SaaSビジネスの成功モデルが確立されつつある今、新世代のSaaS企業はどのようにイノベーションを起こし、圧倒的な成長力を身につけるべきでしょうか。
本記事では、「PMF」をテーマに、IVRyの代表取締役CEO 奥西亮賀さんと、ALL STAR SAAS FUNDのPartner 神前達哉が、その定義と価値検証プロセスについて掘り下げました。
IVRyは「対話型音声AI SaaS」を提供し、サービス提供開始からわずか4年で47都道府県、88業界以上に展開。現在は、すべての企業で利用されているにもかかわらず、DXが進んでいない「電話」を軸としたプロダクトを展開しています。累計15,000以上のアカウントを発行、2,500万着電を突破する急成長を遂げました(2024年8月末時点)。2024年5月にはシリーズCラウンドで30億円の資金調達を実施し、累計調達額は49.5億円に達しています。
IVRyの創業からPMFを実感する間に、価値検証のプロセスをどのように回したのか。またシード期をどのようなマインドセットで過ごしていたか。「勝ち筋」の見つけ方、Moatの構築など、現在のSaaSマーケットで起業する際に気をつけるべきポイントを、奥西さんの実体験を基に学びます。
起業家は10回に1回の成功を信じればいい(ただし並行して進めよう)
神前:IVRyがPMFを達成する前に、いろいろなサービスを試行錯誤されたそうですね。前職のリクルートを卒業されてから、どういったことを考え、どのようなアイデアがあったのでしょうか?
奥西:アイデアは普段の生活から思いつくことが多いです。例えば、今日の天気と気温に応じた適切な服装が分かる天気予報サイト。「気温15℃のときの服装って何だろう?」みたいな疑問からスタートしています。他にもGoogle for JobsやIndeedと簡単につなぎ込めるような採用・求人メディアのATS(採用管理システム)連携SaaSを作ってみたり。
僕はリクルート在籍時も新規事業開発を担当していました。ある時、保険系の新規事業で、当時のメンバーには大きく出世した人も含まれていて、初期の資料にはたくさんの仮説が書いてありました。「この事業は絶対成功する」と。僕は新卒2年目で、その立ち上げプロジェクトに参加したんですが、どんどん仮説が外れていく経験をしたんです。
その後も、保険系の領域でいくつか違う打席を経験して、ようやく4発目か、5発目くらいで当たる事業を作れました。このプロセスで感じたのは、どれだけすごい人が、どんなに時間をかけても、外れるものは外れるということ。新規事業の当たる確率は10%くらいが最大で、後に起業したときも「10個やって1個当たればいいや」という感覚でした。
神前:シード期には、特に打席に立つ回数を稼ぐことが重要だと思いますが、「撤退基準」は設定されていたのでしょうか?アイデアやネタはたくさん出せたとしても、それを見極める方法について、奥西さんはどのようにお考えですか。
奥西:「10個やって1個当たればいいや」という前提に加えて、「その10個から筋が一番良いものを選ぼう」と考えていました。つまり、1個ずつ試してうまくいかなければ撤退するのではなく、10個を並列で進めていたんです。約7ヶ月で7個のプロダクトを出したこともありました。
撤退基準というよりは、事業としてクリティカルに証明しなければならないポイントがあると思っています。「そのユニークバリューが崩れたら価値がない」というポイントを早く証明していって、できる限り早くMoatを築く。ただし、「初手でMoatができることはない」とも思っています。なぜなら、自分たちにアセットがないからです。Moatが自然と生まれるまでの事業の上り方をちゃんと設計して、それを戦略的にやっていくというアプローチでした。
神前:お話を伺っていると、撤退基準は売上目標やキャッシュの部分ではなく、ユニークバリューが証明されたか否かで見極められているように感じます。
奥西:あとは、事業計画を最初にプランニングしたときに「どの指標があればレバレッジが効くのか」が分かります。ここは経験が物を言うところもあります。「こういったファネルで、MQLが入って、SAL(Sales Accepted Lead)になる確率は何%くらいあるな」といったレンジが見えてくる。
一方で、想像可能なセールスファネルのKPIとなり得る重要な指標を見定めて、実際の数値を叩き出せているのかを、特に最初は見ていましたね。
ユニークバリューは「4Pフレームワーク」から見定める
神前:IVRyをはじめた当初は受託開発も行なっていたそうですが、いつ受託開発をやめて、エクイティ調達に切り替えましたか。その基準やタイミングについて教えてください。また、資金調達をしない企業も増えていますが、そもそも資金調達は必要だと考えますか?
奥西:事業特性によると思います。僕たちは電話のビジネスで中小企業向けでした。最初に市場シェアを獲得することが最も重要だと考えているので、できる限り踏み込んでシェアを取りたいと思いました。
また、今後10年で600万人もの労働人口が不足すると予想される中、DXやAIを早く導入しないと、破綻する事業領域が出てくると思います。この問題に対処するには速さが勝負。そのためには資金を使うことが最も速く進む可能性が高いでしょう。そこで、調達できる資金を最大限調達して、スピードに真摯に向き合っていきたいと考えました。
結局のところ、ビジネスモデルや解決したい問題に、単純にフォーカスした結果なんです。エクイティ調達をするかどうかは、どちらかというと「How」の問題ではないでしょうか。
ただ、エクイティファイナンスのゲームは、パーセンテージを崩していくゲームです。最初の100%のうち、どれだけ高い割合を持てるかが重要。将来的に時価総額1兆円や10兆円を目指すなら、高い発射角を持つことがクリティカルな要因になると考えています。
神前:では、IVRyを顧客へ展開していく際の「ユニークバリューの見出し方」についてお聞きしたいです。言わば「IVRyの新しさ」について、バリュープロポジション(※企業が顧客へ提供する価値、またその組み合わせ)の観点から伺いたいです。どのようなお客さまを対象に、どういった価値を提供し、なぜ今このプロダクトなのでしょうか?
奥西:ユニークなプロダクトバリューを作る際に注目するのが、「4P」というフレームワークです。プロモーション、プライス、プレイス、プロダクトのどこで勝負するか、という話です。IVRyの場合も「4P」で整理すると、とても分かりやすいんです。
コールセンター向けのサービスはたくさんありましたが、初期費用が数千万円かかったり、ランニングコストが月に数十万円かかったりと、SMBやミドルサイズの企業では、どこも使えないような状況でした。そこでIVRyが大きく変えたのは「プライス」です。価格を大幅に下げて、SaaSにしました。みんなで使うから安く提供できるし、ビジネスモデルとしても成立する。これを最初に証明したのが、一番のポイントだと思っています。
次に「プレイス」は導入速度とUXの良さです。通常、電話の設定に1ヶ月かかっていたところを、僕たちのサービスでは早ければ1週間、さらには数日で終わることもあります。この導入スピードの速さが最初の価値でした。
ただ、それだけでは弱いと思っていたので、事業を伸ばしながら、顧客数が増えてくると蓄積される電話のトラクションデータを使って、AIを活用する戦略も立てていました。実際、ChatGPTが登場したタイミングで、僕たちには2年分のデータが蓄積されていました。これは、ほとんどの企業にはない『価値』になると考えていました。
「構造的に勝っていること」がユニークバリューのポイント
神前:ユニークバリューの定義や掘り下げ方について、アドバイスをください。
奥西:ユニークバリューの検証については、プロダクトを作らないと検証できないなら作るべきだし、作らなくても検証できるなら作らずに検証すれば良い。重要なのは、ユニークバリューのポイントを明確にすることです。例えば、「使いやすさ」をユニークバリューとするのは適切ではありません。もっと検証ポイントはシャープにできると思います。
ポイントは「構造的に勝っていること」ですかね。連続性ではなく、非連続な要因によって勝っていることが重要です。価格で言えば、3万円と5万円の差ではなく、500円と5万円の差のような勝負になら意味がある。それくらいの非連続な要因で起きていることには価値があると捉えたほうが良いでしょう。
ユニークバリューを作る理由は、競合が簡単に真似できないものを作ることにあります。競合が容易に模倣できるものなら、文字通りに“ユニーク”バリューとは言えませんから。
神前:IVRyと並行して、軌道に乗らなかったサービスもあるとのことでしたが、振り返ってみると両者の違いは何だったのでしょうか?
奥西:正直なところ、運の要素も大きいですね。当時、ここまで綿密に考え抜いていたわけではありません。やりながら考えを深めていって、解像度が上がってきた部分もあります。
IVRyがうまくいった要素の一つに、FMF(ファウンダーマーケットフィット、創業者とマーケットの適合性)があると思います。
電話関連SaaSというサービスは地味で目立ちにくいじゃないですか。でも、世の中に対する承認欲求を抑えて、目立たないことを我慢しながら愚直に取り組める点で、他の起業家とは違う強みがあると思ったんです。
目立ちにくいから、他の起業家や新規参入者も入ってきにくいだろう、という考えもありました。IVRyを伸ばしているときは、「もしかしたら僕以外にはあまりうまくいかないビジネスなのかもしれない」と感じながらやっていましたね。
管理画面もないのに「明日から使いたい」…PSFを実感したシーン
神前:ここからは、テーマをPMFにグッと寄せていきたいと思います。IVRyでは、どのような目標を立てていたのか、どれくらいヒアリングを重ねたのか。そのあたりのヒストリーを教えていただけますか?
奥西:最初は6月の2週目くらいに、受託開発の仕事の合間に新規事業のアイデアを思いつき、エンジニアに「突然なんだけど、これ、作れる?」と聞いたところ、「頑張って作ります」と応えてくれたんです。
アイデアの原点は、僕自身の経験にありました。銀行融資を申し込んでいた際に、営業電話だと思って無視していたのが実は本人確認で、結果的に融資審査に落ちてしまったんです。これは、かける側の都合で電話をしているのに、受ける側の都合は考慮されていない。この非対称性を解消できれば社会のためになり、ビジネスになるのではないかと考えました。
市場にも隙間があり、プライスで差別化できる可能性も感じましたね。
神前:市場にスペースが空いていると感じたのは、どういったデータに基づいて認識されたのでしょうか?
奥西:単純に競合リサーチです。サービスのコンセプトから思いつく限りのキーワードで検索しましたが、ほとんど見つかりませんでした。近しいものはありましたが、自分たちの能力でより良いプロダクトが作れるのではないかと。それが基本的な判断材料です。
そこで、まずは数十行のPythonスクリプトだけを作成しました。お客さまがどのような自動応答電話を作りたいかをヒアリングし、それを設定して電話番号を提供するだけの簡単なものです。
そして、ランディングページと資料を1枚ずつ作成し、6月中にプレスリリースを出せるレベルまで準備しました。Googleのリスティング広告で1日500円だけ出稿してみたところ、予想外に問い合わせが来はじめたんです。
神前:開発から2週間でリスティング広告まではじめられたわけですね。どれくらいの反響があったのでしょうか?
奥西:1ヶ月で10件程度だったと思います。ただ、CPAでいうと1,500〜3,000円くらいでした。PMFやGTM Readyの観点からはまだまだ不十分ですが、初期のトラクションとしては可能性を感じさせるものでした。これなら行けるんじゃないかと思いました。
最初は僕もリサーチのつもりで、見込み客とたくさん会話することを重視していましたが、管理画面もない状態なのに「明日から使いたいから、今すぐ設定してください」というお客さまが現れました。これは明らかにニーズにマッチしている、PSF(Problem Solution Fit)ができている状態だと感じました。
そこから、セールスプロセスをどうやってセルフオンボーディングに近づけるか、あるいはライトタッチのオンボーディングにできるかを考えはじめました。次のステップとして管理画面を作り、さらに効率化を図っていくべきという仮説を立てて、進めていきました。
神前:その後はユーザーヒアリングを徹底的に行なったのか、それともリスティング広告の反響に対応していったのか、どちらでしょうか?
奥西:両方やりましたね。リスティング広告経由の問い合わせにも対応しましたし、友人にも「こういうのあるけど使わない?」とヒアリングもしました。面白かったのは、友人に聞くと全員「要らない」と言うんです。潜在顧客ではあるものの、ニーズが顕在化していないんですね。一方、リスティング広告経由の人たちはバーニングニーズを持っていました。
市場には、ニーズが超顕在化している人と、そうでない人がいる。根本的に解決している構造は同じなのに、課題に気づいていない人たちが一定数いる市場なのだ、と捉えました。
PSFから3ヶ月ほどかけて管理画面を作り、2020年11月末頃に管理画面をリリース。2021年12月の資金調達までの間、テストマーケティングやセルフサービスチャネルのエコノミクスを徹底的に検証する期間を約半年設け、さらに半年かけて資金調達しながら事業を成長させました。
プライシングは「LTV/CACが3x以上」「売上総利益率70%以上」を基本に
神前:ユニットエコノミクスを合わせる際に、プライシングの問題が出てくると思います。プライシングのロジックや最適な単価について、どのように検証されましたか?
奥西:プライシングはまだ最適化の途中で、僕らもまだ検証中です。
ただ、SaaSの場合、後から単価を上げるのは比較的容易ですが、下げるのは難しいと考えています。SaaSビジネスで後から価格を下げにくいのは、ARRも下がる可能性があるからです。一方、価格を上げる意思決定は経営としても取りやすい。
そのため、最初は価格の最適化にこだわらず、低めの価格設定からはじめるのが良いと思っています。重要なのは、LTV/CACが3x以上になることと、売上総利益率が70%以上になることです。これらの条件を満たす最小限の価格を設定し、徐々に上げていけばいいのかなと。
神前:プライシングのロジックもユニークですが、低単価戦略はマーケットやお客さまのセグメントに大きく依存するとも思います。そこで、ファーストターゲットの理想的な顧客プロファイル(ICP)と、今後狙っていきたい顧客セグメントについて聞かせてください。PMFの観点から重要なマーケットをどのようにセグメントしていったのですか?
奥西:実は、あまりカテゴリーを切っていませんでした。SaaSを展開するならホリゾンタルだと考えていたんです。特定のカテゴリーセグメントしか証明できないと、後々にアカウント数が少なくなり、ビジネスとしての成長が難しくなると思ったので。
アカウントの母数は限りなく大きいところを狙いたい、というのが根本的な考えです。例えば、飲食業やホテル業界だけにニーズがあるようなものであれば、おそらく事業を続けなかったと思います。
まず、ホリゾンタルかつ数千円で提供するために、すべての業界でニーズがあることを証明したかったんです。また、もともと助けたいと思っていたのは、起業したばかりで社員もいないような中小企業でした。そういった企業に5万円などと言っても導入は難しいでしょう。3,000〜5,000円くらいの価格帯でないと、自分たちが思うお客さまを助けられない。
僕らとしては、カテゴリーを限定するのではなく、「電話を効率化する」という新しい捉え方自体に注目しました。誰も考えていなかったけれど、それに気づいているイノベーター層や超アーリーアダプターを、カテゴリーに関係なくリーチできれば最高だと考えました。
PMFの状態というのは、確かにプロダクトを作り込んで、ターゲットとするマーケットに対する機能が十分である状態を作らないと、GTM Readyの条件を満たせません。そこからセールス&マーケティングのエコノミクスを証明して、「GTM Readyだった」と認識し、次のステップに移行します。
順序としては、確かにカテゴリーから切り分けて証明していくプロセスもありますが、僕らはそこをあまり意識せずにプロダクトを作り込んでいました。結果的に、いつの間にかホリゾンタルに証明できた、というのがIVRyの成長パターンかもしれません。
神前:GTM Readyの段階では、ベンチマークを意識されていましたか?
奥西:正直に言うと、PMFやPSFはあまり意識していませんでした。これらは比較的新しい概念で、僕はもっと古典的なアプローチを重視しています。つまり、事業開発においてKPIツリーの構造を特定し、どの指標を伸ばすべきかを明確にし、それを最大化するためのセールスプロセスや経営プロセスを考え、ひたすらそれに取り組むことです。
PSF、PMF、GTM Readyは、言わばそれぞれが「状態」でしかないと思うのです。あくまでもプロセスを後から振り返ったときに「あの時は、この状態だった」と認識できるものですね。最近では、OKRを設定する際に「GTM Readyな状態にする」といった目標を掲げ、チームメンバーがそれに向けて具体的な行動を考えるようになっています。
しかし、根本的にはKPIツリーに落とし込み、どの指標が重要で、どの指標を改善すれば成功につながるのかを意識することは、重要だと思います。
神前:その中の指標には、ユニットエコノミクスやCAC Payback Period(回収期間)などが含まれると思いますが、これらはMRRがどのくらいの頃から意識しはじめましたか?
奥西:それこそ最初から、Day1から意識してきました。ユニットエコノミクスが分かれば、CAC Payback Periodも算出できるはずです。Payback Periodをベースに事業計画を立てるのも良いでしょうし、投資家とのコミュニケーションでも分かりやすい指標です。
神前:そうですね。LTV/CACはARPAのボラティリティが高いSaaSだと、ベンチマークになる指標がなく、算出が難しい場合もありますね。CAC Paybackは前四半期のマーケティングの費用が粗利ベースで何ヶ月で回収できるか、という指標なので割り戻しやすい。
IVRyの場合はLTV/CACは、BtoBtoCに近いモデルであるとは感じます。
奥西:そうですね。IVRyの場合はN数が多いので、どちらの指標を使っても問題ないと思います。重要なのは、Day1から計算できるものはすべて計算することです。スプレッドシートに計算式を入れておけば、そんなに時間もかからないでしょうから。
「できる限り競合がいない広い海」を泳ぐ
神前:4Pの中でプライスで勝負すると決めた場合、競合に対する意識も重要になると思います。例えば、競合が非常に安価なサービスを展開しはじめると、その強みを生かしきれなくなる可能性がありますよね。このあたりはどのようにお考えですか?
奥西:それはターゲットセグメントによるかもしれません。SMBはあまり比較検討しない傾向があります。一方、エンタープライズになればなるほど、稟議などのプロセスが多くなるので、競合を意識する必要が出てきます。
ただし、エンタープライズの場合、機能の差異など別軸で選ばれることが多いので、些細な金額の差で落とされることは少ないように思います。難しい問題ではありますが、そこまで競合を意識しなくてもいいのではないかと、一定では考えています。
神前:IVRyの場合、対象としているSMBや店舗のお客さまは、もともとシステムを導入していなかった。つまり、競合セグメントの中でコンペティティブなプレイヤーがいなかった。先行者利益をしっかり取り、セグメントにぴったり合い、なおかつユニットエコノミクスが成立するような形で価値を提供できたことが、ポイントだったということですね。
奥西:PMFにしろ、Go To Marketにしろ、IVRyがうまくいった理由は、「敵がいないところで戦っている」というところなのでしょう。「できる限り競合がいない広い海」を見つけることが、事業開発としては最も重要で、こだわってやってきたつもりです。
神前:とはいえ、競合他社も出てくるであろう中で、競合のプライシングについてはどのようにお考えですか?
奥西:最近は、プライシングの専門人材を社内にも置きたいと考えていますね。SaaSビジネスではプライシングが重要なレバーになるので、専門の担当者を置くのが良いのではないかと。仕組みよりも人材で対応するのが最適だと感じています。
BtoBtoCに近いアプローチをとり、Webマーケで成長
神前:MRR300万円までの営業戦略はどのように立てていましたか?
奥西:僕はプロダクト出身なので、実は営業戦略を立てたことがありませんでした。そして、僕たちはWebマーケティングですべてを推進してきました。Webマーケティングでリードを獲得し、どのようにセールスファネルを作り、MRRに変換していくかを考えています。
MRR300万円を達成するために、必要なリード獲得数、そのために必要なコストなどを計算し、事業計画に落とし込みました。そこから、どれくらいの目標で獲得しなければならないか、どれくらいの優良顧客を作らなければならないか、といったことを決めていきました。
結果として、MRR300万円は約1年で達成しました。
神前:初期のプロダクトを2020年6月にリリースされたとのことですが、そこからARR1億円まで到達するのに、どれくらいの時間がかかりましたか?
奥西:約2年ですね。2021年までの2年間です。
神前:顧客の店舗やオフィスごとの獲得単価やACV(年間契約額)は、ボラティリティが高いですか?それとも一定の傾向ですか?
奥西:企業単位で見るとボラティリティは高いです。ただ、アカウント単位で見ると、そこまで高くないと思います。これは、数百店舗を使う企業もあるからです。つまり、企業単位では非常にばらつきがありますが、個々の店舗単位ではそれほどでもありません。
神前:なるほど、BtoCマーケティングに近い戦略ですね。
奥西:そうですね。完全に同じではありませんが、BtoBtoCに近い感覚で、計画もすべてマーケティングから立てています。
PMFプロセスの反省点は「セグメンテーションごとの対応」
神前:PMFのプロセスを振り返って、今から考えると「こうすれば良かった」という反省点はありますか?
奥西:分かりやすい例としては、SMB(中小企業)、MID(中堅企業)、EP(大企業)といったセグメンテーションができてきたときのことです。IVRyはSMBからスタートしたので、最初の100件くらいの商談にはすべて僕が出席していました。でも、MIDやEPの案件が増えてきた頃には、他の社員へ任せるようになって、僕が商談に参加しないことも増えました。オンボーディングプロセスにも直接携わっていない部分が多くなりました。
そのため、GTM Readyにするための重要なインジケーターについて、「絶対にこれだ!」という確信を持てる部分がまだ弱いと感じています。僕自身が直接関与していない領域では、解像度が低くなってしまっているんです。
最近思うのは、組織が拡大し事業が成長してくると、そういった時間を取ることが構造的に難しくなってくるということです。今が最も時間に余裕があり、今後はどんどん忙しくなっていくでしょう。だからこそ、そういった課題に向き合える時間があるなら、少し効率が悪くても、たくさん向き合っておくべきだったと思います。
神前:プロダクト開発のプロセスで、反省点はありますか?
奥西:そうですね...実はあまりないかもしれません。かといって完璧だったわけでもなく、IVRyのカルチャーとして「とりあえず作ってみよう」という姿勢が最初からあったのは良かったと思います。僕自身も「作ってみればいいじゃないか」というタイプですし、元々がエンジニアなので、まずは簡単に作ってみたのが功を奏しましたね。
振り返って「やらなければ良かった」は、その当時ごとに考え抜いて決定したことばかりなので、あまりないかもしれません。完璧ではありませんが、当時の情報で意思決定するなら、おそらく同じ決定に至るだろうという感覚があります。
例えば、最初はSMBしかニーズがないと思っていたのでSMBばかりに注力していましたが、今となってはMIDやEPにもニーズがあったことが分かります。ただ、当時は情報が足りなかったので、そこまでの確信は得られませんでした。
また、最初は飲食やホテルなど、既存の似たようなサービスがあった業界はニーズがないと思っていました。特にコロナ禍は、そういった業界は営業もままならない時期だったこともあり、問い合わせもまったくありませんでした。でも、今ではそこからのニーズが非常に多くなっています。ただ、当時の情報では気づけなかったので、何か努力の方向を変えたとしても、あまり結果は変わらなかったのではないでしょうか。
BtoB SaaSのプロダクト開発は「なるべく作る」が良いケースもある
神前:IVRyにとっては「電話」という共通化されたシステムを使用するユーザーが無限に存在することが、キーポイントかもしれませんね。
奥西:そうですね、それが根本にありました。最近思うのは、プロダクト開発では「できる限りで作らないものを決める」という原理原則がありますが、BtoB SaaSの場合は当てはまらないのかもしれません。構造的には、作っている機能が増えれば増えるほど、TAM、SAM、SOMが広がっていくと思うんです。
だから、できる限り簡単に、かつ今後も作りやすい形で、機能をたくさん作ることを考えても良いのかもしれない。作らないことに努力するよりも、作ることを努力したほうがいいケースもあるのだろうと。
もちろん、アセットに対してリニアに機能を追加していく必要がある意味では、「作らないものを決める」には大いに賛成で、常に意識しています。
ただ、同じアセットを使って一気に3つの機能が作れるなら、3つ作ってしまってもいいんじゃないかと。PdM的な考え方だけだと、機能を絞りすぎてしまう傾向があります。そうではなく、一度に複数の問題を解決できるなら、もっと簡単に、あるいは小さく作る方法を考えるほうが良い場合もあるのではないでしょうか。
神前:そこに関連して、IVRyが現在の位置に至るまでの各フェーズについて質問があります。PSFやGTM Readyなど、セールスを加速させる各フェーズでは、あらかじめ予測して設定し、仮説検証していたのでしょうか。それぞれのステップを検証する際の指標はどのように決めていましたか?
奥西:僕たちは3ヶ月ごとにプロジェクトを立ち上げ、各クォーターで解決したい論点を決めています。それをほぼOKRへ落とし込み、その目標に向かって進めています。
あらかじめフェーズを決めるというのは、大企業の新規事業プロセスのようで分かりやすいかもしれませんが、スタートアップの場合はそこまで厳密に決める必要はないと思います。むしろ、新規MRRの成長率や事業計画との乖離を常に見ながら、そのギャップを埋めることを考え続けていました。
また、できるだけ先の課題に取り組めるよう、目の前の問題を早く解決し、6ヶ月後や1年後のリスクに立ち向かえるようにしています。つまり、近い将来の課題から徐々に遠い将来の課題へと、論点を解決していく順序で進めてきました。
プロダクトの価値指標で最も大切なのは「感動している」という言葉
神前:ALL STAR SAAS FUNDでは投資判断の際に、既存顧客へのインタビューをよく行なうのですが、そこでは主に2点を重視しています。一つはプロダクトの価値が強く伝わり、お客さまが不可欠なサービスだと思っているかどうか。もう一つは、目の前のお客さまだけでなく、サービスやプロダクトが拡張する可能性はあるのか、です。
この2点について、奥西さんはどのようなインサイトをもって、既存のお客さまが「なくてはならないサービスだ」と実感していることをトラッキングし、見極めていたのでしょうか?
奥西:難しい質問ですが、一番手っ取り早いのはチャーンレートだと思います。もう少し詳細な指標としては、僕たちのサービスは人手不足を解決するものなので、人件費に対してどれだけペイしているかを見ています。例えば、1コールあたりの削減時間を簡易的ではありますが算出しています。
また、非常に定性的な指標なのですが、プロダクトの価値を測る上では、以前に何かの記事で読んだユニクロのアンケート手法を参考にしています。ユニクロでは顧客満足度を5段階で測り、4が「大変満足」、5が「感動」とされています。4までの評価では顧客のリピート率はそれほど高くないのですが、5評価の顧客は非常に高いリピート率を示すそうです。
この「感動している」という言葉をどれだけ多くもらえるかが、実は最も重要だと考えています。IVRyでは正式なアンケートは取っていませんが、メールやXで「このプロダクトを使って業務が大きく変わり、感動しています」といった声を直接いただくことがあります。全員から「感動した」と言ってもらえれば最高ですが、まぁ、それは難しいでしょう。
神前:プロダクトの活用率や、実際の受電数はベンチマークにしなかったのでしょうか?
奥西:もちろん、それらもモニタリングしていますが、店舗によって状況が大きく異なるんです。電話が頻繁にかかってくる店舗もあれば、月に3回程度の電話が煩わしいから使いたいというお客さまもいます。そのため、活用率や受電数と価値の相関はそれほど高くないと考えています。
神前:確かに、自社が良い提供するSaaSの種類によって重要な指標は変わりそうですね。ワークフローに深く組み込まれているようなSaaSだと、自社が重要だと考える機能がどれくらい使われているかは大切な指標になりそうです。
奥西:ただ、人手不足を解決するのが目的なら、やはり人件費のペイ具合が重要になるでしょう。月に1回しか使わなくても、人件費を十分にペイできているなら価値があると言えるはずです。
例えば、freeeやマネーフォワードのような会計サービスは使用頻度こそ低くても、年間の業務に不可欠なので導入されます。つまり、使用頻度は低くてもペイするから使われるんです。あとはSaaSの場合、業務効率化を指標にするといいでしょうね。
AI時代のSaaSは、オートメーションと新たな価値提案
神前:SaaSとAIの関係性について、奥西さんの視点をお聞かせください。僕たちはSaaSをビジネスモデル、AIをテクノロジーと捉えていますが、これらが融合する未来、特にAI SaaSのPMFを考えたとき、何かしらの違いやこだわった点はありますか?
奥西:AI SaaSを見るとき、僕は「アシスタント」なのか「オートメーション」なのかに注目しています。アシスタント型AIは非常に多く、ChatGPTを管理画面から利用できるようにして業務を楽にするといった類のものです。
一方、僕たちが目指しているのはオートメーションです。AIを活用したオートメーションは実装が難しいのですが、僕たちは「コンパウンドAI」と呼ばれる手法を使っています。これは、LLM(大規模言語モデル)を小規模に活用し、複数を組み合わせてエンドツーエンドで正しい処理ができるようにする方法です。AIのハルシネーションを防ぎつつ、大まかな処理にはLLMを、精密な処理には従来の機械学習を使うわけですね。
さらに最近では、“Outcome as a Service”という考え方も出てきています。LLMはタスク実行に適しているので、その実行結果に応じて従量課金するというビジネスモデルも考えられます。これはSaaSのサブスクリプションモデルから解放される可能性を示唆しています。
神前:確かに、従来のSaaSはシート課金やライセンス課金が主流でしたが、AIの導入によってインプット作業自体がオートメーション化される可能性がありますね。そうなると、少ない人数で運用できるようになるため、プライシングロジックも変わってくるかもしれません。例えば、Zendeskのように従量課金にシフトする企業も出てきています。
カスタマーサポート担当者の人数分ライセンス請求していたものが、AIによるオートメーション化の度合いがアウトカムとなり、それがプロダクトのプライシング戦略に反映されてくる可能性がありますね。
奥西:そうですね!特にシート課金型のビジネスにはインパクトがあるかもしれません。
「人材のブラックホール」IVRyが描く、個人と企業の成長ストーリー
神前:採用の面で、かなり強力な方々をアトラクトされていますね。IVRyは優れたメンバーが続々と参画している、まさに「人材のブラックホール」だなと。
そこで、2つ質問があります。一つ目が、初期のPMFからGTM Readyの段階のタイミングでは、どのような観点で採用を進められていたのでしょうか。例えば、エンジニアを特に採用して、セールスはあまり採用しないなど、何かポリシーはありましたか?
奥西:実は、GTM Readyの段階までは、あまり深く考えていなかったように思います。というのも、シリーズAまでのタイミングでは採用自体をほとんどしていなかったんです。業務委託のメンバーで運営していて、社員数ゼロでしたから。GTM Readyになってきたと感じてから採用をはじめ、徐々に人を増やしていきました。
セールスやCSのヘッドカウントはMQLの計算上やりやすいので、ある程度ヘッドカウントに対しての計算で必要性を判断していました。ただ、優秀な人材には「出会えるタイミング」があると考えています。たとえ今は人員があふれていても、その人が3年後に大きく活躍する可能性があるなら、今しか出会えないのであれば採用するという方針でした。
神前:IVRyの採用はリファラルが源泉になっていると思うのですが、なぜこんなにリファラル採用がうまくいくのでしょうか?起業家にとって、人材を口説いて参加してもらうことは重要な競争力の源泉だと思います。どのような心がけをされているのでしょうか。
奥西:オファーをする際は、まず候補者のキャリアにとってどうなのかを考えます。様々なキャリアの中で、なぜIVRyを選ぶべきか、IVRyに来ることがその人にとってどう良いのかを深く考え、それを伝えるようにしています。
つまり、IVRyに入るユニークな価値をちゃんと考えて伝えるんです。例えば、エンジニアの場合、LLMやコンパウンドAIシステムによるオートメーションが3〜5年後には当たり前になると思いますが、今はほとんど誰もやっていません。IVRyでは既にこれらの技術を実装レベルで扱っているので、「やがて一般的になるエンジニアリングスキルを最前線で学べる。しかもファーストペンギンにもなれる。IVRyに来たら面白くないですか?」と伝えます。
セールスの場合も同様です。AIプロダクトで、日本の中小企業全体に展開しようとしている企業はまだ少ないと思います。日本企業が真の意味で発展するためには、僕たちが1〜2年早く世の中の業務効率を変える必要があり、そのための仕事だと伝えます。
要するに「今、IVRyに入ることがその人のキャリアにとって面白い機会である」ということを、マクロな視点と候補者個人のインサイトを合わせてコミュニケーションするように努力しています。
神前:一連のお話を伺っていると、「ユニークバリュー」がキーワードになっており、採用においても、それが大事なのだと改めて感じました。それが正しく言語化できているからこそ、お客さまも共感して購入し、継続する。さらには採用候補者も引きつけられる。
奥西:そうですね。結局のところ、どちらも人生に携わるものですから。
目指すは10兆円規模、日本市場にも十分にチャンスはある
神前:今後の展望についても聞かせてください。仮に単価が5,000〜10,000円ベースだとしても、IVRyが目指している1兆円規模の事業を作るのは、なかなか難しいチャレンジだと思います。成長戦略や中長期的なビジョンをどう見ていますか。
奥西:中長期の事業モデルについては、様々な可能性を検討しています。実は10兆円規模の会社を目指しているんです。そのほうがわくわくしますしね。実現できれば、世の中が大きく変わり、良くもなっていくはずです。
僕は、単価5,000〜10,000円ベースで1兆円の時価総額は十分に可能だと考えます。僕たちより安い単価でビジネスを展開している企業が、実際に8,000億円の時価総額をつけたケースもありますから。日本市場にはまだまだ成長の余地があり、平均単価が1万円程度でアカウントベースが十分に大きければ、十分にチャンスはあると考えています。
神前:確かに、おっしゃる通りかもしれません。単価の問題は、カスタマーベースの規模やグローバル展開によって十分にカバーできますし。また、1店舗あたりの単価が低くても、数百店舗を持つ中堅・大企業向けのエンタープライズ戦略も魅力的だと思います。
奥西:まさにその通りです。
いかに多くの「打席」に立ち、いかに深く考えて「打てる」か
神前:ありがとうございます。最後に、PMFを目指す起業家や、SaaS企業で新規事業開発に取り組んでいる方々へのメッセージをいただければと思います。
奥西:偉そうなことは言えませんが、僕自身もまだ売上1,000億円の事業を作ったわけではありません。ただ最近、スタートアップカンファレンスに登壇した際に、成功者たちに共通していたのは、多くの挑戦と失敗を重ねていることでした。
例えば、PayPayも、それまでに何度も決済サービスを試みた上で、たまたまタイミングが合って成功したという話も聞きました。つまり、とにかく数多く挑戦することが重要です。新規事業は簡単には当たらないので、いかに多くの「打席」に立てるか。そして、その際にどれだけ深く考えて「打てる」か。それらが鍵になります。
新規事業を成長させることは、世の中に価値を生み出すことだと思います。価値を作る人たちはとても素晴らしいし、僕も好きです。そういう人たちが増えてほしいと思っています。打席回数を最大化することを常に意識していれば、いつか必ず成長につながるはずです。みんながこういった思想で取り組めば、日本はもっと良くなるのではないでしょうか。
ぜひ、ガンガンやってください!