このブログの読者で、CSに関する方ならおなじみ、ALL STAR SAAS FUNDメンターの山田ひさのりさんから「カスタマーサクセスこそプライシングに敏感であるべき理由」と題された寄稿が届きました。聖域化されやすいというプライシングに対して、カスタマーサクセスだけが発見できる“ギャップ”がある、といいます。
どのような役割を担えるのか、山田さんの解説を以下より、どうぞ。
「プライシングの歪み」を見つけよう
私はカスタマーサクセス(CS)のコンサルティングを生業としていますが、シリーズBぐらいのスタートアップにおいて「もっとExpansionを積み上げて事業へ貢献するにはどうすればいいですか?」という相談が増えています。
B2Bカスタマーサクセスの重要な責務と言えば、お客様の社内で自社製品の利用を促し、定着させ、チャーンされないことです。しかし、最近のスタートアップCSはNet Dollar Retention(NDR)をKPIにしているところもあり、Expansion(Exp.)をストレッチさせることで事業貢献しようとするケースも多く見られます。
ただ、Exp.ストレッチの相談でよくあるのが、そのプロダクトのプライシングが練り込まれておらず、追加課金を促す余地がないことです。昨今、SaaSのプライシングについてはいろんな方が情報発信されており、米国の西海岸で培われたプライシング研究のサマリーなども時折目にします。
今回の記事は「適切なプライシングとは?」というトーンではなく、カスタマーサクセスの視点から考えてみたいと思います。
私が多くのSaaS企業を支援して感じるのは、<yellow-highlight-half-bold>「プライシングの歪みを発見することは、カスタマーサクセスの重要な業務の一つだ」<yellow-highlight-half-bold>ということです。本記事ではカスタマーサクセスがプライシングを通じて事業に貢献する方法について持論を展開します。
プライシングは聖域化されやすい領域
上述のように、カスタマーサクセスにおけるExp.ストレッチの相談を受けていると、プライシングの制限によってストレッチの余地が無いことに気づきます。そこで、現場の人に「なぜ、このようなプライシングになっているかご存じですか?」と伺うと、多くが「私が着任した時から決まっていました」と回答されます。
その上で「仮にプライシングを変更する場合、どのような経路で、誰に相談するのが適切ですか?」と聞いてみると、「さあ……」と返ってきます。
このエピソードはよくある光景ですが、それらを通じて感じるのは、プライシングは極めて聖域化されやすいということです。
一般的に製品・サービスのプライシングを変えるのは一大事です。関係するステークホルダーも多く、顧客に与える影響やその後のフォローまで含めると、考えるべきことがたくさん出てきます。現場のいちメンバーが変更を提案するなど大それたことと感じるのも無理はないでしょう。
しかしながら、Exp.ストレッチをするにあたっては、そもそものプライシングを変えるのがもっとも効果的なことも多いのです。
売りにくいオプションを努力して勧めたり、顧客にフィットしづらいエディションへのアップグレードを促したりするよりも、プライシングを適切に変更したほうがはるかにExp.を積み上げられるのは私も経験があります。統計をとったわけではありませんが、急成長しているスタートアップはそれが成長のトリガーになることも多い。今やプライシング設計はスタートアップの重要な成長戦略の一つです。
実は、プライシングを変えるプロセスやフローが定まっている組織は少ないものです。「誰が変更を提案していいのか?」「プライシングを変える場合はどのようなプロセスを踏むべきか?」などが明確でない組織がほとんどではないでしょうか。
決定の権限があいまいなのは、未だにそのあたりのプラクティスが普及していないからです。業務プロセスの見通しが悪く、ステークホルダーが膨大にいる上に複雑性も高いので、現場にはプライシングを変更しようという意識さえ芽生えないようです。しかし、見方によっては、組織から事業成長のチャンスを奪っているとも捉えられます。
一方で、急成長し、成熟したSaaS企業においては、最適なプライシング案を練る専門の担当やチームが置かれるケースもあります。西海岸では「Value Engineering」や「Value Management」という職種で呼ばれるようです。
アーリーステージのスタートアップの場合、事業も組織も未成熟であるため、専門の担当やチームを置くことは現実的ではないでしょう。私がいくつかのスタートアップでプライシングを決めるプロセスを聞いた限りでは、ファウンダーや役員陣、COO、営業組織のトップが口火を切ることが多いようです。
ただ、事業の初期段階でプライシングを決める場合、「いかに導入してもらうか」という点がフォーカスされることが多いので、どうしても市場における価格感や競合比較から定められがちです。
これはこれで正しい事業判断なのですが、(シリーズBに差し掛かったぐらいで)顧客数が300~500社になってくると、プロダクトの価格に歪みが出ていることも多く、カスタマーサクセスにおいてプライシングの問題が顕在化していることもあります。
その予兆は、以下の3つが現れてきます。
- Exp.に苦労する
- 解約率が異常に低くなる(特定の顧客にとって割安になりすぎている)
- 利用率が高いのにダウングレード・解約する顧客が現れる(特定の顧客にとって割高になりすぎている)
このような現象が見られた場合、私はカスタマーサクセスがプライシング変更の口火を切るのをお勧めしています。なぜなら、その予兆を検知し、サービスのプライシングを適正化することで大きく事業へ貢献できる可能性があるからです。そして、それこそが「PMF伝道師」としてのカスタマーサクセスの真の責務の一つでもあります。
バリューベースプライシングとカスタマーサクセスの関係
昨今、SaaSの世界では「バリューベースプライシング」が叫ばれています。
バリューベースプライシングとは、提供しているプロダクト・サービス価値に連動して値付けがされる戦略のことです。簡単に言うと「お決まりのユーザーID数課金や3エディションプライシングではなく、提供価値で支払い条件が適正化されるプライシングのほうが、サービス提供者と顧客の両方にとってフェアだよね」という考え方です。一般に言われる「従量課金」を少し拡張した考え方とも言えます。
バリューベースプライシングにおいて重要なのは、自分たちのプロダクト・サービスが提供している価値に気づくことです。これはROIの明確化とも似ていますが、より厳密に説明すると、バリューベースプライシングを成り立たせるコントロールノブ(変数)を発見し、それをプライシングに組み込めばROIが計測できるようになります。
プライシングは事業の重要な戦略の一つであり、さまざまな案が研究されています。従ってバリューベースプライシングが最適かどうかは、その事業が直面しているフェーズや市場によりますが、以下のようなステップで効果が表れます。
- バリューベースプライシングを取り入れることでROIが明確になりやすい
- その結果、カスタマーサクセスの支援が必要な顧客を検知しやすくなる
- Exp.を狙うべき顧客がクリアになる
つまり、バリューベースプライシングの導入は「顧客と長期的にお付き合いすること」と「事業成長を後押しする」という両面でメリットがあり、カスタマーサクセスと相性が良いのです。
カスタマーサクセスだけが発見できるプライシングギャップ
そもそも、私がバリューベースプライシングとカスタマーサクセスの関係に気づいたのは、ある顧客に依頼されてヘルススコアデザインをしている時でした。「利用率は良いのにダウングレードする顧客が一定数いる」と聞いた私は、プロダクト利用データとセールスやカスタマーサクセスへのインタビューを通して、原因を突き止めようとしました。
結果としてわかったのは、特定セグメントの顧客がそのサービスを使うことを割高に感じているという事実でした。
極めて感覚的な話ではありますが、顧客は利用しているプロダクト・サービスから得られている価値と支払いのバランスを計ろうとします。数値的な妥当性はわからないまでも、「われわれにとって重要な数値が増加・減少するなら、料金が高くなるのも納得できる」というロジックです。
しかし、プライシングがその変数と連動していない場合や、その変数そのものを認識できないとき、顧客は自身の感覚とプライシングの妥当性が釣り合わずにモヤモヤします。
当時、私が支援しているクライアントはよくある3エディションプライシングを用いていました。利用率が良いにもかかわらず、最も売れている真ん中のエディションから一つ下のエディションへ切り替える顧客が多く、カスタマーサクセスから見ると原因が極めてわかりにくかったのです。
利用できる機能が多くなるにつれて高価なエディションを選べるプライシングはよくありますが、カスタマーサクセスから見ると利用の実態に即していないことがあります。たとえば、10個ある機能のうち2つしか使わないのに高いエディションを契約しており、その2つの機能と自身が重要視している数値や効果が関係している場合、顧客はプライシングに割高感を持つようになります。
もたらされている数値や効果が十分であればいいのですが、許容できない範囲になると顧客はダウングレードや妥当なプライシングである他サービスヘ乗り換えることがあるというロジックです(ただし、許容できるかどうかは顧客の感覚に依存するのも事実です)。
これは私が「プライシングギャップ」と呼んでいる現象で、シリーズBぐらいのカスタマーサクセスにおいてよく出合います。頻度が少なければ良いのですが、シリーズBぐらいの規模になると組織課題として顕在化しているケースもあります。
その上で、これに直面したカスタマーサクセスがとりがちなのは、当該の契約エディションに含まれている顧客が利用していない機能を頑張って使わせようとすることです。一見は正しい判断に見えるかもしれませんが、慎重に判断しなければなりません。
一般的に、プロダクトの要である機能が、支援が不十分なために利用されていないのであれば、明確にサポートの拡充をすべきだとわかります。しかし、そうではないのにカスタマーサクセスの支援が足りないことを指摘された場合、「そもそも顧客が望んだ契約なのか?」を疑う必要があります。
また、このような場合、カスタマーサクセスがExp.に苦労していたりもします。原因は顧客が望まないアップセル(あるいは上位エディションへの乗り換え)しかExp.を成せる選択肢がないためです(※)。
(※ただし、その機能を顧客に利用してもらうことが、プロダクトのミッションにかなう場合はこの限りではありません。時として、まだ世の中に無い価値をあえて提案しなければならないこともあります)
カスタマーサクセスはこのような現象に向き合った時に、課せられたチャーンやExp.目標を悲観するのではなく、プライシングの変更によって停滞を打開できないか考えてみましょう。
バリューベースプライシングの変数はカスタマーサクセスが見つけるべき
上述したとおり、バリューベースプライシングを取り入れるとROIを計測・説明できるようになり、カスタマーサクセスの活動が格段にやりやすくなります。そして、バリューベースプライシングの変数を発見するのはカスタマーサクセスの重要な責務の一つです。
私は以前の記事で、顧客に最終的な利益増・コスト減をもたらす“ひとつ前”の指標として「事業貢献数値」という考え方を提案しました。
今回はさらに発展させ、「事業貢献数値=バリューベースプライシング変数」と位置付けた上で、カスタマーサクセスがそれを探索・発見する方法について説明します。
SaaSに限らず、プライシングにはさまざまなパターンがあります。今回の執筆にあたって参考文献にあたりましたが、たとえば、こちらの記事では7つのプライシングモデルが紹介されていました。
プライシングモデルがなんであれ、カスタマーサクセスとしては自身のプロダクトが提供している価値がどの数値に現れてくるのかに注意を払う必要があります。
ユーザー単位の課金体系は、ID数の増加とプロダクト価値が連動する前提になっていますが、バリューベースプライシングの観点で見た場合、プロダクト利用(登録の場合もあり)ユーザー数の増加がそのプロダクトの価値を引き出すのであれば、極めて妥当なプライシングと言えます。それは以下のSlackの例でも明確に説明されています。
Slackにおいては、アクティブユーザーが増えれば増えるほどネットワーク効果が働いて企業活動コストを圧縮します。つまり製品価値とアクティブユーザー数には密接な関係があり、バリューベースプライシングの変数たりえるのです。
あなたのプロダクトが増減させる数値のうち、顧客価値ともっとも連動するものは何でしょうか?そして、それはプライシングのコントロールノブにならないでしょうか?
この質問は重要で、一見するとわかりにくい自社プロダクトの真の価値を浮き上がらせることもあります。以下にサービスごとの典型的なバリュープライシングを例示します。
- マーケティングオートメーション:リード数、もしくはMQL数
- ファイルストレージ:ファイル数、もしくは参照ファイル数
- 決済サービス:トランザクション数、もしくは決済成約数
- 採用サービス:応募者数、もしくは採用受諾者数
- ビジネスSNS:登録ユーザー数、もしくはアクティブユーザー数
これらのコントロールノブは売上増加系のサービスだけでなく、コスト削減系のサービスでも考えることができます。そのコンセプトは「その数が増える/減ることは、顧客にとって意味がある」と思える要素の発見です。
バリュープライシング変数からパフォーマンスを計測し、ROIに昇華させる
すでに説明したとおり、バリュープライシング変数を発見できたら、そのままROIの算出に使えます。バリュープライシング変数は数値であり、増減の計測ができます。そして、その数値に「一変数あたりの金額」を掛け合わせることで(疑似的に)金額に換算できます。一変数あたりの金額の設定には別のロジックが必要ですが、多くの場合は「それを別の方法で代替した場合の金額」が用いられるでしょう。結果、出たROIにインパクトがあれば、ROI候補となりえます。
仮に、明確な金額ベースのROIが算出できなかったとしても、その値が「ある時点からどのぐらい減ったのか/増えたのか」を計算することで、提供するプロダクトが顧客に与えたパフォーマンスを計測できます。
さらに、このパフォーマンス数値の変動をもって、カスタマーサクセスが顧客を効果的に支援しているかを判断できるようになります。組織のKPIを決めにくいカスタマーサクセスにおいては大きな意味を持ちます。パフォーマンス計測は優先的に支援するべき顧客を判断できるようになるというメリットをもたらすのです。これはチャーン予防にも、Exp.ストレッチにも、ヘルススコアのデザインロジックにも使えます。
私もこれまで、いくつかのプロダクトのヘルススコアをレビューしてきましたが、このパフォーマンス数値が練り込まれているSaaSは、ヘルススコアの値に応じて顧客支援がしやすかったり、Exp.が上手くいっていったりしているところが多いのです。
バリュープライシングの検討は、カスタマーサクセスに多くのメリットをもたらす可能性を秘めています。
プライシング検討において、カスタマーサクセスが果たすべき役割
一般的に、SaaSのプライシングは「売れやすい最高値」で強気に決めることも多いかと思います。しかしながら、主に新規顧客(Go-to-Market)のみを意識しており、「顧客が契約継続しやすく、長期的な事業収益をもたらす」という観点が抜けている場合が往々にしてあります。
プライシングの検討プロセスには明確なプラクティスがなく、「高度な分析や戦略を必要とする」と提唱している人も多数います。下記の参考文献では「担当するチームを設け、そこで議論すべき」と主張されています。
これらの主張は納得感はあるものの、アーリーフェーズのスタートアップには敷居が高すぎると思われるかもしれませんし、私もやや同意です。ただ、カスタマーサクセスに従事する私の立場から確実に言えるのは、検討時に「顧客が契約継続しやすく、長期的な事業収益をもたらす」という観点を持ち込んだり、現在のプライシングに歪みが生じているかを疑うのはカスタマーサクセスの重要な責務だということです。
一般的にカスタマーサクセスは「顧客の伴走者」と呼ばれることもありますが、それは一部であって全部でありません。私が考える<yellow-highlight-half-bold>カスタマーサクセスの真の責務は「PMFを加速させること」<yellow-highlight-half-bold>です。そして、プライシングの適正化に目を光らせることも、PMFを加速させる一要素です。
SaaSは極めてフェアなビジネスだと言われています。そのことはカスタマーサクセスが根本にあり、プロダクトやプライシングを含めて語られるべきものだと思います。それらが上手く機能しているかをウォッチするのは、カスタマーサクセスが持つべき使命です。カスタマーサクセスに従事する人はそのことを忘れないでほしいのです。
今回の記事がカスタマーサクセスの理解を深める一助となれば幸いです。
著者:山田ひさのり
『カスタマーサクセス実行戦略』の著者。ゲームプログラマーとしてキャリアをスタートし、Web開発のPG/SEを経て事業開発にキャリアチェンジ。その後、Sansan株式会社にてCS部門の責任者を歴任。現在はsasket LLCを設立し、2年間で約20社へのCSアドバイザリーを経験。