SaaS事業成長の鍵を握るのは、顧客との良好な関係を築き続けるカスタマーサクセス(CS)に他なりません。ともすれば属人的になりすぎる仕事を、しっかりと組織化していくためには、戦略や目標設計の観点が欠かせないでしょう。
そこで、CSを組織化する上での必須知識を、下記5つのテーマに分けて解説する『SaaS CS集中講座』を、ALL STAR SAAS FUNDで開講。
- CS組織化のポイントとKPI・KGI設計
- CSMの基本マインドとオンボーディング
- リニューアルマネジメントとエクスパンション
- ヘルススコアとデータ基盤
- カスタマーマーケティングとコミュニティ
講師は、日本におけるカスタマーサクセスの第一人者である山田ひさのりさんをお招きし、豊富な実務経験をもとに解説。さらにALL STAR SAAS FUNDの支援先からもよく聞かれる課題もカバーしたカリキュラムとなっています。
ここでは第3回の「リニューアルマネジメントとエクスパンション」の内容を抜粋、記事化しました。カスタマーサクセスを含め、SaaS経営全般のナレッジを私たちのブログでは継続的に発信しています。
これを機会に知ってくださった方は、ぜひ他の記事もご覧ください!
リニューアルマネジメントの意義とは?
今回の主題である「リニューアルマネジメント」とは、顧客が契約を更新する(リニューアル)前に接触する活動を指しています。
リニューアルマネジメントは一定の工数がかかる上に、SaaSにおいては年間の自動更新を前提としているところが多いので、一見すると無意味な活動に思えるかもしれません。その感覚自体は的外れとは言えないのですが、実はお客さまの更新意思を確認する以外にも、やるべきことは意外にあります。
そこで、まずはリニューアルマネジメントの意義を考えていきましょう。
こちらのスライドにあるように、リニューアルマネジメントにまつわる業務は多いんですが、しっかりやればベネフィットもそれなりにあります。
個人的な見解ではありますが、私はリニューアルマネジメントを以下のように定義しています。
リニューアルマネジメントで「やるべきこと」
では、リニューアルマネジメントで「やるべきこと」とは何でしょうか。以下のスライドに主要なものをまとめました。
1.導入目的達成の進捗確認
エンタープライズ顧客では、導入までに3年以上を費やすことも珍しくありませんよね。長丁場となる顧客には、常に目標を持ってもらうのが肝心です。大企業においては顕著ですが、顧客は社内で合意された目的がある場合にサービスを継続してくれます。
逆に言うと、目的が消失したプロジェクトはすぐさま中止の判断が下ります。CSMの大事な役割は、顧客へ常に目標を持たせることだともいえます。
2.プロダクト・サービス利用状況の振り返り
CSMは「顧客がどれだけサービスを使いこなせているのか」をもちろん把握していますが、顧客自身はそれを自分では判断できないものです。顧客側のSaaS導入責任者は、上長に導入の進捗を報告する必要がありますが、「導入は順調なのか?」「他社と比較してどうなのか?」を判断することはできないのです。
だからこそ、CSMは適切な頻度で、顧客へサービスの導入や利用状況をレポートし、客観的に顧客へ振り返りを促すべきです。
上図はクラウド名刺管理サービス「Sansan」の利用状況を顧客に見せる際に使っているフォーマットです。学生が受ける「全国一斉模試」の結果表をイメージして作りました。
業界平均と当該顧客との利用状況の差や、どのように改善すべきかといったアドバイスも細かく書いてあります。Sansanでは手作業で制作する時期を経て、現在では任意のタイミングでほぼ自動生成できるようになっています。
3.ROIの確認と伝達
込み入りますので、後述します。
4.体制の再確認、および再構築
顧客側のサービス導入・推進体制は1年も経つと崩れがちです。その場合、CSMは体制の再構築にとりかからないといけません(ここでの「理想的な体制」については講座の第2回でご説明しました)。
Sansanでもこの活動を行っていますが、それに加えて、そもそもの体制が崩れないように管理者の「引き継ぎマニュアル」を作成し、管理者と推進者のコミュニケーションロスを削減しています。ここまでしても体制が崩れることはあり得ますが、一定の抑止効果はあると捉えています。
5.決裁ラインの把握と関係構築
導入後1年も経つと顧客社内の組織や体制も変化しています。そこで、契約更新のステークホルダーとなる関係部署や、その内部事情を把握しなおすことが重要です。顧客と会話するネタを考えたり、時間をかけて情報を収集したりといった地味な活動ですが、後に説明する「Expansion機会の探索」においても必須となってきます。
6.VoC(Voice of Customer)の収集
一般的にVoCの収集は難しくありませんが、その後の活用につなげるのが困難とされています(これはこれで深いテーマなので、講座の第5回で改めて説明しました)。
7.更新意思の確認
そもそも、このためにリニューアルマネジメントをしているのです。しっかり確認しましょう。
8.Expansion機会の探索
SaaS事業においては、CS部門がExpansionの数値を負わされることも多いかと思いますが、そう簡単にExpansionは成功しません。こちらもディープな話なので後述します。
リニューアルマネジメントのスケジュール
リニューアルマネジメントのスケジュールは、一般的には以下になります。
私が挙げた9つの活動すべては必要とせず、皆さんの事業や組織によって最適化させてください。また、リニューアルマネジメントはメリットも多い一方で、それなりの工数がかかります。やるべき活動を絞ったり、やらないと決めてしまったりするのも一案です。
リニューアルマネジメントについて、よく受ける質問に「寝た子を起こすようになって解約が促進されませんか?」というものがあります。これは「一部がYesで、一部はNo」が私の考えです。
確かにその傾向はあるものの、顧客が「解約したい」と言ってきた場合にリカバリーできる期間と体制を備えた上でリニューアルマネジメントを行えば、それなりの確率で解約を止めることは可能だからです。
チャーンを防ぐためにできる活動
CSMの最重要ミッションは、サービスの利用推進を通じたチャーン予防活動に他なりません。そのため、顧客社内の利用推進がうまくいかず、解約を検討されている事態を素早くキャッチし、チャーンを防ぐように働きかけるのもCSMの重要な役割の一つです。
あまり楽しい業務ではありませんが、自分たちのサービスの価値を見直す上でも、向き合う必要があると私は思っています。
馴染みのない人に向けて、「チャーン阻止活動」を具体的に説明しましょう。最も重要なのは、チャーン案件のフェーズ管理です。一般的な新規営業のパイプライン管理と同じく、顧客から「解約するかもしれない」と言われた時点からCRMで案件を管理し、その案件のフェーズが変わるごとに適切な打ち手を発動していきます。
まず、フェーズ管理について、Sansanでは以下の3フェーズを用いています。フェーズの分け方は各々の判断ですが、あまり細かくしすぎないほうが良いでしょう。
ポイントは「解約をほのめかしているのは誰か?」を見極めることです。
考え方としては、その発言は「解約の意思決定者か」で定義します。Sansanの場合は上記3フェーズの定義から、CRM上でのマイナスのヨミ金額もそれに応じて傾斜をつけます。「C:解約決定」まで進んでしまうとリカバリーの望みはほぼありませんが、AやBで始まる解約案件も多くあります。
私の感覚では、その2~3割はチャーンを阻止できます。
また、解約案件が発生する5大パターンと、その対応策についてまとめておきます。
フェーズ1は現場が解約をほのめかしているケースです。これは顧客社内において、決済承認への懸念や、導入効果をうまく説明できないために対面している担当者が不安がっているパターンです。
このレベルであれば、顧客社内で正式に意思決定されたわけではないので、十分に阻止できます。具体的には、顧客の話に耳を傾けつつも、安易な値引きなどのカードは切らないように。社内稟議を通すためのシナリオを、一緒になって考えるといったスタンスで臨みましょう。
フェーズ2は意思決定者レベルで解約が検討されている段階です。非常にヘビーな状況で、回避は難しいことも多いのですが、やれることもあります。
一般的に、チャーン阻止活動は下記のフローを辿ります。
フェーズ2以降では、「サクセスを加速させるがっつり提案パターン」を発動させ、顧客の社内状況に見合った支援策を提案しなければなりません。
また、顧客の社内には自分たちのプロダクトやサービスを応援してくれる人が、一定いることもあります。その人たちの声を集め、「サービスがなくなったら困る人」の数を示すことも有効です。その際は顧客社内に持つリレーションが問われますので、CSMは顧客との関係性に日々気を払う必要があるわけです。
自社のマネジメント層に援護射撃をしてもらえる体制を築くことも忘れないでください。顧客の上長や意思決定者へ直談判するにしても、それに見合う役職者を用意しなければなりません。このような考え方は現場からは出てきにくいので、マネジメントレベルが体制や対応に配慮しておきましょう。
ただ、フェーズ2以降の提案については、その顧客が自分たちにとって重要か否かで判断してください。すべての顧客に同じ活動をするのは明らかに工数に見合わないからです。
「ROIの確認と伝達」で必要になる、ROIの算出方法
「顧客へどのようにROIを示せばよいかわからない」とよく質問されます。プロダクトによっては算出が難しいので迷うケースも多いでしょう。
そこで、全てのプロダクトに使えるメソッドではないのですが、ROIの算出方法を参考までに紹介します。
ROIの算出法は大きく2つ。「顧客に尋ねる」と「自身で導く」です。
顧客に尋ねて、筋の通ったROIが素直に出てくれば良いのですが、多くの場合はそうなりません。顧客自身もROIに迷っていることが多いからです。
出てこない場合は、自らロジックを組んで顧客に確認してもらいましょう。以下の3つの手順で考えます。
実はこのプラクティスはALL STAR SAAS FUND BLOGの記事で掲載していますので、より深く知りたい方は参照ください。ここでは概要だけ説明します。
まずは「シナリオの明確化」です。自社のプロダクトがサクセスをもたらす典型的なパターンを特定してください。プロダクトの使われ方は顧客によって千差万別ですが、最終的にもたらしているサクセスは共通していることが多いはずです。
私はパターンがあることに、Sansanの顧客支援メディアに掲載するサクセス事例を制作していて気づきました。ちなみにSansanの場合は「人脈の可視化」と「人脈の共有」です。ただ、明確化は自社プロダクトのサクセスに長く従事しているとだいたい理解できているものです。
次に「事業貢献数値の特定」へ進みますが、おそらくこれが最も難しいでしょう。事業貢献数値とは、先ほど挙げたサクセスの典型的なパターンによって向上する数値を指します。サービスの成果が出ているのであれば、「正確に数値化できてはないが、顧客は何らかのメリットを感じている」はずですから、そのロジックを頑張って組み立てるわけです。
Sansanを例に考えてみます。Sansanのサクセスシナリオは「人脈の可視化」と「人脈の共有」が典型的だと書きました。この2つが向上している数値を考えてみたとき、ある顧客からの言葉を即座に思い出しました。事例インタビューで耳にした「Sansanを導入したらオフラインリードが一気に4000も増えた」という成果です。「これは立派なROIだ」と直感的に思いました。
また、「人脈の共有」については、Sansanを導入された顧客の社内で「この名刺の方を紹介してほしい」という会話が飛び交うようになるケースが参考になりました。「もし、その人脈をイチから作らなければならなかったとしたら、どれだけの時間がかかったのだろうか?」と考えてみたのです。この問いはSansanが定着した後だと意識されにくいのですが、よく考えれば大きな効率化につながっていると気づきました。
このように、プロダクトが向上させている何らかの事業貢献数値を探します。ROIの算出において犯しがちなミスは、いきなり「売上向上数値」と「コスト削減数値」を出そうとすることです。確かにすべてのサービスは、最終的にいずれかへ紐づきますが、いきなりそれらとつなげようとすると、だいたいがよくわからなくなってしまいます。
今回紹介したロジックのように、一旦は何らかの数値にあたりをつけてから「売上増」もしくは「コスト減」に紐づけたほうが、スムーズにROIを算出できます。
数値が導けたら、「ロジックとファクトの考案」で仕上げます。事業貢献数値が、どのようなロジックで「売上増」あるいは「コスト減」をもたらしているかを考えるのです。
Sansanがもたらす事業貢献数値は「オフラインリード数の増加」と「(自身が欲しい)人脈の増加」でした。The Model型の業務フローを念頭に置くと、オフラインリードは多ければ多いほど「売上増」に寄与するのは明確ですね。人脈についても「この人脈をイチから作るのにかかる時間は?」という問いに読み替えられるので、明らかに「コスト減」に寄与しています。
関連が見えたら、次は「どの程度」の成果をもたらしているかを式化してみます。「オフラインリード数の増加」は、自社のリードの商談化率、そこからの案件化率、最終的な受注率を掛け合わせれば簡単に算出できます。あとはその数値に幅を持たせておきます。
「人脈の増加」は、「Sansanに蓄積された人脈のうち、何%が社内で再利用されそうか?」「その人脈を生み出すのにどの程度のコストがかかるか?」を仮決めして算出します。仮決めする数値は自社の営業にヒアリングして求めてみましょう。こちらも、求めた数値に幅を持たせれば完成です。
おつかれさまでした。これでROIの候補となる数値を算出できました。あとはその数値とロジックをいくつかの顧客に当て、「確かにそのとおりかも」という返事がもらえたら正式に採用しましょう。
ROIの特定はCS活動においても有効です。明確になれば「マーケティング→セールス→CS」と活動に軸を通すことができるからです。私としては、CSがROIを特定し、マーケやセールスに返すというのが、CSの隠れたミッションの一つだと思っています。
もし、ROIを公開するのであれば、特定商取引法においては誇大広告を禁止していますから注意してください。ROIの算出ロジックが妥当であっても、それに同意する顧客の声がなければ誇大広告にあたる可能性もあります。
CS的「Expansion機会の探索」における戦略
もうひとつ、リニューアルマネジメントで後述すると書いた「Expansion機会の探索」についてまとめます。
CSが主導してExpansionを実現する方法としては、下記2点をまず理解してください。
- Expansionには「発生しやすいもの」と「そうでないもの」がある
- Expansionのしやすさはプロダクトのプライシング戦略と密接な関係にある
上図の左はExpansionにかかるコストとLTVへのインパクトを整理したものです。英語で書かれていますが、それぞれ「従量課金」「クロスセル」「アップセル」と読み替えてください。
最もExpansionが発生しやすいのは従量課金です。たとえば、マーケティングオートメーションなどは「蓄積メールアドレス数」で課金するため、この課金軸を持っているといえます。また、データ量課金の場合は、「データ=企業資産」とみなされるケースも多いため、この軸を持てるとLTVへのインパクトは高まります。ただし、プライシングと密接に関係しているので、誰しもが気軽にとれる選択肢ではありません(ですが、持てると強いです)。
クロスセルは2つ以上のプロダクトを持っている場合に成り立つため、アーリーフェーズのスタートアップではほぼ実現しないでしょう。比較して、アップセルなら出せそうに思えるかもしれませんが、基本的には支援中のプロダクトでのサクセスが見えてきてから発生するので時間がかかります。あまりに早い段階でアップセルを提案すると「まだそんな段階じゃない」と言われてしまいます。
これらを踏まえた上で、CSがどうやってExpansionを狙うのか。私はThe Modelのフローに従って、CSQL戦略をとるのがベストだと考えています。
CSQLとは「Customer Success Qualify Leads」の略で、カスタマーサクセスが生み出す案件化しやすいリードを指します。マーケティングにおけるMQL(Marketing Qualify Leads)のCS版ですね。
The Modelは新規顧客を念頭に作られた業務フローですが、実は既存顧客にも有効です。以前、SansanでExpansionのThe Model版を作ろうとしたのですが、腕利きの既存セールスに「新規も既存もプロセスは同じだ」と言われて、ベースには同じものを使うことにしました。ただし、フェーズの概念などは既存顧客用にややカスタマイズしています。
基本的な考えは、新規顧客ではインサイドセールスが担っていた役割をCSが担うだけです。あるいは、マーケティングが担っていた役割をカスタマーマーケティングが担うこともありますが、マーケ部門の構成に関する話であり、既存顧客であってもマーケ部の業務スコープとしているところもあるようです。
リードソースは上図に書き出したように、ちゃんと考えると結構あるものです。たとえば、自社プロダクトのトレーニングセミナーを開催しているのであれば、セミナーの最後に新商品や新オプションの宣伝を混ぜておき、その後のアンケートで「同製品のご案内を営業からさせていただいてもよろしいですか?」という質問を混ぜておくと、20名中1名ぐらいは「はい」と回答してくれます。このような仕組みは簡単に実現できるのですが、意外と手をつけていないところも多いかと思います。
また、クロスセルを提案できるプロダクトを持っている場合は、初期の導入支援フェーズであっても、プロダクトが解決する課題が違えばExpansionは発生させやすいです。Sansanでも、請求書をさまざまな経路から受領する「BillOne」というプロダクトを提供していますが、名刺管理ツールの「Sansan」とは解決する課題も提案する対面も異なるので、他の部門につないでくれることも含めて、顧客は意外と話を聞いてくれます。
最近、Sansanでも力を入れているのはプロダクト経由でのExpansion提案ですね。いわゆるProduct-Led Growthで、ユーザーが最も接触頻度の高い“プロダクト”を使ってマーケティングやセールス活動をしようという考え方ですね。
Sansanの場合は、ログイン画面で新製品や新機能の告知をしています。もともとSalesforceさんが使っていたプラクティスを取り入れてみました。プロダクトからCS管理の支援メディアに遷移させ、問い合わせのコンバージョンを踏ませてMQLにする手法ですね。
厳密にはCSQLとは言えないかもしれませんが、既存顧客を意識している点では「CS的」だと思います。
CSQL戦略をとる上で慎重に考えなければならないのは目標の持たせ方です。基本的にCSのミッションは「顧客のサクセス支援」ですから、性格や嗜好が営業向きでないことも多く、案件のクロージングフェーズでもう一歩踏み込めない人が多いのも事実です。私個人としては、CSがExpansionのクロージングまで責任を持つのは悪手だと考えています。とはいえ、CSは顧客内部に入り込んでおり、強い信頼を得ているケースも多いため、そのリレーションは有効に活用したいですよね。
その点を踏まえると、CSのExpansionにおける責務は有効リードの創出までと位置づけておくのが最も良いのではないでしょうか。ただし、CSQLの質を担保するためにPDCAを回すことは必須です。フィールドセールスが「有効なリードでない」と判断したものについて、一つずつ精査していくのですね。これをやらないと最悪の場合、負の循環が回りはじめ、「CSからくるリードはロクなものがない」という色が付きかねません。手間はかかりますが好循環が生まれるまではしっかりメンテナンスする必要があります。
このように整理した場合の目標の持たせ方ですが、Sansanの場合はSMBの場合はCSQL数を持たせるようにして、エンタープライズ顧客は営業担当と共同で実金額を持たせています。SMBについてはこれまでの説明でご理解いただけると思いますが、エンタープライズについてもう少し説明しましょう。
エンタープライズ顧客においては、商談創出がすぐさま案件化に結びつくわけではなく、案件化するにもそれ相応の時間がかかります。このような状況ではCSQL自体に価値があるというよりも、それ以降の取り組みが重要になってきます。また、顧客の事業規模が大きい場合はステークホルダーもそれなりの数になるため、CS担当者が一人でできることも限られてきます。この場合は、営業とCSが一丸となって一つの目標に取り組むほうが結果としてうまくいきやすいという考えから、Sansanではそのように整理しているわけです。
既存営業を「CSに置くか、営業に置くか」とよく聞かれるのですが、それに対する明確な答えはなく、自社組織の都合に合わせて分ければいいと思っています。Sansanの場合も、以前は既存営業組織がCS部に紐づいていましたが、今は営業部門に紐づいています。以前まではチャーンを下げる目的でCS部門に紐づけ、今はチャーンが落ち着いたのでより新規を拡大させるために営業部門に紐づけた、という事業フェーズの影響も大きいです。自分たちの事業フェーズに合わせて変化させるのがベターではないでしょうか。
CSM一人当たりの担当ARR額
自分たちの事業フェーズに合わせて変化させるものとして、「CSMが担当する一人当たりのARR」もあります。
これについては私もよく質問を受けますし、さんざん頭を悩ませましたが、「御社の事業フェーズで変わる」というのが現時点の回答です。ただ、周囲の話を聞いていると一定の基準はあるようです。
ちょうど最近、HiCustomerさんが「カスタマーサクセス白書2021」を出されており、その中で「CSMが担当する一人当たりのARR」を紹介していたので引用させていただきます。
なお、計算の前提条件や有効回答数などの細かい情報が欲しい場合は、こちらから原典を参考にしてください。情報を登録すれば誰でもダウンロードできます。
まず、CSM一人当たりの担当者数を「ホリゾンタル(水平)SaaS」と「バーティカル(垂直)SaaS」で見ていきましょう。
グラフをどう読み取るかの話になりますが、水平、垂直どちらも約50%が「50社/人」となっていました。次にこれをACV(Annual Contract Value)別に見てみましょう。ACVはARRと近しい金額になりますが初期費用なども含まれています。
AVC240万円の場合は、おおよそ月額20万円のSaaSですね。私の感覚では月額20~40万円が一般的なSaaSに支払える金額ではないでしょうか。
このグラフを見ると、月額20万円以内のサービスの場合、約6割が「50社/人」で担当していることがわかります。ACVが大きくなるということは顧客の事業規模が大きくなるということなので、一般的には持てる社数は減っていきます。ACV601万円以上はサンプル数が少なくてノイズが入っているようにも見えます。
今度は一人当たりのARRに着目してみましょう。先ほどと同じように水平、垂直それぞれのSaaSでCSM一人当たりが担当するARRを集計したものです。
ARRで見ると水平、垂直でやや差が出ています。水平は65%が「5000万円/人」で垂直は85%が同じ金額になっています。これを見ると、業界平均は5000万円ぐらいが妥当そうに見えます。同じくACV別も見てみましょう。
先ほどと同じく、月額20万円のレンジに注目すると約6割が5000万円以内です。55%が「1000~5000万円」と回答しているので、かなりのボリュームゾーンですね。ACVが大きくなると割合がが少なくなるのは社数の時と逆です。これは一社当たりの金額が大きくなっていることを意味しているので、傾向としては先ほどの社数と同じかと思います。
これらの調査結果から考えると、国内SaaSにおけるCSM一人当たりが担当する平均ARRは5000万円程度と考えるのが妥当そうです。ただし、これは事業フェーズを加味して考えた場合、やや異なる見解になります。
アーリーフェーズのスタートアップほど初期顧客は大事ですから、なるべくハイタッチで密に接触すべきです。その場合は一人当たりの担当ARRは少額にしないと成り立ちません。しかし、事業が順調に伸びて顧客が大量に流入すると、全顧客へのハイタッチが成り立たなくなってくるはずです。そこで、テックタッチなどをうまく活用して一人当たりの担当ARRを上げていくセグメントと、変わらずハイタッチを行うセグメントを分離する必要が出てきます。そのため、CSM一人当たりの担当ARRは事業フェーズによって変化することになります。
今回の講座にあたって海外の情報も調べました。世界最大のSaaSカンファレンスを主催しているSaaStarのファウンダーによると、「最終的にはCSM一人当たり2億円を目指すべき」という意見があります。これは「2億円ルール」と言われています。
「最終」とはどこか、という話もありますが、SaaSの場合はARR100億円ぐらいで考えて構わないと思います。この場合、100億円を2億円で割ると50になりますから、ARRが100億円に達したら、CSMは50人は必要だという計算ですね。
Sansanの場合はARRが150億円でCSMが60人ぐらいいますので、CSM一人当たりの担当ARR額は2.5億円となります。そう考えると、そこまでズレていない基準のように感じます。
第3回のCS集中講座はここまで。次回は「ヘルススコアとデータ基盤」について解説していきます。
著者:山田ひさのり
『カスタマーサクセス実行戦略』の著者。ゲームプログラマーとしてキャリアをスタートし、Web開発のPG/SEを経て事業開発にキャリアチェンジ。その後、Sansan株式会社にてCS部門の責任者を歴任。現在はsasket LLCを設立し、2年間で約20社へのCSアドバイザリーを経験。