人には、プロダクト構築ではなくビジネスサイドで活躍してほしいということです。
前田:Ripplingに入った後のキャリアパスには、どういった可能性がありますか?
Matt:まるでRipplingに会社を売ろうとしているような話になってきましたね。もしかして、そういうことかな?(笑)
Ripplingでは、ある分野のプロダクトのオーナーになれることが大きな可能性です。Ripplingのクラウドの一つを任されたら、経営陣全員から無制限のアテンションを直接受けられます。Parkerのように、素晴らしいプロダクトを構築して成功を掴めるのです。
起業家のほとんどは失敗で終わるものですが、Ripplingによる企業買収でチームに着地点を与え、投資家にもいくらかのお金を返すことができます。そして、彼らは2〜4年のロックアップ期間を経て、また新しいことをはじめたいと考え出す。これは素晴らしいことですよ。
Ripplingで築くネットワークは、PayPalマフィアのようなものです。PayPalやUberで働いた人々のネットワークは偉大で、投資家はそういった企業の卒業生にはこぞって出資したいと考えている。なぜなら、彼らが「優れたものとは何か」を見て、知っているからです。優れたものを見ていれば、高成長とはどういうものか、野心やハングリー精神の意味、実行の緊急性を理解できます。だから、起業した時にも「何をどうしたら良いのか」が明確です。
Ripplingにもその環境がある。実行の緊急性、混沌を受け入れる姿勢、ゴールドを目指して全力を尽くすことなど、全てをね。そんな経験をした後、再び起業すれば、投資家にとって魅力的になるでしょう。Ripplingマフィアの誕生です。
前田:Ripplingの取締役会のダイナミクスはどのようになっていますか?特に、あなたとParkerの間で、どうやって物事を決断しているのですか?
Matt:取締役会のダイナミクスは非常にシンプルです。私たちは簡素な取締役会を実施していて、Parkerを含めた5席のメンバーがいます。Kleiner PerkinsやFounders Fundからのボードメンバーが出席していて、Ripplingに大きく貢献しています。また、SequoiaやMike Vernalなども参加しています。
私たちはビジネスに集中し、無駄のない取締役会を実施しています。私は多くの取締役会に出席してきましたが、Ripplingの取締役会は非常に機能的だと思います。
会社の運営については、Parkerと私がいますが、Parkerが唯一無二のCEOです。彼が決定を下す場所では、私たちは彼に従います。しかし、Parkerは多くの意思決定をチームに任せています。私はParkerを補完する存在として、プロセスや物事の進め方、スケールの方法を考えます。一方、Parkerは何を作るか、いつ作ったものを世に出すかに関心を持っています。この2つのアプローチがうまく連携しています。まるでワンツーパンチのように。
PMFは創薬のプロセスのようなものである
前田:起業家がPMFについてどう考えるべきだと考えますか。ありがちな誤解はどんなものでしょうか?
Matt:PMFは、見たら絶対に分かります。自分が疑ってしまうなら、確実にPMFしていないでしょう。私がInklingに在籍していた2009年から2018年まで、9年間CEOとして働きましたが、控えめな結果に終わりました。何度もプロダクトや戦略を変えてPMFを達成しようとしましたが、常に疑問を抱いていました。問題を解決するためにマーケティングを試みることもあった。
そこでの解釈は「もし、私たちのプロダクトを買いたいと思わないのなら、それは私たちはマーケティングができていないということ」でした。でも、この考え方には、多くの傲慢さが含まれます。「自分は間違っていない。間違っているのはあなたの方だ。ただ私は、まだ十分に自分自身の説明ができていないだけ」と。これはクレイジーな思考ですよね。
強いPMFを達成していない会社ほど「自分たちは、マーケティングの問題を抱えている」とか、「今からPMFに向けて反復的にプロダクトを進化させよう」という考えに陥りがちです。これらも本当に、本当に危険な考え方です。
PMFは創薬のプロセスのようなものです。ターゲットとなる生物体に存在する結合レセプターを探して薬を開発し、その薬を投与してどうなるかを研究します。マーケットは静的なもので、あなたが望むように変化すると思ってはいけません。起業してプロダクトを構築して展開する時は、創薬のプロセスで実験を繰り返すのと同じようにプロダクトを実験していきます。
Ripplingに入社して、最初の数ヶ月が経った時に「これがPMFか!」と痛感しました。問題は、どうやって自分たちのプロダクトを買わせるかではなく、十分な営業メンバーを揃えることです。
新しい機能を作れば新しい道が開けるかもしれない......と考えて、次に何の機能を作るべきかを模索することが、やるべきことではないのです。考えるべきは、私たちの成長を後押ししてくれる機能をどう作り上げていくか、ということです。
決して、RipplingがいつもPMFを達成していると言いたいわけではありません。すべてのプロダクトはPMFするかどうか分からない状態で生まれますが、それでも何かを作らなければなりません。私がRipplingに入ったのは従業員番号60番台でしたが、それでもARRは数百万ドルはあった。でも、IT CloudとHR Cloudが、まだベーシックな機能レベルでローンチされると、一気に勝率が上がりました。
競合がいる環境での勝率はどのくらいあるのかは、SaaS企業にとって、とても重要な数字です。どのくらい勝ち取ることができるかを測る数字ですね。私たちの勝率は、10〜20%だったのですが、IT Cloundをローンチしたことで30〜40%に上がりました。突然に解放されたような感じでしたね。
もし、1つの新しい機能セットをもって、1日で勝率を倍増させられたら、それは正しい道を進んでいる証です。その薬に対する結合受容体は確実に存在します。次の問題は、どれだけの薬を製造して、どれだけの薬を配布できるのかということです。これは、はるかに楽しいパートですね。
前田:勝率の他に、結合受容体を見つけたというシグナルは他にどのようなものがありますか?
Matt:勝率やQLのファネルのコンバージョン率などはビジネスがスケールした後の話です。まだスケールしていない場合は、創業者自身が顧客と話をし、なぜ自分たちのプロダクトを買わなかったのかを徹底して聞くしかありません。
私たちは勝率をコホート分析しています。年齢やセグメントはいつも確認し、コンバージョン率をチェックします。マーケティングチームとセールスチームによってアウトバウンドで作られたSQLを見て、比率が正しいかどうかを確認しているんです。
成約率が高ければ、セールスに過剰に情報を渡していることを意味し、もっとセールスを採用すべきです。情報が足りなければ、より多くの機会を創出しなければなりません。ただ、これらは数千人規模の会社でのみ意味があります。創業者の代わりにはなれません。初期のRipplingでセールスチームが数人しかいなかった時、私たちは、サンフランシスコのミッション地区にある小さな会議室で、基本的なデータを見ながら顧客ヒアリングの結果を話し合っていました。それはどんな指標より価値があるものでした。
次の10年間で、地球上のすべてのSMBの基盤となるSaaSを作る
前田:最後に、Ripplingの野望を知りたいです。あなたたちは、どこまで拡大すると思いますか?また、Ripplingが進出しないポイントはありますか。基盤となる「Employee Graph」は共通のテーマで組み立てられていると感じますが、その点についても教えてください。
Matt:野心は結果を出す上で大きな要因です。起業家は会社を立ち上げる野心は持っていますが、最後までやり遂げて、決して諦めないという野心を持っている人は少ないものです。Ripplingには無限の野心があります。
Data Cloudについてですが、異なるベンダーを使うことで生じる問題を解決するために存在するプロダクトがあると言えます。例えば、給与管理はADPから、福利厚生管理は別の企業から、ラーニング管理はまた別の企業から、そしてデバイス管理はさらに別の企業から導入した場合、すべてのデータがバラバラになり、それぞれが繋がっていない状態になります。データが存在していることさえ気づかないこともあります。
そこで、Snowflakeにデータを入れ、Fivetranでデータを繋げ、Tableauを使うというような解決策がありますが、私たちはこのような状況を止めたいと思っています。私たちの野心は、これをはるかに超えます。次の10年間で、地球上のすべてのSMBの基盤となるSaaSを作ることを目指しています。どうなるかは、楽しみにしていてください。
※この記事は「ALL STAR SAAS CONFERENCE 2023」のセッションから一部を抜粋・再構成しています。